7 十一年越しのこじらせ――――佐知子
雨は思ったよりもかなり早かった。
道のりの半分を少し越えたところで、こらえきれなくなった涙がこぼれるように、ばたばたと大きな雨粒が落ちてくる。
たまらず私は道沿いの児童公園に駆け込んだ。砂場の横に、小さな日除け屋根がある。その下にどうにか辿りついた頃には、白っぽいむき出しの土に細かい砂利が薄く敷いてある公園の地面も、水を吸い込んですっかり濃い色に変わっていた。
傘を持ってこなかったのは完全に判断ミスだ。
少しくらい濡れてもすぐ乾く、と思っていたけれど、さすがにこのバケツをひっくり返したような降り方の中を突っ切って個人宅を訪問するのは、いくら玄関先で帰るつもりといっても気が引けた。
私は半ば途方に暮れてベンチに座り込みつつ、降りしきる雨を見つめた。
◇
この街を訪問するのは、小学校六年で逃げるようにここから引っ越して以来、初めてだ。
あの頃の私は、毛を逆立てた仔猫のように、世の中の全てに対して怒りを抱えていた。何もかもが嫌だった。女の人の運転する車で家に帰ってきて、わたしがたまたま後ろから歩いてきていたのにも気がつかず、去り際にその人にキスしていた父も、その肝心な部分は端折ってさりげなく伝えたつもりが、あっという間に真相を看破して離婚の準備に夢中になっていった母も、そんなすべての引き金になってしまった無知な自分の考えなしな行動も、全部。
少しずつ大人に変わっていって、汚いことも嫌な面も見えてしまうようになってきたのに、結局は無力で何もできない自分が嫌だった。
私にとって綺麗で優しいものはおばあちゃんのくれるものだけで、後は全て、どうにもならないこの世の何かにつながっていて、それがたまらなく苦しかった。
あれから環境が激変して、私は流れについていくのだけで必死だった。母は確実に父の影響下から逃れるためにアメリカへの国外逃亡を選択した。かつての上司が仕事を紹介してくれるという言葉を頼って、私を連れて海を渡ったというわけだ。
その恩人はやがて義父になり、私は二人と色々話し合った結果、彼の姓を名乗ることになった。
母は渡米してから、以前よりずっと明るくなって、よく笑うようになった。だからその選択は絶対に間違っていなかったと思う。
日本に住んだ期間がそれなりに長かった義父は、私の戸惑いを理解してくれたし、母のことも私のことも丁寧に気を配ってくれた。
それでも、中学校に上がる歳にいきなり、言葉も文化も違う国に引っ越すことになったのは大きかった。突然放り出された砂漠で、右も左もわからないのに、とにかく歩き続けないと足元を砂に飲み込まれてしまうような恐ろしさは、私を孤独にさせた。
そうなってみて初めて、私は、あの頃のおばあちゃんとリョウトがどれほど、自分の揺れる自我の輪郭の端っこをきゅっと押さえていてくれたのかに気がついたのだった。
そんな壮大な迷子のような気分のとき、ふと、あるWEB記事が目に留まった。タイトル、作者名、出版社といった基本的な情報を添えて、一冊の恋愛小説を紹介する記事だった。それが、リョウトのデビュー作だった。
リョウトはペンネームと大学名しか明かしていなかったし、私はリョウトの進学先を知らなかった。だからその時点では何の手がかりもなかったはずなのに、その本に私は強く惹かれるものを感じた。なぜだかわからないまま、どうしてもその本がほしくて、母に頼んでオンライン書店で取り寄せてもらった。
彼の作品は売れるツボを押さえたようなきれいな恋愛小説で、ある動画クリエイターの目に留まり、ネット上で公開される自主製作映画の原作になった。そこから次第に話題を呼んで、二作目がテレビの単発ドラマの原作に起用されたことでブレイクした。展開がど真ん中過ぎて陳腐だとか、どこかで見た展開だとか、少々悪意のある書評をもらっているのも時折見かけたが、基本的には王道の作品としてかなり好意的に受け止められていたようだ。ようだ、というのは、その最初の大きな波が来たとき、私はまだアメリカにいて、日本の空気をネット上でしか感じられなかったという事情による。
三作目にして、早くも大手映画配給会社が映像化の権利を取得し、映画の製作に入ったことが報道されるころには、彼の立場はゆるぎないものになったようだった。
