垣根の上に立つ 七
「この無礼者! 王女殿下にお茶を淹れさせるとは無礼にもほどがある! いったいどうやって貴様らのような者たちが王女殿下に取り入ったのだ!?」
いきなり大声で怒鳴りつけられ、ディアーヌたちは唖然とした。どう考えてもジョゼフの方が無礼だ。
しかも、大勢がいる食堂で。
周りの迷惑を顧みない行為に、イザベラ王女は眉間にしわを寄せた。
「取り入った、だなんて、失礼なことを言わないでくださるかしら?」
ディアーヌが立ち上がり、腕を胸の前で組んでジョゼフに向き合った。ジョゼフはディアーヌを睨みつけたが、生憎睨まれたぐらいでディアーヌが怯むことはない。筋肉ゴリゴリで背中一面に刺青が入っている怖そうな海の男と睨み合ったこともあるのだ。
「私たちは外務大臣であるスカーフィア女侯爵――私の伯母様に、イザベラ王女殿下の友人に推薦されたのよ。国王陛下もお認めになっているわ。異議があるのなら国王陛下に申し上げてはいかが?」
「……何だと?」
「それに、お茶は王女殿下が自ら淹れに行ってくださったのよ。失礼な言葉で王女殿下の厚意を汚さないでちょうだい」
毅然と言い返すディアーヌに、居合わせた者たちは感心した。堂々とした態度、姿勢、見た目だけではない内面から醸し出される凛とした美しさ。
まさに高位貴族の令嬢に相応しい。
ふと、ディアーヌと目が合ったアリーシャ・モランがわざとらしい仕草でジョゼフにすり寄った。
「何だ、どうした、アリーシャ?」
「怖いの、ジョゼフ……あのロイシーとか言う人が睨んでくるの……」
涙目で見上げ、身体……特に胸を押し付けてくるアリーシャに、ジョゼフは内心鼻の下を伸ばし、すぐにキリッとした顔でアリーシャに微笑みかけ、ディアーヌを睨みつけた。
「貴様……庶民の分際でアリーシャを傷つけるとは、覚悟はできているのだろうな?」
庶民と言われたことに内心引っかかりを覚えながら、ディアーヌは口を開く。
「覚悟も何も、こっちは何もしてないでしょ」
呆れながらディアーヌがそう返すと、ジョゼフは『黙れッ』と喚いた。
「アリーシャを脅すなど、未来の国王として、貴様らの無礼を許すわけにはいかん!」
その言葉に食堂にいた誰もがポカンとなった。
未来の国王。
それはジョゼフではない。絶対に。
現国王ハンス二世には息子が二人いる。長男のルイ・シゼル・エドワール王太子と、次男のルーファス・フィンレイ・フェリックス王子だ。
この二人の王子にもしものことがあったとしても、ジョゼフに王位継承権が回ってくることはない。ランベール伯爵は臣籍降下するにあたり王位継承権を返上している。
それに、ランベール伯爵より継承順位が上の元王族の貴族は他にもいるのだ。
「あなた……馬鹿なの?」
ディアーヌが呆れてそう零すと、ジョゼフは激怒し喚き散らした。
「なっ何だと、無礼者!! 王女殿下、お聞きになりましたか、今の暴言を!? こんなやつら、殿下の友人には相応しくありません! 私の方が礼儀も弁えておりますし、何より王家の血を引いているのです! 今からでも遅くはありません、こいつらとは縁をお切りになった方がよろしいかと!!」
鬼の首を取ったように自分をアピールするジョゼフ。アリーシャもそれに便乗する。
「そうですよ、王女様! こんな人たち王女様のお友達に相応しくありません! 私の方が可愛いし、礼儀正しいし、王女様の友達に相応しいと思います! さあ、あっちで私やジョゼフと一緒に楽しくお喋りしましょう!」
イザベラ王女は不機嫌を隠さずに言葉を返した。
「あなたたちの方が礼儀を弁えている? どこが? わたくしの友人たちをここまで貶しておいて、よくも言えたわね。それに、公共の場で周りも見ずに大声を出して騒ぎ立てて……全く礼儀がなっていないじゃない。恥を知りなさい」
静かな声で言い返され、ジョゼフとアリーシャは怯んだ。が、すぐに攻撃の矛先をイザベラ王女の後ろにいるミラグロスに向ける。
「きっ貴様、庶民の分際で、貴様がお茶を淹れに行かないから俺が誤解する羽目になったではないか! 責任を取れ!」
ミラグロスは無表情のまま氷のような視線をジョゼフとアリーシャに向けている。
