表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天秤とウィッチクラフト  作者: 藤原渉
47/71

垣根の上に立つ 四

 ジゼルが顔をしかめながら言う。


「ランベール伯爵令息は国王陛下の従弟でしょう? 彼に逆らって、万が一王家から何か言われたらってみんな恐れているんです」

「でも、国王陛下は公明正大な方だって聞いたけど」


 ディアーヌが首を傾げながら言うと、ジゼルは苦い顔をして言い淀んだ。


「それはそうなんですけど、でも……」


 確かに、身内に甘い者はいるだろう。だが、国王陛下はそうではないとディアーヌは思う。

 そんな人物であったなら伯母やリオン伯爵が忠誠を誓ったりしない。


「国王陛下は公明正大な方かもしれないけれど、ランベール伯爵令息は全然違ったわ。こちらの話もろくに聞かずに、一方的に……」


 セリーヌがぽつりと呟いた。呟いてすぐ、おろおろと不安げな表情になる。


「落ち着いて、セリーヌ。ここにはあなたを叱る者はいないわよ」


 エルシーがそう言うと、セリーヌはほっとした顔になる。


「それに、ジョゼフ様はもうすぐ身辺が騒がしくなるだろうから、モラン男爵令嬢どころじゃなくなるでしょうね」

「どういうこと、エルシー?」


 ディアーヌが問うと、エルシーは悪戯が成功したかのような悪い笑顔を浮かべた。


「実はね、ジョゼフ・ランベール伯爵令息は私の婚約者なの」


 一瞬の沈黙。

 何を言われたのかすぐには理解できず、間をおいてその言葉が脳に染み渡る。


「こっ、婚約者!? ジョゼフ・ランベールが、エルシーの!?」


 ディアーヌは思わず素っ頓狂な声を上げた。ジゼルとセリーヌも目を見開いて驚いている。


「ええ、そうよ。元々はあちらの家から頼みこまれたの。私をランベール伯爵家の長男、ジョゼフ様の嫁にって」

「ランベール伯爵家からの打診なの? でも、彼……」

「ええ、すっかり忘れてしまっているのかしらね。赤字続きで財政が火の車の伯爵家を援助してもらうためにあちらから父に頼み込んできたのだけど」


 ジゼルが手を小さく上げる。


「はい、アークレー子爵令嬢、質問があります」

「何ですか、クリスタル男爵令嬢」


 教師と生徒のようなやり取りにセリーヌが小さく噴き出す。


「ランベール伯爵家の財政が火の車だというのは本当なのですか? ランベール伯爵は優秀で聡明な方だと聞いています。とてもそうは思えませんが……」


 ジゼルの質問にエルシーは重々しく頷いた。


「信じられないでしょうけど、これは本当のことよ。ランベール伯爵は先代の国王陛下の弟君。先王陛下には兄弟姉妹が多かったから、御兄弟のほとんどが爵位を賜って王族の位を返上された……。ランベール伯爵もその一人。大変優秀な方ではあるのだけれど、残念なことに領地経営の才能だけは恵まれなかったみたい」


 元王族のランベール伯爵が自分より格下の子爵家に直々に頭を下げたのだ。よっぽど切羽詰まっていたのだろう。

 アークレー子爵はその申し出を了承した。傾きかけているとはいえ伯爵家であれば娘の嫁ぎ先としては申し分ないし、王家と縁続きになれば自分の商売にも有利になるかもしれない。

 そういう打算もあって、エルシーはジョゼフと婚約することになったのだ。


 婚約してすぐにアークレー子爵はランベール伯爵に頼まれて、多額の金を伯爵家の財政援助のために差し出した。将来嫁ぐ予定の娘を苦労させないための金だ。子爵にとっては惜しくもなんともない。気前よく目の玉の飛び出るような額の大金をポンと出した。

 それだけではない。ランベール伯爵に足りなかった領地経営の才能を補うためにアークレー子爵自ら領地経営のノウハウを伝授したのだ。


 これによってランベール伯爵領は持ち直し、長年赤字続きだった財政も現在は黒字回復してきている。

 恩人であるアークレー子爵の娘のエルシーは、本来なら下にも置かない扱いを受けて然るべきなのだが……。


「初めのうちは、ジョゼフ様も気を使って頻繁に手紙や小さな贈り物をくださったり、一緒に出かけたり……出かけると言ってもまだ子供だったから、公園を散歩したり、図書館で本を薦め合ったり、という感じで……。ささやかながら交流はあったのよ。昨年までは」