一作目を読み終わった時に、不思議と懐かしい感じがした。二作目を読み終わる前にはもう、その感覚は確信へと変わっていった。リョウトが高校生の頃から文章を書くのが好きなことは知っていたし、何より、そう思ってみれば、そのペンネームは彼の本名とよく似ている。ほぼ確信を得つつ、どんな小さなネット上の記事も見逃さないように情報を追っていった。インタビューで何気なく語られた学生時代の思い出、風景のこと。作品中のふとした折に出る独特の言い回し。まるで答え合わせをするように、自分の思い出せるリョウトの言葉と、彼と私が育った町の景色に重ねていった。その細い糸を手繰るような夜ごとの作業が、昼間の私の生活にも、不思議と足元の確かさや行く先の見通しをもたらしてくれたような気がした。
リョウトは隣家の住人だったため、母は万が一にも父に新住所を突き止められることを警戒して、私が彼に手紙を送るのを禁じていた。彼のメールアドレスやSNSのアカウントは知らなかった。母は、引っ越して程ない時期に、差出人住所を書かずにおばあちゃんにお詫びとお礼のはがきを一度送っていたようだが、彼からの返事を期待できるような連絡手段は存在しなかった。
いくら私が心の中で確信していたとしても、小説家の「匂坂遼都」先生にメッセージを送るのは、何か違うという気がしたので、私は完全に一ファンとして彼の作品を追いかけていた。
大学卒業を機に日本に戻ってきて、出版社に狙いを絞って就職活動を始めた。自分の人生が砂漠の闇夜だったときに救ってくれた「日本語の本」に関わりたいからだ、という、入社面接で語った志望動機はもちろん百パーセント真実だ。それでも、その裏に、本当にあの小説の作者がリョウトなのかを知りたい、できることなら再会したいという薄甘い期待があったことも嘘ではない。
その期待は、彼の作品を扱っていた出版社に辛くも採用され、働き始めてからほどなく、現実のものとなる。
でもそこで、私は、完全に、どうしていいか、自分がどうしたいのか、わからなくなってしまったのだった。
リョウトは全然思い出してくれない。だからと言って、まともに仕事もできないうちに私から「お隣に住んでいたサチでーす!」なんて、言えない。それで、作家としての彼が気まずくなって、原稿に差しさわりが出たら最悪だ。会社にも大損害だ。
何より、彼の作品のファンとして、自分のせいで新作が出ないなんて事態には耐えられない。
ならば、新米編集者として、仕事に徹する、と一度は決めたのだ。
彼が思い出してくれないならそれで構わない。彼の作品に少しでも関わって、世に送りだせたら、入社した時の志の何割かは早速果たしたということになるはずだ。
◇
雨はなかなか弱まってこなかった。
私は膝にのせていた桃がずり落ちないように、そっと位置を直した。
そのわずかな動きにも、甘い匂いがふわふわと立ち上る。
嘘つき。仕事に徹するなんて、できるわけがなかった。
結局、こじらせまくった初恋は、完全にもつれきった片想いに成長して、ぐちゃぐちゃに私の心を占拠した。
いっそ、ほとんど世間に姿をあらわさない彼に周囲が勝手に与えた幻想、作中のキャラクターのように自堕落で遊びなれていてわがままで、作品についてはひどく気難しい職人肌の作家、というイメージそのままの人間になってくれていたら、割り切って仕事に徹することだってできたかもしれない。
でも、無愛想で冷たい反応や、気まぐれな態度の裏には、いつも、作品への真摯な態度と、私や他の編集者たちへの気遣いがあって、その本質的な中身は高校生の頃のぶっきらぼうだけれど面倒見がよかったリョウトそのままなのだ。
これはずるい。
私、詰んでる。作品だって好きだ。高校生の頃のリョウトだって好きだった。今のリョウトを好きにならないわけがない、じゃないか。
だからこそ、自分をふるいたたせて下した決断のことをもう一度思い出そうとした。
今のままでいいわけがない。自分にできること、自分がすべきことを見極めて、ベストを尽くさないといけないのだ。
今日は、彼に、聞くのが一番恐ろしい質問をしないといけない。そして、その返事がどうであれ、私のした決断の話をきちんと伝えなくてはいけない。