垣根の上に立つ 二十六
この時アリーシャは思ったのだ。
絶対に上に行ってやる、と。
何せ自分は“お姫様”なのだ。それに相応しい暮らしをしなくては。
こんな貧乏な男爵家の暮らしではなく、もっと上流の暮らしを。
出来れば伯爵位以上。贅沢を言うなら、公爵家に嫁ぎたい。そうすれば、望み通りの優雅な暮らしができる。
大きな邸宅、美しいドレスに宝石、美味しいものも何もかも、思いのままだ。
だから、ロイズ王立学院に入学してすぐ、高位貴族の子息らと仲良くなった。
伯爵位以上に絞って積極的に話しかけ、デートを重ねた。
幸い、アリーシャはとても可愛らしい見た目をしていた。ピンクがかった金髪にぱっちりと大きい水色の瞳。小柄で細身、でも胸は大きい。
見た目はよかったが、アリーシャは性格に難があった。
幼い頃からお前は可愛い、お前は一番だと褒められ続け、何でも望みを叶えてもらってきたおかげで、アリーシャは可愛くおねだりすれば自分の望みは何でも叶えてもらえると思い込んでいたのだ。
今まで付き合ってきた男性たちは、初めのうちはアリーシャの可愛いおねだりを何でも叶えていたが、だんだんエスカレートしていくおねだりにみんなさっさと逃げ出した。
何せ、高価なドレスに宝石、高級百貨店での山ほどの買い物、高級レストランでの食事、入手が難しい劇場のチケット、etc…
挙げればキリがないほどアリーシャはおねだりしたのだ。
可愛らしく思えたのは最初だけ。
このままでは財産を食い潰される、と、男たちはさっさとアリーシャと縁を切った。
そんな中、今から一年ほど前、アリーシャはジョゼフ・ランベール伯爵令息に目を付けた。
王家の親戚で、見た目もいい。男らしく優しい性格。少々馬鹿なところもあるが、これぐらい馬鹿な方が何でも言うことを聞いてくれるだろう。
どうして今まで声をかけなかったのかというと、単純にランベール伯爵家の財政が思わしくなかったからだ。いくら家柄が良くても、貧乏では意味がない。
だが、数年前にランベール伯爵令息がアークレー子爵令嬢と婚約してから、伯爵家の財政が復活してきてずいぶんと羽振りが良くなった。
チャンスだ、と思った。
ランベール伯爵家は王家の親戚だ。うまくすれば他の親戚の、例えば公爵家などと知り合うことができるかも。
いや、王家に繋がりができるかもしれない。国王夫妻と親しくなることができれば、その縁で高位貴族との婚約をお膳立てしてもらえるかも……
「だって、貧乏なんて嫌だもの。私はなるべく位の高いお金持ちと結婚して、豪華な暮らしをしたいの! お母様の友達の伯爵夫人みたいに! 綺麗で立派なお屋敷で、流行りのとびきり綺麗なドレスを着て、宝石をたくさん身につけて暮らしたいの!」
「伯爵夫人……?」
アリーシャの言葉にマーヴィンは首を傾げた。
そして、得心が行ったという風に頷く。
「伯爵夫人というのは、もしかしてリオン伯爵夫人のことか? 確か母さんと仲が良かったな」
「リオン伯爵……?」
アリーシャはセイラムの姿を思い浮かべた。
――そう言えば、リオン伯爵は黒髪だったはず。なのに、この間王宮で会った時伯爵は月光のような髪色をしていたわ。あれはどういうことなのかしら? 染めたのかしら? それとも、染めていたのを元に戻したのかしら? ……確か伯爵は魔術師だったわ、何かの魔術が関係しているのかも。
アリーシャはセイラムの性別が変わっていることにはまったく気付いていなかった。そもそも付き合いがないし、元々セイラムは細身だったので、女性になってもあまり体格に差が出なかったせいだ。
「アリーシャ、お前がリオン伯爵夫人にあったのは確かお前が五歳くらいの時だったな?」
「ええ、そうよ」
「……お前は知らないかもしれないが、先代リオン伯爵夫妻はお前が参加したお茶会のすぐ後に、強盗に殺されてしまったんだ」
「…………え?」
兄の言葉にアリーシャは耳を疑った。しばし思考が停止し、すぐに回りだす。
貴族の代替わりは、何らかの事情で当主が生前に代替わりするか、当主の死によって次代に受け継がれる。
セイラムの若さで当主ということは……?
