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天秤とウィッチクラフト  作者: 藤原渉
61/71

垣根の上に立つ 十七

 知らせを聞いて駆けつけたクリムゾニカと青の魔術師クレメンスに、セイラムはど叱られた。


「常に冷静であれ、と教えたはずよ、セイラム。周りを巻き込むなんてもってのほか。もし死人が出たらどう責任を取るつもりなの? 猛省しなさい」

「まだまだ未熟だな。監督不行き届きではないか、赤の? とにかく、私の弟子たちを巻き込むな」

「セイラムは立派に私の元から巣立ったの。いつまでも弟子離れできないあなたと違ってね」


 赤と青がじりじりと睨み合う。

 顔を引き攣らせながらその様子を見ていたセイラムは――あちこちに火傷を負っており、腕や足は包帯だらけだ――二人の賢者から魔力がちりちりと上がったのを見て慌てて止めに入った。


「クリムゾニカ、クレメンス、二人の方こそ冷静になってくれ。おい、杖を出すな、やるなら外でやれ!」


 一触即発状態の二人を、セイラムは怪我をした身体に鞭を打って何とか止める。

 深呼吸して怒りを静めたクリムゾニカは、小言を再開した。


「あなた以外に怪我人がいなかったから良かったけれど、もしイザベラ王女に何かあったら国際問題よ? 責任とれるの? 連座で私の首まで飛ぶかもしれないのよ? ラディウスとバスティアンも。もしそうなっていたら、私たち、この世の終わりまでこいつに呪われるわよ?」


 こいつ、と隣にいるクレメンスを顎でしゃくるクリムゾニカ。


「そうだな。私の弟子たちに万が一のことがあったら、私は赤の一門を末代まで呪うだろう」


 険しい顔で頷くクレメンス。

 廊下で話を聞いていたラディウスとバスティアンは感動で涙ぐんだ。


「とにかく、セイラム、常に冷静でありなさい。頭に血が上ると物事をうまく考えられないし、魔力のコントロールもできなくなるでしょう?」

「……はい」


 頑是ない子供を諭すような言い方に妙なむず痒さを覚えながら、セイラムは頷いた。


「感情の高ぶりで魔力のコントロールができなくなるなんて、子供の失敗よ。未熟者の証左ね。反省したなら精進しなさい。私たちを失望させないで」


――あなたはこの世界で唯一の“魔法使い”なのだから――


 咽喉まで出かかった言葉をクリムゾニカは飲み込んだ。代わりに別のことを口にする。


「私たちはあなたに期待しているのだから」


 神妙な顔でセイラムは頷いた。自分が期待されていることは知っている。

 魔術師と非魔術師の架け橋たれ。

 貴族であり魔術師である自分にしかできないことだ、と、セイラムは自負していた。


 ふと、ズボンのポケットに手をやる。

 そこには例のロケットペンダントがあった。

 ボルツに返すのをすっかり忘れ、ボルツ本人もすっかり忘れていたようだ。

 苦笑いしながら、セイラムはもう一度会う時のことを考えて心の中で溜息をついた。


 赤と青の二人が帰った後、セイラムは客間に留まっているディアーヌとイザベラ王女らのところに向かった。

 自己嫌悪で落ち込むのはすでにやった。今は気持ちを切り替えて、やるべきことをやらねばならない。


 即ち、謝罪だ。


 セイラムのことが心配で帰らずに留まっていた二人は、客間に入って来るなり深く頭を下げたセイラムに仰天した。

 部屋の隅で控えているフィデルとミラグロスもさすがに驚いた顔をしている。


「伯爵!? 頭を上げてください!」


 慌てるディアーヌに対して、イザベラ王女はさすがに冷静だった。


「落ち着いて、ディアーヌ」


 ディアーヌを宥め、セイラムに向き合う。


「あなたの暴走とも言える行為が私たちに及ぼしたかもしれない影響を、しっかりわかっているのかしら? 下手したら怪我では済まなかったかもしれないということを? その上での謝罪であるなら受け入れますわ」


