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魔女のお菓子を召し上がれ  作者: 此岸
第一章 旅立つとき
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『Ⅰ』パティスリー『ホイップミルク』

「アリスー! この紫の薬草はどこにやればいいんだー!?」


 小屋の外から聞こえてきた荷物を整理中のお父さんの声に、わたし⋯⋯アリス・メライアは薬草をすり潰していた手を止めて同じくらい大きな声で返事をする。


「お家の後ろの倉庫の、奥から二番目の棚に入れてー!」

「分かった! これ以外に運ぶやつはあるか?」

「ううん、大丈夫! ありがとう!」


 だんだんと遠のいていくお父さんの声を聞きながら、わたしは作業を再開した。

 茎が青いことが一番の特徴の薬草、『スキセイ』をすり潰して、真っ赤に成熟した『アリアの実』を適量入れてよく潰すと、深い紫色になる。それをこし器でなめらかにすれば、今日作る予定である『鎮静』のポーションの原液が完成する。


「⋯⋯これを、あと十回作らなきゃなんだよね」


 ぽつりと呟いた現実に気が遠くなって、思わずため息をついた。


 わたしの住んでいる『ヴィラージフォレット』は、王都でポーションをはじめとした薬品を売ることを生業としている人々が住む村。その中でも一番出来の良いものを作る優秀な父の手伝いをしながら、わたしもこうして家の隣にある小屋の作業場を借りて薬品を自分だけの力で作っているのだ。……といっても、まだお父さんみたいな高い効果のある薬は作れないけど。


「ふう⋯⋯よし、頑張ろう」


 ペちん、と頬を叩いて気合いを入れたわたしは、もう一度すりこぎ棒に手をかけた。


 ――――


 ようやく予定していた量の原液を作り終えた時には、部屋がすっかりオレンジ色に染まっていた。わたしは大きく息をついてから、最後に作った原液の入った容器の蓋を閉める。これを一晩置いてマンドラゴラの葉の煮汁で割れば、『鎮静』のポーションが作れるようになるのだ。わたしは明日そのポーションを、初めて一人で王都に売りに行く予定だった。しかし⋯⋯。


「⋯⋯売れなかったら、どうしよう⋯⋯」


 ずるずるとその場に座り込んでしまいながら、胸の中にあった不安を口にした。


 わたしには、いわゆる社交性がない。人見知りなのだ。今まで何度もお父さんと一緒に王都でポーションを売ったが、接客はあまり、いやほとんどしていない。極めてまれに話すことがあっても、ポーションの効能を上手く説明することができなかったことがほとんどだ。

 思い出すほど惨めになる。村のみんなは大丈夫って言ってくれるけど、それだけではわたしの胸のモヤモヤは消えなかった。⋯⋯こんなんじゃ、他の国に行くなんて夢のまた夢だ。


「うー、ダメだ。動かなきゃ!」


 じっとしていると思考が暗い方向に転がってしまう。わたしは勢いよく立ち上がってワンピースの土汚れを払い、そのまま作業場から家に続く扉を抜けてキッチンへ向かい食料庫の扉を開けた。

 そこでわたしは気づく。⋯⋯野菜が、ほとんどない。


 すっかり忘れていた。最近は森に採取へ行っていない上に、お仕事で遠くに住んでいるお母さんが送ってくれたものも昨日使い切ってしまったのを失念していた。

 ものすごく困った。本当に、ここ最近で一番困っているくらいだ。この時間はどこも店仕舞いを始めているし、買ってくるのも難しいだろう。となると採取に行くしかなくなってしまうが、最近はすぐに暗くなるから行き慣れた場所でも迷子になるかもしれない。


「⋯⋯でも、しょうがないよね」


 そう呟き、わたしはキッチンを離れて自分の部屋に向かった。階段を駆け上ったすぐ右の扉を開いて、そのすぐ横の棚にしまってある鞄と刃の部分にカバーのされた鎌を取り出した。

 忘れ物がないか確認して、革靴から森に行く時用のブーツに履き替えて家から出る。すると、遠くで大きな荷物を持っているわたしと同じ栗色の髪が目に入った。


 お父さん、またお手伝いしてるんだ。


 お父さんがああして誰かの手伝いをしているのは珍しいことじゃない。仕事道具を片付けるついでだったり、見るからに誰かが困っていると自分から助けに行く。それがお父さんの一番の長所で、わたしも見習おうとしていた。⋯⋯でも。