先代伯爵夫妻が生きていれば噂の一つくらい聞くはずだ。それがないということは……?
アリーシャは兄を見上げた。マーヴィンも妹の目をしっかりと見る。
「お金持ちだからって良いことばかりじゃない。人から羨ましがられる分厄介ごとにも巻き込まれやすい。そもそも、金持ちになったら遊んで暮らせるわけじゃないんだ。金や権力を持っている者、他人の上に立つ立場の者には重い責任が伴うんだ。自分の領地の民や雇っている使用人たちの生活を保障しなければならないんだぞ。戦争でも起こったら、貴族は民を守るために前に立たなければならない。“貴族の義務”は知っているだろう?」
静かな声で諭すように話すマーヴィン。アリーシャは口元を歪ませてじっと聞いていた。
「責任を果たしていれば、豪勢な暮らしをしていても文句を言われることはないだろう。だが、責任も果たさず遊び暮らしていれば、待っているのは破滅だ」
アリーシャは馬鹿だが道理の分からない人間ではない。兄に言われたことを理解することのできる頭はある。
何も考えずにただ豪勢な暮らしがしたいと思っていたアリーシャは、自分の行動の愚かさを理解し恥じるとともに、隠しきれない悔しさも感じた。
「でも、やっぱり私はお金持ちになりたいのよ……ずっと貧乏は嫌だもの」
「だったら、考えなさい。どうすればいいのか」
アリーシャがマーヴィンを見返すと、マーヴィンは優しく微笑んだ。
「お前は、賢いとは……その、言えないが、決して馬鹿ではないんだ。ちゃんと考え、学べば、どうすればいいのかわかるだろう。僕も協力するから」
兄の言葉にアリーシャは素直に頷く。
その時、両親の呼ぶ声がした。振り向くと、馬車のそばで二人が手を振っている。
「さあ、行きなさい。僕も休みが取れたら会いに行くから」
「うん……お兄様、ありがとう。ごめんなさい」
マーヴィンは妹を優しく抱きしめた。アリーシャも兄の背中に腕を回す。
兄の腕の中でアリーシャは秘かに誓った。
――絶対に再び王都に戻ってくるわ。そして、あの女……ディアーヌ・ロイシーを見返してやるんだから!
未だにディアーヌに敵愾心を燃やすアリーシャだった。
***
ジョゼフたちの処分が決まってすぐ、先日訪れたばかりのアルデリカ銀鉱を再訪したセイラムは、所用で不在のジルバーシュタインが戻ってくるのを、紅茶を飲みながら待っていた。
お茶菓子を摘まみながら、ランベール伯爵たちの現況を思い出す。
ランベール伯爵は、今後はこれまでよりもずっと質素な暮らしをしなければならないのだが、彼は着道楽で有名だった。ランベール伯爵はアークレー子爵のおかげでお金に困ることがなくなってから、今まで我慢していた反動か、衣装を次々と仕立て、妻と息子たちにも新しい衣装をどんどん作り、他にも館を修繕、改装したりとずいぶんお金を派手に使っていたのだ。
だが、今後もそれはできなくなるだろう。それどころか、せっかく作った衣装を処分しなければならなくなるかもしれない。
ランベール伯爵夫人は激しく落ち込んで気鬱の病に罹り、しばらく実家に帰って療養することになったそうだ。
大事な長男の失態、逮捕、多額の慰謝料の支払い、そして、かつてのような貧乏暮らしに逆戻りしたことが伯爵夫人には堪えたようだ。
ベイン子爵夫人とカドバリー子爵夫人もひどく落ち込んでいると聞く。
現在両家の夫婦仲は最悪な状態だそうだ。お互いがお互いに責任を擦り付け合い、ひどい泥仕合になっているとか。
それもこれも、自分たちの子育てが失敗したからなのだが、両夫妻は気付いていないようだ。
ジョゼフのアレな性格は持って生まれたものだが、モイーズとダレルのあのクソな性格は親が甘やかしたことが原因だそうだ。
アルデリカ銀鉱での労働で少しは鍛え直されればいいのだが……その前に過酷な労働で命を落とすかもしれない。
いや、逃げ出す可能性の方がもっと高い。
銀鉱を受け継いだ直後にこんな問題児を受け入れることになるなんて、運がない。セイラムは溜息をついた。
まあ、何かあった際の責任は現場監督が取り、セイラム自身はよほどのことがない限り関わらないそうだが。
