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5.オープン日の昼の出来事・1

 翌朝の八時、朝練のある部活に所属する生徒たちは既にそれに励んでいるだろう時間に伊織(いおり)の目はゆっくりと開かれる。


 ぼんやりと天井に視線は向いているものの、どこを見ているわけでもない視界の中に横からぬ、と桜黒(おうこ)が顔を覗き込んで来た。


「——おはよう、桜黒」

「ああ、良い朝だな、主。接続は終えたのか?」

「いつも通りに。今は八時か、店の開店は九時だし、そろそろ身支度と店の最終チェックをしようかな」


 広々としたベッドから体を起こして背伸びをすると、桜黒もまた上半身を低く倒し、尻を上げながら伸びをする。


「鏡たち、頼むよ」


 伊織がそう声を発すると、ひとりでに鏡や櫛が近くへ寄り身支度をしだした。


 洗顔もそれを流す作業も、保湿も何もかも勝手に行われるので、伊織はベッドヘッド側に詰んだクッションへ目を瞑って凭れていればことが済む。


 究極の面倒臭がりだな、と桜黒には呆れの眼差しを向けられるものではあるが、楽が出来るならその方が良いだろう。


 櫛がしっとりとした長い髪を梳いて整え、眉毛も適切な長さにカットされ、閉じた瞼の上に走るアイシャドウ筆が丁寧に色を乗せていく。


 アイラインは軽く引くだけに留め、唇に乗る紅筆はあくまでも保湿を中心とした目的の、薄ら血色感を足すだけの色を広げたならそれで終わりだ。


 ファンデーションの類いは肌が重くなるような感覚に襲われるので、あまり好みはしない。


 かつて化粧は怪異から身を守るための守りだった。それが次第にお洒落の意味合いが強くなり、今では守りとして化粧を行う者はほとんどいないだろう。


 伊織はそのどちらの意図でもない、ただの習慣で行っているものであるのだが。


 鏡たちが下がってからベッドから降りると、今度はクローゼットの扉が開いて服がふわふわと浮きながらやって来る。


 シンプルながら仕立ての良い白シャツに、脚の形にぴったりと合うスキニーパンツ。


 指を一振すれば寝巻きからそれらへと服が入れ替わり、遅れてやって来た白地に菊の花模様が描かれた羽織を身に纏い、眼前にやって来た全身鏡に映る姿を見る。


 丁寧に梳かれたロングウルフカットの髪は肩から腕へと滑り落ちるもの、胸元を彩るもの、背中へと流れるものに分かれ、纏う服も彼のために設えられたものであるが故にその体の線をより美しく見せる。