 セイラムは顔を上げてしっかりとイザベラ王女の目を見た。


「わかっています。全ては僕が未熟であるが故の行ないです。申し訳ありませんでした」


 イザベラ王女は頷いた。


「あなたの師匠たちに叱られたでしょうから、私からは何も言いません。二度とあなたの魔術で誰かを危険に曝すことのないようにしてくださいな」

「……畏まりました」


 頭を上げたセイラムはディアーヌを見た。


「ディアーヌ、君にも謝罪を。本当にすまなかった」

「伯爵……」


 これは適当に済ませて良い問題ではない。そう感じ取ったディアーヌは表情筋を総動員して厳しい表情を作る。


「伯爵、この先、あなたがあなた自身の魔力で人を傷つけることがないことを切に願います」


 セイラムは静かに頷いた。

 その時、扉がノックされた。セイラムが返事をすると、眉間にしわを寄せたウォルクが入ってきて今にも舌打ちしそうな顔で来客を告げた。


「来客? 誰が来たんだ?」

「ランベール伯爵令息、ジョゼフ様です」


 途端にディアーヌとイザベラ王女はウォルクと同じように眉間にしわを寄せた。先日のジョゼフのやらかしを小耳に挟んでいたセイラムは、ひと嵐来そうだ、と天を仰いだ。


「ウォルク、大急ぎでもう一室の客間を用意してくれ」

「畏まりました」

「すまないな……」


 こちらの無茶ぶりをいつも通りスマートに片づけようとする有能執事に礼を言おうとした時、喧騒がこちらに近付いてくるのを感じた。


「何だ?」


 振り向くと同時に、従僕の一人の焦る声が聞こえた。


「っ困ります! お待ちください!」

「無礼者! 俺を誰だと思っている!」


 次いで聞こえた声に、ディアーヌとイザベラ王女は軽く頭痛を覚えた。

 従僕を振り切って無理矢理入ってきたのは、やはりジョゼフだった。

 学院の食堂での一件からまだそれほど日にちは立っていない。両親から散々叱られたはずだが、もう元に戻っている様子だ。


 ジョゼフはセイラムの他にディアーヌとイザベラ王女がいることに気付くと、ディアーヌをひと睨みしてからイザベラ王女に恭しく話しかけた。ちなみに、セイラムのことは完全に無視している。というより、イザベラ王女に目が行ってしまい、存在を忘れてしまったようだ。家主なのに。


「イザベラ王女殿下! こんなところでお会いできるとは! これはまさに運命だと思いませんか?」


 白い歯をきらりと輝かせた笑顔。どことなく『どやっ』としている。

 一瞬でイザベラ王女の顔から表情が消えて無になった。


「ジョゼフ、君は家主の了承もなしに他人の家に上がり込むような礼儀知らずだったのか? 御父上が泣くぞ」


 セイラムの冷たい声に、ジョゼフは笑いながら振り返った。


「礼儀知らず? 誰に向かって言っている、伯爵! 俺は次期国王なのだぞ! お前の方が俺に経緯を払うべきだろう!」


 セイラムが固まった。

 セイラムだけではない。ウォルクもディアーヌもイザベラ王女も、この場にいる全員が急速冷凍されたかのように固まっていた。


「今なんて言った?」


 目をぱちくりさせながらセイラムが問う。ジョゼフはどやっとした顔でもう一度高らかに言った。


「俺は次期国王だぞ、と言ったのだ! 理解できたのなら丁重に扱え、無礼者!」


 ディアーヌは顔を引き攣らせた。


――どうしてだろう、勘違いっぷりが先日よりも酷くなっている。


「まあいい。今日ここに来たのは、伯爵に護衛を依頼するためだ。最近何かと物騒だろう? 貴族が何人も襲われているそうではないか。つい先日もクルーゾー伯爵にファーナム侯爵、ハーコート男爵が襲われたとか。犯人は魔術師だとも聞いた。次期国王である俺もいつ狙われるか分からんからな。だから護衛を付けることにしたのだ!」