セイラムは、遠い目をして何事もないよう祈った。
出されたお茶を飲んで一息ついていると、所用で不在だったジルバーシュタインが戻ってきた。
「どうも、遅くなりまして申し訳ありません、伯爵。わざわざお越しくださりありがとうございます。して、今日はどのような用件で?」
言いながらセイラムの正面に腰を下ろすジルバーシュタインに、セイラムはカップを置きながら口を開いた。
「急にすまないな、ジルバーシュタイン。実は、とある貴族の馬鹿息子たちが王都で問題を起こしてね。罰としてここで強制労働させることになったんだ。囚人たちと同じところで働いてもらうことになっているから、そのように手配を頼む。基本的には囚人たちと同じ扱いで構わない」
「貴族の馬鹿息子……? 一体何があったんです?」
「馬鹿息子たちというのは、ランベール伯爵令息とベイン子爵令息、カドバリー子爵令息だ。ランベール伯爵令息は僕の親戚でもある」
「伯爵の親戚の坊ちゃん、ですか?」
「ああ。僕と同じく王家の血を引く者で、一族の恥さらしだ。こともあろうにバレンティア王国のイザベラ王女に無礼な態度をとり、その友人たちを侮辱したんだ。さらに、婚約者のいる身でありながら他の女性にうつつを抜かし、婚約者に濡れぎぬを着せて婚約を破棄しようとした」
「貴族の風上にも置けませんな」
「おまけに、王位継承権がないにもかかわらず自分を次期国王だなどと言って憚らない……つまり、王位簒奪の容疑もかかっている。ベインとカドバリーはランベール伯爵令息の腰巾着で彼の言いなりだ。ランベール伯爵令息の『自分が次期国王だ』という妄想を助長させた罪、他にも色々あるが……」
「なんとまあ……やりたい放題ですな」
「父親は立派な人物なんだがな……。三人の内ランベール伯爵令息は慰謝料を全て支払い終えるまで無期限で、残り二名は一年間ここで労働することになっている。万が一途中で死んだ時のために莫大な保険金がかけられているらしいが……まあ、簡単に死なれたら罰にならないからな、頑張ってほしいものだ」
ジルバーシュタインは頷いた。
「わかりました。万事こちらにお任せください。ランベール伯爵令息は慰謝料を払い終えるまで、他二名は一年間、ですね」
「ああ、よろしく頼む」
ジルバーシュタインは力強く頷くと、立ち上がり、自分の分の紅茶を淹れて席に戻った。ついでに、セイラムもお代わりを頼む。
「まあ、何にせよ、大きい声では言えませんが、その坊ちゃんたちの働きにはあまり期待できませんね。親に甘やかされた軟弱な坊ちゃんには、ここでの労働はきつすぎると思いますよ」
セイラムは苦笑いを浮かべた。
「僕も同感だ。ここでの労働はかなり厳しいものだと聞いている。甘やかされてきた彼らにはとても……」
「まあ、逃げられたら困りますからね。見張りはつけますよ」
「見張り?」
例の三人は囚人たちの作業場に配属される。囚人たちを監視している兵士に彼らも監視してもらうのだろうか?
そう考えていると、ジルバーシュタインはセイラムの考えていることが分かったのか、いやいや、と首を横に振った。
「兵士の仕事は増やしません。信用できそうな囚人数名に頼むのです。あの三人が逃亡などしないよう見張ってくれたら、報酬をやる、と言ってね」
報酬というのはおそらく少額の金品もしくは煙草などの嗜好品だろう。閉鎖的かつ自由の少ない生活だ、多少の刺激は囚人たちにとってはいい気晴らしになるだろう。
「囚人たちが間違って彼らを傷つけないようにだけ頼めるか?」
「ええ、もちろんです。お任せください。基本的には放っておきますが、囚人たちがおかしなちょっかいを出さないように見ておきますよ」
「ああ、頼む」
微笑むセイラムに、ジルバーシュタインはようやく聞きたかった疑問を投げかけた。
「ところで、伯爵。その髪の色は……? あと、なんだかお痩せになりましたか? いや、痩せたというより縮んだと言うべきか……」
セイラムは胃が痛むのを感じた。あと何回同じ説明をすればいいのだろう、と、ややうんざりしながらジルバーシュタインにも説明し、彼の引き攣った笑顔を返された。




