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天秤とウィッチクラフト  作者: 藤原渉
49/71

垣根の上に立つ 六

 週明けの日の朝。


 ディアーヌとエルシーは他の教師たちと共に正門前に並んでいた。

 イザベラ王女を出迎えるためだ。

 誰もが緊張の面持ちで待っていると、グラナディア王家の紋章――豊穣の角の紋章が扉にあしらわれた金装飾と黒塗りの馬車がやって来た。

 馬車はぴったり正門の前で止まる。

 すかさず御者が降り扉を開けると、中からイザベラ王女が優雅に現れた。


 ディアーヌたちと同じ黒い制服。違うのは上着の襟に小さな豊穣の角のブローチを付けているところぐらいだろう。

 金の角から零れ落ちる色とりどりの宝石の粒。小さいものながら造りは精巧で、一級品だと見ただけで分かる。


 馬車の中からは護衛と思しき少年と少女がともに姿を現す。二人ともイザベラ王女と同じ年ごろで、学院の制服を着用していた。

 少年は背が高く濃い茶色の髪に濃い青色の瞳、少女はイザベラ王女に背格好がそっくりで、黒い巻き毛に黒い瞳をしている。


 イザベラ王女はアンドレアス・クリューゲル学院長の前に立つと優雅に会釈をした。少年と少女はその後ろに立ち王女よりも深く頭を下げる。


「おはようございます、学院長先生。今日からお世話になります」

「おはようございます、イザベラ王女殿下。ようこそ、ロイズ王立学院へ。我ら教職員一同、殿下の留学を歓迎いたします。殿下の学院生活が実り多いものとなるよう祈っております」


 白い髪に白い髭、灰色の目に丸い眼鏡。恰幅の良い体格のクリューゲル学院長がにこやかに挨拶をして、早速王女を学院内に案内しようとした。

 歩みだしかけたイザベラ王女は、立ち並んでいる教師たちの中にディアーヌとエルシーがいるのに気付くと、立ち止まって手招いた。


「ディアーヌ、エルシー」


 呼ばれた二人は前に出てカーテシーをする。


「おはようございます、イザベラ王女殿下」

「おはようございます」

「おはよう、二人とも。こちらに来てちょうだいな。一緒に行きましょう」


 誘われるがまま、ディアーヌとエルシーはイザベラ王女に駆け寄り、王女の半歩後ろに着く。

 そのさらに後ろに護衛の少年と少女たち。


「おお、ロイシー嬢にアークレー子爵令嬢。イザベラ王女の学友に選ばれたのだったね」

「はい、学院長先生」


 ディアーヌが返事をすると、学院長は笑みを深めた。


「うむ、頼んだぞ、しっかりと励みなさい」


 そのまま学院長の先導で校舎の正面玄関に向かった。


「先日鈴蘭宮で会って以来ね、二人とも。元気にしていたかしら?」


 イザベラ王女はディアーヌとエルシーに朗らかに問いかける。


「ええ、変わりはございませんわ」

「王女殿下はいかがお過ごしでしたか?」


 エルシーの問いかけにイザベラ王女も笑顔で答えた。


「変わりないわ。……夕べは楽しみでなかなか寝付けなかったの。内緒よ」


 悪戯っぽく笑うイザベラ王女に、二人も笑みを返す。


「ああ、二人に紹介しておくわ」


 イザベラ王女は後ろを振り返った。


「その二人は私の護衛よ。男の方はフィデル・ガルシア。女の方はミラグロス・パラシオス。父の命令で私についてくれているの」


 イザベラ王女に名前を呼ばれた二人、フィデルとミラグロスは軽く会釈した。ディアーヌとエルシーも会釈を返す。


「先日鈴蘭宮で紹介できれば良かったのだけど。二人は他にやらなければいけないことがあったから」

「そうだったのですね」


 ディアーヌは頷く。護衛なのになぜあの時いなかったのか? と思ったのだがその疑問は瞬時に解決した。

 イザベラ王女は五年生のBクラスに入ることになっている。このためBクラスの教室の前までディアーヌたちは同行した。


「イザベラ王女殿下、我々は隣のCクラスですので、休憩時間にまた会いましょう」


 エルシーがそう言うと、イザベラ王女は微笑んで返事をした。


「ええ、ここまで一緒に来てくれてありがとう。休憩時間にまた」


 そう言うと、スタスタとBクラスの教室に入っていった。

 王女の後に護衛の二人が続く。この二人もBクラスに編入したらしい。

 それを見届けてクリューゲル学院長と他の教師らは来た道をぞろぞろと引き揚げていった。

 Bクラスの担任教師のみ教室に入っていく。

 ディアーヌとエルシーもCクラスの教室に入った。


 Cクラスはざわついていた。なんせ一国の王女が隣のクラスに留学してきたのだ。ずいぶん前から知らされていたことだが、いざその時になってみるとやはりみんな興奮を隠せないようだ。

