垣根の上に立つ 十三
クルーゾー伯爵は東六番地区にあるダルシアク王立病院に入院していた。
病室に入ると、すぐに険のある視線が飛んできた。
「最初に言っておきますが、私は魔術師は信用しません」
年齢は三十代初めくらい。黄土色の髪に灰色がかった緑色の瞳。その頭にも身体のあちこちにも包帯が巻かれている。
「……何故か、と聞いても?」
ああ、またか、と思いながら問い返すと、クルーゾー伯爵は言った。
「最近魔術師による事件が多いでしょう。先日のラブレー男爵が起こした事件と言い、銀翠川の穴事件と言い……セント・ルースの大嵐も魔術師が関わっているという噂を聞きました。とんでもない事件を引き起こすのはいつも魔術師だ。……ええ、これが偏見だということはわかっています。事件を起こすのは魔術師ばかりではない。普通の人間だって悪さはするでしょう。だが、魔術師の方が新聞などでも大きく取り上げられる。事件の大小に関わらず、連日魔術師に関する何かが新聞に掲載されている。何度も言いますが、これは偏見かもしれない。だがそれでも、魔術師に対する不安は大きくなるばかりだ」
セイラムは静かにクルーゾー伯爵の話を聞いた。
「魔術師は得体が知れない。胡散臭い。そして、恐ろしい。だから私は魔術師を信用しない」
きっぱりと言い切ったクルーゾー伯爵に、セイラムは苦笑した。
「手厳しいですね。……事件を起こす魔術師のおかげで、僕もてんてこ舞いですよ」
セイラムがそう答えると、クルーゾー伯爵も困ったように笑った。
「リオン伯爵が忙しそうにしているのは知っています。貴族でありながら魔術を習得したすごい人だというのも知っています。でも、魔術師に対する恐れと言うか……漠然とした不安と言うか…………」
「ええ、簡単には消せないでしょう」
セイラムは頷いた。
「人は自分に理解できないもの、よく知らないものに対して恐れを抱きます。魔術師を恐ろしいというのなら、それは魔術師の事を良く知らないからだと思います。ですが、魔術師のことを良く知ってもらおうと思っても、なかなかそんな機会もなく……」
そうでしょうな、とクルーゾー伯爵も頷いた。
「魔術師は信用しませんが、あなたのことは嫌いではありません。あなたが魔術師と否定派の連中との間を取り持とうとしているのは知っています。それも、無理矢理押し付けるようなやり方ではなく。そこに好感が持てました」
「ありがとうございます」
つまるところ、否定派の者たちも漠然とした恐れから精霊と魔術師を否定しているのだ。
何が恐ろしいのか分からない。だが何かが怖い。
ただそれだけ。
ただそれだけ、が魔女狩りのような災厄を引き起こすのだ。
「時にリオン伯爵」
「何です?」
「あなたは何故魔術師になったのです? 貴族は普通魔術師にはならないでしょう?」
「ああ……」
セイラムは幼き日のことを思い起こした。
物心ついたころから自分が普通ではないことはわかっていた。
火も風も土も、全てが自分の言うことを聞いてくれた。水だけはなかなか言うことを聞いてくれなかったが。
セイラム自身は面白い遊び程度にしか思っていなかったが、セイラムの両親は不安に思っていたようだ。
魔力を制御できずに大怪我をしたら、あるいは人に大怪我をさせたら。
捕らえられてかつての魔女狩りのように火炙りにされたら。
もしそうなったら、自分たちでは息子を助けられない。
セイラムの両親は代々リオン伯爵家と契約している赤の魔女、クリムゾニカ・ケストナーに相談した。
クリムゾニカはセイラムを一目見て、彼が使っているのが魔術ではなく魔法であることに気付いた。
魔法が使える者などこの世には存在しない。少なくともクリムゾニカは知らない。
これは大変なことだ、と、一先ずクリムゾニカは組合に連絡し、セイラムを弟子として一時的に引き取った。
あくまでセイラムが自分の魔力を制御できるまで、という期間限定のもの……のはずだった。
クリムゾニカの元で幼いセイラムは魔術について学び、理解を深めるとともにその神秘さと奥深さにどっぷりと嵌まり……最終的には独自の術式を作り出すほど極めてしまったのだった。
