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天秤とウィッチクラフト  作者: 藤原渉
64/71

垣根の上に立つ 二十

 その時。

 空気を読まず状況を察することもできない馬鹿が邸から飛び出してきた。


「何をしている、伯爵! さっさとその男を捉えろ! いや、この場で処刑してしまえ!」


 セイラムは思わず天を仰いだ。飛び出して来たジョゼフの後ろでは、ラディウスが手を伸ばした状態で固まっている。飛び出して行く馬鹿を止めきれなかったのだろう。その後ろにいるバスティアンが『すまん』と謝罪するジェスチャーをしていた。


「ジョゼフ、この国の法律では審議なしの死刑は禁じられている。君も知らないわけではないだろう?」

「うぅ、うるさいっ! 黙れ! 次期国王たるこの俺の命令だぞ!」


 セイラムはうんざりした。この期に及んでその妄想から抜けきれない馬鹿に。

 ボルツもセイラムと同じ表情(かお)をしていた。こんな馬鹿にムキになっていたのか、と、ちょっと自分に失望した。


「ジョゼフ、例え国王陛下でも法に反すれば罰せられるんだ。この男は法に則って裁かれる。お前が口出しすることじゃない」


 セイラムはなるべく穏やかな口調で諭すように言ったが、ジョゼフは逆に、馬鹿にされていると感じた。


「うるさいっ! 俺を傷付けた大罪人だぞ!! っそうか、お前もそいつの仲間なんだな!」


 ジョゼフは突如邸の中に駆け戻った。かと思うとすぐに戻ってきた。

 抜き身の剣を持って。


「覚悟しろ! 貴様ら共々俺が成敗してくれる!」

「なっ、ジョゼフ! 落ち着け!」


 さすがにそれはまずい。

 慌ててセイラムが剣を取り上げようと動こうとしたが、それをウォルクが制止する。


「セイラム様、私が行きます」


 そう言ってウォルクは素早くジョゼフに近付こうとした。だが、ウォルクの接近を見たジョゼフは、剣を無茶苦茶に振り回して抵抗する。


「くっ来るな、無礼者! 切るぞ!」


 剣術が苦手なジョゼフらしく、太刀筋はへなちょこだが、滅茶苦茶に振り回しているため軌道が読めず、迂闊に近寄ることができない。


「くそっ」


 苦戦しているウォルクを見かねてセイラムが杖を構えた。

 それをボルツが止めた。


「待て、伯爵」

「何だ、ボルツ!? 邪魔しないでくれ!」

「邪魔はしない。ただ……」


 セイラムを止めておいて、自分が杖を構える。


「悪者になるのはお前ではなく私の方がいいだろう」


 そう言って杖を素早く振る。

 ジョゼフの手から剣が飛び出し、離れたところに落ちた。

 突然のことにジョゼフは数秒間呆然とした後、剣を握っていた自分の手を見て、次に落ちた剣を振り返り、再び自分の手を見てようやく何が起きたのかを理解した。


「う、うぁ……」


 ジョゼフはがたがたと震えながらボルツを見た。ボルツは牽制目的で大袈裟に杖を構えて見せる。

 それを見て、本気で攻撃されると思ったのか、ジョゼフは思いっきり後退った。ちょうどそこに、回復した腰巾着二名、モイーズ・ベイン子爵令息とダレル・カドバリー子爵令息がひょっこりと顔を出す。


「ジョゼフ様、犯人は捕まりましたか?」

「どうしたんです、青い顔して……?」


 能天気な顔と声の二人の手を、ジョゼフは思いっきり引っ張り自分の前に出した。


「く、来るなら来い! ははは、お前の攻撃など俺には当たらないぞ!」

「貴様……」


 ボルツは友人たちを自らの盾にしたジョゼフを鋭く睨みつけた。


「卑怯者め、“貴族の(ノブレス)義務(・オブリージュ)”はどうした! 自分の友人を盾にするなど、恥を知れ!」

「うるさい、庶民の……いや、罪人の分際で! 国民は皆、王の盾になるためにあるのだ!」

「ジョゼフ!」


 あまりの言いように、セイラムはジョゼフを睨みつけた。


「国民が王の盾になるのではない、王が国民の盾なんだ。王だけではない。王侯貴族は皆、民を守る義務がある! その義務を果たしているから、我々貴族は民よりも恵まれた暮らしができるんだ。そんなことも分からずに次期国王だ何だと世迷言をぬかしていたのか、お前は!」

