垣根の上に立つ 十四
「呼んだか、伯爵?」
「あ、ああ……」
静かに現れるのは止めて欲しい、と思ったが、ファンファーレを鳴らされても困るので言うのは止めた。
精霊の中には極端な奴がいるのだ。
「今日はあの執事と悪竜はいないのか?」
「ゼアラルは午前中にしていた暖炉掃除の際に調子に乗って灰をぶちまけたため、いま掃除中だ。魔術の使用禁止で。ウォルクはその監督」
アエスは思わず天を仰いだ。
「我らが王よ……」
世界を恐怖に陥れた悪竜がぶちまけた灰の清掃とは。
ショックを受けたアエスだったが、すぐに気を取り直してセイラムに向き直った。
「それで? 何が聞きたいんだ?」
「あ、ああ。先日の襲撃事件の犯人についてなんだが、精霊の目から見て何か気付いたことはないか?」
「気付いたこと……」
アエスはしばし考えこむ。
「パラシオス家についてずいぶん詳しいようだったな。あの娘が持っている暗器や構えだけでパラシオス家だと見抜いた。それに……」
「それに?」
アエスはしばし黙り込み、言葉を探した。
「あの男は血に狂った狂人というわけではなさそうだった。何らかの目的があって人を襲っている様子だったな」
「目的か……やはり、精霊・魔術師否定派の人間に何らかの恨みでもあるのだろうか?」
それに、パラシオス家にどんな因縁があるのだろう。
「伯爵、実は、イザベラ王女殿下とミラグロスにお願いして、パラシオス家に問い合わせてもらっているんです。過去に魔術師と何かトラブルがなかったかどうか、恨みを持たれるようなことがなかったかどうかを」
ディアーヌの言葉にセイラムは喜んだ。手間がだいぶ省けたので。
「そうか、ありがとう。助かるよ」
「どういたしまして。返事が返ってくるまで数日かかると思います」
返事が来るまでどうするか。大人しく待つという選択肢はない。少しでも犯人に近付かねば。
ロケットペンダント。
ボルツの術式。
パラシオス家。
まずは。
「バート警部を訪ねてみるとしよう。例のロケットペンダントを確かめないと」
「ええ、それがいいわ」
スカーフィア女侯爵が頷き、この場はお開きとなった。
侯爵邸を辞したセイラムは一度自邸に戻り、組合に書簡を送り、掃除の終わったゼアラルとウォルクを拾って王都警察本部に向かった。
半日たっぷり、魔術なしで灰と格闘していたゼアラルの機嫌はすこぶる悪く、顔も凶悪に歪められていたが、女侯爵がお土産にと持たせてくれたチョコレートの焼き菓子を出すと途端に上機嫌になって菓子を頬張った。
「バレンティアのパラシオス家、ですか。あの家は暗殺の他に諜報などもやっていますね。あと、王族の影武者も。それから魔女狩り時代の異端審問」
「問い合わせても心当たりが多そうだな」
ウォルクの言葉にセイラムは溜息をつく。
馬車はすぐに王都警察本部に到着した。
セイラムが馬車から降りた後、口の周りにチョコレートをこびりつかせているゼアラルを、ウォルクががみがみと叱りながら馬車から引っ張り出す。
「お前一体いくつなんだ、そんな子供みたいな食べ方をして……!」
「千は超えていたと思うが」
子供のような言い争いを聞きながら、セイラムは受付に行きバート警部に面会を申し入れた。
すぐにバート警部が迎えに来て、いつぞやとは別の小さな会議室に通された。
「いやはや、参りましたよ」
会議室に入ると開口一番、バート警部はそう吐き出した。
「私の前任者が――前任のケネット警部は精霊・魔術師否定派でして、犯人はどうやら魔術師らしいという情報は六月のサー・マーカス・フォールの件の時から出ていたのですが、ケネット警部は魔術師と関わり合いになりたくないがためにそっち方面のことを全く捜査していなかったようなのです。おかげで、古い事件の現場の痕跡は……」
「ああ、聞いているよ。痕跡はほぼ失われた、と」
アエスのような高位精霊や五賢者に匹敵するレベルの魔術師ならばその魔力の強大さから長く残滓が残るだろうが、そうでなければ数日から一か月で残滓は消え失せる。
永遠に残るものではないのだ。
「スカーフィア侯爵邸前の現場は今日行って確かめてきた。暗い緑色の残滓があったな……知らない色だった」
