薔薇色の人生 十五
「ガスパール・ラブレー……、どこかで聞いたことがある名前だ」
セイラムは必死に記憶を絞った。
「どこで聞いた……? つい最近だ。いったいどこで……?」
そして唐突に思い出す。頭の中で火花が散るかの如くぱっとそれを聞いた場面が脳裏に浮かんだ。
――なに、魔術師でなくとも精霊と契約は結べる! 過去にも色々あっただろう? つい最近ではラブレーとか言う男が精霊と契約したと聞いたぞ。男爵家に連なる男だ。
――ラブレーという男の話は何年も前のことだ、つい最近ではない。まあ確かに、精霊との契約に魔術師であるかどうかはあまり関係がない。精霊は対価さえもらえれば誰とでも契約する……
「思い出した! 清幽城で黄色の双子が言っていたんだ! ラブレーという男爵家に連なる男が精霊と契約した、と!」
セイラムがそう言うと同時にウォルクが邸内に駆け込み、すぐに分厚い書物を一冊抱えて戻ってきた。
「セイラム様、貴族名鑑です」
「助かる、ありがとう!」
礼を言って受け取ってそれをセイラムは猛然と捲り始めた。
半分以上捲り残り少なくなったところでようやくその名前を見つける。
「ラブレー男爵家……当主、ガスパール・ラブレー男爵……。そうだ、確か病気を理由に出仕を断っていたな。だが代々所有している銀鉱のおかげで経済的には困っていなかったはずだ。僕もラブレー男爵に会ったことはないが、まさか……」
そう言えば、ハーディ男爵は似顔絵の男を見覚えがあると言っていた。
「リオン伯爵、本当にこのラブレー男爵が犯人なのでしょうか?」
バート警部が自信なさげに言う。
「分からない、が、可能性は高い。とにかく、名鑑によると男爵邸が東十番地区にあるらしいから急いで行ってみよう。そこで何かしらの答えが出ると思う」
「わかりました……動ける者は全員集まれ! スパイサー刑事! 王都警察本部に連絡して応援を要請してくれ!」
「了解です!」
警官らがきびきびと動き始める。怪我をした仲間を速やかに運び出して病院へ。残った者は男爵邸に向かう準備をする。
ウォルクを始めとするリオン伯爵邸の使用人たちも怪我人の救護に手を貸していた。
気絶しているキャラハン子爵夫人は夫の手によって馬車に乗せられ、そのまま病院へと運ばれて行った。怪我を負っているカミーユ・アトウッドもアトウッド伯爵家の馬車で病院へ。
腰を抜かしていたマリユス・マイヤールはリオン伯爵家の従僕らに肩を貸してもらい、邸内に逆戻りした。
間もなく、従僕の一人が駆け出して行った。マイヤール伯爵邸への使いだろう。
離れたところで使用人たちに指示を出しているウォルクと、誰かが持ってきた箒でガラスの破片を掃いているゼアラルをセイラムは呼んだ
「ウォルク、ゼアラル、僕たちも行くぞ」
「はい!」
「……ああ」
そこにピエールが駆け寄ってきた。後ろには彼の妹のミシェルもいる。
「セイラム様! 俺も連れて行ってください!」
「駄目だ、危険だ!」
「承知の上です! あいつに両親のことを聞きたいんです!」
ピエールの必死な形相にセイラムは言葉に詰まった。
「両親が生きているのか死んでいるのか、生きているのなら今どうしているのか、どこにいるのか。あいつが何か知っているんじゃないかって、そう思って……」
「ピエール、気持ちはわかるが……」
「お願いします! 連れて行ってください!!」
そう叫んで深く頭を下げるピエールに、セイラムはこいつは困った、と頭を搔いた。一瞬だけ天を仰いで心を決める。
「わかった、お前も連れて行く。ただし、僕の言うことをちゃんと聞くこと。それから、さすがにミシェルは連れて行けないぞ」
そう言うとピエールとミシェルは頷いた。
「わかってます」
「わたし、最初からついて行かないつもりでした」
「そうなのか?」
ミシェルは藁色のふわふわした髪を揺らしてこくりと頷いた。
「わたしが行くと邪魔になるから……」
ついて行くという兄が心配なのだろう、不安そうな顔でミシェルはセイラムを見上げた。
「セイラム様、お兄ちゃ……兄を」
「ああ、わかっている。僕たち全員、ちゃんと無事に帰ってくるよ」
