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天秤とウィッチクラフト  作者: 藤原渉
54/71

垣根の上に立つ 十

「それで、今後はどうするの? 新しい婚約とか、恋人を作ったりとか」


 ディアーヌの問いかけにエルシーは苦笑した。


「当分婚約なんてしないわ。こんな目に遭ったのだもの、お父様にも相手は慎重に選ぶようにとお願いしておいたわ」

「賢明ね」


 イザベラ王女がくすりと笑う。

 少女たちのお喋りは続く。

 紅茶とお菓子を何度かおかわりし、イザベラ王女の従者であるフィデル・ガルシアとミラグロス・パラシオスを引っ張り込んで会話に参加させ、そろそろ日が傾いてきた頃。


「殿下、そろそろ……」


 ミラグロスに懐中時計を見せられたイザベラ王女は残念そうに眉を下げた。


「あら、もうこんな時間なの」

「まあ、では今日はここらでお開きにしましょうか」


 ディアーヌは立ち上がる。


「そうね、次は我が家に招待させてくださいな」


 にこにことエルシーが言うと、イザベラ王女も笑顔で頷いた。


「ええ、是非呼んで頂戴。楽しみにしているわ」


 帰る支度をしようと邸内に戻ろうとした時。


「うわあぁぁぁ!!」


 突如外から男の悲鳴がした。

 すぐさま侯爵邸の従僕が数名駆け出していく。


「私も見てくるわ、殿下とエルシーはここで待ってて!」


 そう言って二人の返事も聞かず、ディアーヌは駆け出した。そばにはいつの間にかアエスがついている。

 普段は姿を消しつつディアーヌのそばにいる海の高位精霊アエス。

 その辺の魔術師よりも魔力が強く、頼りになる存在だ。

 門から外に出た途端、アエスの背中に前を塞がれた。


「ちょっと、何なの……」


 文句を言いかけたその時、ディアーヌのすぐ脇を鋭い風が通り抜ける。

 髪が幾筋か持っていかれたのを感じ、背筋がひやりとした。

 アエスの背中越しに、倒れ伏している従僕たちとさらに前方で倒れ込んでいる男性、そのすぐそばに立つ黒いローブを着た男をディアーヌは見た。

 倒れている男たちの身体の下には赤いものが見える。

 血だ。


「っ、アエスッ」


 上げかけた悲鳴を飲み込んでアエスを呼ぶ。

 片眼鏡(モノクル)を着けたアエスの瞳が青く光る。

 アエスは魔力を込めた水の礫をいくつも作り出し、ローブの男に向かって投げた。

 向かってくる水の礫に気付いた男は、右手の杖をひと振りし、いとも簡単に防ぐ。


「やはり魔術師か」


 アエスは呟くと、先ほどよりも大きな水の塊を作り出す。


「精霊か、高位のようだな」


 男の静かな声が聞こえた。被ったフードの下の目がディアーヌを視る。


「娘、お前、精霊憑きか?」


 ディアーヌは険しい顔で肯定した。


「だったら何だって言うの」


 男はわずかに笑い、杖を構える。


「いや、何も」


 アエスが水の塊に魔力を込めた。水塊は豪速で男に向かう。


「何の」


 これしき、と言いかけた声は男の頭上から降り注いだ大量の水にかき消された。


「え!?」


 ディアーヌも驚く。

 アエスは誰にも気付かれないよう、遥か上空でもう一つ水塊を作っていたのだ。

 頭上と正面から水に押しつぶされた男は地面に伏していたが、すぐに起き上がると首をひと振りして意識をはっきりさせ、ディアーヌとアエスを鋭く睨んだ。

 売られた喧嘩は買う主義のディアーヌも睨み返す。

 睨み合うこと数秒。


「ディアーヌ! 今の音は一体何なの!?」


 イザベラ王女の声と気配が近づいてくる。


「来てはいけません! 危険です!」


 ディアーヌが叫び返すが、イザベラ王女は門から出てきてしまった。ミラグロスとフィデルが王女の前後にぴたりとついている。

 さらに後ろからエルシーと、騒ぎを聞きつけたのかシンシアも飛び出してきた。


「ディアーヌ!?」


 伯母の叫び声。

 不審な男と倒れている者たちを見たフィデルとミラグロスが一瞬で臨戦態勢を取る。

