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天秤とウィッチクラフト  作者: 藤原渉
39/71

薔薇色の人生 十八

 ぎろりと澱んだ目で睨まれたグローリアは肩を震わせて怯えた。

 ウォルクはか弱く震えるグローリアの肩を失礼を承知で抱き寄せ、そのまま横抱きにした。


「申し訳ありません、キャラハン子爵令嬢。緊急事態ゆえ無礼をお許しください」


 こくこくと頷くグローリアを横目で確認し、ウォルクは素早く後ろに下がった。


「逃がさんぞ! スカーレット!! あの女を取り戻せ!!」


 ラブレーの命令に応え、精霊が動いた。だが、その顔は悲壮感に満ちている。

 布包みの遺体をスカーレットと呼び、精霊にもスカーレットと呼びかける。ラブレーの中で妻と精霊はいったいどういう関係になっているのだろうか。


「……っ、『(くう)を切る風渦巻く糸の中心に(まし)ます玉座の鋭き光刃』!」


 躊躇いながら呪文を口にする精霊。

 セイラムは杖を構え防御の術式を行使した。


「リヴァルタの術式第二十一番、『渦巻く風と夜明けの星の氷凝り』!」


 リオン伯爵邸の時と同じように、杖から発せられた光の粒子が氷のように固まり壁となった。

 精霊の攻撃はセイラムが作り出した壁に阻まれこちらには届かない。

 セイラムは首を傾げた。


「……うちの(やしき)での攻撃よりも全然弱いな」

「あれに迷いがある所為だ」

「迷い?」


 ゼアラルの言葉にセイラムはますます首を傾げる。


「何に対する迷いなんだ? 奴と契約している以上主従関係は絶対でラブレーの方が上位だ。精霊は従う以外の選択肢がないのに……」

「だがあれにも心はある」


 つまり、この契約自体が、あるいは契約主であるラブレーの行動が精霊の意に染まぬものなのだろうか。

 迷いのある精霊の攻撃は、ゼアラルはもちろんセイラムの敵ではなかった。手当たり次第に攻撃を繰り出してくるが、セイラムはそのすべてを完璧に防ぎ反撃した。


「リオンの術式第十四番、『灼熱の嘆き、怒りに代えて燃やせ暴虐の錆と虚ろ』!」


 巻き起こった赤い炎が精霊に襲い掛かる。精霊は風を起こして炎を巻き取ろうとしたが、セイラムの炎はその風ごと精霊を飲み込んだ。


「スカーレット!!」


 炎はすぐに消え、後にはぼろぼろの服がさらにぼろぼろになった精霊が残っていた。ダメージは大きいようだ。

 と、ラブレーが短剣を自分の腕に突き刺した。


「ぐぅっ」

「ガスパール……!」


 大量の血が滴る。


「わ、私の血と苦痛を対価に……!」


 ぼたぼたと血の滴る腕を精霊に差し出す。戸惑った様子の精霊は震える手で血塗れの腕を取った。

 途端、どす黒い魔力が精霊を取り巻く。ラブレーの血と苦痛を対価とし、更なる魔力を得たのだ。


「どうなっているんですか、セイラム様!? 精霊の力が増したようですが……!?」

「奴の血を対価に使って魔法世界から魔力を引き出したんだ……血や身体の一部を使う魔術は全て黒魔術に分類される。あの精霊、無事では済まないぞ!」


 精霊は明らかに苦しんでいた。身に余る魔力、犯した罪の重さ、友情と善と悪。全てを天秤にかけて(まさ)ったのはガスパール・ラブレーとの友情だった。


「……頼む、死んでくれ……『風と刃と轟く号哭。渦巻く巨人の怒りと風の圧力で飲まれよ、潰されよ』!」


 震える声と残酷な願い。黒い魔力は暴風となりセイラムたちを飲み込もうと襲い掛かった。


「くそっ、馬鹿が! そんな顔で願う願いじゃないだろう……!」


 精霊の顔は悲しげに歪んでいた。明らかに、セイラムたちの死を望んではいなかった。ラブレーとの契約に縛られ、不本意な行動を強いられているのだ。

 セイラムは杖を構えた。勿忘草色の魔力がセイラムの身体と杖を包み込む。

 セイラムの瞳に紫色の燐光が灯った。チリチリと魔力がスパークする。


「サン・サーンスの術式第二百七十七番、『絶ゆることなく巡る水の清らかさ、岩をも削る強靭さ、全てを押し流す強引さ。透き通り揺らめき光を弾き、その密度と圧力で敵を押し破れ』!」