そう言って微笑むと、ミシェルは安心したように笑った。
部下たちに指示を出していたバート警部が大きな腹を揺らして駆け寄ってきた。
「伯爵、行きましょう!」
「ああ、わかった」
セイラムは頷き、杖を握り締めた。
「行こう」
***
東十番地区にあるラブレー男爵邸はもぬけの殻だった。
使用人の一人もおらず、邸内の部屋のほとんどは長く使われた形跡はなかった。
隣に住む某貴族の使用人の話によると、たまにローブのフードで顔を隠した男が出入りするだけで、空き家かそれに近い状態だと思っていたとのことだった。
だが、一階の厨房や二階のとある寝室には明らかに人が住み使用していた形跡があったし、寝室の隣の書斎らしき部屋は魔術書――特に黒魔術に関する書物で埋め尽くされていた。
そして、男爵邸に二つある地下室の内、狭い方の部屋の中央には真っ白な美しい棺が一つ安置されていた。だが、蓋は開けられ中は空っぽで、枯れた薔薇の花のみ残っている。
「死臭がする」
棺の臭いを嗅いだゼアラルがぽつりと言った。
「中に遺体が納められていたのは間違いないだろう。だが、一体どこにいったんだ?」
「セイラム様、もしやこの棺に入っていた遺体がラブレーの蘇らせたい相手、ですか?」
「ああ、おそらくな」
ここで大人しく永の眠りに就いていたであろう遺体。それがないということは……?
嫌な予感をひしひしと感じながら一行は隣の部屋に向かう。
大きな方の地下室には、床のあちこちに少量の血痕と、三人の女性の遺体が残されていた。地下室の片隅には女物の衣服の布地の切れ端やアクセサリーが雑に放り出されている。それらの物の中には紫水晶と金でできた細かい装飾の葡萄のネックレスがあった。
「どうやら間違いないようですな」
硬い声音でバート警部が言った。セイラムもここの住人――すなわちガスパール・ラブレー男爵が連続殺人事件の犯人であることを確信していた。
セイラムは遺体に近寄り、俯せになっている一体をそっとひっくり返す。人参のような色の赤毛の女性だ。強張った頬にそばかすが散っている。その胸にはぽっかりと穴が開き、中は空洞のようだった。首は切り裂かれているが周辺に血はほとんどない。
残りの二体をバート警部とスパイサー刑事が検分している。それぞれ金髪と黒髪の女性だ。やはり胸には穴が開いている。
「バート警部、彼女たちは……?」
「申し訳ありません、彼女たちに関しては何も情報はないのです」
「捜索願がまだ出されていないか……出されていても我々のところにまだ報告が来ていないのかも」
バート警部とスパイサー刑事が遺体の顔などを確認しながら言った。
「我々の知らない間に三人も殺されていたなんて……! 絶対に許されませんよ、こんなこと!」
スパイサー刑事が握った拳を震わせながら怒りの形相で吐き出した。バート警部は冷静に、警官らに三人の遺体を王都警察本部に運ぶよう指示を出す。
セイラムは地下室を見渡した。
「奪われた心臓は一つも見当たらない。この血痕も……確か、全ての遺体に血液はほとんど残っていないんだったな?」
「ええ、そうです」
セイラムの問いかけにバート警部が答える。
「だとするとこの血痕は全部ではないな。少なすぎる。黒魔術に使うために何かの容器にため込んでいたに違いない」
「そして、その容器とやらは見当たりませんね」
ウォルクも頷く。
「ひどい臭いだ」
ゼアラルは鼻を覆っていた。彼は鼻が利くらしい。確かにひどい臭いだ。血の臭いと死臭。
ピエールはセイラムの判断で一階の玄関に待機させている。地下室の入り口で死臭をかぎ取ったゼアラルがそれをセイラムに伝え、セイラムがまだ子供のピエールを地下室に連れて行くのは不味いと判断したためだ。
「セイラム様、いかがなさいますか?」
ウォルクの問いかけにセイラムは上着のポケットからハンカチに包んだ指輪を取り出した。ラブレーが落としていった紅玉の指輪だ。
「これを使おう」
セイラムは地面にハンカチを広げその上に指輪をそっと置いた。そして立ち上がり、杖を構える。
