運命の人 〜ボンヤリ子息とチャキチャキ執事〜
よろしくお願いします。
「キャサリン・スペルノ子爵令嬢!ぼ、僕と………僕と、結婚を前提にお付き合いして下さいっっ!」
「ごめんなさい。婚約者がおりますの。」
広々としたホールに声が響く。
あっさりと返された返事に、なすすべなく青年は膝を付いた。
此処はとある侯爵主催の夜会。
ダンスホールに集まる人の輪の中で、いきなり大声で片手を出して告白したのは、ヒューイット辺境伯子息のエミリオである。
突然の出来事に周りの人々は息を飲んで二人を見つめた。
「先日、夜会で踊っていただいた後、直ぐに婚約が決まりましたの。
辺境伯令息様と踊っていた私を見初めてくださったとかで。
本日はお礼を言いに参りました。……ヒューイット様、ありがとうございました。」
ガックリ膝を付き項垂れるエミリオの前で、スペルノ子爵令嬢は淑女の礼をすると、後ろに居た婚約者の男性と共にホールを退場していった。
後に残るはエミリオだけ。
自然とエミリオの周りは人が離れ、辺りは静かになった。
そして、見ている人の考えは皆同じである。
(………またか。)
すると、何処からか、
「はいはいはいはい、ちょっとすみません。あ、すみません。うんしょ、ちょっと通してもらえますか?」
と気の抜けた声が入ってきた。
「あー、はいはい。ヤッパリ駄目だったんですねぇ!言わんこっちゃない!………さ、ほら、立ってください。」
見れば執事服を着た小柄な人物。丸い顔に黒縁の丸眼鏡を掛け、赤味がかった金髪をひっつめたお団子頭。高めの声から、女性であることがうかがえる。
執事は手早くエミリオを立たせると、
「皆様、どうも失礼をば致しました。どうぞご歓談をお続けください。」
そう言うと、まだ項垂れているエミリオの背を押してホールを出ていった。
「ヒック、ヒック……ウェェェ…………どう、どうして?…………キャサリン………」
「あー、はいはい。お気持ちは………分かりかねますが、恐らくエミリオ様の初手が悪かったのではないでしょうか。」
「キ、キーラ……そんな言い方しなくても…………」
ハンカチを握り、グスグス鼻をすすりながら、エミリオは馬車の前の席に座る自分の執事に抗議した。
「だって、キャサリン嬢と前回ダンスを踊った日から、何日経っていると思います?
二ケ月ですよ?! 二ケ月。その間、何もしていないのだから、待っててくれるわけ無いでしょう?」
「………て、手紙、書いたもん。花だって贈ったもん。」
「花は贈りましたね。確かに。……でも、一度だけでしたよね。
手紙は初耳です。ついこの間、マリア・ベルトラ様に送るように指示されましたけど………。キャサリン様を意識したのって、その後でしたよね?」
「…………う、ううう。」
図星を刺されて、エミリオはぐうの音も出ない。
実はエミリオ、つい二週間前まで別の女性にアタックをしていた。しかし、その女性に拒否され、キャサリンに花を贈ったことを思い出し…………今日、アタックして振られたのだ。
「今度こそ『運命の人』だと思ったのにぃぃ………」
「ハイハイ。何処に居るんでしょうね。運命の人。」
明らかにキーラは適当に答えている。
それもそのはず。
エミリオが『この人が運命の人だっ!』と言って、アタックして振られ、落ち込むのは、この三年でもう二十三回目。夜会やパーティでエミリオが速攻で振られるのも、珍しい事ではなくなっている。
キーラは、慰めるのも面倒になっていた。
それにキャサリン嬢にアタックする前に『キャサリン嬢に婚約者が出来たらしい』とキーラは止めたのだが、『噂でしょ』と聞く耳を持たなかったのはエミリオだ。
(いーかげん、このやり取りも飽きたわ………。)
心の中に留めておけずに思いっきり主人の前で、キーラは溜め息をついた。
元々エミリオには婚約者が居た。
過去形である。
彼が18歳、相手が16歳の時、寄宿学校卒業直前で婚約を解消することになったからだ。
その年、各地で災害が発生し、相手の令嬢の兄が巻き込まれて亡くなってしまった。跡取り息子で、彼女の他に兄弟も居なかった為、令嬢が婿を取らざるを得なくなる。
エミリオが婿に入れれば良かったが、エミリオも一人っ子で跡取り息子だ。婚約は解消するしかなかった。
政略的な婚約で、スクール入学直前に結ばれた為、数回しか会ったことがなく、手紙のやり取りも数える程度。これから本格的に交流を持とうとしていた矢先の出来事であった。
スクールを卒業し、辺境の領地に帰って、のほほんとしていたエミリオ。