 名案だろう、はっはっは、と高笑いするジョゼフを、セイラムは冷たい目で見つめていた。


「そうだ、イザベラ王女殿下、あなたも伯爵に共に守ってもらいましょう! 御身に万が一のことがあってはなりませんからね! ご安心ください、このリオン伯爵は貴族でありながら魔術師でもあるという変わった人物で、実力は折り紙付きなのですよ! そうと決まれば、すぐに我が家にお()でください! 伯爵! お前もすぐに支度するのだ!」


 セイラムは今日負った怪我の痛みに加えて頭痛を覚え、額を押さえた。少し冷えた自分の手が気持ちいい。


「君が次期国王だと? そんな話は聞いたことがない。第一、ルイ王太子殿下がおられるじゃないか。何を戯けたことを言っているんだ?」


 セイラムが呆れた声でそう言うと、ジョゼフは何を言っているんだ、と言いたげな顔で答えた。


「聞いたことがないのは当然だ! このことは秘されているからな! 伯爵程度の地位の者にはまだ知らされていないのだ! 俺が選ばれたのは、ルイ王太子よりも俺の方が優秀で、国王に相応しいからだ! ルイ王太子はまだ幼い。今後どのような人物に成長するか、まだまだ不確定だからな。もしかすると王には相応しくない男に育つかもしれん。それに比べて、俺はすでに一人前の立派な男だ。俺が国王になるのは当然だろう?」


 道理が通っているようで通っていない、ジョゼフの理屈を聞いて頭痛の増したセイラムは、そばで控えていたウォルクに頭痛薬を用意してくれ、と小声で頼んだ。ウォルクは頷き、客間から静かに出て行く。

 代わって、部屋の隅で控えていたフィデルが、イザベラ王女の目配せを受けてそっとセイラムのそばに控えた。


「ジョゼフ。言わせてもらうが、君は王の器ではない。確実に。本当に相応しい人間はそれをひけらかしたりしない。周囲が自ずとそれに気付くからだ」


 セイラムの言葉に、ジョゼフは一瞬ポカンとした後眉間と鼻にしわを寄せた。


「何だと? 伯爵、俺が王に相応しくないと、今そう言ったのか?」

「そうだ」


 セイラムは真っ直ぐな鋭い視線でジョゼフを睨んだ。

 美しい紫水晶のような瞳に射抜かれ、ジョゼフは怯む。


「もう一度聞く。国王陛下が君を正式に後継者に指名したのか? 宣下はあったのか? 臣下である君が、宣下なしに王位後継者を名乗ることの意味を知らないわけではないだろう?」


 それはすなわち王位の簒奪とも取られかねないことだ。

 確実に首が飛ぶ。


「伯爵、彼、先日学院でも自分が次期国王だなんて妄言を垂れ流していましたわ。それに、父親から謹慎を命じられているはずなのに、どうやって抜け出して来たのかしら……?」


 ディアーヌの耳打ちにセイラムはため息交じりに質問した。


「ジョゼフ、君、謹慎を命じられていたのでは? どうやってここに来たんだ?」

「知れたこと、味方はいくらでもいるのだ。何故なら、俺は次期国王だからな! 父上は耄碌された、俺に謹慎を命じるなど……いくら父とは言え無礼にもほどがある!」

「……つまり、君の家には君の味方がいて、その人物が手引きしたというわけか……」


 セイラムは知らないことだが、正確にはジョゼフの味方がいるのではなく、ジョゼフに脅された使用人が泣く泣く彼を手引きしたのだ。そして、今頃父親であるランベール伯爵に報告が行っており、伯爵は慌てて息子の行方を捜させていた。

 頭痛が増してきて、セイラムはこめかみを揉んだ。


「陛下の宣下はこれから下るのだ、何を疑うことがある! 無礼だぞ、伯爵!」

「無礼なのはお前だ、ジョゼフ・ランベール伯爵令息」


 突然割り込んできた知らない声。

 振り返ると、鮮やかなチェリーブロンドの青年が戸口に立っていた。

 特徴的な、黒地に金の装飾が施された制服。胸には紋章。

 太陽と月と星の盾、それを支える魔犬(グリム)