 フィデルは腰のホルスターから三十センチメートルほどの金属製の棒をいくつか取り出し、連結させて一本の棒にした。

 ミラグロスは袖口から鋭いナイフやダガーを何本も取り出し構える。

 男は面白そうに口角を上げた。


「その暗器、その構え、パラシオス家に伝わるものだな。小娘、お前、パラシオス家の者か?」


 ミラグロスは怪訝そうに眉間にしわを寄せた。


「如何にも、私はパラシオス家の娘だ」

「では、後ろにいるのはグラナディア王家の姫君か?」


 その言葉に全員が警戒を強めた。王女にもしものことがあれば……


「安心しろ。グラナディア王家に遺恨はない」


 男が薄く微笑みながら言った。


「パラシオス家には大いにあるがな!」


 怒鳴りながら杖を振る。水晶の飾りの付いた黒檀の杖だ。


「ボルツの術式第百七十一番、『駆け抜けろ! 吹き荒べ! 我が黒き復讐の風』!」


 途端、可視化された黒い風が襲い掛かってくる。

 すかさずアエスが防御したため、怪我人はいなかった。

 だがこの隙に男は転移の魔法円を起動した。


「なっ、待ちなさい!」


 叫んだディアーヌを嘲笑うかのように、男は呪文を詠唱した。


「ゲオルギウスの術式第五十二番、附則百三十三番併用、『分かたれた空間を繋ぐ四つの円と風の糸、風が向かうは秘匿されたる深き森、天を流れる流星の如く我らを疾く運び迎え入れよ』!」


 魔法円は輝きを増し、男を飲み込んで一つの光の球体となる。

 ひと塊の光は数秒だけその場に留まり、次の瞬間流星のように飛び去った。

 向かった方角は南西。

 妨害する間もなく、追跡も間に合わず、男は逃げ去ってしまった。


「いったい何者なの?」


 ディアーヌは呆然としながら呟く。


「ディアーヌ? その人は誰なの?」


 驚いた顔のイザベラ王女が尋ねてきた。エルシーもこちらを見ている。


「あ……、その、彼は私と契約している精霊です」

「精霊? あなた、精霊と契約しているの?」

「ええ……、はい」


 このことはイザベラ王女にもエルシーにも言っていなかった。言う必要はないと思ったので。

 精霊との契約者を精霊憑きとも言う。

 あまりいい意味の言葉ではない。

 もとより魔術師や精霊に関わりのある者は敬遠されるものだ。だからディアーヌは精霊と契約していることを伯母や従弟たち、スカーフィア侯爵邸の一部の使用人以外には言っていなかった。

 イザベラ王女とエルシーの反応はどうだろう。


 二人はまじまじとディアーヌを見つめていた。その目は好奇心に輝いている。悪い感じはしないことにディアーヌはほっとした。


 倒れている男性と従僕たちをスカーフィア侯爵邸の使用人たちがすぐに救護しにかかった。先ほどのアエスの攻撃の影響で怪我人たちは全員びしょ濡れだ。

 イザベラ王女とエルシーは女侯爵に促され、スカーフィア侯爵邸内に戻った。


 ふと、ディアーヌは水たまりの中に何かが落ちていることに気付く。

 拾い上げると、それはロケットペンダントだった。

 唐草模様が彫刻された小さな金の楕円のロケット。

 繊細な金の鎖。

 ロケットの中には美しい黒髪の女性の肖像画が入っていた。

 顔立ちから察するに、バレンティア人のようだ。


「アエス、ねえ、これ」


 アエスは難しい顔をした。


「あの男の持ち物だろう。警察に渡した方がいい。おそらくこの件、リオン伯爵が担当することになるだろう。これはあの男の手がかりになる」

「わかったわ」


 ディアーヌは頷いた。

 間もなく馬車が用意され、怪我人は速やかに病院へと運ばれて行った。入れ違いに王都警察本部からバート警部と彼の部下たちがやって来た。

 ディアーヌは恰幅が良く洒落者のバート警部に拾ったロケットペンダントを渡し、何があったのかを説明した。


「おそらく、六月ごろから起きている連続襲撃事件と関係があるでしょう。犯人が何者なのか、まったく掴めておりませんでしたが、ようやく手掛かりらしいものが……しかし、また