年頃なのに婚約者が居なくなり、両親は慌てた。そこで色々知り合いの娘を探したのだが、それを止めさせたのはエミリオだった。
「僕、王都に行って社交界で運命の人を探す!」
エミリオは元婚約者に勧められ、読んだ恋愛小説にハマってしまっていたのである。
(彼女はこれを参考に、結婚したら甘い言葉を囁いて欲しいと思っての事だったが。)
その小説でヒーローは、数多いる女性の中からヒロインを見つけ出す。決め台詞は『見つけた。運命の人。』
エミリオはこの台詞を言ってみたかったのである。
キーラは一応、エミリオの執事として王都について来た。
とある事情でヒューイット辺境伯の屋敷に預けられて居たのだが、現当主に頼まれ、エミリオの執事として付き添っている。
女性が執事になる例はあまりない。
だが、キーラの頭脳と手際の良さから、夢見がちなエミリオの補佐はピッタリであった。
「ねぇ、キーラ。なんで執事の格好なの?ドレスを着たらいいのに。」
甘えた声でエミリオは言うが、
「………駄目です。前に言ったでしょう?素顔は出したくないって。」
本当は王都に出るのもNGにしたかったのだが。
「でも、キーラが一緒に居てくれるから、僕は安心なんだ。」
思わず握り拳に力が入る。
こんにゃろー、どの口が言っている。お陰でコッチは神経を使いすぎて、いつも疲れてるよっっ!
夜会やパーティの間に、キーラは従者の控室で使用人から噂を集め、この未亡人とは話しちゃ駄目とか、この紳士の儲け話は危険だとか判断する。
そしてエミリオを、安全そうな女性へ誘導するのだ。
キーラが一緒に居ないとき、エミリオは知らずに後ろ暗い所のある女性や男性に声をかけられていた。今思えば、ゾッとする。
ただし、エミリオが振られるのは、エミリオ自身の問題(?)である。
「ようエミリオ。」
「あ、トーマス。こんにちは。」
「今日は誰を狙っているんだ?」
今日はとある侯爵邸でのガーデンパーティ。
キーラは相変わらず、従者の控室に行っている。隣に来たのは、トーマス・ドンソン。伯爵子息でエミリオのスクール時代の友人である。
二人共、学業成績は中の中。
エミリオは茶色の髪で青い目、トーマスは黒髪で茶色の目。この国ではよくある色を持ち、二人共中肉中背で平均的。
強いてあげればエミリオは少しぽっちゃり気味で垂れ目なのに対し、トーマスはヤンチャ坊主のようなツリ目だった。
平均的なところ以外、共通点の少ない二人だが、何故か妙にウマがあう。
スクールを卒業して5年が経つ今も、仲良くしていた。
「狙っているなんて失礼な。この間、振られちゃったから、今は誰も。……誰かいい人、居ないかなぁ。」
「あ〜…………あそこに、今日の主催者の娘さんが居るけど……。」
「ああ、メアリアン嬢。さっき挨拶したよ。」
メアリアン嬢の周りには、客が沢山群がっている。そこにエミリオが入っていく隙間はない。
メアリアン嬢は華やかで、エミリオには取っ付きにくかった。
「………あっちの令嬢は、相手が居なそうだなぁ。」
見れば、メアリアン嬢の後ろの方に、一人の大人しそうな令嬢がポツンとテーブルに座っている。
早速、エミリオは令嬢に近付き、声をかけた。
「お嬢さん、お一人ですか?」
「!…………は、はい。」
俯いていた女性は顔を上げた。黒髪の美しい女性は、エミリオと同年代くらいに見える。
折しも楽団が優雅な曲を奏で始め、ポツリポツリとカップルがダンスを始めた。
「………一曲、踊りませんか?」
「………はい、喜んで。」
女性を誘う、そのお手並みは鮮やかなもの。
トーマスはウェイターから軽いシャンパンを貰うと、口を付けた。
(手慣れてるねぇ。…………なのになぁ。)
エミリオのリードで女性は軽やかに踊る。
先程まで、俯いていたのが嘘のように明るい表情だ。
学業成績は中の中だったエミリオだが、実はそこそこ運動神経が良く、ダンスが得意である。これはキーラに徹底的に仕込まれた為だ。如何にステップを踏めば、女性が踊りやすく、美しく魅せられるか。婚活の為、王都に出る前に修行と称して一年間、ひたすらキーラと踊った賜物である。
足も踏まず、初めて会った女性相手でも上手くリードできるそのダンスにトーマスは感嘆するしかない。
曲の半ばまできたところで、誰かが声を上げた。
「シェイラ!」
二人のステップが止まると、一人の男性が女性の腕を掴む。
「彼処で待ってろって言ったじゃないか!なんだこの男!」
「だって、…………だって、ニックはメアリアン様と楽しそうに話し込んでいたじゃない!だから、だから、私………!