 やっぱり、ちょっとだけさみしいな、なんて。


 鞄を持っている手に力が入る。お父さんが誰かを助けている姿を見るたびに、わたしはそんな思いを募らせていた。困っている人を放っておけない優しいお父さんは、小さい頃よりお話する回数が減ってしまった。わがままを言うつもりはないけど、もっと色んなお話を聞かせてほしいし、一緒にご飯を食べたりしたいなんて思ってしまうのだ。まだあの『絵日記』の話を全部聞かせてもらえていないし、外国から持ち帰ったという絵本も全部見せてもらってないし⋯⋯。


 ⋯⋯ダメだ、今は森に採集に行かなきゃなんだから。


 軽く頭を振って思考を切り替えたわたしは、鞄を肩にかけて森へ走っていった。


 しばらく夢中で走っていると、聞こえてくる音の中に人の声がないことに気づいた。慌てて周りを見渡してみると、そこは人の手がつけられていないことが分かるほど自然的でどこか不気味な雰囲気があり、村の大人たちと行った採取場所とは似ても似つかない場所だった。それに気づいて帰ろうと思っても、ぐるぐると回転しながら周りを見ていたせいで自分が走ってきた方向が分からない。


 どうしよう。


 頭の中はそれでいっぱいで、心臓がどきどきと鳴ってうるさくなっていく。⋯⋯早く帰り道を探さないといけないのに、怖くて動くことができない。

 知らない動物の鳴き声が聞こえる。どんどん世界が暗くなって、ますます不気味な雰囲気になっていく。周りの木がわたしを見下ろして、ざわざわと笑っている。


「っ、ひ」


 声が、出ない。助けてと叫びたいのに、喉からは意味のない音しか出てこなかった。

 知らなかった。夜の森が、暗い場所にひとりぼっちでいることが、こんなにも怖いだなんて。


「だ、だれ、か」


 やっとひねり出した声も、ひどく小さくて耳の中で反響もしない。もう、一人じゃなくなるなら何でもいい。そんなことを思いながら何かを探していると、視界の端に黄色い光が見えた。

 びっくりしながらもそちらを見ると、木々の隙間からふわふわと漂うなにかが見えた。それはこちらに向かってきているようで、盗賊だったら危ないと思ったわたしは咄嗟に近くの茂みに隠れた。


 両手で口を押さえてじっとしていると、だんだんと足音が近づいてくる。そっと茂みから顔を出して音の主を見たわたしは、思わず目を見開いた。


「⋯⋯おかしいわね。どうして誰もいないのかしら」


 そう呟いたのは、雪のように真っ白な髪を持つ女の子だった。わたしより幼い子が夜の森にいるのはおかしいが、わたしが驚いたのはそこじゃない。

 彼女は、王都で見かけたお人形のようなフリルとリボンがついた紺色のドレスを着ていた。膝まである白い靴下と黒いパンプスにもフリルがついていてとても可愛らしい、その少女の頭には。


 この世界で最も高貴な種族である『魔女』だということを証明する、とんがり帽子をかぶっていた。


「⋯⋯!」


 すごい、初めてこんなに近くで見た。王都で働く魔女は何人か遠目に見かけたけれど、村を囲んでいるこの森にも魔女が住んでいたなんて知らなかった。


 彼女はランタンを浮かして辺りを照らしながら、きょろきょろと何かを探しはじめる。⋯⋯魔女は、人に対してとても協力的で心優しいと聞いたことがある。なら、彼女に事情を話したら、助けてくれたりするのだろうか。

 そう思い立ったわたしは、おそるおそる茂みから抜け出して彼女に声をかけてみた。


「あ、あの⋯⋯!」


 思いのほか大きな声が出てしまい慌てて口を手で押さえたが、彼女は驚いたりすることなくゆっくりと振り返った。

 美しい金色の瞳がわたしを捉えると、彼女はひどく大人びた笑みを浮かべた。


「やっと見つけた」

「⋯⋯え?」


 言葉の意味が分からず首を傾げていると、彼女は「こちらにいらっしゃい」と言ってわたしの手を掴んだ。理解が追いついていないわたしは、そのまま彼女に連れられて森の中を歩いていく。


