第10話 婚活団長の昔の女
くだんの商人は、街の自警団がマークしている人物の一人だった。長年違法取引や人身売買に手を染めていた男を王都の騎士団長と副団長が捕縛してくれたと聞き、自警団は感謝しつつ今後協力を惜しまないと約束してくれた。こうしてまた一つ、守護竜の逸話が増えたのだった。逸話の勢いで、是非アウトな性癖の噂の方は消滅して欲しいものだとイグジスは思う。
「あんた達のお陰で妻が無事帰ってきた。ありがとう、本当にありがとう!」
オットーは生真面目そうな顔を喜びで綻ばせ、何度も礼を告げた。協力者も含め、三人ともそれぞれ感謝を示してきた。感涙しながらお礼に全財産を渡すとか、長年集めた珍物品を全部譲るとか、感謝の歌を十曲贈呈しようなどという申し出をされ、全て丁重に断った。
「せめて妻を紹介させてくれ。あんたの話をしたら、是非会いたいって」
「いや結構だ。奥方を大事にするんだぞ。ではこれで」
首をぶんぶん横に振りイグジスが踵を返そうとするも、逃亡は失敗した。優秀な副団長が素早く、待ったと首根っこを捕まえてきたのだ。
「この前から変だぞ。どうかしたのか。……そういえば、奴隷小屋で何か呟いていたな。知り合いか」
「いや初対面だ、赤の他人だ関係ない。早く旅を再開して結婚しよう」
「パニックついでに求婚するな。露骨すぎるぞ」
イグジスは目を泳がせて、追及の視線を合わせるのを避ける。その程度で開放してくれるジナではなかった。必死に言葉を濁し続けているうちに、オットーはさっさと目的の人物を連れてきていた。
「イグジス!」
明るい声に呼ばれ、ぎくりと肩を大きく跳ねさせる。無視をするのも失礼という良心に負け、緩慢な動作で首を声の主へと向けた。
牢に閉じ込められていた彼女は、殆ど体調を取り戻したようだった。長い髪は様々な髪飾りで彩られ、布で簡単に覆っただけの衣装を身に纏う姿は、妻というよりは大人気の踊り子という方がしっくりくる。堂々と曝け出された眩しい肢体や快活な笑顔は、下品さよりも健康的な魅力を際立たせていた。
「妻のファルファラだ」
女はにっと笑うと、イグジス目掛けて突進してきた。逃げ腰の彼をがっちり掴むと、熱烈に抱きしめたのだ。ジナが唖然とする横で、はしゃいだ声を上げる。
「ひっさしぶりーい! 元気してたあ?」
「元気だやめろ離してくれ」
「んもーう、つれない! アタシ達の仲じゃないの!」
タコの如く絡み付く豊満な身体を剥がそうとするも、相手も竜人なだけあって力が強かった。助力を求めようとして、隣のジナと目が合う。今までで一番、冷えた目つきだった。見ているだけで、背中を悪寒が伝いだす。
「……へーえ。お前、あれだけ女の尻を追いかけておきながら、こんなに美人の知り合いがいたとはな」
「違う、赤の他人だ!」
「えー他人じゃないわよっ、婚約者じゃないの!」
「元だ、元!」
イグジスが大声で付け足すも、突然の爆弾発言は周囲を巻き込むには十分な威力であった。オットーは他の男へ抱きつき中の妻へ近寄り、優しく肩へ手を置く。
「マイハニー、彼とはそんな深い縁があったんだな」
「今なんと言った?」
「マイオンリースイートハニーだ」
堅物そうなオットーの口から飛び出てきた言葉に、ついイグジスは疑問の声を上げた。彼は大まじめに装飾を増やして返答し、それが契機だったのか、協力者達もわらわらと寄って来る。
「僕達がいながら守護竜まで……守備範囲が広い所も好きです!」
「ハニーが愛の対象を増やしても、俺達の想いはこれまで通り変わらない」
「オレのエンジェルは今日も一段と大胆で美しいね。ああ、新しい歌が浮かんでくるよ!」
「ダーリン達、ありがとーう! アタシもみんな、だーいすきよ!」
ファルファラはあっさりイグジスから離れると、男達全員を抱きしめた。仲睦まじく盛り上がっている雰囲気を前に、イグジスとジナはただ茫然と状況を眺めた。
反応を見るに、オットーと協力者の計三人全員がファルファラの夫、もといダーリンらしい。他者との繋がりが深い存在を何人も攫うなど、やけにリスクの高い行動だと訝しんでいたが、何の事はない。協力者全員、同じ相手を探していただけである。オットーが主に二人に対応していたのは、多夫一妻なんて珍しいかたちを説明する手間を省いたのだろう。
この隙にとイグジスがゆっくり後ずさり始めたところで、ファルファラは思い出したように今度は腕へ抱きついてきた。
「そうそう、イグジスも助けてくれてありがと! お礼にキスしてあげよっか」
「夫の前で堂々と浮気をしようとするな! 大体、君が普通の商人に捕まるなど、迂闊すぎないか!?」
「実は、二人きりで楽しく飲んでた記念にお誘いしてたら、隙を突かれて注射をブスッと」
「……竜人は全員ナンパ癖があるのか?」
「誤解だジナ、こいつと一緒にしないでくれ! 私の女性への求愛は誠実だ!」
「誠実の意味を辞書で引き直してこい」
隙あらば女に求婚する男の弁明は、まるで効果がなかった。いつも通りに言い合っている二人を、ふーんとファルファラは興味深そうに見つめる。
「ところで、その子ってイグジスのカノジョ? 妻? ハニーなの?」
「妻候補だ」
「部下だ。女全員を候補にするのはやめろ」
なるほどね、とファルファラは納得したように頷く。向けられた金色の眼差しは、先程よりどこか熱を失ったようであった。
「アンタさあ、前より──つまんない男になったわね」
「愉快な男の間違いだろ」
相変わらず上司に厳しい部下であった。ここに自分の味方はいないのか、とイグジスは王都に残してきた騎士団員達へ想いを馳せる。
いや、おれたちも味方はしないっすよ、と新米団員の声が脳内で流れてきたのは、気のせいだと思う事にした。