 シャツの上から引っ掛けている羽織は丈の長いもの。


「ありがとう、良い出来だ。桜黒、まだ時間もあるしお茶でも飲もうか」

()は緑茶が良い、紅茶は少々飽きた」

「はいはい、緑茶ね。俺も同じのにしよっと」


 家具たちに礼を告げて寝室から出た二人はリビングのソファへと並んで腰を下ろす。


 昨日の紅茶と同様緑茶もまた急須と湯呑みが茶葉を最も美味しく淹れてくれるので、二人がすることといえばテレビ画面をつけて朝のニュースを眺めるくらいである。


 ローテーブルの上に温かな緑茶が一つ、伊織の分。水出しの冷たい緑茶が一つ、桜黒の分。


 それぞれの好みに合わせて淹れられたそれに、早速口をつけた二人は満足そうに息を吐いた。やはり故郷の慣れ親しんだ茶を飲むと落ち着くものである。


 ニュースキャスターとタレントたちと笑い声を聞き流しながらゆっくり緑茶を飲んでいれば、あっという間に時間は過ぎ去って行く。


「さあてと、そろそろお店の方に行こうか」

「この時間にオープンでは、客も暫くは来ないだろうがな。丁度授業が始まる頃だぞ」

「良いのいいの、沢山の人に来て欲しいわけじゃないし。俺は暫くのんびりしたいんだよ」

「ふん、成程な。吾は主と共にいるだけだ、その休息にも付き合おう」

「ありがとう、桜黒」


 左肩の上に飛び乗った桜黒と会話をしながら、伊織は二階の住居スペースから一階の店舗へと降りて行く。


 階段はバックヤードにあるので、そこからまた扉を開くと昨日セッティングしたばかりの店内へと出るのだ。そのまま真っ直ぐ入口へと向かい、外へ出る。


 扉の表側上部には雑貨屋リコリスの看板があって、その下の丁度目線の高さには営業時間が書かれた看板が設置されている。


 雑貨屋リコリス、営業時間九時〜二十三時。休業日は月火と金の三日間。金曜日は商品補充日なので、実質的な休日は二日間だ。


 伊織の扱う商品は生活必需品ではない、あくまで嗜好品。学業に関するものや食材、お菓子なども既存の購買部の店舗で買うことが出来るのだから、需要も高くないだろう。


 全て手作りの一点物という物珍しさに惹かれて来るものばかりになると考えている。


 そもそも利益を出そうとしてこの店をやるのではない、暫くはのんびりと過ごす間の暇潰しなのだ。


 だから、宣伝をして呼び込みをして客を増やすという手段を取るつもりもない。


 しかし、店として営業するのならその体裁は保たねばならない。


 家の周りに咲く白いリコリスたちは枯れることなくその花を風に揺らし続け、この場所へグウィンが敷いてくれた道に落ちた葉っぱも魔法で一纏め、そのまま溶かせば店前の整備もお終い。


 そうこうしている間に九時になったので、雑貨屋リコリスのオープンである。


 とはいったものの、それから二時間が経過して現在十一時。水曜日の、それも授業開始時刻に合わせて開店し、事前宣伝もなかったものだから客足は未だにゼロ。だが、伊織はそれを気にすることはなかった。


 誰も来ないのならばそれはそれで良い。つい先日手に入れたばかりのこの頃流行っているらしい推理小説を手にして、紅茶をお供に一頁ずつゆっくりと読み進め、捲って行く。


 そして丁度本の半分まで読み進んだ頃、ちりん、という愛らしくも涼やかな音が来客の存在を示した。


「いらっしゃい。ここは雑貨屋リコリス。扱っているのは全て俺のハンドメイド商品でね、どれも一点物だよ。……あれ、きみは一昨日の?」

「学園長から購買部の一員として店を開くと聞いていたが、随分と変わったレイアウト——ああ、失礼。一昨日、この島の本来の持ち主へ魔術を放ったこと、お詫びしたく伺った次第です」


 その男は伊織が家へ帰宅した時、警備員を引き連れてやって来た若い男であった。眉を寄せて頭を下げる姿に、思わず笑みがこぼれてしまう。


 レジカウンターの裏側から立ち上がって長い羽織の裾を引き摺りながら彼の元へ寄ると、上体を屈めて顎先に指先を当て、その顔を上げさせる。


 その行為に驚いたのだろう、若い男は目を丸くしているが、伊織の目に怒りがないことを感じ取るとどこか安堵したように肩の力を抜いたのだった。


「あれがきみの職務だったんだろう? だったら謝ることはない。あれについて悪いのは国だからね、俺にもそっちにも不手際はなかった。だからほら、顔を上げて」

「……ありがとうございます」

「それと敬語も要らないよ。今は同僚みたいなもんだろ? 俺は伊織、見ての通りこの店の主人だ。きみの名前は?」

「ふ……、ならば遠慮なく。オレはエルヴィス・クラーク、この学園で選択授業の方の錬金術を教えている。担当クラスは持っていないが、錬金術研究部の顧問だ」


 伊織に促されて顔を上げたエルヴィスは、元々己に自信がある男なのだろう、唇を三日月に歪めながらそう述べた。


 それにしても、若いながらも上級生の授業を受け持っているということはそれだけ有能なのだろう。


 雑貨屋リコリスは錬金素材も扱っている、お得意様になってくれるかもしれない相手だ。

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