付き合いの長いフィデルには、ミラグロスが怒髪天を衝く勢いで激怒しているのがわかった。
「ミラに手を出させないでくれ」
「え?」
隣でそう言ったフィデルに、ディアーヌは聞き返した。
「どういう意味?」
「彼女は暗器の使い手だ。おまけに、加減することが苦手なんだ」
「あらまあ……大変」
下手をすると死人が出るかもしれない事実を示唆するフィデルに、エルシーは口を覆った。
「あなたの発言には誤りがあります」
硬い声音でミラグロスが言った。
「誤りだと!? 何が間違っているというのだ!?」
居丈高に言うジョゼフに、ミラグロスは顔をしかめながら言った。
「私の実家パラシオス家はバレンティア王国で五百年続く名門貴族家で、現在侯爵位を賜っています。つまり、私は侯爵令嬢なのです」
これにはディアーヌとエルシーも驚いた。イザベラ王女の護衛をやっているぐらいだから、平民ではないにしろ下位貴族か騎士の家系なのかと思っていたが、予想以上に高位だったのだ。
ジョゼフは唇を戦慄かせた。
庶民だと思っていた相手が実は自分よりも高位の存在だったのだ。挽回しようと周りを見渡し、ディアーヌたちと一緒にいるフィデルに目を留めた。彼も庶民、または下位貴族のようだ。
だが、フィデルはジョゼフよりも背が高く、立ち居振る舞いも堂々としている。体格もしっかりしており、武芸にも秀でている様子だ。
そして、ジョゼフは運動があまり得意ではない。剣術や乗馬は男性貴族に必要なスキルなので身につけたが、それだけだ。人並みかそれ以下の腕前しかない。
フィデルに喧嘩を売ることは止そう。
ジョゼフの勘は正しかった。
ガルシア家は代々武官の家系で、フィデルも武芸に秀でており、同い年ということもあってイザベラ王女の護衛に抜擢されたのだ。
アリーシャはアリーシャで、美形のフィデルに目を奪われていた。彼女は元々美形に目がないのだ。
ジョゼフはそれも面白くなかった。何故か自分が劣勢に追い込まれているのも面白くないし、イザベラ王女が何故か自分を蔑むような眼で見てくることも面白くなかった。
ジョゼフは再びディアーヌに嚙みついた。
「き、貴様! いったいどんな手を使って女侯爵に取り入ったのだ!? でなければ庶民が侯爵令嬢になれるわけがない!」
「ジョゼフの言う通りだわ。きっと何か嘘をついて女侯爵を騙しているのよ。早く女侯爵に真実を教えて、目を覚まさせてあげないと!」
アリーシャが真剣そうな顔で言う。だが、ディアーヌたちからは見えていた。アリーシャがジョゼフには見えないような角度でにやりと笑ったのを。
ディアーヌは深い溜息をついた。
「私が元平民なのは事実だけど、スカーフィア侯爵家の血を引いているのも事実。でなければ伯母様は私を引き取ったりなさらなかったわ。取り入った、だなんて失礼なことを言わないで」
治安の悪い港の下町での喧嘩で鍛えた鋭い目つきと、上品な口調ながらどすの効いた声で、ディアーヌは静かにジョゼフに言い返した。ジョゼフはディアーヌの反論に一瞬怯んだが、すぐに大声で喚き散らす。
「嘘をつけ! どうせ汚い手を使ったか何かで女侯爵を騙しているのだろう! どんな手を使ったか言ってみろ! どうせ可哀想な乞食のふりでもして女侯爵の同情を誘ったのだろう! 貴族を騙し取り入るとは、さすがは庶民。姑息だな!」
ディアーヌは深い溜息をついた。
「このままいくとあなたたちの将来はお先真っ暗ね。ランベール伯爵家、モラン男爵家とは距離を置くように伯母様に言っておくわ」
ため息交じりにディアーヌがそう言うと、イザベラ王女以下居合わせた者たちも全員頷いた。エルシーの頷きが一番力強い気がする。
「何だと? 庶民の分際で貴族を陥れ、更に無礼な振る舞いをするとは、もう我慢ならん! スカーフィア侯爵家に正式に抗議させてもらうからな! 貴様は今日限りでこの学院から去ることになるだろう! 覚悟しておけ!」
唾を飛ばす勢いで怒鳴るジョゼフに、ディアーヌは心の中で中指を立てた。
「では私も正式に抗議させていただきますわ……スカーフィア侯爵家からランベール伯爵家に。それとモラン男爵家にも」
