第15話 団長、またも捕獲される
身体中が重くて、指すら碌に動かせない。視界はやけに霞んでいる。傍に何人かがいるのと、どこかの室内らしい、という位しか分からない。気分も最悪だ。とても眠いし、頭痛もするし、倦怠感も酷い。ついでに炎も出せそうにない。その上しっかり手足は縛られている。もしやこれはまずい状況では、と思った。
どうにか意識が覚醒したのは、男達が大声で何かを話し合っているからだった。
「だからよ、鱗とかを採ってからの方が儲かるだろ!」
「少し欠けてたって、向こうも構いやしねえって」
「やめとけよ。オレらは黙って従っときゃいいんだ。余計な事なんかしたら、こっちが痛い目見るぜ」
「いいじゃんか、反撃防止で腕切ったって言やあ、分かってくれんだろ」
これはもしや、大変まずい状況では?
イグジスはようやく危機感が湧いてきた。身体の状態を顧みるに、恐らく通行人に例の薬を注射されたらしい。街を歩いているだけでこれとは、治安が悪すぎる。ファルファラの二の舞になってしまったなんて、笑われそうなので絶対に知られたくない、と思った。
とはいえ、現状喋るのも厳しい。うっかりすれば意識が飛びそうだ。調理台の上の魚の如く、解体ショーが始まるのを黙って待つしかないのだろうか。もう一つだけ試せることはあるが、それで上手く逃走できるとも思えない。どうにか現状を打開せんと、朦朧とした頭で考えていると、扉が開いた。
「おっ、ようやくの御到ちゃ──ぐっ!?」
腰を低くして扉へ寄った男は軽やかに吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられノックアウトとなった。
「そいつに触るなっ!」
扉の隙間から転がり出た副団長の姿は、まさしく救世主に見えた。一方驚いた男達の反応は早く、各々にナイフを取り出す。複数で同時に切りかかられ、ジナは小さく舌打ちをした。最低限の動きで見切り、できなかったものは細剣で切っ先を逸らす。ついでに足を振り上げ、手近な男のナイフを蹴り飛ばした。複数人がかりであろうと、多少腕に覚えがある程度の敵では、彼女には敵わない。本来ならば。
「おい、こいつを殺されたく無けりゃ動くな!」
業を煮やした男が、イグジスの首にナイフを押し当てる。なんと下種な真似をと、無抵抗で人質になりながらも内心憤慨した。私の屍を乗り越えて行けと鼓舞したいのだが、生憎唇は碌に動かないままだ。
それでも、彼女ならどうにかやってくれる。そう、信じていたのだ。
「……っ」
瞬時に凍り付く剣先に、滲み出る焦りの表情。あまりにも、予想外だった。薬を盛られていなければ、調子でも悪いのかと訊ねていただろう。
顕著に現れた隙を、男達が見逃すはずがなかった。反応が遅れたばかりに、切りかかられた衝撃で細剣が指から落ちる。ジナが泣きそうな顔で細剣へ手を伸ばすのが、朦朧とした視界でもやけに鮮明に見えた。武器が無情にも踏みつけられ、場の優勢が反対側へ傾く。男達はしめたとばかりに笑みを浮かべた。
ジナは服の袖口に指を添わせて構えようとしたものの、イグジスを見て悔しそうに視線を落とす。振り下ろされるナイフと拳に、視界が明滅した。
「やめろ……っ!」
イグジスは渾身の力で喉を震わせ、強引に声を上げた。無力だった人質の姿が溶けるようにほどけ、身体を縛っていた縄がちぎれる。捕らえていたものが大きくなりすぎたからだ。ファルファラが薬漬けで鱗などを剥ぎ取られていたのなら、同じ状況でも竜の姿には変じられるのでは。イグジスの予想は当たっていた。
人肌など比べ物にならない、頑丈な黒い鱗に覆われた身体。捕食者の如く鋭く光る、金色の瞳。強靭な人外の姿を前にして、人々は畏怖の念を抱かずにはいられない──のだが。
生憎狭い部屋の中だったため、みっちり埋まるようにして身を縮こませる竜は、凄味が半減していた。驚いた男がナイフを当てるも、そんなものでは傷一つつけられはしない。
「私の副団長に、寄ってたかって、何を、している……!」
最後の力を振り絞り、イグジスは男達に向かって倒れ掛かる。ただの体当たりとはいえ、頑丈な巨体が相手ではひとたまりもなかった。ボディプレスを逃れた残りの連中へ、細剣を拾い上げたジナがすかさず追撃する。一人残らず床へ沈んだのを確認すると、ジナは急いでこちらへ近寄ってきた。初めて見た竜の姿に困惑しながらも、大きな鼻先を労わるように撫でてくる。反応が薄いのをみるや、ぎゅっと抱きついてきた。
「しっかりしろ! ダメだ、死ぬなよ……っ」
そもそも薬の効果は意識混濁や昏睡だから、命に別状はないのだが。あまりに弱々しい様子を前に、動揺してしまったらしい。少しでも不安を軽くさせるべく、イグジスはぎこちなく口を動かした。
「ジナ、未婚なのだから、あまり、大胆に抱きつくのは……」
「そんなこと言ってる場合か!」
「いや……今の私は、全裸、だからな」
「え」
するり、と竜の姿がほどける。はじけ飛んだ服の残骸にジナが気付いた時には、既に遅かった。イグジスは素っ裸の姿で、へろりとジナへもたれかかった。なにやら可愛らしい悲鳴が聞こえたのは、幻聴だったのだろうか。
たどたどしくも喋るのに慣れてきて、イグジスは切実に懇願した。
「わいせつ物陳列罪で、連行するのは、勘弁してくれ……」
「え……、い、いや、だからそういう場合じゃないだろ!」
ジナは素っ裸な団長をマントでなるべく覆うようにしてから、外に連れ出した。ついでに解毒薬も飲ませてくれたが、注入量が多かったからか、身体は重いままだった。
街のどこからしい、とイグジスはぼんやりとした思考で推測する。吊るされたランタンは点々と周囲を照らしており、裸マントの男をばっちり照らすには至らないのが幸いであった。肩に腕を回し、ジナは自分よりも身長のある大男を引き摺ってゆく。
「街の自警団には後で話をつけるとして……くそっ。悪い、油断した」
まさかここでまで襲われるとは思っていなかった、と謝られる。油断をしたのはこちらも同じだというのに。彼女の後悔は、負けそうになったのも含まれているのだろう。まんまと人質になった挙句全裸を晒した団長の方がみっともないのでは。むしろ助けに来てくれた時の、颯爽とした彼女の姿ときたら。
「気に、するな。とても、格好良かった……ぞ」
「……っ、今そんな事言うな!」
ふいっとそっぽを向かれる。どんな表情を浮かべているのだろう、とふと気になった。夜目が利くとはいえ、薬でぼやけた視界では不確かだった。時間が経って、薬の効果が更に強まったのか。そろそろ、舌を動かす気力も尽きてくる。増してゆく眠気に、とうとう瞼を降ろしかけた。
「やれやれ、不穏な気配に釣られて下りてみりゃ、珍しい竜人連れのレディとは」
ジナの足が、唐突にぴたりと止まった。ランタンの暗い明かりが、見知らぬ老婆の影を大きく引き伸ばす。皺が無数に刻まれた顔をにいっと歪め、老婆は笑った。
「弟子の紹介の縁もある。少し手助けしてやるよ」