…………この方は、ただダンスに誘っていただいただけよ。」
するとニックと呼ばれた男性は、シェイラ嬢を抱き込んだ。
「馬鹿っ…………俺は、……………お前がっ………」
(あ、コレは…………。)と、トーマスは思った。
呆然と佇むエミリオを横に、二人は抱き合う。
「…………帰ったら、君のお父上にお許しを願おうと思っていたんだ。」
「………え………?」
「結婚して欲しい、シェイラ。君が他の男と踊るなんて、見ていられないんだ。」
一気に盛り上がる二人に、側に立ってボーッと見ているエミリオ。
仕方なくトーマスは、エミリオの側に行き、袖を引っ張った。
「…………エミリオ。こっちへ来い。」
エミリオの恋の敗因。
その一つは、女性を踊りやすく、美しくリードするよう腕を磨いたダンスだった。
今のように、壁の花になっている地味めな女性を誘って踊ると、彼女の身近な男性(例えば幼馴染のような)の嫉妬を煽り、そちらとの恋を発展させてしまう。
若しくは、踊りやすいリードで楽しく踊っている女性のその姿に、一目惚れする男性が出てくるのだ。それまで俯いてばかりの壁の花だった女性が、艶やかに瑞々しく華開いたような表情を引き出す、そのダンステクニックはある意味凄い。
そしてエミリオと踊った女性は、数週間以内に良い縁談が舞い込むという。
(先日のキャサリン嬢がそのいい例である。)
未婚の婚約者が決まっていない貴族女性が多く集まるパーティでは、エミリオとダンスを踊るために列が出来るくらいだ。
ただ、エミリオ本人にその自覚がないのが残念なところである。
「エミリオ様?どうなさいました?」
キーラが情報収集から戻ってきて、エミリオとトーマスに合流した。
時、既に遅し。
エミリオは一人目に振られてしまった。
「………彼女、優しそうだったんだけど…………パートナーが居たんだね。また僕の『運命の人』じゃなかった。」
まぁ、深入りする前に破れたから、傷は浅いか。
「気を取り直して、軽食でも食べよう。」
トーマスが声をかけると、ちょこちょこエミリオはくっついてくる。
すると、会場の真ん中の何でもない場所で、エミリオはいきなりコケた。
「エミリオ様!」
「……あいたたた。」
派手な音をたててエミリオは顔面から床にぶち当たり、あろうことか鼻の頭とおでこを擦りむいている。子供か。
あまりの音に、演奏や話し声も止まった。
「大丈夫か?」
心配そうに聞くトーマスに向けて、へらりと笑ったエミリオの鼻から、ポタリと血が落ちた。
「………へ?」
「エミリオ様?」
すぐ横に来たキーラの顔を見て、自分の鼻から出た血を見て。
そのままエミリオはクラっと倒れる。
「エミリオ様?!エミリオ様!!」
「血が…………血が〜……………」
キーラはエミリオを抱え、叫ぶ。
「大丈夫です。傷は浅いです!しっかりしてください、エミリオ様!」
「キーラぁ、キーラぁ〜………僕はもう駄目だ〜…………」
「何て事を言うんですか、しっかりしてください。大丈夫ですよ!」
「お父様とお母様を、キーラが、………キーラが支えてくれ〜………後は頼む〜。」
「嫌ですよ!………すみません、ちょっとお医者様を呼んでいただけます?鼻骨が折れていたらマズいので。」
近くに居たウェイターにキーラが頼むと、慌ててウェイターが屋敷の主人に報告に行く。
キーラはその細い身体で、エミリオを起こし、肩を貸しながら
「ほら、エミリオ様!会場の真ん中でぶっ倒れていたら、人の邪魔になりますから!あっちで休みましょう!ほら、立って!」
そう言ってキーラは、ズルズルとエミリオを引きずっていく。
エミリオは、キーラに凭れかかったままだ。
トーマスは手を貸そうとしたが、
「トーマス様!お召し物が汚れてしまいますから、お手を借りなくても大丈夫です。
ほら、エミリオ様!」
エミリオの恋の敗因。
もう一つが、コレ。キーラに何でも頼りっきりのところである。
