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天秤とウィッチクラフト  作者: 藤原渉
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垣根の上に立つ 二

 ロイズ王立学院は七年制で十二歳から十八歳までの生徒が在籍している学校だ。王侯貴族の子息、令嬢、平民、誰でも入ることができるが、学費がそれなりにするので平民やあまり裕福ではない下級貴族の子息らは特待生を目指す。成績優秀な生徒がなれる特待生であれば学費が免除されるのだ。


 教室はAからFの六クラスがあり、成績順で振り分けられている。ディアーヌは中の上であるCクラスだった。

 二階にある五年生のCクラスに入ると、すぐに『おはよう』と声をかけられた。

 声をかけてきたのは同じクラスに在籍しているエルシー・マヤ・ド・アークレー子爵令嬢だ。アークレー商会会長、セドリック・アークレー子爵の娘で、栗色のふわふわした髪に若葉色の大きな瞳を持つおっとりした性格の少女。

 ディアーヌにとって学院で初めてできた友人だ。


「おはよう、エルシー。ねえ、昨日出されたバレンティア語の課題、できた?」

「ええ、でも自信の無い部分がいくつかあるの。ディアーヌはバレンティア語が得意でしょう? 教えてもらえない?」

「良いけど、私も得意って言うほどのものじゃないわ。少し話せるぐらいよ」

「少し? あれのどこが?」


 つい昨日、編入初日の出来事だ。


 午前の授業でバレンティア語の講義があったのだが、担当教師が平民上がりのディアーヌのことを侮ってわざとバレンティア語で話しかけてきたのだ。しかもかなり高度な言い回しと単語を使って、ディアーヌの出自を嘲る内容の言葉だった。


『港町で生まれ育った君にここでの授業について行けるとは思えないな。まあ精々頑張りたまえ。女侯爵に恥をかかせることにならなければいいがね』


 大体こんな感じの言葉だった。

 平民上がりのディアーヌにはバレンティア語は理解できないだろうと思ったのだろう。

 なのでディアーヌはバレンティア語で返事をした。


『伯母様に恥だなんて、そんなことにはなりませんわ、先生。我がスカーフィア侯爵家は代々外交を担う一族です。わたくしもバレンティア語は堪能でしてよ。とても教え方の上手な家庭教師に教わりましたから』


 半分は嘘だ。

 バレンティア語はセント・ルースにいた頃に実地で覚えたものだ。


 セント・ルースは大きな港がある街で大変栄えている。諸外国との交易も栄えていて、異国の者たちの往来も盛んだ。

 よく港を行き来していたディアーヌは異国の客人――特にバレンティア王国からの客人がダントツに多かった――に道案内をすることが度々あった。最初の内は言葉がわからず身振り手振りだったが、徐々に言葉を覚え、今では普通に会話できるレベルだ。とは言え、堪能、というレベルには少し足りないが。


 そして、ディアーヌの覚えたバレンティア語は平民の使う言葉ばかりだったため、貴族的な言葉や言い回しは家庭教師から教わった。教え方の上手い家庭教師のおかげでディアーヌのバレンティア語はすぐに矯正され、優雅なものになり、語彙も増えた。


 完璧なバレンティア語で返事された教師は顔を真っ赤にして、その後すぐに真っ青になった。

 やり返されたことに対する怒り、からの、有力貴族家の令嬢への無礼に対する責任を取らされるかもしれない恐怖、といったところだろう。

 今後の学生生活において先生に恨まれたりするとやりにくくなる。

 ディアーヌはこの話を早々に終わらせることにした。


「さ、先生。授業を始めてくださいませ。教科書の何ページを開けばいいんですの?」


 あえて気にしていないふりをする。

『このことは伯母様に報告させていただきますわ』――というセリフを予測していたであろう教師は肩透かしを食らい非常に間の抜けた顔をして、すぐに気を取り直したのか慌てて授業に入った。


 授業が終わった後、教師が教室を出て行く前にディアーヌの元につかつかと歩み寄り、『先ほどは申し訳なかった』と小声で、しかも早口で囁いていったのは保身のためだろうか。

 この日出された課題がいつもより難しい気がする、とエルシーが言っていたのでやはり不愉快に思っていたのかもしれない。

 生徒で憂さを晴らさないでもらいたいものだ。


 生徒といえば、クラスメイトの中にも平民上がりのディアーヌを侮る者が何人かいたらしい。彼ら彼女らはディアーヌがバレンティア語で話しかけられた時、答えられずに醜態を晒すことを期待してこっそり笑っていたのだが、ディアーヌが流暢なバレンティア語で返事をするのを目にして愕然としたそうだ。

 人を経歴で判断しないでもらいたいものだ。


 その後の授業でも出された問題に全て回答し、全て正解するという優秀さを発揮したディアーヌのことをもう侮るクラスメイトはいなかった。

 放課後にはディアーヌはすっかりCクラスに溶け込んでいた。


 中でも一番仲が良くなったのはエルシーだった。

 穏やかな性格でクラスでも目立つ存在ではないが、エルシーはクラスで一目置かれていた。

 圧倒的な数学と商売の才能で。

 家が手広く商売をやっているため、エルシーは昔から父について商会に行き、商品の上手な売り方、商談の仕方、特に交渉においていかにこちらに都合の良い条件を引き出すかを教わっていた。