こういった事情を『魔法』のことは抜きで掻い摘んで話すと、クルーゾー伯爵は目を丸くした。
「極めてしまったんですか?」
「ええ、極めてしまったんです」
「それはまた……何故?」
問われてセイラムは寸の間考え、答えた。
「面白かったから、かな。自分の知らないことを知るのが、新たな術式を作り出すのが……世界の理に触れるのが」
魔術師は基本的に研究者であり探究者だ。
セイラムにもその資質があったということなのだろう。
「はあ、なるほど……面白い、ですか。魔術は面白い……」
クルーゾー伯爵はそう呟き、セイラムを見て笑った。
「少しだけ、魔術について興味が湧いてきましたよ、リオン伯爵。とは言え、まだ魔術に対する恐れはなくなりませんが」
セイラムも微笑んだ。
「構いません。少しでも興味を持っていただけて嬉しいです」
話がひと段落したところで、クルーゾー伯爵はセイラムに椅子を勧めた。
「すみません、立ちっぱなしにさせてしまって」
「構いませんよ」
セイラムは椅子に座ると、本題に入った。
「襲われた時のことを教えていただきたいのですが」
ところがクルーゾー伯爵からは何も分からないということが分かった。
「申し訳ない。有益な情報の一つもあればよかったのだが、道を歩いていたら急に頭と背中に強い衝撃を受けて気を失ってしまったもので……」
頭を掻きながら苦笑いするクルーゾー伯爵に、セイラムは少々気落ちしながらも頷いた。
「いえ、気にしないでください。背後から襲われたのであれば、犯人の姿などを見ていないのも当然ですから」
これ以上ここにいても何の情報も得られないだろう。
セイラムはこの件の他の関係者――スカーフィア女侯爵のところに行くことにした。
「クルーゾー伯爵、僕はこれからスカーフィア女侯爵のところに行ってみます。彼女と彼女の姪御さんが犯人の姿を見ているらしいので」
「わかりました。お役に立てず、申し訳ありません。早く犯人が捕まるよう祈っています」
「ありがとうございます」
ダルシアク王立病院を出たセイラムは一度自邸に戻った。
一応スカーフィア侯爵邸に使いを走らせ、女侯爵の予定を確認して訪問の許可を貰い、昼過ぎに侯爵邸を訪ねる。
「まあ、伯爵! お久しぶりです!」
尋ねるとディアーヌがにこやかに出迎えてくれた。
今日の彼女はオリーブグリーンのドレスを着ている。琥珀のような色のリボンが袖口や襟元に結ばれていて可愛らしかった。
「ずっとお会いしたいと思っていたの。でも、何だかんだで四か月も経ってしまって……」
「色々あったからな……僕も、君も。ロイズ王立学院への編入、おめでとう。バレンティア王国のイザベラ王女とも親しくなったとか」
「そうなんです! 急に伯母様に王女殿下の友人になれ、なんて言われて、本当に驚いたのよ!」
怒ったように言いながらも、ディアーヌの顔は笑っている。
「最初は本当に不安だったけれど、王女殿下は優しくて親切で、それに、冗談もお好きなの。とても面白い方だわ」
「そうか。……君が元気そうでよかった」
セイラムがそう言うと、ディアーヌは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「……ありがとう」
母親を殺した者たちの死を契約した精霊に願い、精霊がその願いを叶えた。
このことについて、彼女は後悔していない。そして、驚くほど潔く覚悟を決めている。
潔すぎて逆に恐ろしいが、ディアーヌらしいとも言える。
短い付き合いだが、セイラムはディアーヌの性格がよくわかっていた。
ディアーヌは現在セイラムの監視下にある。
本来ならもっと頻繁に様子を見に来なければならないのだが、如何せんセイラムも忙しい。それに、彼女が問題を起こすことはないだろうと確信している。
ディアーヌの案内で、セイラムはまず事件現場である邸前の通りを確かめた。
はっきりと魔力の残滓が残っている。
片方は鮮やかな青色。これはアエスのものだろう。
もう片方は暗い緑色をしていた。
おそらく犯人のものだ。
現場の確認を終えると客間に通され、温かいお茶と甘い菓子が出された。
「伯母様はすぐに参ります。それまで私がお相手させていただきますわ」
