第14話 美化と義務と本音
ファルファラと夫達との旅は、それはもう賑やかだった。決して悪くはなかったのだが、苦手な元婚約者が傍にいたのに加え、夫婦達のいちゃつきを食らい続け、心労もかなり増していたのである。暫くはあの街にいるから手紙を頂戴、と別れ際に言われたが、結婚式の招待状を送るのすら避けたい気分である。
幾日かぶりの二人旅は、なんと静かで平和なのだろう。解放された気分で、イグジスは天を仰ぐ。うっかり日光を直接見てしまい、顔を顰める羽目になった。ついでにめまいがして額を抑えたのを、隣で歩いていたジナが目敏く気付く。
「まだ薬の副作用が残っているのか」
「もう殆どいつも通りだとも。健康祈願の人形も貰ったからな」
薬を渡した張本人のルックは何度も謝りつつ、お詫びの品を幾つもくれた。実際気絶までしたのだし、折角だからと別れ際に健康運と恋愛運向上の人形をありがたく受け取った。
人形はとある僻地の部族が作ったとかで、目玉の刺繍が幾つも縫い付けられ、ざっくり裂けた唇は赤く、長い髪はやけに手触りが生々しく、とてもホラーじみていて凄味があった。その上夜中になると、偶に謎の呻き声が聞こえてくるようになった。これは本当にご利益がありそうだとありがたがるべきか、土に埋めて供養すべきか、悩みどころである。
「とっとと捨てた方がいいんじゃないか」
「何を言う。この人形のお陰で結婚運が向いて来るかもしれないのだぞ」
「最近よく眠れていないのも、そのせいじゃないのか」
それは別の理由で、と言いかけたのをイグジスはすんでの所で止めた。部下にいらぬ心配をさせるのは避けるべきだ、と思ったからだ。
どうも最近、夢見が良くない。内容がどうであれ、起きた時にはいつも冷や汗が身体に薄っすらと残っていた。妻の夢だ、とは覚えている。
なら、いい夢に決まっているではないか。
すぐさま理性が返答する。そうだそうに違いない、と無理矢理自分を納得させて、次の村へ辿り着くべく足を速める。そんなイグジスの様子を、ジナはいぶかしげに観察していた。
※※※
化粧の施されていない、土気色の肌。色の失せた唇。寝込んでいれば当然だ、とイグジスは思った。妻が寝込んで、もう二週間になる。医者も匙を投げた。自分にできるのは、ただ傍で励ましの言葉をかけ、気休めの看病をしてやるだけだ。
「欲しいものはあるか」
「何もないわ」
「なら、して欲しい事はあるか。何でもしよう」
痩せ細った手を握り、問いかける。冷えた体温に、少しでも自分のそれを分けてやるべきだと思ったから。
優しく問いかけると、弱々しく手を払われた。それが答えだった。悲しそうな表情で自分を見る夫を、妻は鼻で笑う。濁った眼でこちらを睨みつけ、乾いた笑い声をあげて言った。
「貴方なんて、呪われてしまえばいいんだわ」
※※※
ドミノの師匠が住んでいるのは、山の中らしい。近場の街に到着した頃には時刻も遅く、目的地を前にして、二人は一泊することになった。
「ようやく呪いが解けるな」
「ああ。実に喜ばしい。これでとうとう結婚ができる」
「いい加減、ぬか喜びするのは呪いの内容が分かってからにしろ」
薄暗がりに、影が伸びてゆく。宿屋へ向かう途中で、ふとジナは足を止めた。近くの壁に寄り掛かり、腕を組む。
「それで結局、体調が悪いのは薬の後遺症か、人形のせいか、それとも悪夢でも見てるのか?」
「何を言う。私は元気溌剌だぞ」
「目の下の隈を消してから言え」
どうやら、第三者から見ても分かる違和感だったらしい。ちくりと痛む頭を誤魔化すように頭を振り、イグジスは迷った末、彼女の隣で壁にもたれた。
「ジナ、君に謝らなければならない事がある。……私は君に、嘘を付いた」
