薔薇色の人生 十二
「噓仰い! あなたが黙っていたせいでミレイユは殺されたのよ!!」
激昂する子爵夫人を子爵が止めた。
「よさないか! それにミレイユが死んだのはグローリアのせいではないだろう。グローリアを襲った犯人とミレイユを殺した犯人が同一人物だとして、何故グローリアに責任があるんだ?」
「キャラハン子爵の言う通りです。二つの事件は無関係だと判断したのは王都警察ですし、僕が見せた似顔絵を見るまでそれぞれの事件の犯人が同一人物であるかもしれないということを、グローリア嬢は知る由もなかった……はずでした」
「はず?」
セイラムの言葉にマリユスが首をひねる。
「まさか、知っていたのか? 君は自分を襲った男が連続殺人事件の犯人だということを?」
マリユスの問いかけに、グローリアは唇を笑みの形に歪めた。
「知らなかったわ、襲われたその時は。ただ私は襲ってきた男に言っただけよ。『殺さないで、殺すなら妹のミレイユにして』って」
その言葉に一同は絶句した。
「グローリア! 何ということを!! お前は妹を売ったのか!?」
キャラハン子爵の怒号。軍将校と言う立場は伊達ではない。空気が震えるような怒鳴り声に、背後から警官の誰かが「ひぃっ」という悲鳴を漏らすのが聞こえた。
だが、グローリアは眉一つ動かさず冷めた目で父親を見た。
「申し上げたでしょう、お父様? お父様とお母様が悪いのよ、って」
「いったい何のことだ!」
怒鳴り返す父親に、グローリアは初めて顔に表情を乗せた。父親のいかつい顔を負けないくらい強く睨み返し唾を飛ばすような勢いで大声を吐き出した。
「あなたたちはいつもミレイユのことばかり! 何でもミレイユのことばかり優先して私のことは後回しにして! 私が先にしていた約束事も後から言い出したミレイユを優先して簡単に破るし、私がそれに対して不満を言うと『姉なんだから我慢しなさい』『妹に譲って上げなさい』、ってそればかり! あのドレスだって!」
「ドレス?」
セイラムの呟きを耳聡く拾ったグローリアは、拳を強く握った。喰い込んだ爪が皮膚を傷つけ血がにじむ。それほど彼女の怒りは強いのだ。
「先日サングラント公爵が開いた夜会にミレイユが着て行ったピンクのドレスです。あれは元々私が仕立てたものでした! なのに、仕立て屋が持ってきたドレスを見てミレイユは、『私のよりお姉さまのドレスの方が素敵だから譲って』と……」
セイラムはミレイユ嬢の姿を思い起こす。確かに彼女はピンクのドレスを着ていた。深みのあるピンクの布地と淡いピンクのレースが使われていて、茶色い髪のそこかしこに小さなピンクの薔薇をあしらっていた。薔薇の精のようだといろんな人が褒めそやしていたのを覚えている。
だが、微妙にちぐはぐな印象をセイラムは感じていた。ミレイユが着るには少々大人っぽい気がしたのだ。これまでの彼女を見ていると、パステルカラーのドレスが多かった気がする。それが突然深みのあるピンク色。
そして、あの夜会でグローリアは明るいパステルブルーとパステルピンクのドレスを着ていた。正直に言ってあまり似合っていなかったが、あれはもしやミレイユが着るはずだったものなのだろうか。
「グローリア嬢、もしや、あの夜会であなたが来ていたドレスは……」
「ええ、お察しの通り妹のものです。私のドレスを妹に譲る、それだけならまだよかった。まだね。なのに妹は『私のドレスはぜひお姉さまに着て欲しい』って!」
グローリアは母親を睨みつけた。
「私は嫌って言ったわ! これは私のドレスだからミレイユに譲るのは嫌よって! デザインも全て仕立て屋と相談して決めた私だけのドレスだったのに! なのにお母様は姉なんだから妹に譲って上げなさいって、そればかり!! おまけにミレイユが仕立てたあの子供っぽいドレスを私に着ろ、だなんて! 恥ずかしくて死にそう……いえ、死にたくなったわ!」
「ぐ、グローリア……」
これまで大人しく従順だった娘の言葉に子爵夫人は真っ青を通り越して真っ白な顔色になる。今にも倒れそうだ。