朗らかに言うディアーヌに、紅茶を一口飲んだセイラムは尋ねた。
「先日事件に君も居合わせたと聞いたんだが、何か気付いたことはないかな?」
「ああ、ええ……襲われたのはアルマン・クルーゾー伯爵だと聞きました。怪我の具合は……?」
「今日会ってきたが元気にしていたよ。話もできたし」
「そうですか、よかった」
ほっと息をつくディアーヌに、セイラムはさらに尋ねる。
「犯人の姿を見たとか?」
「ええ、見ましたわ。黒いローブを纏った男でした。年齢まではわかりませんでしたが」
「そうか……」
「ボルツの術式、というのを使っていました。あと、イザベラ王女殿下の護衛にミラグロス・パラシオスという少女がいるんですけど、彼女の実家のパラシオス家に何か因縁があるようでした」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
いきなりぽんぽんと情報が出てきてセイラムは慌てた。
「ボルツの術式は聞いたことがないな……後で調べよう。パラシオス家は確かバレンティア王国の名門貴族だが王家の命で暗殺などを請け負っている、いわば闇の一族だ。三百年前の魔女狩りの際には異端審問もやっていたとか」
セイラムの言葉にディアーヌはミラグロスの顔を思い浮かべた。
黒い巻き毛に黒い瞳。イザベラ王女と背格好がよく似ているのは、いざという時身代わりになるためだろう。
彼女は影なのだ。
おそらく。
王家の。
「パラシオス家と因縁……これは組合でも分からないだろうな。パラシオス家に問い合わせても――どうだろうな」
魔術師は見た目通りの年齢ではないことが多い。パラシオス家と因縁があったとしても、昨日今日の話ではないだろう。当事者がもうこの世にいない可能性もあるし、たかが魔術師との因縁など、いちいち記録に残していないかもしれない。
「駄目元で書簡を送ってみるか……」
そう独り言ちた時、ディアーヌが思い出したように口を開いた。
「あの男、ロケットペンダントを落としていったわ」
「何だって?」
セイラムは顔を上げてディアーヌを見る。
「ロケットペンダントです。小さな楕円形で、金でできていて、唐草模様が彫刻されていました。中には黒髪の女性の肖像画が。女性はたぶんバレンティア人です。あの国の特徴がありましたから」
バレンティア人は黒髪に黒い瞳の者が多く、肌の色もルビロ人より濃い色をしている。
ちなみに、性格は陽気で明るい者が多い。
「バレンティアか……。そのロケットペンダントは?」
「王都警察のバート警部に渡しました」
「そうか、後でバート警部に見せてもらうよ」
ありがとう、とディアーヌに礼を言った時、スカーフィア女侯爵が姿を現した。
彼女の今日のドレスは黒だ。だが、袖口とスカートの裾とバッスル部分に、黒地に花柄の入った布が使われていて、喪服ではないことが分かる。
「遅くなりましたわ、ごめんなさいね」
「いえ、女侯爵。そんなに待っていませんし、ディアーヌ嬢が相手をしてくれましたから」
「まあ、ディアーヌはちゃんとおもてなしできましたかしら?」
「ええ」
女侯爵も席に着く。
「先日の、クルーゾー伯爵がうちの前で襲われた件でしたわね?」
「ええ、そうです。今ディアーヌ嬢から色々聞いていたところです」
「まあ、ならいいわね。あの件に関してはわたくしよりもディアーヌの方が詳しいのよ。何せ、叫び声が聞こえた途端に飛び出して行って、犯人とも睨み合ったらしいから」
言いながらディアーヌを軽く睨む女侯爵。危ないことをするな、とその顔は言っている。心配しているのだ。
肩を竦めながら、ディアーヌは唇を少し尖らせた。
「アエスもいるし、大丈夫だと思ったの。ごめんなさい、伯母様」
「結果大丈夫だったけど……あなたは普通の娘なのよ、今後気を付けなさい」
「はい」
殊勝に返事をしたディアーヌだったが、セイラムは見抜いていた。
同じ状況になったら、たぶん、またやるだろう。
「ディアーヌ嬢、もしよければアエスにも話を聞きたいのだが」
そう言った途端、す、と音もなくアエスが姿を現したため、セイラムはびくりと肩を震わせた。