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第19話 追憶の先にある現在

 気付けば、イグジスはもぬけの殻になった部屋に佇んでいた。妻のいなくなった部屋で、たったひとり。ずっと、延々と、身の振り方について考え続けていた。妻を早くに失った真面目な騎士団長と再婚したがる女性達の誘いを拒絶し、只管喪に服す。百年後に彼女より愛する女性が、見つかるまで。


 それで、と。自分の声が、押し込め続けていた感情が、露わになる。


『結局愛する女性なんて、現れたか?』


 いくら探しても、そんな相手は一人も現れなかった。何故か婚活は、失敗続きだったから。夫として愛を注ぐなら、まず結婚しなければ。


『そもそも、誰も愛すべきではないのでは?』


 再婚の許しは得たけれど、やはり不義理ではないかという考えは拭えなかった。立派な夫として妻を支えられなかった以上、せめてできるのは、最初に交わした誓いを守るだけではないのか。


 ──知った事か。


 心のうちとは違う女性の声が、ふと脳裏を掠める。自分はどうしたいのか。口を開こうとして、身体から力が抜ける。黒い靄のようなものが、いつの間にか自分に絡み付いていた。身動きが取れない。どうすれば抜け出せるのか。……いや、いっそ、このままでいいのではないか。


『竜人の掟を破り、夫としての誓いも果たせない。なんと無様だろう』


 自らを嘲る声に、そうだなと同意する。思考にかかる靄に任せて、目を閉じて耳を塞ぐ。あれだけ熱心に求婚しては、毎回断られてきた。そうだ、一度も成功した試しなんてない。もういい加減、諦める頃合いなのだろう。


 いっそ、妻との記憶を全て抱えて、ひとり余生を過ごす方が。


「団長」


 ゆっくりと、瞼を開く。


 声が、届いた。

 遠慮がちで、弱々しくて、縋るようでいて。

 振り向かずにはいられない、声だった。


「……イグジス」


 先程よりも更に小さく、風で掻き消えてしまいそうな声音だった。もっと耳に入れようとして、声の主へと近付く。


「いつまで寝ているんだ。帰ったら溜まった書類仕事を片付けないといけないだろうが。即位式の警護もあって忙しいんだから、早く起きろ」


 ジナ、と。ずっと隣にいてくれた名前を呼ぶ。

 それを合図に、ぼやけた人影が形を成した。


「皆、お前が帰って来るのを待っているんだぞ」


 いつも凛々しくて、頼もしくて、強かった副団長の姿があった。

 今にも泣き出しそうな顔で、そこにいた。


「昔の女の所になんか、いくなよ……っ」


 慣れ親しんだ声は、震えていた。無性に、離れがたく感じて。浮かびかけた思考を隠そうとする霧を振り払い、彼女の前に立つ。


 靄のその先へ。ゆっくりと、手を伸ばした。


※※※


「イグジス!」


 驚きと喜びを混ぜた声が、すぐ近くから聞こえた。頭痛と倦怠感は強いものの、妙に気分はすっきりしている。のろのろと頭を動かし、声の主と視線が合わさった。


 自分はベッドに寝かされていて、ジナは膝にのしかかっていた。しかも片手は、何故か人差し指の先だけを遠慮がちに掴まれていた。ほんの僅かの指先の温もりが、やけに失い難く感じるのは、何故なのだろうか。


「これは……もしや事前? それとも事後か?」

「ただの妥協案だ、気にするな」


 大変残念なことに、ジナはさっさと指を離してしまった。それから立ち上がろうとして、こちらを睨んでくる。


「離せ」

「君が私に身体を預けているのでは?」

「違うそうじゃない、手だ手!」


 指摘されてようやく気付く。掴まれていた手とは反対側の方が、しっかと彼女の手首を掴んでいた。失礼したと謝罪して、すぐにでも解放するべきだと思った。けれど理性に反して、指はぴくりとも動かないままだった。眉を顰め、ジナはしつこい指の拘束を睨みつける。


「何を寝ぼけているんだか知らないが──」

「君の声が聞こえた」


 ジナは驚いたように目を見開き、そっぽを向く。ナバナに言われたから適当に声をかけただけだ、とそっけない態度で明かした。それにしては真に迫っていたような。或いはただの、都合のいい妄想だったのか。判別がつかないままに、イグジスは口を開き直した。


「妻の夢を見た。自らを呪った原因は、恐らく妻への罪悪感が募った結果らしい」


 今でも、妻の望んだ愛が何なのか、よく分からないでいる。ただ、嫌いではなかったのだ。冷たく扱われるようになっても離婚を提案せず、子孫繁栄の使命よりも彼女への誓いを貫き続けたいと選択する位には。


 だからいっそ、呪われるべきだと思った。妻の望むように愛せなかった自分ができる、せめてもの償いだと。妻と仲が悪かったと知られれば、彼女に不名誉な噂が立つかもしれない。それを避けるため、周囲には妻の長所や良き思い出ばかり伝えていた。そのうち、自分自身もそれが全てだったと思い込むようになった。


 あれほど積極的に求婚を繰り返していたのは、心のどこかで分かっていたのだろう。あんな方法では、誰も振り向いてはくれないと。


「妻への罪悪感に囚われていたら、君が熱烈な言葉を贈ってくれた」

「……妄想だろ」

「だとしても、私は君に救われた。君の隣へ帰りたいと思えた。──感謝する」


 実直に想いを伝えると、ジナは動物が毛を逆立てるような反応を見せた。かと思いきや、自由な手で突然自らの顔を覆った。


「話は分かった。離せ」

「何故だ。もう少しこのままでもいいのでは」

「いいから離せ!」


 力任せに振りほどこうとされるのを、がっちりと確保し続ける。元より自分の方が、力が強い。背けられた顔、隠された手の隙間から漏れた色に、イグジスはつい手を伸ばしていた。覆いの役目を果たしていた手首も捕まえ、自分の方へ引き寄せる。


「……見るな」


 蚊の鳴くような声で、囁かれる。耳まで真っ赤にして、ジナは大層照れていた。初めて見る表情をまじまじと眺め、イグジスはぽつりと感想を漏らす。


「君は私の事となると、そんな風になってくれるのだな」

「っ、見るなと言っただろうが!」


 近距離から頭突きをくらい、衝撃で指を離す。不利な状況でも反撃するあたりは、流石副団長であった。ジナは素早く膝から飛び退き、足早に扉を開ける。部屋の外では、ナバナが香炉を片手にスタンバイしていた。


「おや、もう終わりかい。折角ムードを足してやろうとしたのにねえ」

「余計なお世話だ!」


 やけに大声で言い返すジナの背中を見て、自分が気絶している間に仲良くなったのだな、とイグジスは呑気な感想を抱いた。


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