例えば、意中の人とデートする機会が出来たとしよう。
エミリオはデートプランから、服装、プレゼントに至るまで、全てキーラに意見を求め、指示に従うのだ。
終いには、相手の令嬢から「キーラが居ないとなんにも出来ないのね?!」と捨て台詞を言われ、振られるのである。
因みに、キャサリン嬢の前のマリア・ベルトラ嬢がこのケースだった。
デートまで出来たのに、会話の端々に『キーラが選んでくれたレストラン』とか『キーラも良いと言ってくれたプレゼントだ』とか言ってしまった為に振られのだ。
「エミリオ様、仮にも辺境伯の跡取り息子なんですから、鼻血くらいでぶっ倒れないで下さい。」
「仮じゃなくて、実の息子だから〜……鼻血と辺境伯、関係ない〜…………」
「それは言葉のアヤですよ!そんな冷静にツッコむなら、もっとシャンとして下さいってば!」
「………鼻が痛いんだよ〜………」
「足が痛くないんだったら、少しは歩けますよね?!」
エミリオは歩こうとするが、フラフラして歩けない。
それはそうだ。
エミリオは自分の血を見て貧血を起こしていたから。
屋敷の侍従やら数名が出てきたので、それらの者がキーラに手を貸し、エミリオは会場の隅のベンチに運ばれていった。
「はぁぁ〜…………」
残されたトーマスは溜め息をついた。
いつの間にか周りに音が戻っている。
エミリオのドジは今に始まったことではない。
いくらダンスが上手いといっても、ドジを回避することは出来ないらしい。
この前は足を踏み外して、池に嵌った。その前はコケてテーブルを引き倒し、頭からワインを被った。
その度にキーラが後始末をつけている。
(なんやかんや言ってもキーラはエミリオ第一なんだよなぁ。)
トーマスはエミリオの住む辺境の地に、初めて遊びに行った時のことを思い出す。
その時、キーラはまだエミリオの執事をしていなかった。
コテで巻いてもいないのにクルクルと巻く猫っ毛の金髪をハーフアップにして、濃紺の地味なデイドレスを着ていた。眼鏡をかけず、大きな紫色の瞳をキラキラさせて、エミリオに手を引かれ庭を散策するその姿。
エミリオに声をかけられるまで、見惚れてしまったのは今ではいい思い出である。
(結局、あの頃から、キーラはエミリオと一緒に居るし。
………俺には手の届かない超お嬢様だしな。)
実はキーラ。
この国の前王の娘である。
王位を息子に譲ってから産まれた娘で、母親は身分の低い家の出の側妃。両親ともに年齢がいってから出来た子で、産後、母親の体調が戻らない為、今の王の後宮で育てられていた。
まぁ、そういった生い立ちから後宮では扱いが難しく、王の妃達から嫉妬の目で見られ、子供達もキーラを蔑んで見ていたので、王が見かねて辺境伯の家に預けたのだ。
王都で、年上の甥っ子や姪っ子(今の王の子供)に見つかると面倒なので、キーラは変装をしているのだった。
「キーラぁ〜……………僕の傍に居ておくれ。」
「はいはい。此処に居りますよ。もう少しでお医者様が来ますからね。」
会場の隅のベンチでキーラに膝枕をしてもらい、エミリオは訴える。
今だ鼻血が止まらないエミリオの鼻に替えのハンカチを当てながら、キーラは適当に答えた。
「ずっと…………ずぅっと、一緒に居てくれなくちゃ嫌だよ。」
「ええ〜、面倒臭いです。」
「そんなぁ〜。」
(キーラ、キーラ、キーラ……………もう、キーラが『運命の人』でいいんじゃね?)
トーマスの胸がチクリと痛む。
この痛みの意味は気付いているが、自分は無視するしかできない。
何故ならトーマスには、一年前に親の勧めで婚約者が出来たから。今日は来ていないが、明るく朗らかな娘である。
愛や恋という感情はまだ無い。でも、これから一緒に歩んで行けそうな相手だ。
トーマスはエミリオを見て思う。
(この胸の痛みの代償として、鼻が折れてろ。)
――意地悪な事を思うトーマスなのであった。
お読みいただき、ありがとうございました。