「だっ黙れ! 無礼者め! ……ひィっ!」


 ボルツが杖に魔力を込めた。深い緑色の魔力が杖の先からスパークを放つのを見て、ジョゼフは引き攣った声を上げる。


「ジョゼフ様!?」

「ひぃぃ、やめてくださいっ! 助けてぇ!」


 グイっと前に突き出され、ダレルとモイーズが悲鳴を上げた。めちゃくちゃに暴れてジョゼフの手を振り切り、バタバタと邸の中に駆け戻る。


「なっ! お前たち! くそっ」


 腰巾着に見捨てられたジョゼフは周りを見回し、少し離れたところにいるイザベラ王女に目を付けた。

 後にこの時のことを思い返した誰かが、『まるでゴ〇ブリのような』と称した死に物狂いの素早い動きで、ジョゼフはイザベラ王女に駆け寄り腕を思いっきり引っ張った。


「きゃあっ!」

「殿下っ!」


 ジョゼフの火事場の馬鹿力に対応できなかったフィデルが慌ててイザベラ王女を取り返そうと動くが、ジョゼフは素早く距離を取り王女を羽交い絞めにして笑った。


「ははははは! 俺に攻撃してみろ! 王女が傷つくことになるぞ!」

「ジョゼフッ! お前、自分が何をやっているのかわかっているのか! 国際問題になるぞ!」


 流石のセイラムもこの事態に焦った。

 ボルツがイザベラ王女を傷付けるようなことはないだろうが、暴走するジョゼフが王女を傷付ける可能性は大いにある。

 そうなれば、イザベラ王女を溺愛しているバレンティア国王が大激怒するだろう。

 開戦まったなしだ。

 図らずもデュ・コロワの思い通りになってしまう。


 あと、悪役のボルツよりも悪役らしいことをしているジョゼフに、この場にいる全員が心のどこかで盛大に呆れた。


 大事な王女を奪われたフィデルとミラグロスだったが、さすがに二人は冷静だった。

 顔を見合わせて頷き合うと、素早く王女奪還に動く。

 両側からジョゼフに素早く近づいた。ジョゼフはどちらに対応すればいいのか一瞬迷い、女であるミラグロスであれば自分でもどうにかできると思ったのか、イザベラ王女ごと身体をミラグロスの方に向ける。