その色は絵の具でなるべく近い色を再現し、組合への書簡に同封した。残滓の見える魔術師は歴史を顧みても少数しかいないが、彼らが見た残滓の色が記録に残してあるのだ。もちろんセイラムもその作業に協力している。
「犯人はバレンティア人らしい、というのは聞きましたか?」
「ああ……はっきりそう言われたわけではないが、パラシオス家に因縁があるらしいということや、犯人が落としたロケットペンダントの中の肖像画に描かれた人物がバレンティア人らしい、というのは聞いた。その情報から考えると、犯人もバレンティア人、もしくはバレンティアに縁があるのかもしれないな」
最後の方は独り言のように呟き、セイラムはふと顔を上げた。
「バート警部、犯人が落としたというロケットペンダントを見せてもらえないか?」
「はい……これです」
バート警部が差し出したのは、ディアーヌが言った通り、金でできた小さな楕円形のロケットペンダントだった。唐草のような模様が彫刻されている。
開いて見ると、中には美しい女性の肖像画が入っていた。黒髪に黒い瞳。ディアーヌの言った通り、バレンティア人の特徴がある。
「犯人の持ち物……ということは、この女性は犯人と近しいものなのだろうか」
「ですが、今時肖像画とは……昨今は写真を使いますがね」
バート警部の言う通り、昨今は肖像画を描いてもらうよりも写真機で撮影する方が手軽だし好まれている。
「ではこの女性は今よりもっと昔の人物なんだろうか」
「可能性はあるのでは?」
バート警部の言葉にセイラムは唸りながら考えこむ。
「ロケットペンダントに入れて持ち歩いているぐらいだ、犯人にとって大事な人なんだろう。思い出の縁、と言ったところなのかな……そうだ」
「駄目です」
セイラムが思いついたことを言おうとしたら、横からウォルクが却下してきた。まだ何も言っていないのに。
「何が駄目なんだ? まだ何も言ってないぞ」
「どうせ、危険なことでも思いついたんでしょう? あなたの考えることは全てお見通しなんですから」
そう言われてセイラムは閉口した。ウォルクの言う通りだったからだ。
「まあ、まあ。執事殿、一応伯爵の意見を聞いてみませんか?」
バート警部が取りなしてくれたので、改めてセイラムは口を開いた。
「これを僕が持っていると噂を流すのはどうだろう? 犯人が取り戻しに来るかもしれない」
「却下」
「伯爵、さすがにそれは危険では……?」
ウォルクのにべもない言葉とバート警部の困り顔。
セイラムも渋い顔を作った。
「だがこれ以上被害を増やすわけにもいかないだろう。襲われているのは貴族ばかりだ。手をこまねいていると色々と面倒なことになる」
正確には精霊・魔術師否定派の貴族たちだ。早く犯人を捕まえないと、彼らはますます魔術師を敵視し、いずれ均衡と静寂は破られる。
魔術師と非魔術師との関係は迫害と融和の繰り返しだ。
今、融和の時代が終わりに近付きつつあるのをセイラムも他の魔術師たちも感じ取っていた。
「バート警部。人を使って噂を流してくれ。ロケットペンダントを僕が持っている、と。大丈夫だ、組合に頼んで何人か腕の立つ者を寄越してもらうから」
「……本当に大丈夫ですか?」
心配げな顔をするバート警部に、セイラムは微笑んだ。
「大丈夫だ。僕はそんなに弱くない」
ウォルクにも微笑みかける。
「ウォルク、大丈夫だから」
「その自信はいったいどこから来るんですか。……わかりましたよ」
やや不服そうにウォルクは頷いた。
困ったようにそれを見た後で、セイラムは懐から書類を引っ張り出した。
「バート警部、これはハンゲイト侯爵からいただいた、精霊・魔術師否定派の貴族たちのリストだ。ここに名前がある貴族たちの元に護衛の警官を派遣することはできるか? もちろん、組合にも誰か寄越してもらうようにお願いするつもりだが……」
書類を受け取りバート警部は中を検めた。
「ううむ、数が多いですな。警官はそんなに数を割けません。他にも職務がありますし……他の都市の警察から応援を呼ぶか、もしくは王立軍に協力してもらうしか……」
