3.開店準備・1
己の知らぬ間に自身の所有する島が他者のものとして扱われていたという、何とも衝撃的な出来事が発覚してから一日後のこと。
伊織は宣言通り家の一階を店舗に、二階を住居スペースにするために内装を弄っているところであった。
配管や水周りも魔術を用いれば場所を変えるのだって容易いことで、そもそも長年放置していた家だが保存の魔術をかけていたがために損傷もなければ埃の一つもない。あったとしても、指先でぱぱっと済んでしまうものであろう。
実際家は外観内装共に一切の劣化も埃の溜まりもなく、最後にこの場所で寝泊まりした約四百年前から全く変化していなかった。
しかしそれは、家具の類いもまたその頃のものが揃っているということである。気に入っているものと新しく取り替えた方が過ごしやすいものを仕分ける作業も発生するということ。
「うわ、懐かしいものがいっぱい。うーん、まあ入れ替える分は倉庫に放り込んでおけば良いか」
「そんなだから主は片付けが出来ないのだぞ」
「煩いでーす、良いんだよどこに何があるのか把握してるんだから」
数千年ものの貴重な宝物たちをそれ以外のもの諸共裏庭にある倉庫へと転移させた伊織に、黒く長い尻尾を揺らしながら桜黒は呆れを含む声をかける。
愛らしい見た目に似合わぬかなりの低音ボイスに適当な返事をしつつ、内装変更は次の段階に移行した。
水回りを二階に纏めつつ、広さを確保するために空間拡張魔術を用いて一室ごとに内部空間だけ拡げる。
家電製品を置き、家具もそれぞれ使いやすい場所に設置するという行為をリビング、寝室、客間、書斎に行い、風呂場とトイレも整えれば住居スペースの完成である。
細々とした絵画や置物をいくつか設置して、寝室にはクイーンサイズのベッドをどんと置いた。一人で寝るには大き過ぎるが、広くて悪いことはない。
次に一階、店舗部分の改装に着手する。とはいっても置いてあった家具類は全て撤去しているので、片付け自体は済んでいるのだ。後は自分で作った店用の備品たちを設置していけば良い。
まずは会計をするためのカウンターテーブルと、伊織が座るための椅子を置く。カウンターテーブルの上には桜黒用のふかふかなクッションとレジを一台。
一階はある程度の拡張に留め、商品は店内でのみ使えるタブレットを操作し探して、詳しく見たい時は投影されるホログラムで確認する仕様としている。
そしてその投影されるホログラムはその商品の在庫分数があるので、買ったものが見たものと違う、ということがない。
それでも何もないのはあまりにも寂しいので、壁に設置した商品棚に伊織が気紛れで作った一点ものの実物を飾っていく。
勿論これらも商品なので、全て値札付きだ。この店で売られるものは全て伊織の手作りであり、既製品はない。
そういったものが欲しければ、更に別の店に行って貰うこととして街中の店と競合しない道を選んだのだ。
厄介事はない方が良い、そういった無駄な争いならば尚のこと。
「さてと、ある程度はこれで良いかな。備品も商品も店舗用の倉庫に置いたし、レジもある。動作確認は終わらせてるから問題なし」
南向きのすりガラス越しに入る柔らかな光が店内を明るく照らしている。室内には保護魔術をかけてあるので、日光による商品や備品の劣化もない。
雑貨屋としてはこざっぱりとした内装をぐるりと見渡して、伊織は満足そうに笑う。
レジカウンターに置いたふかふかのクッションには桜黒が丸まっているので、場所もクッション自体も気に入ったのだろう、天気も良いので入って来る太陽の光も丁度良い。
「商品のレイアウトもこんな感じで良し、と。学園側には新しく敷地内に購買部の店舗が出来たことを生徒たちへ通知して貰ったけど、果たして本校舎から離れた場所にあるここへ何人来るもんかな」