「私の使い魔が怯えている貴女を見つけたのよ。その子たちが助けろって騒ぐからここまで来たのだけれど……貴女、どうしてこんな時間に森の中にいるの? 普通ならもう家に帰っている頃でしょう」

「⋯⋯⋯⋯」


 彼女は年齢不相応な鋭い口調でわたしに問いかけながら、こちらの様子を伺うように少しだけ振り返った。目が合った瞬間気まずさのようなものを感じたわたしは、咄嗟に視線を逸らして口をつぐんでしまう。それを見て何を思ったのか、「話したくないならいいわ」と言って彼女は前を向いた。


 それからしばらくお互い無言で森の中を歩いていると、いきなり開けた場所に出てランタンよりも明るい光に包まれた。その光は、目の前に現れた一階がレンガ、二階が白い壁の建物から溢れているようだ。


「ここは⋯⋯?」

「私の家兼、私が経営するお店よ」


 お店、という言葉に首をかしげると、彼女は一歩前に出てドレスの裾を掴み上品に頭を下げた。


「ようこそ、パティスリー『ホイップミルク』へ。私はここの経営者の『お菓子の魔女』、ミルクよ。⋯⋯自己紹介が遅れてごめんなさい」


 優しい微笑みを浮かべて自分の名前を口にした彼女⋯⋯お菓子の魔女は、そのまま建物の入り口に向かっていってわたしを手招いた。


「今日はここに泊まりなさい。この時期は暗くなるのが早いから、明日になったら村に送ってあげるわ」

「え、で、でも」

「大丈夫よ、危害を加えることは絶対にしないから」


 そう言われても、もともとひどい人見知りのわたしはなかなかその場から動けない。⋯⋯今更だけど、知らない人どころか魔女である彼女に、怖かったからといってこんなに素直に着いてきてよかったのだろうか。


 そんなことを考えてもだもだしていると、突然足元から「ワンッ!」という甲高い鳴き声が聞こえた。


「ひゃあっ!?」

「あら、ソフィ。いきなり話しかけてはダメよ?」


 ソフィ、と呼ばれたまん丸で真っ白な綿? は「きゅう⋯⋯」と悲しそうに鳴いてうなだれた。⋯⋯鳴き声と動きからして、どうやらこのふわふわは犬のようだ。


「ごめんなさいね。その子は私の作った魔物なのだけれど、好奇心が旺盛なのよ」

「ま、魔物⋯⋯」


 彼女の言葉を反芻しながら、足にすり寄っている犬⋯⋯ソフィを見やる。目元が隠れたその子はわたしのブーツを小さな前足でカリカリとひっかいていたが、視線に気づくと顔をあげて「ワウッ!」と鳴きながらわたしの目を見つめてきた。

 それが可愛くて思わずしゃがんで撫でると、ソフィは息を荒くしながらわたしの手にじゃれついてころころと転がる。


「ソフィは貴女のことが気に入ったみたいね」


 不意に頭上から聞こえてきた声に顔を上げると、いつの間にか近くに来ていたお菓子の魔女がわたしたちを見下ろしていた。思わず肩を揺らすが、どうしてか先ほど抱いていた警戒心は綺麗さっぱりなくなっていた。


「その子は普段なかなか寝つかないのだけれど⋯⋯貴女がいれば、寝かしつけには困らなそうね」

「えっ」


 彼女の視線を追ってみると、あんなにはしゃいでいたソフィがわたしの手の下でぷうぷうと鼻を鳴らしながら眠っていた。少し手を離すと起きてまた手のひらにくっつこうとすることから、どうやらわたしの手はかなり気に入られたらしい。


「ねえ、その子のためにも今日は泊まっていってくれないかしら」


 目線を合わせるようにしゃがんだ彼女は、そのままじっとわたしの目を見つめながら同じ質問をしてくる。⋯⋯魔女が人に危害を加えることはほとんどないらしいし、今は信じてみても大丈夫かもしれない。


「⋯⋯お、お礼は、明日させてください⋯⋯」


 意を決して小さく口にすると、彼女はくすくすと笑いながら「決まりね」と言って立ち上がった。そしてとうとう完全に眠ってしまったらしいソフィを抱き上げると、わたしに向かって手を差し出した。


「さあ、いらっしゃい。部屋まで一緒に行きましょう」

「⋯⋯はい」


 目の前の小さな手をそっと握り、わたしは大人しく魔女の店に入っていった。

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