 その瞬間一気に距離を詰めたフィデルがジョゼフからイザベラ王女を引きはがした。


「ああっ! くそっ」


 イザベラ王女を奪い返そうと、ジョゼフが手を伸ばした時。


「へぶッ!?」


 誰にも気付かれずにジョゼフに近寄っていたディアーヌが、ジョゼフを殴り倒した。

 セント・ルースの治安の悪い下町仕込みの見事な右フックで、ジョゼフは吹っ飛ばされ地面に倒れ込む。


 セイラムは呆気にとられた。その隣ではボルツもセイラムと同じ顔をしている。

 イザベラ王女とフィデルとミラグロスも驚いていた。だが、イザベラ王女はどこか面白がっているようだ。


 親にも殴られたことのないジョゼフは倒れ込んだまま動かない。ディアーヌはチッと舌打ちをして、『骨がないわね』と吐き捨てた。

 そのまま、悪女のような形相で、ボルツを見る。見られたボルツはちょっとだけ恐怖を覚えた。


「あなたの気持ち、少しわかるわ。こいつみたいな馬鹿野郎、私だって殴りたくなるもの」

「いや、もう殴っているだろう」


 ボルツが突っ込むが、ディアーヌはそれには答えず言葉を続ける。


「でも、殴ったところで一瞬気分がすっきりするだけ。この馬鹿野郎は自分がいかに理不尽な目に遭ったかを声高に喋りまくるだけで改心なんてしないわ。絶対に」


 ボルツは気付く。ディアーヌの言っていることがジョゼフのことだけではなく、否定派の者すべてに通じるということを。


「もう少しやり方を考えたら? あなた、頭は悪くなさそうだし、もっといい方法を思いつくはずよ。否定派の意識を変えるいい方法を」


 とても良いことを言われたのに、直前の右フックの印象が強すぎて、ボルツが半ば呆然としていると、セイラムが彼の肩を叩いた。


「彼女の言う通りだ。力で押さえつけても、それはいつか大きな反発を呼ぶだろうし、否定派が考えを改めることはしない。むしろ、それまでよりももっと強硬になるだろう」


 そう言われて、ボルツは大人しく頷いた。


「そうだな……お前たちの言う通りだ」


 ボルツは大きなため息をついた。

 気分はとても穏やかだった。


      ***


 間もなくランベール伯爵邸に王都警察の警官たちが駆け付けた。バート警部の部下のスパイサー刑事もいる。

 ボルツを拘束するのに、セイラムとラディウスとバスティアンも協力した。ラディウスがボルツの杖を預かり、バスティアンが魔力を封じる術式をかけようとした時。


 ボルツたちの背後で警官らによって介抱されていたジョゼフがいきなり立ち上がった。

 その手には先ほど彼が持っていた、ボルツに吹っ飛ばされたはずの剣が。


「うわあぁぁぁぁ!!」


 叫びながらジョゼフはボルツに突進し、剣を振るった。

 周囲に警官やバスティアンがいたためボルツは咄嗟に避けることができず、だが、身を捩ったため致命傷は免れた。


 背中を大きく切り裂かれたが。


「ボルツ! 無事か!?」


 セイラムは素早くボルツに駆け寄る。彼の呼吸がしっかりしているのを確認すると、ジョゼフを睨みつけた。


「ジョゼフ、お前っ!」

「うるさいっ、無礼者ども! この俺が全員まとめて成敗してやる、覚悟しろ!」


 勇ましく剣を構えるジョゼフだったが、次の瞬間セイラムの杖の一振りで剣を再び飛ばされ失う。


「あぁっ」


 情けない声で剣を見送ったジョゼフにセイラムは近づき、胸元を締め上げた。


「お前など王の器ではない。精々一人で間抜けに踊っていろ」


 セイラムの紫水晶の瞳に燐光が灯る。感情が高ぶっている証拠だ。

 ジョゼフはセイラムの迫力に気圧されて、恐怖にがくがくと震えた。

 セイラムが頭に血を上らせていることに気付いたウォルクは、静かに近付きそっとジョゼフと引き離した。

 そのままジョゼフの首根っこを掴み、警官らに引き渡す。


「傷害の現行犯です。拘束してください」

「わかりました!」


 元気よく返事をした警官がジョゼフの身体に縄をかけ、無理矢理立たせて連行していく。

 ランベール伯爵邸の敷地の外に停められていた護送用の馬車に乗せられたところで、ジョゼフは我に返り、喚きだした。


「おいっ! 俺をどこに連れて行く気だ! 縄を解け、無礼者っ……!」


 だが答えるものは無く、馬車は王都警察本部に向かって走り出した。


 深手を負ったボルツは、ラディウスとバスティアンが伯爵邸から持ち出してきた布で止血を試みていた。


「必要ない。私はある程度医療魔術を使える」


 ボルツはそう言って、痛みに霞む意識を奮い立たせて集中する。

