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天秤とウィッチクラフト  作者: 藤原渉
62/71

垣根の上に立つ 十八

 ジョゼフ・ランベールは荒れていた。

 名峰暁雲山(ぎょううんざん)よりも高いプライドゆえに、セイラムらに自分を否定されたことが我慢ならなかったのだ。


 リオン伯爵邸から自邸に戻ると自分の部屋に籠り、腰巾着であるモイーズ・ベイン子爵令息とダレル・カドバリー子爵令息を夜も遅い時間に呼び出し、使用人に命じて酒を持ってこさせ、未成年だというのにやけ酒を(あお)っていた。

 腰巾着二人もジョゼフ同様、いや、それ以上におつむの出来がよろしくなかった。

 どういう思考回路をしているのかは分からないが、二人もジョゼフが次期国王だと信じ込んでおり、それが否定されたことを信じられずにいた。

 ついでに、次期王妃だと思っていたアリーシャ・モラン男爵令嬢にフラれたことにも驚愕していた。


「ジョゼフ様、誰が何と言おうと次期国王はあなたです! どこぞの伯爵ごときの言うことなど信じないでください!」

「そうですよ! それに、はっきり言ってアリーシャ嬢は王妃には相応しくありません。もっと高貴な女性が……ジョゼフ様に相応しい女性がどこかにいるはずです。例えば……」

「ふん、イザベラ王女、とか?」


 二人のおべっかにジョゼフは多少気を良くしながら笑う。片手には琥珀色の酒の入ったグラスが、もう片方の手には酒の肴に持って来させたチーズがあった。


「そう、そうです! イザベラ王女ですよ! アリーシャ嬢もアークレー子爵令嬢も身分が低すぎるんです。高貴なジョゼフ様にはやはり同じぐらい高貴な女性でないと!」


 モイーズの言葉に気を良くしたジョゼフは更に酒を呷った。


「ちッ、もう空か」


 酒の瓶が空になったことに舌打ちし、ジョゼフは使用人を呼ぶためのベルを鳴らした。

 やって来たのはそこそこ歳のいった男性使用人、ポール。それにジョゼフはむっと眉間にしわを寄せた。


「おい、あいつはどうしたんだ? 俺が呼んでいるのになぜ来ない?」

「ロリーならつい先日辞めましたよ」


 ポールの冷ややかな声に気付かず、ジョゼフは激高した。


「何だと!? なぜ辞めた!? 俺の許しもなく!」


 ポールは秘かに溜息をついた。

 退職するのにジョゼフの許しは要らない。彼らの雇い主はジョゼフの父親、ランベール伯爵だ。

 ロリーは穏やかで控えめな気性で、やや弱気なところのある青年だった。故にジョゼフに目を付けられ、何かと無茶ぶりをされていたのだ。

 彼の兄が魔術師であるというのも目を付けられた理由の一つだったのかもしれない。ジョゼフは両親とは違って魔術師嫌いなのだ。


 ロリーはつい先日退職した。ジョゼフのやらかしでアークレー子爵に多額の慰謝料の支払いと援助した資金を全額返すよう要求され、今後ランベール伯爵家が傾くことを予測した伯爵本人が執事に使用人を減らすよう指示したのだ。

 若い者は退職金を出せる今のうちに辞めて、新しい仕事を探せ。

 執事は使用人たちを集めてそう話した。すぐに数名の者が退職を願い出たのだが、その中にロリーもいたのだ。


 ポールの返事を待たず、ジョゼフは勝手に憤慨していた。


「くそっ、役立たずめ!」

「まったく、その通り!」


 ダレルの合いの手にジョゼフは少し気分を良くした。

 空になった酒瓶を目の前にいるポールではなく、ドアの近くで控えているもう一人の使用人に向かって投げつける。


「わっ」


 慌てて受け止めたその若い使用人、ローガンは困惑した顔でジョゼフを見た。


「お前! さっさと追加の酒を持ってこい! 今すぐだ!」


 怒鳴りつけられたローガンは慌てて部屋を出て行く。ポールはそれを追いかけるように退出した。

 間もなく戻ってきたローガンは、ジョゼフの一挙手一投足をびくびくと伺いながら持ってきた酒を彼らのグラスに注いだ。

 上等な琥珀色の酒がグラスに注がれ、ジョゼフらは気を良くする。

 ローガンが、ついでに持ってきた数種類のつまみをテーブルに並べると、ジョゼフらは更に上機嫌になった。


 酒が入ると大抵の人は、口の動きがますます滑らかになる。ジョゼフも例外ではなく、ますます聞くに堪えない暴言を吐き出した。


「やはり俺が王に相応しい! リオン伯爵め、あんな無礼なことを言って……許さん! 俺が王になったら、リオン伯爵は爵位剥奪の上、国外追放だ。そして、国内にいる魔術師どもも国外に……いや、奴らは奴隷にしてやる! 我ながら良い案だ!」


