薔薇色の人生 十四
「なっ!?」
男は振り向きざまに腕を振るう。虚空から発せられた衝撃波でカミーユは吹き飛ばされて庭の木に激突した。
「カミーユ様!!」
婚約者が木にぶつかり倒れ込んだまま動かないのを見て、グローリアは慌てて駆け寄ろうとした。だが、その前に男がグローリアに近寄り首に手刀を落とした。
「あ……」
グローリアはすとんと意識を失いその場に倒れ込む。それを男が抱き上げ――
「させるかっ!!」
ウォルクが男に蹴りかかった。槍のような鋭い蹴りが男の顔を掠める。
男の頬が風圧で切れ、血が飛び散った。
ウォルクは続けてもう一発蹴りを放った。今度は男の胴に綺麗に入り、男は地面に無様に転がった。すかさず王都警察の警官らが男を取り押さえようと飛び掛かる。
だが。
「駄目だ、離れろ!」
セイラムが叫ぶのと同時に男のそばに精霊が現れた。赤黒いぼろ布を纏った女の姿をしている。簾のように垂れさがる長い長い黒髪。頭に被った花冠は枯れ果て、茶色い塵のようだ。
その精霊が腕を振った。
途端に烈風が吹き荒び、警官らを吹き飛ばす。
「ぐっ!?」
セイラムも飛ばされそうになり、咄嗟に足を踏ん張りその場に踏みとどまった。ウォルクはその場に伏せて烈風をやり過ごしている。
すぐに風は収まり、後には地面のあちこちに倒れる警官らだけが残った。
「お、お前たち! 大丈夫か!?」
バート警部が慌てて駆け寄る。警官らは全員裂傷や打撲などの怪我を負っていた。骨折している者もいるようだ。
だが男の姿はそこにはない。
「どこに……!」
慌てて見回すと男は塀の上にいた。そばには精霊が寄り添っており、肩には意識のないグローリアを担ぎ上げている。
「待て! その人を放せ!」
セイラムが叫ぶと男は振り返った。ローブのフードのせいで顔は見えないが不敵に嘲笑ったのが雰囲気でわかった。
「断る。先日心臓を貰い損ねたからな。今日こそは貰う」
「貰い損ねた……」
セイラムの呟きを男は拾う。
「この女が『殺さないで、殺すなら妹にして』と言うから……妹を売るとはひどい女だと思ったが顔には妹への憎しみが表れていた。面白いと思ってこの女の願いを叶えてやったんだ。その対価としてこの女の心臓を貰う」
その言葉にセイラムは確信した。
「お前が一連の事件の犯人か。奪った心臓をどうするつもりだ!?」
「もう分かっているだろう?」
男の言葉に、セイラムは自分たちの考えが当たっていることを知る。
「十二の時刻む鼓動と数多揺らめく貴石の輝き……」
吐息混じりにそれを言うと、男は哄笑した。
「はっはっはっはっはっ!! その通り! 正解だよ!」
「いったい何のために……誰を蘇らせたいんだ!?」
セイラムの問いに男は笑うのを止めて背を向けた。
「おい!」
「お前に言っても分からない」
男の足元に光が灯った。光る魔力の粒子が魔法円を描く。
――見覚えがある。
「その術式は!」
二日前、南六番地区の菓子店前で見たものだ。
「お前っ、その術式をどこで!?」
「偶然知り合った魔術師に仕込んでもらった。禁術のこともそいつから教わったんだ」
話している間に光は強さを増していく。
セイラムは杖を振った。
「ケストナーの術式第五十九番、『赫灼の紅鏡、あまねく高みを焼き焦がす』!」
紅蓮の炎が湧き熾り、男のみを包み込もうとした。だが、男に憑いている精霊が風を起こし炎より先に男を包み込む。
「くそっ」
だがその時、ローブのフードが風で落ちた。フードの下から現れたのはあの似顔絵の通り痩せた陰気な顔だ。
「さらばだ伯爵。じきに時は巻き戻り今はなかったことになる。新たな世界でまた会おう」
「待て!」
精霊が腕を振る。巻き起こった砂埃がセイラムたちを阻んだ。
その隙に、光と共に男は消え去った。もちろん、グローリアの姿もない。
「ぐっ、グローリア!!」
娘が連れ去られるのを目の当たりにしたキャラハン子爵が絶望の表情で娘の名を呼ぶ。彼の腕の中には気絶した子爵夫人がいた。庭の端では庭木にぶつかり倒れ込んでいたカミーユがピエールによって助け起こされている。
「大丈夫ですか、アトウッド様!」
「だ、大丈夫だ……僕よりグローリアは……!?」
顔を上げたカミーユはグローリアの姿がないことに気付くと拳を地面に叩きつけた。
「グローリア! くそ、すまない……!」
「いえ、僕の責任です」
セイラムがそう言うと、バート警部が否定した。
「いえ、我々の責任です、伯爵。すぐに王都警察と近郊の警察署の捜査員を総動員してグローリア嬢と奴の行方を捜索します。今ならまだ助けられる!」
「そうだな、僕も協力する」
