1.その島は誰のものか・1
長く存在するということは、それだけ驚きを受け取ると同じことである。だが、こういった驚愕は勘弁して欲しいと伊織は息を吐いた。
来客用と思われる上等なソファに腰を下ろし、香りの良い紅茶を味わいながらも、ローテーブルの反対側に座っている男が頭を抱えている様を少々の同情と共に見つめる。
しかし、この件については相手側に落ち度があり、伊織には一切の非がない。彼は完全な被害者の立場であった。
事の起こりは約三時間前。四百年振りに自宅へと帰ったはずであった伊織だが、愛すべき我が家の周りに謎の門とそれを囲う立派な塀が建っていたのである。
これは一体どういうことだと驚いた彼に、更に不幸は伸し掛る。
非常に不快な警告音が大音量で流れたと思えば体格の良い警備員と名乗る男たち数人と、険しい顔付きをしている若い男が近くに転移して来た上、「ここは学園の私有地と知っての不法侵入だな、抵抗は無駄と知れ!」と怒鳴られた。
更に拘束魔術が四方八方から飛んで来る始末だったので、何が何だか分からぬままにそれら全てを弾く。
「チッ、魔術の無力化か……とんだ手練だな」
そう舌打ちと共に一際精度良く魔術を施行する若い男へ、伊織は心底困っていますと表情、そして声に出しながら言う。
「学園の私有地って、ここ、千二百年前から俺の家なんだけど……?」
「……は?」
伊織の言葉で若い男の動きが停止する。それと同時に困惑したような顔をしながら拘束魔術の施行を止めた警備員たちの横を抜け、万が一のためと保護魔術をかけて常に持ち歩いていたここが己の土地だと示す国との契約書を、この中では強い権限を持っているのだろう若い男へと文字が連なる表面を向けて見せる。
「ほら、これ。霜露の国、曙光の島の所有権を無条件で甲——つまり俺、伊織に譲渡するって。ちゃんとサインもあるだろ?」
「……、失礼、この学園の長を呼んで来ます。その書類の真偽はその時に確かめますので……警備の方々、手は出さず、現状維持を!」
「あ、うん。待っていれば良い……のかな?」
暫し無言のまま書類を凝視した若い男は、先程とは一転した言葉遣いで一方的に言い残し、転移魔術を用いてどこかへと向かって行った。
彼の言っていた通りこの学園だという場所の長を呼んで来るのだろう、ただ久し振りに家へ帰っただけでこんなことになるとは、と伊織は思う。
そんなことを考え、警備員たちに愛想笑いを向けたところ、去ったばかりの若い男が今度は仕立ての良いスーツに重厚なマントを羽織った三十代から四十代前半だろうか、壮年の男を連れて再び転移魔術にて現れた。
マントを羽織った男は、既に若い男から事のあらすじは聞いているのだろう、伊織の前に立つと右手を左胸に当て、軽く頭を下げる。
「私はこの学園——魔術都市クロウコットの理事長兼学園長の任を得ている者です。貴殿が我が学園の土地の権利書をお持ちと聞き、詳しくお話を伺いたいのですが……宜しいでしょうか?」
「ご丁寧にどうも。ああ、俺も何が何だか分からない状態だから、情報のすり合わせが出来るのなら願ってもないことだ」
「ありがとうございます。では、こちらへ。応接間へと通ずる道を開けますので、私の後に続いて下さい。クラーク先生は警報解除と、それに伴う通常の学園運営継続の放送をお願いしますね」
「はい、学園長」
若い男にそう言いつけて、学園長と呼ばれた壮年の男が手に持っていた長杖で地面を軽く叩く。
すると彼の眼前に豪奢な扉が現れ、取っ手を握って開けばその先には件の応接間だろう場所が広がっている。
転移魔術の一つ、点と点を結んで扉という境界を補強する概念を用いて移動する魔術だ。
一歩間違えれば点と点の間に落ちて狭間を彷徨うことになるか、見知らぬ場所へ放り出される技術を要する魔術の一つ。転移魔術より余程扱い難いもの。
先に扉を潜って振り向いた男に向けて気負いなく踏み出し、その扉を越える。
伊織が応接間へ入ったことがトリガーとなったのだろう、扉が消えたのを魔力の揺らぎで背後に感じつつ、「どうぞお掛けください」とソファへ座るように勧める彼に応じてゆっくりと腰を下ろした。
ローテーブルを挟んで反対側に腰掛けた男が、杖を指輪へと変えてからそれが嵌っている指先を軽く重ね、伊織に対して言葉を向ける。