 程なく、出血が弱まり、ほとんど止まった。


「すごいな、お前」


 ラディウスは感心して、止血に使った布を片付けようとした。それを横からバスティアンが奪い取る。


「念のため巻いておこう」


 そう言ってバスティアンはボルツの上衣を剝ぎ取り、出血の止まった傷――血は止まっても傷はまだ塞がっていない――の上に巻き付けた。


「無事か、ボルツ?」


 ジョゼフを見送ったセイラムが駆け寄る。そばにはウォルクと、今までどこにいたのかゼアラルが控えていた。


「この程度の傷、何の問題もない」


 そうボルツは嘯いたが、すぐ近くにいる王都警察のスパイサー刑事が首を横に振った。


「傷がまだ塞がっていないでしょう。すぐに王都警察附属病院に運びますから」

「……だ、そうだ」


 セイラムがにやりと笑いながら言うと、ボルツはバツが悪そうな顔をした。


「本当に、大したことはないんだがな」

「もっと自分の身体を大事にしろ。回復次第取り調べが山ほどあるぞ」


 深い溜息をつくボルツの前に、担架が用意された。ボルツはラディウスらの助けを借りて担架に乗る。

 警官らによって担架が持ちあげられようとした時、ボルツは『待ってくれ』とそれを止めた。


「何だ? 忘れ物か?」


 スパイサー刑事の問いには答えず、ボルツはセイラムを手招きした。


「何だ?」


 セイラムが近寄ると、ボルツは真剣な表情をしていた。


「礼をしようと思ってな」

「礼?」


 ボルツはセイラムの顔の前に自分の手を翳した。


「お前の歪みを正してやろう。お前自身の知らぬうちにかけられた術式だ。お前はそれと共に生きてきた、気付かぬのも無理はない」


 セイラムは困惑から眉を寄せた。


「何の……」


 ことだ、と言おうとした時、ボルツが翳した手に魔力が走った。それは人差し指に集束する。


「式の逆唱。お前の役目は解かれた。疾く魔法世界に」


 セイラムの眼前が深い緑の光で染まった。


「還れ」


 ボルツの人差し指がセイラムの額に触れる。

 途端、セイラムの身体の奥深くに潜んでいた魔力が――緋色の魔力が引きずり出され解かれた。

 同時にセイラムの身体を酷い激痛が襲う。


「うっ、あああああぁぁぁぁぁ!!」


 耐えきれずセイラムは膝を折った。その場に蹲り、苦痛を逃がそうとするが、苦痛は後から後から湧いてきて、ささやかな抵抗など焼け石に水だ。

 骨が歪む。

 皮膚が伸ばされ、縮む。

 あるものが現れ、別のあるものが消える。

 セイラムの根幹が、とても大切なものが無理矢理作り替えられた。


 いや――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「セイラム様!」


 突然絶叫し苦しみだしたセイラムに、ウォルクが慌てて駆け寄る。


「伯爵!」


 ディアーヌも駆け寄り、蹲るセイラムを抱きかかえた。


「ボルツ! お前、セイラム様に何を!」

「うわ、落ち着けよ!」


 ボルツに掴みかかるウォルクを慌ててラディウスが止める。涼しい顔でボルツは口を開いた。


「落ち着け、執事。私は伯爵に危害を加えたわけではない。彼にかけられていた術式を解いただけだ」

「術式だと? セイラム様にかけられていた……? そんな馬鹿な」

「嘘ではない。この術式のおかげで伯爵はずっと歪んだままだった。それが今、正されたのだ。見ろ」


 ボルツはセイラムを指差した。

 何かと振り向くウォルク。

 ラディウスとバスティアン、イザベラ王女たちもセイラムを見る。


 セイラムはディアーヌの腕の中で気絶していた。苦痛に耐えきれなかったのだ。

 ディアーヌは違和感を覚え、セイラムを見下ろした。

 セイラムの身体は記憶にあるものよりも細く小さくなっていた。

 元から細身だったが、更に細い。まるで女性のようだ。


「……ちょっと待って」


 ディアーヌの声がかすれた。


 女性のよう、ではない。


 女性だ。


 セイラムの身体は女性に変化していた。

 おまけに、髪の色も変わっている。

 青みがかった黒髪だったのが、まるで月のような淡い金色に変色していた。


「せ、セイラム様……?」


 ウォルクの身体が、驚愕からなのかがたがたと震えだした。

 誰もが驚き戸惑い混乱する中、ゼアラルだけは面白いものを見たかのように上機嫌で笑っていた。

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