魔術師か……」

「確か、六月に東二番地区で準男爵サー・マーカス・フォールが襲われましたわね」


 ディアーヌの横からシンシアが口を挟む。


「ええ、その通りです。サー・マーカスの証言では、犯人は黒いローブを纏っていた、と。魔術師だとは言っていませんでした。後ろから襲われ気が付いたら負傷していたそうで、犯人の手口などは不明でした」

「サー・マーカスは精霊・魔術師否定派だそうですわ。犯人は魔術師じゃないかって同じく否定派の者たちが騒いでいましたけど」

「ええ、そういう話が出ていることも把握しております。ですが鵜吞みにすることはできないため、こちらとしては慎重に捜査を進めておりまして……結果後手に回ってしまいましたが……」


 額の汗をぬぐいながらバート警部が言いにくそうにする。

 六月からこちら、すでに十名ほどの被害者が出ているそうだが、未だに犯人を捕らえられずにいるそうだ。

 ラブレーの件もあったが、それにしたって進捗が無さすぎる。


「とにかく、犯人が魔術師らしいということが分かりました。正式に組合(ギルド)に捜査協力を依頼いたします!」


 バート警部は勢いよく宣言し、部下にいくつかの指示を出して、組合(ギルド)に連絡を取るために王都警察本部に戻っていった。

 バート警部の部下のスパイサー刑事に細々としたことを聞かれ、それに答え、事情聴取が終わって解放されたディアーヌは邸内に戻った。

 すぐに執事が温かい紅茶を用意してくれる。

 イザベラ王女とエルシーは、ディアーヌが事情聴取を受けている間に、周辺の安全が確認されたうえでそれぞれの住まいに帰っていった。


 紅茶を飲みながらディアーヌは思案する。

 あの男は何者なのか。

 なぜ人を襲ったのか。

 本当に連続襲撃事件の犯人なのか。

 目的は一体何なのか。

 パラシオス家とどんな因縁があるのか。

 一人で考えても答えなど出てこない。


――リオン伯爵を訪ねてみようか。ちょうど手紙にも近々会いたいと書いたし。


 ディアーヌは一人で頷いた。


      ***


 セイラムは北部のアルデリカ銀鉱に来ていた。

 ここはスミス商会という主に金や銀を取り扱う貿易会社が経営している銀鉱で、ここで働く職員らもスミス商会から派遣されてきた社員たちだ。


 ここの正式な所有者はラブレー男爵家だった。さほど大きくない所領の一部がこの銀鉱で、男爵家はここの経営をスミス商会にすべて任せており、利益の何割かを納めさせていた。

 だが、当主であるガスパール・ラブレー男爵は王都で起きた連続殺人事件の犯人で、異例の速さで死刑が執行されたため、逮捕からまだ数ヶ月しか経っていないがもうこの世にいない。

 この逮捕劇に深く関わっていたのが他ならぬセイラムだった。


 ラブレー男爵の逮捕により爵位が剥奪された時に、アルデリカ銀鉱は一旦国王が接収したのだが、事件解決の功績により、報奨としてセイラムに下賜されたのだ。

 銀鉱が貰えるとわかった時は少し心躍ったのだが、銀鉱で行なわれているある特殊な事業――労役刑を科せられた囚人たちの労働――も引き継がねばならないとわかり、すぐに気分は下降した。


――万が一囚人が脱走した時の責任は? 僕ですか!? 僕が責任を取らねばならないんですか!?