「次にいつ誰が襲われるか分からない。他から呼んでいたのでは間に合わないかもしれないな。ここは王立軍の兵士を借りるか……」
「ならば善は急げです。すぐに王立軍司令部に話を通してきます」
バート警部が慌ただしく出て行こうとしたのを引き留めて、セイラムは『王立軍に協力を要請するなら、軍将校であるキャラハン子爵にリオン伯爵の名前を出すと良い』と伝えた。
そうします、と頷いて今度こそバート警部が駆け出して行ったため、セイラムも帰ることにした。
帰宅後すぐに、セイラムは組合に応援要請をした。狙われるかもしれない貴族たちの護衛&犯人をおびき寄せるから手伝ってほしい、と。
組合はすぐに動いてくれた。リストに乗っていた貴族たち二十数名の元にそれなりに腕の立つ魔術師を二名ずつ派遣してくれたのだ。
そして、セイラムの元にやって来たのはラディウス・ドゥラランドとバスティアン・エルランジェ。五賢者の一人、群青の水君クレメンス・ゴッドフリートの古参の弟子だ。
「やあ、伯爵。久しぶり」
快活とした声を上げたのはラディウスだ。黒髪に淡いグリーンの瞳。外見年齢は二十代前半――セイラムと同年代ぐらい。
「どうも」
言葉少なに会釈したのはバスティアン。茶色の髪に青灰色の瞳。外見年齢はこちらも同じぐらいだ。
二人はほぼ同時期にクレメンスに弟子入りしたらしい。ラディウスの方が数か月早かったため、兄のようにふるまっている。
「ああ、久しぶりだな、二人とも。前にあったのはいつだったか……二年前の夏至祭の時だったか?」
セイラムもにこやかに応じる。
師匠同士の仲は悪いが弟子たちはそうではない。会う機会はなかなかないが、手紙のやり取りはしょっちゅうだ。
「そうだな、それぐらいだな。それで? 今度はどんな危ないことをやるつもりなんだ?」
ラディウスの問いにセイラムは苦笑しながら答える。
「危ないことにならないように組合に応援を要請したんだ。……最近精霊・魔術師否定派の貴族たちが何人も襲撃されているのを知っているか?」
「ああ」
不機嫌そうに頷いたのはバスティアン。
彼は実はとある貴族の分家筋の者だ。彼がまだ幼い頃、魔術が使えるとわかった時、本家の者たちは彼と彼の家族を追放した。それ以来、バスティアンは貴族があまり好きではない。
仏頂面でバスティアンは口を開く。
「聞いている。もう十人近く襲われ負傷したと。同門の者たちはいよいよ平和な時代が終わるかもしれない、と言っている」
平和な時代が終わってしまえば、次にやってくるのはかつてのような魔女狩りが行なわれる混乱と破滅の時代だ。
「そうはさせない。そのために手を貸して欲しいんだ」
セイラムは本題に入った。
「犯人を捕らえるために僕を囮にすることにした。犯人が現れたら捕縛するのに協力してほしい。奴は高位精霊の攻撃からやすやすと逃げたらしい。相当な手練れだ」
「高位精霊?」
ラディウスの怪訝な顔。
「スカーフィア女侯爵の姪のディアーヌ・ロイシー嬢と契約している精霊だ。セント・ルースの海の聖霊に縁があるらしい」
「……なるほど」
高位精霊の攻撃から逃れたとなると、かなり厄介だ。こちらもそれなりに備えておかなければならないだろう。
「わかった。で、囮ってどうするんだ?」
ラディウスの問いにセイラムは答える。
「犯人はロケットペンダントを落としていった。中には女性の肖像画が入っている。犯人にとって大事なものに違いないだろう。それを、僕が預かっているという噂を、今王都警察の警官たちに流してもらっているんだ」
ラディウスとバスティアンは口をあんぐりと開けた。
「いや、それ……」
「お前が危険である以前に、罠丸出しだろうが。引っかかるのか、それに?」
沈黙の後セイラムは頭を抱えた。
「いいアイデアだと思ったんだが、言われてみたら確かに罠丸出しだ……」
そばで話を聞いていたウォルクも今になってようやく気付いた。
セイラムの身を案ずるあまり、気に留めていなかったが、確かにこれは罠丸出しだ。
「……犯人がお前以上の馬鹿であることを祈るしかないな」
ラディウスに重々しく言われてセイラムはがっくりと項垂れた。