 ディアーヌとエルシーは教室に入ってすぐに他のクラスメイト達に捕まった。王女と一緒に来たからだ。王女の学友になったことは他の生徒達には知らされていなかった。


「エルシー、どうしてあなたたちイザベラ王女と一緒に来たの?」

「ディアーヌもよ。どういうことなの?」


 すぐにCクラスの担任教師が入ってきて教室内は静かになったが、次の休憩時間はまた騒がしくなるだろう。

 クラスメイト達に捕まる前に教室から脱出することをディアーヌとエルシーは決意した。


      ***


 一限目終了のベルが鳴ると同時に、ディアーヌとエルシーは教室からの脱出に成功した。

 そのまま隣のBクラスに向かう。

 エルシーがBクラスの教室の扉に手をかけた時、タイミングよく扉が開いてイザベラ王女とフィデルとミラグロスが出てきた。


「あら」


 少し眉間にしわを寄せていたイザベラ王女の顔が一瞬で明るいものになる。


「ちょうどよかったわ。一緒にお話ししましょうよ」

「ええ、私たちもそのつもりで来ましたから」


 エルシーが返事をすると、イザベラ王女はフィデルに目配せした。そのままフィデルの先導で、一行は廊下の端のちょっとしたバルコニーに出る。

 秋の、少し冷えた空気。

 フィデルが廊下の扉を閉めるとイザベラ王女は溜息をこぼした。


「ああ、たった一時間なのになんだか疲れたわ」

「何かあったのですか?」


 ディアーヌが尋ねると、イザベラ王女は顔を上げた。


「ずっと注目されているのよ。それこそ一挙手一投足、何もかも、全て」


 バレンティアにいた頃だってこんなに注目されたことはないわ、とイザベラ王女は愚痴をこぼした。


「初めのうちだけですよ。私もほんの一か月ほど前に編入したのですけど、初日はずっとクラスメイト達に見られていました。でも、二日目からはそうでもなくなりました」


 ディアーヌがそう言うと、イザベラ王女は疑わしげに目を眇めた。


「本当に?」

「ええ、本当ですわ」


 答えたのはエルシーだ。


「クラスメイト達は、初めこそディアーヌが元平民だということで注目していましたけれど、放課後にはもう変な注目はなくなっていましたわ。物珍しさがなくなったのでしょう。王女殿下は……ディアーヌよりは時間がかかりそうですけど、今日のように注目されることはすぐになくなるでしょう」


 エルシーの言葉に、イザベラ王女は頷いた。


「そうね、数日の辛抱だわ」


 イザベラ王女の瞳に光が灯ったが、ディアーヌは別のことが気になっていた。

 フィデルとミラグロスだ。

 エルシーがディアーヌのことを話していた時、ものすごく鋭い視線を寄越してきたのだ。

 おそらく、『元平民』という部分に反応したのだろう。

 然も在らん。

 大事な王女に、『元』とはいえ平民をなるべく近付けたくはないのだろう。

 現に今も厳しい目でディアーヌを見ている。

 めっちゃ怖い

 ディアーヌはそっと顔を逸らし、心の中で詫びた。


――申し訳ないけれど、こちらも外務大臣である伯母の命令だし、国王陛下にも認められてイザベラ王女の学友になったんだから、大目に見てちょうだい。


 もちろん心の中で詫びただけなので二人には届いていない。

 近いうちに実際に謝罪しようとディアーヌは心に誓った。


 ディアーヌの心配は全く杞憂だった。

 フィデルとミラグロスはディアーヌを敵視していたのではない。

 元平民だと聞いていたのに実際にあってみるとどこからどう見ても優雅で完璧な貴族令嬢にしか見えない。平民であったのは事実なので、所作や言葉遣いは本人の努力で身に着けたものと推測される。

 何よりも、イザベラ王女――自分たちの主が気を許しているのだ。

 彼女はただ者ではない。


 フィデルとミラグロスはディアーヌに一目置いていた。

 元々二人はきつめの顔立ちなので、じっとディアーヌを見つめる時の表情はどうしても厳しいものに見えてしまう。

 それが誤解を生んでいるのだが、二人はそれに気付いていないしディアーヌも誤解だということには気付いていない。

 そして、当分の間気付くことはない。


 休憩時間が終わり、ディアーヌたちは再びそれぞれの教室に戻った。

 次の休憩時間ではイザベラ王女は教室前の廊下に留まり、恐る恐る話しかけてくる他の生徒たちとの会話を楽しんだ。


 午前中は穏やかに時が過ぎ、やって来た昼休みに()()は起こった。

 学院側はイザベラ王女のために個室を用意していたのだが、王女はそれを丁寧に断り、ディアーヌとエルシーと共に食堂にやってきて、皆と同じように食事を取って適当な席に着いた。もちろんフィデルとミラグロスも一緒だ。