「ドレスだけじゃないわ、私のネックレスやブローチも、気に入ったものはみんなミレイユが持っていくのよ! 『これ可愛い、頂戴』って。これに関しても私はお父様やお母様に訴えました。でも、返事は同じ。『姉なんだから我慢しなさい』『妹に譲って上げなさい』。そればかりだったわ。あの子に持っていかれたものの中にはお祖母様の形見の品もあったのよ! あれは私の宝物だったのに!!」
「形見の品?」
セイラムが静かな声で口を挟む。ヒートアップしていたグローリアはセイラムの声に落ち着きを取り戻したのか深呼吸をした。
「母方の祖母が亡くなる少し前に、私にブローチを譲って下さったのです。鈴蘭の絵柄のカメオのブローチですわ。水色の地に白い鈴蘭が浮き上がっている可愛らしいブローチです」
「それをミレイユ嬢に持っていかれた、と」
「ええ。そもそもあの子はカメオにはそれほど興味はないはずなんです。きらきらした宝石がついているものが好みで……。だから、あのブローチを強請られた時『あなた、カメオはそんなに好きじゃないでしょう?』と聞いたんです。そうしたら……」
グローリアは喘ぐように呼吸した。
「『だってお姉さまは良いものたくさん持っているじゃない、一つくらい頂戴よ』って。あの子が持って行ったのは一つどころじゃないわ! ドレスも宝石も、友人からの贈り物も……お父様、お母様、あなたたちは私のワードローブを見たことがございまして?」
問いかけられた子爵夫妻は顔を見合わせた。
「私はないが……お前は?」
「いいえ、私もございませんわ」
「そう、ならうちに帰ったら一度見てみればいいわ。流行りのデザインのもの、可愛らしいもの、それらはみんなミレイユが持っていって、私のところに残っているのは地味で冴えないものばかり。数も少ないわ。ミレイユが持っているドレスの半分以下よ。あなたたちがミレイユのことばかり優先して私を蔑ろにしたおかげでね!」
吐き捨てるように言ったグローリアは、もう一度両親を睨みつけた後、隣で呆然としているマリユスを見た。
「極めつけはマリユスのことよ」
「……え?」
突然名前を上げられ、マリユスは動揺する。
「ぼ、僕が何だっていうんだ? 僕は君に何かしたか?」
「いいえ。あなたは何も。何かしたのはミレイユよ」
グローリアはもう一度深呼吸した。深く、深く。
「私、ロイズ王立学院の学生だった頃、同級生であるあなたのことが好きだったの」
突然の告白にマリユスは戸惑った。
「え、え、いや、ありがとう……。でも、僕は……」
「ええ、ミレイユのことを愛しているんでしょう? でもね、あなたがあの子と付き合い始めた時、あの子には恋人がいたのよ」
「…………え?」
マリユスは一瞬呆けた顔をした。が、すぐにグローリアの言葉の意味を理解し愕然とした表情になる。
「ど、どういうことだ? ミレイユは俺に男性とお付き合いするのは初めてだって……」
「そんなの嘘よ。ミレイユの前の恋人はとある男爵家の長男。かなりの男前だったわ。お父様たちに内緒にするためにデートの時は私と出かけるふりをしていたから、何度か会ったことがあるの」
「そんな……」
ショックを受けるマリユスに追い打ちをかけるかのようにグローリアは言葉を続けた。
「マリユス、あなたと付き合うことになった後でミレイユはその恋人と別れたの。その元カレは今日の葬儀には来ていなかったわ。当然よね。別れ際に『あなたと付き合っていたのはあなたが美形だから。じゃなきゃ家柄も財産も劣っている男爵家の息子となんて付き合ったりしないわ。あなたのことは最初から結婚相手として見ていなかったの』なんて言われたら」
相手の家柄を馬鹿にし、貶めるような発言だ。誰であっても許せないだろう。相手がミレイユでなく男であったならその元カレは手袋を叩きつけていたに違いない。
「ではミレイユ嬢はその男爵家の息子より家柄もよく財産も有り、尚且つ男前なマリユスが現れたから乗り換えた、と言うのですか?」
セイラムの問いにグローリアは曖昧に首を振った。
「そうとも言えるでしょう。でも、切っ掛けは私です」
「あなたが切っ掛け? どういうことです?」