闇の騎士団(テネブラエ)、か」

「そうです、リオン伯爵」


 青年は丁寧に一礼した。その後ろに控えているウォルクが苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔をしていたが、セイラムは見て見ぬふりをして、青年に何用かと問う。


「ランベール伯爵令息を探していたんですよ」

「こいつを?」

「ええ、陛下のご命令で」

「何っ、陛下が俺をお探しだと!? いったい何の御用で!?」


 ジョゼフの顔が明るくなった。何を期待しているのだろうか。

それを青年はすっぱり切り捨てる。


「陛下はお前に用などない。お前が次期国王だなどという世迷言をあちこちで垂れ流しているため、行動を監視しろと我々に命ぜられたのだ」

「よっ」


 何かを言おうとしてジョゼフは絶句した。


「監視?」

「ええ。ルイ王太子殿下を差し置いて勝手に次期国王を名乗るなど、無礼にもほどがありますからね。ロイズ王立学院での一件が陛下の耳に入り、我々闇の騎士団(テネブラエ)にランベール伯爵令息の行動を監視するよう命令が下ったのです。これ以上ひどくなるようなら拘束し、王宮に連行するように、と」


 セイラムにそう話した後、青年は鋭い目つきでジョゼフを睨んだ。


「王宮に連行されたくなければ今すぐに自邸に戻れ。抵抗するなら実力行使に移る」


 そう言われ、ジョゼフは悔しそうに震えていたが、すぐにがっくりと項垂れた。

 闇の騎士団(テネブラエ)の恐ろしさは子供でも知っている。

 国を守護する王立軍、王族を警護する近衛隊、王宮警備に当たる衛兵隊から選抜された精鋭たち。

 国王直属の組織であり、国王の命令によってのみ動く。

 任務の内容は多岐にわたるが、裏社会にも通じており、暗殺や諜報などもやっている。

 後ろ暗いことをやっているため、『闇の』という名前が付けられたのだ。


 彼らはもちろん武術の達人揃いである。女性の隊員もいるが、彼女たちも全員、並みの男より強い。

 ジョゼフは武術があまり得意ではない。闇の騎士団(テネブラエ)には逆立ちしたって勝てないのだ。

 それがわかっているから、ジョゼフは悔しそうに、実に悔しそうに青年に従った。

 ジョゼフが動いたのを見て、廊下からもう一人、闇の騎士団(テネブラエ)の隊員が姿を見せた。

 もう一人の隊員はセイラムに会釈すると、ジョゼフの腕を掴み強引に連れて行った。

 それを見届けて、青年はセイラムに一礼し、事の推移を見守っていたイザベラ王女に向き直る。


「王女殿下、挨拶が遅れまして申し訳ありません。私は闇の騎士団(テネブラエ)に所属しているフランシス・ケ・デルブロワと申します。お目汚し失礼いたしました。どうぞご容赦くださいませ」


 丁寧な敬礼。

 イザベラ王女は優雅に頷いた。


「構わなくてよ。あのお馬鹿さんをちゃんと連れて帰ってちょうだい」

「仰せのままに」


 フランシスは恭しく一礼し、上着を翻して颯爽と部屋から出て行った。

 入口で見送るウォルクの『いちいち気障な奴だ』という小さな悪態が聞こえたが、セイラムは無視した。


 とにかくセイラムは疲れ果てていた。身体も痛い。

 イザベラ王女とディアーヌは、ジョゼフが去った後すぐに帰っていった。

 庭はぐちゃぐちゃなままだったが、元通りに直すよりも先にとにかく休みたかった。

 ラディウスとバスティアンがある程度修復しておくと申し出てくれたので、その言葉に甘えてセイラムは先に休んだ。


 だが、翌日、朝まだき東の空が薄暗い時刻、ランベール伯爵邸から助けを求める従僕が駆け込んできて、セイラムは叩き起こされることになる。

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