第16話 結婚できなくなる呪いとは
老婆は、ナバナと名乗った。あのドミノの師匠であり、普段は山奥で悠々自適に隠居生活をしている。偶に小遣い稼ぎや気分転換に、こうして街に下りてくるらしい。宿屋の一室で様々な薬草を混ぜながら、彼女はそう簡単に説明した。
ナバナは薬の調合も得意らしく、煎じて飲まされた極彩色の液体は、えぐみが酷かった代わりによく効いた。ほどなくして起き上がれるようになったイグジスは、改めて感謝の言葉を述べた。
「感謝する、御婦人。お陰で早急に回復できた」
「いいってことさ。お礼は解呪代につけ足しといてくれ」
お茶を飲んで一息つきつつ、老婆はちゃっかり代金を請求する。ちなみに、飲んでいるお茶はイグジスが自腹で支払ったものだ。事後処理でジナが宿を飛び出している間に、イグジスは詳しい状況を説明した。ナバナはお茶を啜りつつ、暫くの間じろじろとつぶさに観察して、何やら聞き取れない言葉を呟いていた。お茶を三杯飲んでから、ナバナはようやくイグジスから視線を外した。
「これまたなんとも、面白い状態だねえ」
「どのような効果か判別できるだろうか」
「そうさね、簡単に言えば、結婚できなくなる呪いだね」
「結婚できなくなる呪い!?」
イグジスは、ジナが現在自警団の詰所にいるのを大変惜しく思った。散々突っ込まれていたが、やはり自分の直感が正しかったのである。
ただ、推測が当たっていたという事は、妻がそう願っていたという訳で。一応再婚を許可してくれていた筈だが、本当は許す気がなかったのだろうか。そもそも許可してくれたこと自体、自分の捏造した妄想では。今度は別の問題が浮上してきた。
「効果としちゃ、巡り合わせ自体が悪くなるとか、フラグが折れやすくなるとか、思考自体に妨げが入りやすくなるとか、運気に繋がりそうな記憶がぼやけるとか、まあ色々さ」
「被害効果が多岐にわたり過ぎでは?」
「ヒヒ、面白いって言っただろ」
ナバナは笑って、荷物から勝手に拝借したらしい人形を持ち上げる。恋愛運向上の人形の口にはいつのまにか大穴が空き、中身の綿が飛び出していた。首ももげかけており、子供が見れば泣きだしかねない状態である。
「大したもんだ。魔力の高い竜人にかかりゃ、無自覚に自分の運命率まで歪めちまうらしい」
「……ん? つまり、それはどういう?」
「この呪いをかけたのは、アンタ本人って意味さ」
イグジスは首を傾げたポーズのまま、暫し固まった。あれだけ婚活に励んでいたのに、当の本人がかけた呪いのせいで結婚できないとは、どんな茶番だ。
「私の力は炎を扱うだけだ。呪いのかけ方は知らんし、覚えもないのだが」
「そこは、生来魔力が高い竜人の成せる業ってとこかね。常人なら、単なる思い込みやら暗示で済む話だよ」
呪いが簡単に解けないように、動機も自ずと忘れてしまったのか。思い込みが呪いに発展したのなら、その逆もいけそうだが、自分は健康優良児だと確信し続けたところで解けるような、単純な話でもなさそうだ。
「どうにか解呪してもらえないだろうか」
「可愛い弟子からの紹介だ。手は尽くしてやるよ。チップを弾んでくれるならね」
持参金で足りるだろうか。イグジスは少々不安になった。
※※※
ジナと合流したイグジスは、ナバナの家まで赴くことになった。老婆を背負いながら山中を進んで数時間後、ようやく彼女の自宅に辿り着く。天井からは干し果物や薬草があちこちに吊るされており、謎のポーズをとっているオブジェなどが置かれた室内は、いかにも怪しい魔女の家といった所だった。
家に着くと、ナバナは薬品を保存している棚から瓶を取り出した。そして古びた机の上に置かれた大きな鍋へと、液体をばっさばっさと混ぜていった。
「ほれ、解呪薬完成さ。アンタ専用の特別製だよ」
「雑すぎでは?」
ついイグジスが突っ込みたくなるほど、はた目から見れば大変アバウトであった。しかも、この泥の様な液体の色は、見覚えがあった。
「性能は保証するよ。偶に街で売りさばいてるからねえ」
改めて、出来立てほやほやの解毒薬を観察する。十年以上熟成させたものよりも新鮮そうで、なにやら謎の泡がぼこぼこ出てきていて、虹色の光沢が薄っすら見えて、生温かい湯気からは刺激臭が漂っていた。つまりは、ルックから貰った薬よりも危険な気配がかなり増していた。
「本当にこれを飲む気か? まず確実に気絶するんだぞ」
呪いの正体を聞いた時も半信半疑だったジナは、薬にもかなり警戒していた。他に方法はないのか、と彼女が訊ねると、魔女は肩を竦めて散らかした瓶を片付けだした。
「呪いってのは、返しが怖いからねえ。本人にしっぺ返しがくるとなると、リスクはなるべく避けたいさね」
術を強引に解けば、呪った本人に何らかの反動がくる可能性が高いらしい。折角呪いを解いても、下手をすればもっと危険な損害を受けかねないなら、確かに遠慮したくはある。
「この薬はあくまで状況を緩和させるだけさ。本人に強く呪いを自覚させることで、自発的に解かせやすくするって寸法さ。ただしこれも、別のリスクがある」
棚へ瓶を全てしまい終えると、ナバナはじろり、とイグジスを見やる。口元に笑みを張り付けて、魔女は続けた。
「これを飲めば、呪いの根幹を直視する羽目になる。アンタ自身が目を背けて忘れていた、自分を呪いたくなるほどの過去や感情を味わう覚悟はあるかい?」
「無論だ」
イグジスはすぐさま頷いた。都合の悪い過去を忘れ、記憶を捻じ曲げたままでいるなど、そんな不誠実な行為を許せるはずもない。覚悟を示すべく、薬の入った木製のコップを進んで持つ。飲もうとする前に、ちらりとジナを見た。こちらが気絶したら即受け止めてくれるつもりなのか、近くで腕を出して構えてくれていた。
「ジナ、無事気絶から目覚めたら、君に伝えたい事がある」
「早速死亡フラグを立てるな。飲むならさっさと飲め。せめて介錯はしてやる」
「そこは介抱と言ってくれ」
いつもの軽口で気持ちを落ち着かせ、イグジスはコップを傾け一気にあおった。