グローリアはちらりとマリユスを見た。マリユスは次は何を言われるのかと身構えている。
「一年半ほど前、私たちがまだ王立学院の生徒だった頃よ。さっきも言ったように私はマリユスに想いを寄せていました。でも誰にも言わなかったわ。マリユスは伯爵家の長男で私は長女。マリユスは伯爵家を継がなくてはならないし、私もいずれ婿を取って家を継がなくてはならないのですもの。さっさと諦めようとしました」
グローリアの言う通りだ。貴族の後継は男女問わず長子優先だが、女児しかいない家は婿を取って家を継いでもらうパターンがほとんどだ。
だが、少数派だが娘が家を継ぐ場合もある。
スカーフィア女侯爵は、一度は婿に家を継いでもらったが、その婿に先立たれたため急遽家を継いだという。再婚する気はないようだ。亡き夫にべた惚れだったため、夫のために貞節を守っているらしい。
いずれの場合でもキャラハン子爵家は長女であるグローリアかその夫が継ぐことになる。
「でも、何かの拍子に妹に漏らしてしまったんです。マリユスのことが気になるって。そうしたらその数日後、妹はマリユスが所属している委員会に後から入ったんです」
「後から? そうだったのか?」
セイラムがマリユスに尋ねると、彼は頷いた。
「え、ええ、そうです。確か元々その委員会にいた友人と代わった、と」
「あの子が強請って代わってもらったのよ。後でその友人とやらに聞いてみたら、その委員会に入ってずいぶん経ち、自分に与えられた役割もあったのに、突然代われと言われて困惑した、と」
初耳だったのか、マリユスは驚いた顔をしている。
「後はわかるでしょう? ミレイユはあなたと親しくなり、交際するようになったわ。元カレの時と同じようにお父様たちに内緒にして、デートの時は私と出かけるふりをしていたわね? あの子はあなたのことを真剣に好きになったわけじゃないのよ。今は真剣に愛し合っていたのかもしれないけれど、初めはたぶん違う。ミレイユは私のものが欲しかったのよ」
「あなたの、もの?」
セイラムがグローリアを見ると、彼女もセイラムを見返した。
「別にマリユスは私のものというわけではないのですけど。ただ、これも昔からの妹の癖なんです。自分はどんなに気に入らなくても私が気に入っていたらそれも自分のものにしたがる……」
「ああ、だからカメオのブローチを?」
セイラムの問いかけにグローリアは頷く。
「ええ。私が大切にしているものだから欲しがったのよ。他にも、ミレイユの好みではないアクセサリー類をいくつも持って行ったわ。全部私が大切にしていたものばかり」
グローリアは妹に持っていかれたもののことを思い起こした。ピンクのドレスに薔薇色のドレス、カメオのブローチ、繊細な装飾の葡萄のネックレス、薔薇の形に彫刻された珊瑚の髪飾り、他にもたくさんの衣装や宝石、両親の愛情、マリユス。
「私がマリユスのことが気になる、と言ったから、ミレイユはマリユスに近づいて親しくなり付き合うようになった。ただそれだけよ。私が先日婚約したアトウッド伯爵家の次男、カミーユ・アトウッド様ともっと親密になったら彼の方にあっさり乗り換えたのかもしれないわね」
セイラムはカミーユ・アトウッドの顔を思い浮かべた。黒髪に青い瞳の生真面目そうな若者。歳は確かセイラムより二つ年上だ。端正な顔立ちで女性に人気があるが浮いた噂は聞こえてこない。
次男であるため、そして王立軍に入隊しているという縁からキャラハン子爵家に婿入りすることになったのだろう。
「ああ、でも、あの子は地位や身分に拘っていたから。カミーユ様に乗り換えても彼は次男だから家は継げないし、お父様がミレイユ可愛さから私ではなくミレイユとその夫に家を継がせると仰ってもうちは子爵家ですものね。ミレイユはもっと上に行きたがっていたから」
「なるほど。マリユスは伯爵家の長男で時期伯爵だ。ミレイユ嬢は彼と結婚すれば伯爵夫人になりあなたより地位が上になる。おまけにマイヤール伯爵家は羽振りがいい」
「ええ、ミレイユにとっては申し分ない相手だったでしょうね」