 そう豪語していると、ぷっ、と噴き出す小さな声が聞こえた。

 何と、びくびくしていたはずのローガンが顔を伏せて肩を揺らしている。

 笑っているのだ。


「貴様、何が可笑しい!」


 ジョゼフに怒鳴りつけられたローガンは、すっ、と立ち上がり、三人を見下ろした。

 そこには、彼らの挙動にびくついていた気弱そうな姿はどこにもなかった。


「お前が王に相応しい器だとは思えないな」


 その不敵な笑み。


「まだリオン伯爵の方が王の器だと思うぞ」

「な……な……な……、無礼な! 貴様、許さんぞ!」

「そうだ! 突然何を……!」


 激昂したジョゼフとモイーズ、ダレルが勢いよく立ち上がり、今にも掴みかかりそうになったが、ローガンは素早く身を引いて三人から距離を取る。

 そして、(おもむろ)に顔を撫でた。

 現れたのは四、五十代くらいの男の顔。

 身体つきも、貧弱そうな若者のそれではなく、それなりに鍛え上げ年季の入った男のものになっている。


 突然のことと、誰だかわからずぽかんとする三人に向けて、男――クリストフ・ボルツは素早く杖を振った。


「ボルツの術式第八十九番、『神の吐息渦巻き、雲居を払う暴風とならん』!」


 空気が動く。そよ風程度の柔らかなものだったのが、次の瞬間暴風になった。

 室内で荒れ狂う風にジョゼフらは悲鳴を上げる。

 風が渦巻き部屋のもの――ソファとテーブル、壁にかけてある絵画など――がめちゃくちゃに動き出し、仕舞いにはジョゼフたちの身体も風に煽られ立っていられなくなる。

 三人は慌てて壁際にあった重そうな戸棚にしがみついたが、その戸棚までもが動き出し、ついには宙へと舞い上げられた。


「うわあああぁぁぁぁぁ!!!??」

「たっ、助けてくれえぇぇ!!」

「誰かあぁぁぁ!!」


 使用人たちが騒ぎを聞きつけ駆け付けたが、手が出せずただ見ているだけだ。同じく駆けつけてきた寝間着姿のランベール伯爵夫妻とジョゼフの弟のエルマンも、驚愕の表情で部屋の入り口に留まっていた。伯爵夫人だけは室内の有様と宙を舞う息子の姿を見て気絶したため、使用人たちによって寝室に運ばれて行ったが。


「お、おい」


 ランベール伯爵は強張った顔で振り返り、そばにいた使用人に声をかけた。


「い、今すぐリオン伯爵を呼んできてくれ。今すぐだ!」

「わっ、わかりました!」


 指示された使用人はすぐに駆け出した。


 もう他にできることはなく、ランベール伯爵は室内がかき回され荒れ果てていくのと、息子たちの身体が少しずつ傷ついていくのをただ見守っていた。


――余談だが、本物のローガンは後に地下の倉庫で気絶し倒れているのが発見された。


      ***


 セイラムは知らせを受けてすぐに、ウォルクとゼアラル、ラディウスとバスティアンを伴って、馬で駆け付けた。

 最初に知らせを受けたウォルクがセイラムに知らせるより先に、厩番に馬の支度をさせたのだ。


 知らせを受けてから十五分足らずでランベール伯爵邸に駆け付けたセイラムたちは、室内でぐるぐるとかき回されるジョゼフたちと、その中心で涼しい顔をして杖を指揮棒のように優雅に振り回すボルツを見て、両者のギャップにちょっと動きを止めた。