「セイラム様!」
そこにウォルクが駆け寄ってきた。
「ウォルク、怪我は?」
「ありません。セイラム様こそご無事ですか?」
「ああ、大丈夫だ」
セイラムの答えにウォルクはほっと一息つくと、手に持っていたものをセイラムに差し出した。
「先程あの男に攻撃した時、男が落としたものです」
「何だと!?」
それは指輪だった。小さな紅玉がはめ込まれている。千切れた鎖がついていることから鎖に通して首から下げていたと思われた。
「嘘から出た実だ。これを使って奴の居所を探ろう」
居場所を追跡する術式に使うアイテムは、相手がよく身に着けているものや愛着のあるものであればあるほど成功率は高くなる。
この指輪は男にとって大事なものであるようだし、高い確率で成功するだろう。
降って湧いた可能性に活力が漲ってくる気がした。
セイラムが急ぎ術式を行使しようとした時、後ろからピエールがおずおずと話しかけてきた。
「あの、セイラム様」
「何だ、ピエール? 急ぎでないなら後に……」
「いっ、急ぎです!」
焦った声音に振り向くと、顔を強張らせたピエールが従僕のお仕着せの裾を握り締めていた。その少年らしい細い体は微かに震えている。
「どうしたんだ?」
様子がおかしいピエールに、流石にセイラムはきちんと向き直って声をかけた。
「あ、あいつです」
「あいつ?」
言いたいことがうまく言葉にならないのか、ピエールは何度か口を開けては閉じ、何度目かでようやく言葉をひねり出した。
「さっきの男、あいつです、あいつ。僕の家族に付き纏っていた、気味の悪い男……!」
***
ピエール・ノックワースとミシェル・ノックワースの父、フレデリク・ノックワースは鉱石採掘と研究の仕事をしていた。ピエールがフレデリクから聞いた話によると、フレデリクは幼い頃、光り輝く石を拾ったのだという。
拾ってからよく見ると、それはどう見ても輝くような石ではなく、ウズラの卵ほどの大きさの歪な灰色の石だったのだが、フレデリクはその石を大事に保管して時折眺めていたのだそうだ。
石に興味を持ったフレデリクは、灰色の石を拾った数年後、近くの山の崖にある古い地層から貝の化石を掘り出した。これで一気に鉱石に対する興味が爆発し、暇を見つけては山に入り、鉱石や化石を採掘し、近所に住む専門家のところに持って行っては教えを乞うようになった。
そう、運良く近所に鉱物学の専門家が住んでいたのだ。フレデリクはその専門家に弟子入りし、専門家もフレデリクを子供だからと適当にあしらわず、フレデリクが知りたがったことを全て丁寧に教えた。
大人になってもフレデリクの鉱石に対する熱意は冷めず、結局それを生業として、趣味と仕事を両立させ、順調な人生を歩んでいた。
ピエールは以前、フレデリクが鉱石に興味を持つきっかけとなった灰色の石を見せてもらったことがある。フレデリクは大人になってもずっとその石を手放さずにいたのだ。
確かに、光り輝くような石ではなかった。どこからどう見ても、その辺の道端に転がっているような何の変哲もない小石だった。光っているように見えたのは、太陽の光の当たり具合によるものだろう、と当のフレデリクはそう語った。
「子供みたいで困っちゃうわ。私には面倒見なきゃいけない子供が三人もいるのね」
ピエールとミシェルの母、エミリーは、そう言って楽しそうに笑った。ピエールだけでなく夫まで毎日のように服を泥だらけにして帰ってくるので。
幸せだった毎日に影が差したのはピエールが九歳、ミシェルが五歳の時だ。
どこで噂を聞いたのか、見知らぬ男がフレデリクの例の灰色の小石を譲って欲しいと言って訪ねてきたのだ。
男はガスパール・ラブレーと名乗った。陰気な顔をした男だ。頬がこけていて、目も落ち窪み、眉はほとんどないぐらい薄い。目の下には濃い隈が張りつき、まばらに髭が生えている。髪は黒髪で、生え際がだいぶ後退していた。
「光り輝くように見えたなんて、珍しい小石に違いない。詳しく調べたいからその石を譲っていただきたい」
ラブレーはそう言って、ただの小石に付けるには法外な金額を提示した。目の玉が飛び出るような、途方もない金額だった。
ただの小石にそんな値をつける男を信用することはできず、また、この男がそんな大金を持っているようにも見えず、フレデリクは石を譲ることを断った。ラブレーはノックワース家にしつこく通い詰め、フレデリクやエミリーだけでなくピエールとミシェルにも付きまとった。
フレデリクは市警や自分の師である鉱物学者に男のことを相談した。市警も鉱物学者もノックワース家の味方をしてくれた。おかげでラブレーは諦めたのか、姿を現さなくなった。
