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月蝕の変種  作者: 有里
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side.A 後編

「マリア、やはりあの時の直感に間違いはなかったようだね」

 体が動く内に一目顔を見ておこうと王宮に立ち寄った時のことを思い、ふと呟けば、どこからともなく同意するような囁きが聞こえる。それが自身に都合の良い空耳なのかどうか、気にはならなかった。自身よりもずっと先に、病で死んだはずの使い魔が返事をするはずはないと思うのに、()()()には必ず傍らに舞い戻ってくるだろうという確信があったのだ。

 アンブロージョは乾燥した唇を舌先で舐めて、は、と息を吐き出した。喉が渇いたような気もするが、体を起こすのも億劫だった。小さなパンの欠片や甘く柔らかい果実でさえももう喉を通らないだろうが、不思議と空腹は感じなかった。

 目を閉じていても、ささやかなランプの明かりや、ガラス窓に吹き付ける風の勢いが分かる――気怠い微睡みの中でランプの炎の揺らめきが陰り、傍らに何ものかが立つ気配を感じた。

「……夢でも見ているのか」

「ああ、……思い出していたんだ。お前と初めて出会った時のことも…有り金をはたいて大正解だったよ」

「そういやクジマが金庫の奥に大事にしまっていた変な色の石、アンタも同じようなもの首から提げていたっけ」

「さあ……それが私のものと同じものなのかは知らないよ」

 降り掛かるような静かな低い声に、アンブロージョはゆっくりと瞼を持ち上げた。ベッドの傍らに立つ悪魔の顔は陰っていてよく見えない。だが、ふうん、と気のない返事をする悪魔の、その温かく体の芯まで寄り添うような気配は、アンブロージョがよく知るものだ。気を許した者にはとことん甘く親身になる悪魔だ。

「ここが、よく分かったね。誰にも教えていなかったはずだけれど……」

 王宮を離れ、郊外の小さな屋敷に隠居してから、所持していた別宅はほとんど処分している。だが、ここだけは最後まで決心がつかなかった。アンブロージョにとって思い入れのある土地だった。

 ベッドの横に椅子を寄せて腰掛けたガンナは、マリアに聞いた、と答えた。ゆっくりと瞬き、もう一度その顔をよく見ようと目を凝らしたアンブロージョに、ガンナは軽く溜息をつき、顔を寄せる。

「ジョットー、アンタの使い魔は死んでからもお節介なんだよ」

 澄んだ琥珀色の目が、愉快そうに細まる。

「ベルタもああなったら困る。そこまでの忠誠はいらない」

 少し困ったように付け足して、ガンナは口を閉じた。隙間風が鳴るような、ささやかな音が響く。アンブロージョには、マリアが不服を訴えているように聞こえた。アンブロージョは、彼らには彼らのルールがあるのだから、と宥めるように呟く。それでもマリアは、使い魔として一番大切な心得はね――と抑えきれないように文句を言っていた。ガンナは聞こえているのかいないのか、自身の耳元で手を払うような仕草をした。

「マリアはああ言うけれど、お前たちは好きに生きなさい」

「ああ、そうしているし、これからもそう生きていく」

 当然と言いたげな、淡々とした返事だ。出会った当初感じていた自身のルーツを知らないが故の不安定さのようなものは、今ではさほど気にならなくなった。彼が持つのは、何ものも止められはしないどこまでも自由な意志だ。飄々として、何ものにも縛られない。その若さと大胆さに羨ましく、眩しく思ったこともあった。その本質は、この先もきっと変わらないだろう。それに安堵して、アンブロージョは声を出さずに笑った。唇の端を歪めるようなわずかな動きしかできなかったが、強い視線を感じる。ガンナはアンブロージョの表情をよく見ているようだった。

「だから、大丈夫」

 言い聞かせるような力強い言葉に、うん、と頷き、目を閉じる。そうして、アンブロージョはふと、安心したら途端に眠気が全身を巡ったようだ、と思った。

「アンブロージョ様」

 耳元で凛とした声が囁く。やはり来てくれたか、と思えば、マリアはもちろんだと言う。

「我が主をご案内することが、私の最後の務めでございます」

 目尻を和らげて微笑むマリアの気配が感じられる。体にのし掛かるようだった不快な重怠さも、今では微かな疲労感と、温かな毛布が掛かっているような心地良さに変わっている。寒さも暑さもなく、ただ程良い充足感が満ちていた。

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