「ライライディーアの術式第九十九番、『風よ届けよ、指輪の持ち主、潜みし者の足音を。現れよ光よ、照らし出せ潜みし者の足跡を』!」
セイラムの杖から柔らかい風と薄黄色い光が生まれ指輪を巻き込み、驚く警官らを置き去りにして暴風と流れ星のように地下室から飛び出して行った。
「は、伯爵……? いったい……」
バート警部が戸惑いの声を上げた時、バタバタと階段を駆け下りる足音がした。
「セイラム様!! 大変です!」
階上に残してきたピエールの慌てた声。
すぐにセイラムは地下室の入り口に駆け寄った。
「どうした、ピエール?」
「地下から飛び出してきた光が玄関で魔法円を作りました!」
セイラムはにんまりと笑った。
「よし!」
すぐに一階に駆け上がる。ピエールに先導されてそこに行くと、確かに薄黄色い光が魔法円を描いていた。魔法円を囲むように風が渦を巻いている。
セイラムはしゃがみ込み、魔法円をじっくりと観察した。
「ラブレーが直前に使ったものだ。ゲオルギウスの術式……応用附則百二十三番……いや、百二十四番か。『風が向かうは偉大なる黄昏の都、……に忘れられた絢爛の舞台』……」
「南東に忘れられた、だ。お嬢さん」
「お前、いい加減にしろよ」
未だに自分をお嬢さんと呼んでくるゼアラルを小突き、セイラムは読み取れなかった部分にもう一度目をやる。
「ああ、本当だ。『南東に忘れられた絢爛の舞台』……確か南十番地区に廃墟となった劇場があったな。老朽化に加えてパンタシア座ができたことで潰れてしまった劇場が」
「はい!」
セイラムの問いかけにスパイサー刑事が元気よく答えた。
「金糸雀座ですね。六十年ほど前に建てられた劇場で、多くの王侯貴族らが通った人気の劇場でしたが、設備や建物自体の老朽化、並びに十年ほど前に王宮にほど近い南六番地区にパンタシア座ができたことで一気に廃れてしまい、廃業してしまった劇場です。かつてのオーナーが所有権を放棄し、現在は国府が管理しています」
取り壊すのにも費用が掛かるため、そのまま放置され荒れ放題の不気味な廃墟と化した劇場。幽霊が出るとの噂がまことしやかに流れ、近郊の若者たちが勝手に入り込んで中を荒らし、かつての栄華は見る影もない。
渦を巻いていた風がほどけて、指輪と共に玄関から外に飛び出して行く。
セイラムは風を追って外に出た。風は金糸雀座のある南十番地区の方角にゆるやかに流れていく。
「あの風を追いかけよう」
セイラムはそう言って、率先して走り出した。ウォルクとゼアラル、ピエールが後を追う。
置いて行かれたバート警部が慌てて部下に指示を出した。
「伯爵、待ってください! 一、二、三班は私と一緒に来い! 四班はここに残って遺体の移送の手配、それから邸内を調べるように!」
「わかりました!」
「了解です!」
数名の部下を残し、バート警部は他大勢の部下と共にセイラムを追って走り出した。
東十番地区を駆け抜け南十番地区に入る。一つの地区は決して狭くはない。それなりの広さがあるため、南十番地区中央部にある金糸雀座に到着した時にはさすがのセイラムも息を切らしていた。ウォルクも深呼吸して息を整えている。
ピエールは地面に座り込んでへばっている様子だったが、隣でゼアラルは涼しげな表情をしていた。
風は金糸雀座に着くと同時にそよ風のように弱まり、霧散して跡形もなく消えた。ころりと落ちた指輪をセイラムは回収し、ハンカチに包んでポケットに仕舞った。
セイラムたちに遅れること数分、バート警部らが到着した。体型からわかるようにバート警部は運動が得意ではない。今も地面に座り込んで全身汗だく、呼吸困難になりそうなぐらいぜいぜいと荒い息を吐いている。
「警部、大丈夫か?」
セイラムが問いかけると、バート警部は片手を上げて『大丈夫だ』と言うように手を振った。
バート警部の荒い呼吸が整うまで約三分。
ようやく立ち上がったバート警部は懐から拳銃を取り出し構えた。部下の警官たちも同じように拳銃を取り出す。
「お待たせしました、伯爵。参りましょう!」
それを見てセイラムも頷き杖を構えた。
「ああ、行こう!」