「ああ、あなたさっき言ってたわね。ジョゼフ・ランベールが昨年からモラン男爵令嬢に熱を上げているって」

「そう。きっかけが何なのかは知らないけれど、ジョゼフ様はモラン男爵令嬢と親しく付き合うようになって、それ以来交流は途絶えてしまったわ。それどころか、私を見ると嫌味や見当違いな文句や罵倒の嵐。だからあまり関わり合いになりたくないのよ。で、今に至るというわけよ」


 エルシーは肩をすくめる。その軽い仕草やまったく気にしていなさそうな表情に、セリーヌは思わず質問した。


「あの、ランベール伯爵令息に対する怒りや未練はないのですか?」


 その問いにエルシーは苦笑しながら答える。


「未練と言うほどの未練はないわ。これは政略結婚――所詮家同士の契約だもの。でも、ジョゼフ様に対する好意は確かにあったわよ。生涯を共にする予定の相手ですもの。尊敬に値する立派な方だと思っていたし、私にはとても優しかったし。そうね、最初は確かに怒ったわ、私」


 エルシーは遠い目をした。


「ジョゼフ様がモラン男爵令嬢と噂になり始めて、私、事の次第を直接問いただしたの。そうしたら……」


 言葉を切ったエルシーに、ディアーヌは心配そうに声をかけた。


「エルシー、言いたくないなら無理に言わなくてもいいわ」

「いいえ、大丈夫よ」


 エルシーは逆にとてもいい笑顔で言った。


「ジョゼフ様は私にこう言ったの。『お前の我儘でこっちは望まぬ婚約を強いられたんだ、人の迷惑も考えろ。僕は真実の愛を見つけたんだ、近々お前との婚約を破棄させてもらうからな』って」

「…………は?」


 ディアーヌは思わず顎を落とした。ジゼルとセリーヌも唖然としている。


「何? 何なの? どういうこと? ランベール伯爵の方があなたのお父様に頼み込んだのでしょう?」

「ええ、そうよ。それは間違いないわ。正式に契約書も取り交わされているし。ジョゼフ様の言い方では私が彼のことを好きになって、どうしても彼と婚約したいと我儘を言ったみたいだけど、そんな事実は全くないのよ」

「えっ、じゃあ、ランベール伯爵令息はどうしてそんな出鱈目を……?」


 ジゼルの問いにエルシーは首を傾げた。


「それが全く分からないのよ。どうして彼がそんなことを言い出したのか。ともかく、それ以来……昨年からだからもう半年以上になるわね。ジョゼフ様とは没交渉。話しかけに行くと彼の友人たちに邪魔されるし、もう諦めたわ。このことはお父様にも話してあるの」

「そうなの?」


 そう聞いたディアーヌにエルシーは頷く。


「ええ、今は様子見の状態なの。でも、ジョゼフ様との関係修復は難しいようだし、近々婚約は白紙になるわ」


 エルシーは大きなため息をついた。ディアーヌとジゼルとセリーヌも、思わず息を吐く。


「はぁぁ、そうだったの。大変だったわね」

「私はそんなに……。大変なのはモラン男爵令嬢に絡まれて被害を被るジゼルやセリーヌのような人たちよ。まあ、最初のうちは私もモラン男爵令嬢に絡まれてとても迷惑したけどね」

「アークレー子爵令嬢も……」


 セリーヌは先程絡まれた時のことを思い起こして顔をしかめた。あんな理不尽、許せるものではない。


「あの、じゃあ、ランベール伯爵令息の身辺が騒がしくなるだろうから、モラン男爵令嬢どころじゃなくなる、っていうのは……?」


 ジゼルの質問にエルシーは笑顔で答えた。


「当然、うちがランベール伯爵家に婚約破棄を言い渡すからよ。相手有責でね。婚約を破棄する場合の賠償金についてもちゃんと取り決めてあるの。ランベール伯爵家はうちが援助のために出したお金を全額返済し、さらに慰謝料も払わなくてはならないのよ」


 エルシー以外全員の顔が引き攣った。


「あの、エルシー、聞いてもいい?」

「いいわよ。なあに?」


 ディアーヌはそっと手を挙げてエルシーに質問した。


「アークレー子爵はランベール伯爵家のためにいったいいくら出したの……?」


 それを聞いてエルシーはにっこり微笑んだ。

 今日一のいい笑顔だった。


「内緒よ。でも、あれを全額返済したらランベール伯爵家は再び傾くでしょうね」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