 黒と青。二つの魔力がぶつかり合った。魔力同士が接触した部分でスパークが起き激しく火花が散る。

 精霊の圧倒的な魔力にセイラムはじりじりと押された。


「くそったれ!」


 セイラムはさらに魔力を込めた。今までのセイラムだとすでに限界を迎えていただろうが、セント・ルースでの一件で魔力量が増え、限界値が上がった。このため今までよりも多少は無茶ができるようになったのだ。


 押されていたのが一気に持ち直し、逆に押し返した。

 ここからは拮抗状態が続く。押しつ押されつ押し返しつを繰り返し、じりじりとセイラムの方が優勢に転じつつあった時、精霊が最後の一押しとばかりにありったけの力を込めてきた。


 セイラムも慌ててさらに魔力を引き出す。が、いくら魔力量が上がり無茶ができるようになったとはいえ、身体の方がついて行かなかったのだろう。


「っあ」


 セイラムの身体の方が先に限界を迎え、一気に身体から力が抜ける。

 ウォルクは主が突然脱力し倒れ込むのをスローモーションのように感じた。ゆっくりと倒れ込むセイラムを支えようと手を伸ばしたが、如何せんウォルクの腕の中にはグローリアがいる。


 ウォルクの手が届く前に、セイラムの身体に精霊の黒い魔力が直撃した。

 セイラムの意識はここで暗転する。


      ***


 湖のほとりで十歳くらいの黒髪の少年が寛いでいる。そばには茶色い髪の少年の姿をした精霊がいた。だが、何故か精霊の顔は認識できない。

 転げ回って遊び、他愛もないことで笑い合い、それは幸せな光景だった。

 二人の会話が聞こえる。


「***、約束だよ。僕たちはずっと一緒だ。ずっと友達でいよう」

「ああ、ガスパール。約束しよう。我らの友情は永遠だ」


 黒髪の少年――ガスパール・ラブレーが少年の姿の精霊を何と呼んだのか。何故かそこだけ聞き取れなかった。


 場面が変わる。


 成長し十代後半ぐらいの姿に成長したガスパール・ラブレーが同じ湖のほとりで同じく十代後半の姿になった精霊に何か相談している。


「どうしたらいい? 何と言ってスカーレットを誘えばいいのだろう……?」

「うじうじするな。迷っている間に他の男に先を越されるぞ。当たって砕けたらいいだろう?」

「砕けるのは勘弁してくれ……」


 また場面が変わった。


 喜色満面のガスパール・ラブレーが興奮した様子で精霊に話しかけている。


「やったぞ、***! スカーレットが了承してくれた! 今度の夜会に僕のパートナーとして同行してくれると!」

「良かったじゃないか、ガスパール! 頑張った甲斐があったな!」


 笑顔で喜び合う二人。とても幸せな光景だ。


 また場面が変わる。


 神殿で一組のカップルが結婚式を執り行っている。花婿はガスパール・ラブレー。花嫁は黒髪で、顔立ちや立ち姿はグローリア・イヴリン・キャラハンによく似ていた。

 花嫁の手には赤とピンクの薔薇のブーケ。


 幸せそうに微笑み合い、永遠を誓い口付けを交わす。


 空から花びらが舞い降りた。降らせているのはあの精霊だ。

 華やかな華燭の典。

 幸福なカップルは寄り添い合い、これからの新しい生活を思い期待に胸を膨らませた。


 場面が変わる。


 東十番地区の男爵邸で二人は幸せに暮らしていた。急な事故でガスパールの両親が死去し、急遽爵位を受け継ぐという悲しみはあったが、スカーレットと共に乗り越え、二人は仲睦まじく暮らしていた。