「お前がか」
珍しいな、とジナは感想を述べる。当の本人も同感だった。普段から嘘を嫌い、誠実に生きるのがモットーであったから。
「妻と仲睦まじかったというのは……嘘、らしい」
よく思い出せんのだ、とイグジスは呟く。仲が良かった記憶ばかり沢山残っている筈だったのに、最近やけに夫婦仲の冷え切った夢ばかり見る。ただの夢だと切り捨てるには、回数が多すぎた。
「私は、長年妻との思い出を捏造していたのかもしれん」
「百年以上前なんだろう。忘れても仕方ないじゃないか」
「しかし婚姻を誓った以上、それはあまりに不義理ではなかろうか。少しでも忘れぬよう、部屋も当時のままに手入れしてきたのだが」
その言葉に、ジナはちょっと引いた。夢の内容を反芻するには、その少しの間で十分だった。夢の中で吐かれた呪詛が、ざらりと耳元をよぎる。
「呪われろ、と今際の際に妻に言われたのを、思い出した。私を呪ったのは、妻なのかもしれない」
「魔術師だったのか」
「いや、普通の人間だった。ただ、死ぬ直前で突然力に目覚めたとか、命を代償に呪うという例もあるだろう。流行の小説などで」
「参考例に信憑性がないぞ」
ジナの指摘はともあれ、呪いの心当たりは現状それだけだ。だとしたら、これは妻の遺言にも等しい。
「彼女が残した呪いを消してしまうのは、不誠実ではなかろうか。夫として、死ぬまでそれに向き合うべきなのかもしれん」
妻の最後の望みなら、受け入れるべき。そもそも今まで日常生活に支障もなかったのだから、現状維持でも問題はない。ここまできて、そんな考えが浮かんでくる。
ジナは迷うように視線を彷徨わせて、慎重に口を開いた。
「お前は、夫だから妻を憶えているべきだ、と思っているのか?」
「そうだ」
「なら私から言えるのは一つだ。──知った事か」
冷たく聞こえる返答だった。けれどそれが、イグジスを傷つける為のものではない事位は、簡単に伝わった。傾く西日に照らされる彼女の横顔が、真剣なものであったから。
「相手はもう死んだ。選択権はお前の心にだけある。いい加減、『そうするべき』で感情を無視するのはやめろ」
「しかし──」
「お前自身はどうしたいんだ」
胸倉を掴まれ、引き寄せられる。心の奥底まで貫こうとする赤い眼差しに、イグジスの脳裏で何かが瞬く。
私は、と小さく呟く。罪を告解する、罪人のように。
「幸せな、結婚がしたい。妻と愛し合い、幸せになりたい。……なりたかった」
「そこは次に期待しておけ。それで?」
「妻との記憶は、虚偽ではなく真実でありたい。呪いの方は、効果次第だろうか」
「言えるじゃないか」
ジナは満足そうに頷いてから、手を離した。心の内を吐露したからか、イグジスは先程より少しすっきりした気持ちで、そうだなと相槌を打つ。
「君のお陰で、視界が少々開けた。ありがとう」
微笑んで礼を言うと、ジナは急に顔を背けた。どうしたのだろうかと顔を覗き込もうとするも、さっと躱され、そそくさと距離を取られる。
「あそこの宿を取っておく。お前はその腑抜けた顔をしゃんとしてから追いかけてこい」
足早に去っていく後姿を見送り、イグジスはふむと何度か瞬きをした。我ながら、珍しく落ち込んでしまっていた。置いて行かれたのは彼女なりの気遣いなのだろうと、一人街中で佇み、空を仰ぐ。目の眩むような日の光は遠のき、小さな星々が天を彩り始めている。月から降り注ぐ光は、ただ淡く優しかった。
気分よく、のんびり空を眺めていたものだから、通行人に気付けなかった。軽い衝撃に、視界を降ろす。
「ああ、すまな──」
ぐらり、と揺れる視界。先日も似たような目に遭ったような、と思った所で、ぶつんと意識が途切れた。