言いながらディアーヌが目の前の阿保共の顔をゆっくり見渡すと、アリーシャは身じろいだ。さすがにまずいと思ったのだろうか。
「ふん、できるものならな!」
強気の姿勢を崩さないジョゼフ。
そこに、じっと黙って推移を見守っていたイザベラ王女が口を挟んできた。
「では、私もランベール伯爵家とモラン男爵家に抗議させていただくわ。私の大事な友人たちを侮辱されたのですもの」
イザベラ王女の言葉にディアーヌは内心焦った。思ったよりも大事になりそうだったからだ。
それはジョゼフとアリーシャも同じようだった。
途端に二人は焦りだし、何とか自分の名誉を挽回しようとイザベラ王女に愛想笑いで話しかける。
「お、王女殿下、殿下があいつらのためにそこまでなさらずとも……それに、私は次期国王なんですよ!?」
「そうですよ、王女様! だから抗議だなんて……」
イザベラ王女は冷たく硬い表情でジョゼフたちの言葉を聞き流し、ディアーヌに話しかけた。
「放課後、スカーフィア女侯爵と話がしたいのだけれど」
「あ、はい。伯母に連絡しておきます」
用件はもちろん、この件だろう。外交問題にもなりかねない案件だし、他国の王女がこの国の貴族に抗議するのだ。外務大臣であるスカーフィア女侯爵にまず話をするのは当然と言える。
ジョゼフは本格的に焦りだし、今度はエルシーを睨みつけた。
「エルシー・アークレー! お、お前が王女殿下に在らぬことを吹き込んだんだな! でなければこの俺が、こんな目に遭うなど考えられん! それに、俺とアリーシャへの無礼の数々、膝をついて謝罪しろ!!」
突然暴言を浴びせられてエルシーは肩を震わせた。
「あなた、エルシーが何をしたと言うの?」
イザベラ王女が問うと、ジョゼフはせせら笑った。
「王女殿下、お聞きください! エルシーは私とアリーシャの双方に迷惑をかけているのです! エルシーの我儘のせいで私は彼女との望まぬ婚約を強制され、人生に絶望していた。それを救い希望を与えてくれたのがアリーシャだったのです! ですがエルシーはそれが気に入らないらしく、度々アリーシャに嫌がらせをしている! 私にも裕福な実家の力を使って圧力をかけてくるのです! こんな女を到底許すことはできない! エルシー、それにそこの庶民! お前たち二人とも、まとめて貴族社会から追放してやるからな!」
イザベラ王女に話しかけられたことで彼女を味方につけたと勘違いし、ジョゼフは堂々と嘘八百を述べ、エルシーとディアーヌを指差し、暴言を吐いた。
「そうだ、今回の件、お前たちにどう償ってもらうか考えたぞ」
にやにや笑いながらジョゼフはものすごく戯けたことを言い出した。
「エルシー! 俺に迷惑をかけ苦しめた罰として、お前の家の財産を全てランベール伯爵家に譲渡してもらおう。後で文書をお前の父親に送り付けてやるからな! それから……」
ジョゼフはディアーヌを見るとにやりと笑った。
「そこの庶民! お前はアリーシャに対して無礼な振る舞いをし、アリーシャを傷つけた! その罰としてこの学院からの追放と南一番地区での労働を命じる!」
南一番地区。
貧民街と花街が広がる地区だ。
そこでの労働ということは必然的に娼館で娼婦になれ、と言っているのと同義だ。
ジョゼフの発言に周りがざわつく。
伯爵令息が格上の侯爵令嬢に娼婦になれなどと言ったのだ。
この後の展開が気になるのか、怖いもの見たさで他の生徒たちは足を止めた。
ディアーヌは表情を崩さずその場に立っている。
その立ち姿からは彼女が平民であったことなど全く感じられなかった。実に堂々とした、侯爵令嬢の風格しか感じられなかった。
「王女殿下、さあ、こんな者たちのことは放っておいて、我々と共に来てください! こいつらに騙されてはなりません!」
笑顔で手を差し伸べるジョゼフを無視して、イザベラ王女は不機嫌そうに首を振った。
「誰が行くものですか。あなたたち、覚悟なさい。友人たちをここまで侮辱されて、私が怒らないとでも思ったの?」
その厳しい声、表情。威厳のある姿にジョゼフとアリーシャは顔を青くした。