 素朴な暮らしだ。使用人が少ないためスカーレットも時折厨房に立つ。彼女の焼いてくれる胡桃入りレーズンパンは絶品だった。


 スカーレットは窓辺の日当たりのいい場所によく椅子を置き、白い糸でレースを編んでいた。その光景はまるで絵のようで、とても美しかった。


 暗転。


 場面が変わると、これまでの温かな光景から一転、暗く陰鬱なものに激変していた。


 ベッドで眠っているスカーレット。その身体はやせ細り、顔も青白い。病みついているのは一目瞭然だった。

 ベッドわきの椅子ではガスパール・ラブレーが項垂れていた。その姿は以前の溌溂としたものではなく、目元に隈ができ、痩せて(やつ)れていた。


 ガスパールのそばに精霊が現れる。精霊の表情は強張っていた。


「……どうしたらいい、***? スカーレットの胸に悪い腫瘍ができていて、どんどん身体を侵しているんだ……」

「ガスパール……」

「どうすればスカーレットを助けられる? 何を差し出せばいい? 医者には匙を投げられた。魔術師にもだ。もう手の施しようがないと……!」


 ガスパールは握り拳で自分の膝を殴った。


「スカーレットは、スカーレットは私の全てなのに! 彼女はいつでも私を支えてくれた! なのに、私は彼女を助けることもできないのか……!」


 ガスパールの両目から大粒の涙が零れ落ちた。精霊は慰めの言葉を言おうとしたが、何も言えず、そっとガスパールの肩に手を置いた。


 場面が変わる。


 葬送の鐘が鳴っている。


 神殿で葬儀が執り行われていた。真新しい白い棺の蓋のプレートには『スカーレット・ラブレー』の文字が。


 蓋の上には一輪の赤い薔薇の花が置かれていた。


 その横でガスパール・ラブレー男爵が泣き崩れている。痩せた土気色の顔、こけた頬、隈のできた目元、後退した前髪の生え際。

 妻の病に共に苦悩し、助ける方法を探し続けてきた結果、彼自身も精神を病んでいた。


 葬儀を終え、男爵邸に戻ったガスパールは使用人たちに暇を出した。最愛の妻を亡くした今、王都にいたくはなかった。ここには楽しい思い出がいっぱいで、逆に苦しかった。

 王都を出て、幼い頃に過ごした北部の田舎にある別荘でガスパールは鬱々とした日々を送っていた。


 別荘近くの村で雇った通いの使用人が数人、最低限の面倒を見てくれている。

 寝て、起きて、食事を摂る。ただそれだけの日々。

 ガスパールは生きながらにして屍のようになっていた。


 見かねた精霊は、ある日ガスパールを元気付けようとスカーレットの姿に化けて彼の前に姿を現した。

 豊かな黒髪、臙脂色のドレス、赤い薔薇の花冠。

 生前の美しいスカーレットの姿。


 結果的にガスパールは大変元気になった。


 だが、ぎりぎり正気と狂気の縁に立っていた彼の精神は奈落の底へと叩き落された。


 精霊は良かれと思ってやっただけなのだ。これで親友が元気になってくれれば、と。

 だが、ガスパールの弱り切った精神は打ち砕かれた。


 死んだはずの妻の元気な姿――虚構と、死者は生き返らないという現実に板挟みになり押しつぶされた。

 ぎりぎりのところで保っていた不安定な精神は、とうとう夢と現の区別がつかなくなってしまったのだ。


 スカーレットが目の前にいて微笑みかけてくれている……いや、これはスカーレットではない……彼女は死んだはずだ、確かに見送った……いや、これはスカーレットだ、戻ってきてくれたのだ……死者が生き返るはずがない。ではこれは……? そうだ、***が化けているのだ……いや、これは私のスカーレットだ。彼女は私の元に戻ることを望んでいるのだ! ……では私は彼女の望みを叶えてやらねば……それが彼女を救えなかったことへの償いだ……


 時を同じくして、デュ・コロワと名乗る魔術師が別荘を訪ねてきた。

 精霊に用があるようだったが、ガスパールの常軌を逸した様子とスカーレットの姿をした精霊を見て何かを察し、死者を蘇らせる方法をガスパールに伝えた。


 ガスパールに明確な目標ができた。

 目に見えて彼は生き生きしだした。


 必要なのは若い女性十二人分の心臓と血液、大量の輝く宝石に“特別な石”だ。この“特別な石”というのがどういうものなのか分からなかったが、どうすれば必要なものを全て揃えられるか何年もかけて下調べを行ない情報を集め、一つ一つ揃えていった。


“特別な石”を持っているかもしれない鉱物学者は少し脅かしたら家族諸共逃げられてしまったため、慌てて追いかけ、拉致し、男爵邸に連れ帰った。

 子供がいなくなっていたのが少し気になったが。それよりも“特別な石”だ。

 在処を聞き出そうと拷問していると、妻の方はあっけなく死んでしまった。鉱物学者は何事か吠えていたが、こちらも間もなく死んでしまったので二人の死体を庭の井戸に投げ込んだ。


 子供の方を捜し回ったが、見つけることはできず、結局石は手に入れられなかった。激しく後悔したが、その後すぐにもうひとつ目をつけておいた特別な石――水晶のクラスターが手に入ったので良しとした。


 若い女性は無作為に選んだ。人気のない道をたまたま歩いていた運の無い者たちだ。


 キャラハン子爵令嬢には驚かされた。スカーレットに似ていたのと、妹を売るような発言をしたからだ。面白がったガスパールは彼女の願いを叶えた。


 精霊は自分の魔力がどんどん穢れどす黒くなっていくのを感じていた。元は鮮やかな緋色をしていたのに、今や濁って真っ黒だ。


 だが、精霊にはガスパールを止めることはできなかった。彼を壊してしまった負い目があるからだ。


 精霊は、“何があってもガスパールを見捨てない”という誓約を自らに課していた。

 それしか償う(すべ)を知らなかったからだ。


 だが、それにも限界が近づいていた。

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