「改めまして、私はこの魔術都市クロウコットを預かる理事長と学園長を兼任しております、グウィン・クロウコット。貴方の名を伺っても宜しいでしょうか」
「俺は伊織、姓はない。しかし魔術都市クロウコット……ん、もしかして先祖にアルベールって名の男がいた?」
「アルベール……ええ、おりました。私の祖母の兄に当たる方ですね。まあ、直接お会いしたことはありませんが」
「何ともまあ、奇妙な縁もあるものだなあ。……。いや、昔話をしに来たんじゃない。ある意味そうとも言えるけど、そう、この学園、だったっけ? それが建っている島について。ここは霜露の国から直接譲り受けた、曙光の島。千二百年前のことで、権利書はここにある。写しは霜露の国にもあるはずだよ」
そう言いながら改めて取り出した島の権利書をローテーブルの上に乗せ、グウィンの方へと向ける。
そして権利書の上部にある赤いインクで描かれた菱形と雪の結晶を組み合わせたような模様に触れて魔力を流すと、紙の中央部に淡く輝きながら雪の結晶の左右に百合が一輪ずつ咲いている模様が浮き出て来た。
それは国印と呼ばれるもので、決められた材料で作ったインクを決められた手順で描くことで国が発行したものだという証となるもの。
「これは確かに霜露の国の国印……文字も千年以上前に使われていたものと一致しますし、ええ、確かに本物ですね。……これは、どうしたものか。失礼、申し訳ございませんがこの権利書のスキャンをさせて頂きたいのと、その後この場で暫くお待ち頂けますか? 四時間、いえ、三時間ほどかかってしまうのですが……」
「たったそれだけなら大したことじゃないし、大丈夫。国に確認を取ったりもあるだろうしさ」
「ええ……そうですね。ありがとうございます、お茶とお茶請けは好きなだけどうぞ。出来るだけ急いで戻りますので」
「はあい、ありがとう」
伊織の許可を得たグウィンは懐から掌に収まる大きさの薄いカードを取り出すと、それを権利書の上へと翳す。
するとそのカードから淡い光が線となり現れ、紙全体を読み取ると白紙であったそれの表面に権利書と全く同じ文言が滲み出た。
これは読み取った情報を保存し、ホログラムとして拡大投影出来るものだ。ここ十年ほどで現れたごくごく新しい技術である。
そのホログラム用カードを再び仕舞ったグウィンが所作は上品に、しかしその慌てぶりを隠しもせずに転移魔術でどこかれと向かったのを見送ってから、伊織は好きにして良いと言われた紅茶で唇を湿らせた。
「ちょっと旅行していたら家どころか土地までなくなってしまうとか、そんなことあるんだなあ……」
「人間の時間感覚を忘れていた主にも責があるだろうよ。だが、こちらには正式な書類がある。さて、あの学園長とやらはどう収めるものか」
「桜黒、出て来たんだ。お菓子食べる?」
「要らぬ。吾の出る幕ではないから沈黙を保っていただけのこと、菓子を強請るために姿を出したのではないぞ」
先程まで一人であった伊織の隣に、猫に兎の耳と長くふわふわとした尻尾を生やしたかのような、黒く長い体毛を持つものが行儀良く座った姿で現れる。桜黒の頭を優しく撫でながら、彼は頭を軽く傾けた。
純白の髪が反射する光は淡い七色で、その真っ赤な瞳には宙を宿す。間違いなく男性であるのに、どこか女性的な雰囲気も持ち合わせる伊織は、その低く甘さを有する声で桜黒へと語りかけた。
「どうする、もしかしたら俺たち、急に家なしになってしまうかも」
「そうなったとて、主ならば新たな場を調達するだろう? 大したことではない」
「酷いな、この島気に入ってたのに」
「だからたまには帰れと言うたのに、まだ大丈夫と疎かにしたのは誰だったか」
「はいはい俺ですよーだ。何度も言うけど、こんなことになっているとは思わないじゃん」
そんなやり取りを交わしながらお茶と茶請けを楽しんでいた伊織の元へグウィンが転移魔術で戻って来る。
桜黒はその一瞬前にまた姿を消していたので、彼の瞳には映っていなかっただろう。
「大変お待たせ致しました」
そう頭を下げたグウィンの表情から何かしら面倒なことになっているのだろうなと、伊織は心の中で溜息を吐いた。
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