 商会の帳簿も見せてもらい、度々計算間違いを見つけて指摘したり、バラバラの書式を統一するように父親に勧めたりしていたそうだ。

 桁の多い数字の暗算も得意だが、特に才能を発揮するのは桁の大きい金額の計算だ。さすがは商人の娘である。

 本人曰く頭の中に算盤が入っているのだとか。


 その才能を知る何人かのクラスメイト達――主に領地を持つ貴族家の子息らに領地経営に関する助言を求められることもあるらしい。

 エルシーは商人の娘らしく、編入生のディアーヌにアークレー商会の商品を紹介しようと真っ先に声をかけに来て、そのまま仲良くなったのだ。

 実に商魂逞しい。


 だがディアーヌにとっても生まれて初めて行く学校――しかも貴族ばかりの――で、どうやって友人を作ろうか色々考え迷っていたので正直に言って助かった。

 貴族の友人なんてどうやって作ればいいか分からないし……そもそも何て言って声をかければ?

 私と友達になって下さる? とストレートに言ってもいいのだろうか?

 それに、彼ら彼女らと話が合うかどうかも分からない。

 元平民である自分の価値観と彼らの価値観は違うはずだ。

 そんな懸念をエルシーは吹っ飛ばし、彼女とディアーヌは、放課後には何年も付き合っていたかのように親しくなっていた。


「話すのは得意だけど読むのと書くのはまだあまり自信が無いの。知っていても読めなかったり、書けない単語がいくつもあるから」

「そっか、実地で覚えたのよね?」

「そう」


 二人はどちらからともなく帳面を広げ、課題の分からない部分を教え合った。

 昨日は他にも数学と歴史の授業でも課題を出されており、ディアーヌは侯爵邸に帰ってから教科書とにらめっこしながらそれらを片付けた。

 そこそこ出来の良い頭でよかったと切実に思う。落第などしたら伯母に申し訳ない。


「そう言えば、ねえ、もうすぐね」


 エルシーの声にディアーヌは顔を上げた。


「何が?」

「ほら、バレンティアのイザベラ王女殿下が留学してくる日よ。来月の初めでしょう? ちょっと楽しみよね」


 その言葉にディアーヌは伯母から頼まれたことを思い出した。


「私は楽しみっていうより不安だわ」

「あら、どうして?」


 ディアーヌは声を潜めた。


「伯母様に頼まれたの。イザベラ王女の友人になってくれって」


 そう言うと、エルシーは元々丸い目をさらに丸くした。


「友人!? どういうこと?」

「どういうこと、って私が聞きたいわ。伯母様が仰るには、『王女も見知らぬ異国で心細い思いをしているでしょうし、歳の近い話し相手がいた方が早くこの国に慣れるでしょう?』ですって」

「あらま」


 ディアーヌは帳面にペンを走らせながら溜息をついた。


「正直に言って荷が重いわ。一年前まで平民だった私にこんな大役務まるのかしら」

「あら、スカーフィア女侯爵はあなたなら務まると判断したから頼んだのではなくて?」

「そう……だと思うけど、でも……」


 自信なさげなディアーヌにエルシーは微笑んだ。


「ま、あなたの反応の方が正しいわ。一国の王女の友人になれなんて言われて、怖気づかない方がおかしいもの」


 ディアーヌは曖昧に微笑む。エルシーは笑みを深めた。


「荷が重いのなら、半分持ってあげましょうか?」

「え?」

「スカーフィア女侯爵に聞いてちょうだい。私も王女殿下の友人候補に推挙してもらえないかどうか」

「エルシー」


 ディアーヌは目を丸くした。


「誤解しないでちょうだいね。地位や名誉にはさほど興味はないの。ただ、王女殿下と仲良くなれたら、うちとバレンティア王国との取り引きをもっと増やせるんじゃないかと思って」

「エルシー……、あなたったら本当に、もう」


 やはりエルシーは根っからの商売人だ。今も彼女の頭の中では算盤玉が数字をはじき出しているに違いない。バレンティア王国との取引で得られるアークレー商会の利益を。

 呆れながらもディアーヌは数日ぶりに心が軽くなったのを感じた。伯母からこの件を打診されてからずっと心が重苦しかったのだ。

 一人では重すぎる荷物も二人ならきっと大丈夫。


「わかったわ。今日帰ったら伯母様に聞いてみる」

「よろしくね。……でも、自分から言い出しておいてこんなことを言うのも何だけど、家柄とか大丈夫かしら……。子爵令嬢じゃやっぱり難しいかしらね」

「えぇと……それも伯母様に聞いてみないと分からないわ」

「それもそうよね。変なこと言ったわ、ごめんなさい」


 喋りながらペンを走らせていると予鈴が鳴った。課題の分からなかった部分は粗方できている。


「ありがとう、ディアーヌ」


 エルシーはそう言いながら立ち上がった。


「こちらこそありがとう。また休憩時間にね」

「ええ、また」


 軽い足取りでエルシーは自分の席に戻っていった。

 ディアーヌはそれを見送り、自分の机の上に一限目の授業の教科書を取り出しパラパラとめくる。

 編入二日目。

 今日はどんな一日になるのだろうか。

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