 ディアーヌの健啖ぶりに驚きつつも和やかに食事は進む。

 粗方食事が済んだところで、イザベラ王女が立ち上がった。


「お茶を淹れてくるわ。あなたたちも要るわよね?」


 なんと全員分を用意してくれるつもりらしい。


「王女殿下、お茶なら私が……」


 そう言って立ち上がりかけたディアーヌをイザベラ王女は制した。


「いいのよ。ここで待っていて。ミラ、手伝ってちょうだい」

「かしこまりました、殿下」


 イザベラ王女に呼ばれたミラグロスが立ち上がり、王女と共に飲み物コーナーに向かった。

 残ったディアーヌとエルシーとフィデルは少々気まずい空気になっていた。が、ディアーヌが口火を切る。


「フィデルさん、聞いてもいいかしら?」

「構いません。あと、僕のことは呼び捨てで構いませんから」

「そう、わかったわ……フィデル。その、イザベラ王女殿下のことなのですけど、私たち、気を使わせてしまっているのかしら。今だって、自らお茶を淹れに行ってくださっているし。私たち、王女殿下の負担になっていやしないかしら?」


 恐る恐る、ディアーヌがそう聞くと、フィデルは微かに口元を緩めた。


「殿下は元々気さくな方です。元来ああやって世話を焼きたがる方なのです。バレンティアにいた頃は僕たちに手ずからお茶を淹れてくれたことが何度もありました。なので気になさらなくて大丈夫です」


 微笑したフィデルは、それまでの硬い表情と雰囲気が少し柔らかくなり、彼本来の性格が見えた気がした。

 エルシーがやや頬を染める。彼女は面食いなのだ。


「そう、それならいいの。……王女殿下はお茶を淹れるのがお上手なの?」

「ええ、上手いですよ。実は、殿下にお茶を淹れてもらうのは僕の秘かな楽しみなんです」

「まぁ、では私たちも期待して待ちましょう」


 エルシーがにこにこと言ったその時。


「おお、王女殿下! ご挨拶が遅れ申し訳ありません!」


 何とも大袈裟な大声が聞こえた。

 ディアーヌたちが振り返ると、ジョゼフ・ランベール伯爵令息がイザベラ王女に声をかけていた。だが、大声な上に大仰な身振り手振りでボウ・アンド・スクレープをしており、イザベラ王女は迷惑そうだ。

 ジョゼフの隣にはアリーシャ・モラン男爵令嬢もいて、下手糞なカーテシーをしている。

 思ったよりも早く事が起こり、ディアーヌとエルシーは天を仰いだ。


「私はジョゼフ・ランベールと申します。父は伯爵で、実は私は我が国の国王陛下とは従兄弟の間柄なんですよ!」

「わっわたくしはアリーシャ・モランと申します! 男爵家の者です!」

「……そう」


 ぐいぐいと距離を詰めてくるジョゼフとアリーシャに、イザベラ王女はやや引き気味に返事をした。隣にいるミラグロスも警戒しながら様子を窺っている。


「昼食はお済みですか? よろしければ私と一緒にいかがです? テラス席を取ってあるのですよ! こんな雑多なところでは落ち着けないでしょう?」


 鼻息荒くイザベラ王女を誘おうとするジョゼフ。だが、イザベラ王女は実に素っ気なく誘いを断った。


「申し訳ないけれど、もう昼食は済ませたの」

「何と! 出遅れてしまいましたか! では、お茶だけでも一緒に……」

「ごめんなさいね、友人たちを待たせているのよ」


 イザベラ王女はさっさと断ってティーポットに茶葉を入れ、厨房担当者にお湯を貰うためその場を離れようとした。人数分のティーカップを乗せた盆を持ったミラグロスもそれに付き従う。


「で、殿下、お待ちください。友人とは……?」


 なおも追いすがるジョゼフに、イザベラ王女は顎でしゃくってディアーヌたちを示した。


「ロイシー嬢とアークレー子爵令嬢よ」


 それを聞いたジョゼフは、バっとディアーヌたちの方を振り向き、すごい形相で睨みつけてきた。

 イザベラ王女たちの様子を見守っていたディアーヌとエルシーとフィデルは、こちらに火の粉が飛んできたことを悟り、内心深い溜息をついた。


「エルシー……」

「ええ、腹をくくるわ。本当は関わりたくはないのだけど」

「アークレー子爵令嬢?」


 頭痛を覚えて額に手を当てたエルシーに、フィデルが気遣わしげな声をかけた。


「個人的な事情があって、彼……ランベール伯爵令息とはあまり関わり合いになりたくないのよ」

「……なるほど。彼は問題の多い人物なのですか?」


 フィデルの問いにエルシーは重々しく頷いた。


「ええ。伯爵令息なのに、公爵家の人よりも偉そうにしているし、何かあると国王陛下の従弟ということを全面的に持ち出して来て、威を借りているのよ」


 フィデルが眉をひそめた時、ジョゼフがつかつかと近寄ってきた。

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