学園都市クロウコット。その名の通り都市と呼ばれるほどに大きな学園の本校舎は、島の中央から少し北側へずれた場所にある。
この島を留守にする前戯れで建ててみた城を本校舎として使用しているらしく、一部補修や新しく周囲に建てられた建物があるとはいえそのまま残っていたとは、と伊織も少々驚いたものだ。
建物を勝手に使用していたことも謝罪を受けたが、建てるだけ建てて放置されていたものだ、むしろ壊さずに利用してくれた礼を述べたほどである。
建てられた後は朽ちるだけだったのだから、沢山の生徒たちや教師陣の人生を見守ることが出来てあの城も喜びを感じているだろう。
そんな本校舎を中心に教員寮、実験棟、体育館に広いグラウンドがいくつかあり、島の中心から南西にかけて商店街や大型商業施設、映画館などの他に島の外へ繋がる駅がある。
空白の南東側は伊織が立ち入り禁止区域に指定した場所がある深い森で、その森も区域外なら学園側の立ち入りを許可した。更に南に下ると砂浜があり、美しい海へと続いている。
正に学園を中心とした一つの都市だ。駅から近いところには住宅街もあり、初等教育から中等教育までを受けられる学校もその周辺に建っている。
この島にそもそも住むことが出来るのはこの島で店舗を持ち営業している者だけと制限しているため、子供の数も少なく大きな校舎は必要ない。
勿論設備は最新のものが揃い、教育の質も良いのだが、如何せん田舎並に同級生は少ないようだ。
代わりに高等教育以上については全世界から入学を受け付けており、本校舎は賑やかなのだそう。
そんな各国からやって来た生徒たちを客とすることになる伊織の店、雑貨屋リコリスは本校舎から少し歩いたところにぽつんと建っている家を改築したもので、一目ではそこが購買部の店だと分からないだろう。
雑貨屋リコリスという看板は小さなものを扉に備え付けただけで、他に目印となるものといえば店名の由来ともなっている、建物の周りを埋め尽くさんばかりに咲き乱れている白いリコリスだけ。
カウンターテーブルの奥側に置いている椅子に腰を下ろし右腕の肘をついて掌に頬を乗せると、クッションの上で丸まったまま目を瞑っている桜黒の頭を毛の流れにそって優しく撫でる。
その感触に片目を開いて真っ赤な瞳を伊織に向けたが、それ以上何もするでもなく桜黒はまた目を閉じた。
暫し柔らかでつるつる、さらさらの手触りを楽しんでいた伊織であったが、店の扉がノックされる音に顔を上げ、椅子から降りるとそちらへ歩み寄ってから開く。
「開店準備、お疲れ様です。何かお困りごとはありませんか?」
「ああ、学園長。大丈夫、ほらこの通りに準備も終わったからさ。あ、でも丁度良かった。ちょっと店内の商品ディスプレイが変じゃないかとか、タブレットが使い難くないかとか、そういうの見て貰えたりする?」
「ええ、勿論です」
扉の向こうに立っていたのは、この学園の長であるグウィンその人であった。
尖った耳に右の横髪をかけて、金色の瞳を真っ直ぐに向けながら心配ごとを口にした彼にひっそりと笑いつつ、その気遣いへと礼を言う。それから彼の顔を見て思い立ったことを願い出ると、グウィンは快く引き受けてくれた。
店側と客側では視点も異なるだろう、本オープン前に試しをして貰えるのは有難いことだ。
店の設備は伊織も客も楽を出来るように最新式の魔導機械を取り入れ、それ以外にも開発した魔道具を用いてこの店でする買い物に対する敷居を下げたつもりである。
人件費も伊織の分だけ、設備投資に必要な資金も潤沢。勿論少し前からの流れを汲む営業スタイルも好ましいものではあるが、ここは若者の集う学園である。
決済にしても、買い物のやり方にしても、彼らに合わせるのが吉であると伊織は考えたのだ。