だが、平穏が戻ったと安心した矢先、鉱物学者が殺された。
無残な死にざまで、魔力の残滓があったことから犯人は魔術師であることは明らかだった。
あの男だ、とピエールは直感した。それが真実かどうかはわからないが、そう思えてならなかった。
次は市警の刑事だったとピエールは記憶している。フレデリクがラブレーのことを相談した刑事だ。
その次はピエールの祖父母――フレデリクとエミリー、それぞれの両親だった。
葬儀の時はピエールとミシェルは二人そろって号泣した。どうして、と、何度も両親に問いかけたが、それを一番聞きたかったのは両親だろう。
近所の住人が飼っている犬や猫が死んだ。
数軒先で火事が起こった。
昨日まで元気だった近所の老人が翌朝には死んでいた。それも立て続けに何人も。
身の回りで起きる不幸があの男、ラブレーの所為――ひいては自分たちの所為に思えてならない。
この頃のことをピエールはあまり覚えていない。記憶に残るほど両親が事情を説明してくれなかったからだ。子供たちに心配をかけまいと気を回したのだろうが、両親が苦悩し疲弊していく姿を黙って見ているだけ、というのは九歳の子供であっても辛いものだった。
何もかもでなくてもいいから、何が起きているのかほんの一部でも説明してほしかった。
ノックワース家の両隣の家が火災で全焼し、この二件に住む家族全員の遺体が発見された時、フレデリクは逃げることを決意した。
これ以上周囲の人間を巻き込まないために。そして、家族を守るために。
身の回りのものだけを持ち、家族を連れ、夜陰に紛れて家を出た。
夜通し歩いて大きな街に着くと、すぐに汽車の切符を買い、王都に向かった。だが、途中で自分たちをつけてくる者がいることに気付いた。
ピエール達はこっそり振り返って追跡者の姿を確認した。
ラブレーだった。
フレデリクもエミリーも、無言で汽車を降り、別の街に向かう切符を買った。何度も何度も汽車を乗り換え、同じ路線や違う路線を行ったり来たりし、ピエールとミシェルが疲れ果てて転寝していた時、ようやく本来の目的地だった王都ソルブリオに到着した。
急いで雑踏に紛れ込んだが、追跡者を振り切ることはできなかった。
自分たちの行く先々にあの男がついてくる。フレデリクもエミリーも、心身ともに疲弊していた。幼いピエールとミシェルはもっと疲れ果てていた。
ピエールは疲労から来る眠気で半分眠りながら、父親に腕を引かれ王都中を彷徨い歩いた。自分と妹を引っ張りながら、両親が何かぼそぼそと話し合っているのを夢うつつに聞いていた。
気が付くとピエールは、どこだかわからない寂れて汚い路地裏で眠りこけていた。傍らには同じく眠る妹の身体があった。両親の姿はなく、上着のポケットには金銭が入った財布があった。
――置いて行かれた。
ピエールは事態を一瞬で悟った。
慌ててミシェルを叩き起こし、両親を探して辺りを駆けまわったが、両親の姿はどこにもなかった。
ラブレーの姿も。
後から思えば、両親はピエールとミシェルの安全を確保するために囮になったのだろう。二人を人通りのない路地裏の物陰に寝かせ、財布もまるごと置いて行った。
ピエールの上着のポケットにはメモが一枚入っていた。フレデリクの字で、『ミシェルを頼む』『必ず迎えに行く』『お前なら大丈夫だ』と、三言だけ書いてあった。
追い詰められた両親の精いっぱいの思いやりだったのだろうが、当時のピエールは突然自分たちだけで放り出された不安でいっぱいで、正直パニック寸前だった。すぐに落ち着けたのはミシェルがいたからだ。
不安と空腹で泣き始めた妹を見て、ピエールはスッと冷静になった。直前まで不安で不安でたまらなかったのが嘘みたいに頭の中が静まった。
行く当てはない。金もあまりたくさんは持っていない。着替えも、食料も……
それでもピエールは動いた。九歳なりに必死で考えた。妹を守り、自分も生き延びる方法を。
ひとまず、近くのパン屋でパンを買って腹を満たし、王都警察の分署に行って両親に置き去りにされたと訴えた。が、対応した警官が事実確認を怠り、ピエールとミシェルをただの浮浪児だと思い込んで追い返してしまった。
この警官がピエールの訴えをちゃんと聞いて、身元確認なり何なりしていれば、二人は保護され、然るべき施設で衣食住が保証された暮らしを送ることができていただろう。
ピエールはこの件で警察に対する強い不信感を抱き、大人を頼ることを諦めた。両親が本当に迎えに来てくれる当てなどないが、とにかく二人だけで生きていこうと決意した。