 ジョゼフたちが顔から出るものを全部垂れ流し何事かを喚きながら部屋の中を飛び交っているのに対し、ボルツは実に優雅に、そして楽し気に杖を振っていたからだ。


「だ、誰か俺を助けろぉ! くそ、くそ、くそおぉぉぉ!! 死刑だ! お前ら全員死刑だぁぁ!」


 穏やかだったボルツの眉間にしわが寄った。


「……お前のような無知な若者が、未来を壊すのだ……!」


 杖を鋭く振り攻撃しようとするボルツの動きを見て、寸の間動きを止めていたセイラムは、すぐに我に返って自分の杖を振った。

 ボルツの術式への介入。術式に流れている魔力を遮断し、術式を強制終了させる。


 突然室内で吹き荒れていた暴風が止み、ジョゼフたちは床へと放り出された。強かに身体を打ち、悶絶する。

 ジョゼフたちと共に宙を舞っていた家具の残骸も、ガラガラと音を立てて床に落ちた。室内はひどい有様だ。

 ボルツはゆっくりとセイラムに向き直り、不敵な笑みを浮かべた。


「今晩は、リオン伯爵。いや、もうお早うかな?」

「ふざけた真似を。何が目的でジョゼフたちを襲った?」


 ボルツは微笑みながら呟く。


「この若者に理解させてやろうと思ってな」

「……理解?」


 視界の端でジョゼフが起き上り、セイラムの姿を捉えて激高するのが見えた。


「貴様! 伯爵! 何をしていた! 俺がひどい暴力を受けていたというのに!」


 喚き声を無視してボルツが真っ直ぐセイラムを見た。


「私のロケットを返してもらおう」


 先ほどのボルツの呟きに内心首をひねりながら、セイラムも真っ直ぐにボルツを見据えた。


「僕を倒せたら返してやる」

「ほぅ……ならば、力比べと行こうか!」


 そう言って杖を構えたボルツに対し、セイラムはすでに杖に魔力を込め準備していた。


 クリムゾニカから教わったのは普通の魔術攻撃だけではない。

 ノーモーションでの魔術の行使。

 喧嘩において重要なのは、いかに相手を出し抜くか、だとクリムゾニカは声高々に語っていた。クレメンスとの喧嘩で悟ったのだろうか。

 杖を振らずに呪文を唱える。


「番号省略、『汝ら、逆巻く風の中心にて渦巻く業火の灰を紡ぐ』!」


 途端巻き起こる風と炎。

 防御する間もなく、ボルツは外へと吹き飛ばされた。


「ぐぁッ!?」


 二、三回地面にバウンドしながらもなんとか体勢を整え、ボルツは素早く起き上がる。

 セイラムが後を追って外に出た時には、ボルツはすでに杖を構えていた。

 口元の血を乱暴に拭う。


「サン・サーンスの術式第百六十五番、『言葉を繋いだ鎖の暴力、其は羽根の如く軽く鉄の如く重し』!」


 途端、目に見えない礫がセイラムを襲った。セイラムは焦らず、杖を構えて攻撃を防ぐ。いくつかは当たったが。


「くそ、重いな……」


 セイラムが負傷したのを見て、ウォルクが思わず駆け出そうとするが、ゼアラルに首根っこを掴まれ止められる。


「っ、おい!」

「黙って見ていろ」


 ゼアラルの言葉は正解だった。ゼイラムはダメージをものともせず、すぐに次の攻撃を繰り出した。


「ケストナーの術式第五十九番、『赫灼(かくしゃく)紅鏡(こうきょう)、あまねく高みを焼き焦がす』!」


 紅蓮の炎が湧き(おこ)り、あっという間にボルツを包み込む。

 が、ボルツは杖を振って炎を振り払い、セイラムに向かって攻撃を返した。


「ボルツの術式第百七十一番、『駆け抜けろ、吹き荒べ、我が黒き復讐の風』!」


 可視化された黒い風がセイラムを襲った。衣服が何カ所か裂け、頬や手にも裂傷ができる。


「セイラム様ァ!」


 ウォルクが絶叫した。

 セイラムはウォルクに対して、大丈夫だ、とでも言うように軽く手を振り、杖を構える。

 ボルツも杖を構えた。

 そして、二人同時に魔力を込める。


「リオンの術式第十二番、『燦爛(さんらん)光華(こうか)、静かに進軍する焔の軍勢。全ては偉大なる御方(おんかた)の導きにて』!」

「ボルツの術式第二百三十番、『風を通して濁流に至る。轟く嵐の最果て』!」


 黄金の炎と嵐のような暴風と水飛沫が同時に起こり、ランベール伯爵邸の庭でぶつかり合った。

 力はほぼ互角。ボルツの方が経験値が上な分、やや優勢だった。セイラムも負けじと杖に力を込める。

 力と力のぶつかり合い、その奔流に飲まれそうになり、ラディウスとバスティアンは慌てて杖を構え防御した。


「俺ら来た意味ある……?」

「意味はあるだろ。少なくとも、防御要員がいないとこの館吹っ飛ぶぞ」


 部屋の中では負傷したジョゼフたちが使用人たちに助け起こされ、手当てを受けている。

 彼らが巻き込まれでもしたら、さらに厄介なことになる。幸い、セイラムは昼間と違って加減をしていた。


 だが、ボルツの方はそうではない。

 あのロケットは彼にとってとても大事なものらしい。取り戻すために全力を出すだろう。

 庭がどんどん破壊されていく。もちろん、後で魔術で直せるが、ものすごく手間がかかるんだろうな、そして、やるのはたぶん自分たちなんだろうな、と、ラディウスとバスティアンは遠い目になった。


 セイラムはボルツと睨み合いながら話しかけた。

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