第2話 そういう所が駄目
イグジスが部下の一人であるタントンを連れてドミノの研究室を訪れると、やけに距離を取られながらも何度も頭を下げられた。
「先日は大変ありがとうございました! お陰で命拾いしましたわ!」
「騎士として当然のことをしたまでだ。むしろ私達の警戒が甘かったばかりに、怖い目に遭わせて申し訳ない」
「イグジス様……そんな、こうして無事でしたし……」
心からの謝罪をされて、ドミノは驚いたのか目を彷徨わせる。この流れを逃すわけにはいかないと、イグジスは更に一歩踏み込んだ。
「それはそれとしてこの運命の出会いに」
「あっそういうのはいいです」
「団長、とっとと土産を渡しましょうって!」
早速またフラれたところで、部下から軌道修正が入る。垂れ目のタントン。団長の更なるストッパー役候補としてジナに見込まれている、新人ながらも将来有望な部下であった。
促されてようやく、イグジスは幾重にも布で包まれた品々を取りだす。テーブルの上に置かれたものを見て、ドミノはキラキラと目を輝かせた。解呪が専門なだけあって、かなり興味津々に身を乗り出す。
「わあっ、どれもかなり強い呪いの力を感じます! 本当に全部、イグジス様が保管なさっていたんですか!?」
「全部ではない。まだ大半は私の家の物置に安置されている」
「団長は竜人っすから、魔力の耐性とかが強いらしいんすよ」
見た目こそほぼ同じものの、人間より丈夫な体に、より強靭な竜の姿も有し、かなりの長命。更には人間では限られた者しか扱えない魔力を身に宿し、魔術への耐性も高い。そのため、王宮でも保存しかねる呪いの品々をイグジスが自らの家で管理するのが数十年前からの通例になっていた。数少ない解呪専門の魔術師が王都に来てくれたおかげで、ようやく物置のオブジェが減るとイグジスは安堵した。
ドミノは探求心を籠めた目で、レアな種族の竜人を観察する。ただし、呪いの物品に熱い視線を送った時と比べると、かなり落ち着いていた。
「騎士団長が竜人という話は本当だったんですね。人間嫌いで滅多に人里に現れない、希少で神秘的な種族とお目に書かれるなんて、光栄です」
「その世論は訂正させてもらう。竜人とは──ただの引きこもりだ」
イグジスは一言で神秘的要素をぶっ壊した。優秀な素質、利用価値の高い身体であるが故に人間から理不尽に狙われ、彼らと袂を分かち隠れ住むようになった、というのは五百年以上昔の話。滅多に集落から出ないため、外の情勢に疎く、周辺の国の名前すら碌に知らない始末。現在では人と関わるべからず、集落から出るべからず、などの形骸化した掟をただ守って引きこもり続けている、時代遅れの集団というのがイグジスの見解であった。
なるほど、とドミノは呪いの品とイグジスを見比べて、何度も頷く。
「ではイグジス様が呪われているのも、これらの影響というわけですかね」
「何だと?」
初耳な情報に、部下と揃って目を丸くする。体調はいつも通りなのだがとイグジスが首を傾げる隣で、タントンは大きく驚きの声を上げた。
「竜人って呪いが効かないんじゃないんすか!?」
「耐性があるってだけで、よっぽど強い呪いなら効くってことなんでしょうねえ」
眼鏡を上げると、ドミノはイグジスを上から下まで眺め直す。色恋の類は一切混ざっていない、研究者としての眼差しだった。
「軽く観察した限りでは、即物的な害はなさそうですね。うーん、もしかして因果律や性質に影響を与えるハイレベルな呪いなのかしら……」
自然現象とは異なる状態を感知し、紐解く能力。解呪の魔術を扱える者が少ないのは、天性の才能によるものも大きい。竜人であるイグジスでも気付いていなかったそれを指摘してのけたのだから、彼女の才能は本物なのだろう。
「では、残りの物品も速やかに全て見分してもらえないか。私にかかった呪いについてより詳しく調査して欲しい」
「そうですね、物品回収と解呪自体は私の元々の仕事ですから、できる範囲でなら……」
「なら是非私の家へ。そのまま一生私と同棲するのはどうだろうか」
「ストップ! ストップっすよ団長! すみませんドミノさん、後日またこちらに寄らせて頂きますんで!」
片頬をひきつらせたドミノに見送られ、イグジスは若い部下に引っ張られながら部屋を後にした。折角いい流れだったのにとイグジスが残念がるのを見て、タントンは肩を竦める。
「団長、碌に知らない相手を求婚なんて早すぎるっすよ」
「しかし、人間は短命だ。もう二度と出会えないかもしれないのだから、一度の出会いのチャンスを逃すわけにはいかないだろう?」
「そ、それはそーかもっすけど……なんかなあ……」
なおも納得がいかない様子でタントンは頭をぼりぼりと掻く。若い部下との恋愛観の違いは置いておくとして、今のイグジスにはより優先する事項があった。
自らにかけられた呪い。本人には自覚がなくとも、専門家の証言なら間違いないだろう。そして内容は恐らく即物的なものではない。と、なればつまり。
「私がモテなかったのは、呪いのせいだったのだな」
「はあ?」
「つまり解呪すれば、とうとう私も婚活が成功し、新たな愛妻との幸せな結婚生活も夢ではないというわけだ」