 その責任は主に現場監督者にあり、セイラムが責任を取らねばならない時はまずないであろうことや、基本的に事業については触れなくてもいいこと、ただ、鉱山主であるためたまには視察してほしいことを国王自らセイラムに丁寧に説明してくれたので、半分強憂鬱ではあるがセイラムはこの銀鉱を譲り受けることに同意した。

 まあ、あまり王領を増やすと色んなところが煩いから、褒美という口実の元、体よくセイラムに押し付けたのだろう。素直に喜べない。


 近いうちに銀鉱の周囲に、囚人の脱走を防ぐための結界を張り巡らせようと、セイラムは決意していた。


 所有権が正式にセイラムに譲渡されたのが九月の初め。その後何かと仕事が立て込み、一か月近く経ってからようやく視察に訪れることができたのだ。

 到着すると責任者のいる事務所に案内された。

 鉱山の入り口から二百メートルほど離れたところに建つ煉瓦造りの建物。

 事務的な作業を行なう事務所でもあり、社員や労働者たちが居住する寮でもある。

 労役刑に科せられた囚人たちはこの近くにある刑務所から毎日通ってきているらしい。

 ちなみに、労働者と囚人たちの作業場は分けられている。囚人が労働者の中に紛れ込んで逃亡するのを防ぐためだ。


 事務所は簡素な造りで、実用的な家具が置かれていた。机、椅子、キャビネット、来客用のソファセット。部屋の片隅に置かれた鳥籠に入った黄色いカナリヤ。それぐらいだ。

 セイラムはソファに座り、目の前にいるアルデリカ銀鉱の総責任者、ジルバーシュタインと話していた。


 ジルバーシュタインは灰色の髪と髭と目を持つ、厳めしい風貌の厳格そうな男だ。歳は五十歳。

 今まで一人の逃亡者も出したことがないのが自慢だそうだが、銀鉱の以前の所有者であるラブレーがあまり銀鉱に関心を持っていなかったことが不満だそうで、セイラムにはせめて年に一度は視察に来て欲しいとそう願い出た。


「それは別に構わないが……ラブレーはここを、その、ほったらかしにしていたのか?」

「ええ、そう言っても過言ではありません。ラブレー元男爵がここに来たのは片手で数えるほどで……ここ数年は全くです。手紙の返事も帰って来ず……」

「それでは何か不測の事態が起こった時に困っただろう?」

「幸い、この数年はいたって平和でしたので。ですが、今後もそうとは限りません。伯爵、突然のことで申し訳ありませんが、万が一何かありましたら……」

「わかっている。ここを引き受けた時に腹はくくった」

「よろしくお願いいたします。なに、ここで起きる大抵のことの責任は私が取ります。伯爵には私ではどうしようもならない事態が起きた時にお出ましいただくことになりますが、そんな事態は早々起こりませんし起こさせませんので、どうかご安心を」

「ああ、よろしく頼む」


 銀鉱の説明を受け、実際に坑道を見学する。鉱脈に沿って掘り進められた坑道は、暗くて圧迫感があった。

 労働者たちの様子、労働環境、そして囚人たちの様子を見学し、再び事務所に戻った。


 狭く息苦しさを感じる坑道から出て解放感に一息つき、出されたお茶で喉を潤す。

 お茶を飲み干すとセイラムはその場を辞して帰途についた。

 魔術師としてではなく貴族として動いているため、行きも帰りも馬車と列車だ。

 アルデリカの駅前にあるホテルで一泊し、翌朝列車でコルレクス駅を目指す。


 列車に揺られながらセイラムはふと思い出した。

 亡きガスパール・ラブレー元男爵の遺品である指輪のことを。

 ラブレーがセイラムの館を襲撃した時に落としていったもので、紅玉(ルビー)が付いた美しいものだ。

 ラブレーに返すのを忘れているうちに、彼の死刑は執行されてしまった。

 後の祭りだ。ラブレーには悪いことをした。


 少し考え、セイラムはスキアに渡すことを思いつく。

 スキア。

 ガスパール・ラブレーの親友。

 中位の精霊で性別は男寄りだが女性の姿をした不思議な精霊。

 今はセイラムの元にいて、リオン伯爵邸の地下書庫の管理人を務めている。

 彼にこの指輪を託そう。それならラブレーも文句は言わないだろう。

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