「夢では?」
今まで何故、フラれ続けていたのか。全てが呪いのせいならば納得がいく。新たな希望を見出して瞳を輝かせている上司を、部下は虚ろな目で眺めていた。副団長がいれば、眼差しの意味を的確に察するか、そのまま口に出してくれたに違いない。結婚できなくなる呪いってなんだそれは、と。
「ジナ副団長、やっぱおれには団長の相方兼突っ込み役は荷が重いっすよお……」
やる気満々のイグジスとは対照的に、タントンは頭を抱えて大きくため息をついた。
※※※
王都の町並みからやや外れた場所に建つ、こぢんまりとした一軒家。それを見て、ラスヴァーンの守護竜がこんな所に住んでいると連想できる者はいないだろう。副団長のジナもその一人であり、物珍しそうに家の外観を眺めていた。
「引っ越しや建て直しはしないのか?」
「百年以上慣れ親しんだ古巣を変える気が湧かんのでな」
そう言ってイグジスは提案をやんわり断る。決して豪邸ではなく、様式も大層古いが、イグジスは長年住んだこの家にかなり愛着がわいていた。例え物置には無造作に呪いの品々を放り込んだままにしているとしても。
「手伝ってもらえるのはありがたいが、私一人でも物品整理を行うのは簡単だぞ」
「過去の書類を探すのが下手な団長様の自信は、全くあてにならないからな」
ジナが手に持った紙束をひらひらと揺らす。物品保管記録簿と書かれたそれは、それなりに厚みがあった。
「イグジス団長、今まで王宮から保管してきた物の特徴や総数を覚えているか?」
「……買った覚えのない物を一通り渡せば、間違いはないだろう」
「研究所の負担を増やすな。それに万が一記録簿と食い違いがあれば、国から処罰を受けかねないぞ」
その言葉に現国王の不機嫌な表情を連想して、げんなりとする。面倒な事態を避けるには、彼女の手を借りるのが無難だった。
「先に言っておくが、女性を家へ招くなど滅多に行わんからな。もてなしには期待しないでくれ」
素直に彼女の助力を受け入れる事にして、早速家へ招き入れる。物置はあちらだ、と先導しつつ振り返ると、意外そうな視線を向けられていた。
「日常茶飯事でナンパをする癖に、女を連れ込んだ経験はないのか」
「妻でもない相手に不埒な真似をしでかすなど、唾棄すべき行為だろう」
「お前の倫理観は緩いのか堅苦しいのか、判別しかねるな」
軽口を叩きつつ、興味深そうにジナはきょろきょろと家の中に視線を巡らせている。彼女の視線がとある扉をなぞったところで、イグジスは待ったをかけた。
「その部屋には入らないでくれ。妻の部屋だからな」
「まさか団長、妄想上の妻のために部屋を準備しているのか。流石の私も少し引いたぞ」
「そういう意味ではない。昔結婚した時に、妻がそこを使っていたんだ」
ようやく意味を正しく理解したジナは、ドアノブに触れようとした手をぱっと引っ込めた。ぎょっとした様子で、熱心に婚活中の男を見つめる。
「結婚していたのか!?」
「何を驚いている。長年この国にいるのだぞ。既婚経験くらいあるとも」
「だって、あんなに口説き回っていたじゃないか!」
「妻は流行病で早くに亡くなってしまってな。百年喪に服した後、新たに妻を迎えるべく婚活を始めたというわけだ。無論、妻には死ぬ前に了承を得ている」
ジナは苦い物でも口に詰め込んだかのような、何とも微妙な顔を浮かべた。もしや、とうとう結婚生活の記憶を捏造し始めたのかと怪しんでいるのだろうか。
「実在の女性だぞ。知人の紹介によるものではあったが、仮面夫婦などではなく、仲は良かった。日頃から仲睦まじく語らい合い、無論夜の営みの方も積極的に」
「やめろ言うな聞きたくない!」
手に持っていた記録簿を顔面に叩きつけられ、軽快な音が廊下に響き渡った。もしや女性相手には配慮に欠けるセンシティブな内容だったか。異種族との会話は何年経っても難しいなと顔面をさすりつつ、イグジスは隣の部屋の扉を開けた。
空き部屋を利用したそこは、滅多に掃除もされず埃っぽい。すっかり皺がついた記録簿と睨めっこして、目的の物を掘り出す作業に取り掛かった。梱包されたものの中身を確認し、また梱包し直す。只管その繰り返しだ。途中でひびの入った花瓶を発見し、懐かしいなと呟く。
「これはかつて妻が買ってきたものだ」
「割れているじゃないか」
「折角の思い出の品だぞ。捨てるのは惜しいだろう?」
「……」
「かつて彼女が使っていた品も、記念に部屋に置いたままだぞ」
「…………」
「彼女は私とはセンスがかなり異なっていてな。華やかな家具を選んでくれて、興味深かったものだ」
「………………」
「大層できた妻だった。無論今でも鮮明に覚えている。いつも私を気遣い思慮深く優しく美しく」
「……………………はあ」
只管無言で聞いていた彼女は、とうとう大きくため息をついた。その勢いで、埃がふんわりと吹き飛ぶ。
「そういうところが駄目なんだ」
「何がだ?」
ジナはもう一度ため息をついてから、何でもないとそっぽを向いた。よく分からないままにイグジスは作業に戻り、過去の妻との記憶を思い出しては語り、適当に相槌を打たれるのだった。