薔薇色の人生 十
小一時間も過ぎた頃、埋葬に立ち会っていた者たちがぞろぞろと戻ってきた。マリユスがセイラムを見つけて小走りに近寄ってくる。その顔はやはり、と言うべきか、先程よりも暗い。
「……見送ってきました」
「……ああ」
愛する者に永遠の別れを告げるのは辛いことだ。セイラムも両親を見送ったからよくわかる。
ただ、その時セイラムはまだ幼かった。悲しいという実感の湧かぬまま別れを告げたため、自分の中で感情の整理がつかないままだった。
悲しい、寂しい、辛い、苦しい。
感情がようやく追いついたのは両親の葬儀からしばらく経ってからだった。
「リオン伯爵」
マリユスの後ろから近づいてきたキャラハン子爵がセイラムを呼んだ。
「お待たせしました」
セイラムは軽く手を挙げて応える。
「キャラハン子爵、唐突なお願いで恐縮ですが、こちらのマリユス・マイヤールを同席させても構いませんか?」
キャラハン子爵は少し迷うような素振りを見せた後、頷いた。
「構いません、どうぞ」
一行は馬車でキャラハン子爵邸に向かった。マリユスはセイラムの馬車に乗り合わせている。
キャラハン子爵邸はルシール神殿やミレイユの遺体発見現場と同じ東九番地区にある。白壁に赤い屋根のどことなく可愛らしい印象の屋敷だ。
車寄せで馬車から降りると子爵邸の執事が出迎えてくれたので、帽子と杖を預ける。
そのまま客間に通され椅子に座った途端出された紅茶を啜りながら待っていると、すぐにキャラハン子爵と子爵夫人、グローリアとカミーユ・アトウッドがやって来た。夫人とグローリアは、今はヴェールを上げて顔を出している。子爵夫人はミレイユとよく似た容姿で、明るい茶色の髪、グローリアも母親似で妹よりも濃い色の髪をしている。
全員席に着いたところでキャラハン子爵が口を開く。
「リオン伯爵。話をする前になぜマイヤール伯爵のご令息を同席させたのか聞いてもよろしいですかな?」
少し棘のある声。キャラハン子爵はマリユスのことを良く思っていないようだ。年頃の大事な娘と密会していたからだろう。
「ご存じかと思いますが、彼はミレイユ嬢と交際していました。彼女の周りの異変を何か知らないかと思って来ていただいたのです。あなた方ご家族からの情報と照らし合わせたりするのにも、別々にやるより手っ取り早いでしょう」
いや、たぶんマリユスは何も考えずに同席したいと言い出したのだろう。考えるより先に感情が先走ってしまったのだ。
「それに、マリユス自身ミレイユ嬢の死に大変なショックを受けています。犯人を捕らえて八つ裂きにしてやりたいとも言いましたし。事件の速やかな解決のために、どうか彼の同席を許していただきたいのです」
キャラハン子爵たちに不信感を持たれないがために適当に理由をつけてみたが、キャラハン子爵は思いのほかあっさり納得してくれた。
「そうか……ミレイユに良い人がいるらしいというのは何となくわかっていたが、それとなく聞いてみてもはぐらかされるし、はっきりマイヤール伯爵のご令息だとわかったのがミレイユが死んだ直後のことで……正直彼の所為でミレイユが死んだ、と思っていたんですよ」
「申し訳ありません、キャラハン子爵。僕たち……僕とミレイユが付き合っていることはまだ秘密にしておこうって話してて……彼女が王立学院を卒業するタイミングで、その、結婚の許しを貰いに伺おうと思ってたんです」
「…………そうか」
キャラハン子爵は一つ頷いてマリユスを真っ直ぐに見た。
「ミレイユのことを、大事に思ってくれていたんだね?」
マリユスはキャラハン子爵を真っ直ぐに見返して力強く、それはもうこれ以上ないぐらい力強く頷いた。
「はい!」
キャラハン子爵は一瞬微笑んだ後項垂れた。
「どうしてだ……ミレイユ……お前には素晴らしい未来が待っていたのに……」
涙を零すキャラハン子爵に夫人がそっと寄り添う。
グローリアは一人青い顔で震えていた。彼女の震えに気付いたカミーユがそっと手を握る。グローリアはカミーユの顔をそっと見て、何かを言おうとしたようだがすぐに顔を伏せてしまった。
「……話を伺ってもよろしいですか?」
頃合いを見てセイラムがそう声をかけると、キャラハン子爵は涙を拭きながら顔を上げた。
「失礼しました。伺いましょう」
セイラムは一つ頷いて口を開いた。
「まず、ミレイユ嬢が亡くなる前、何か異変はありませんでしたか? 例えば、彼女の周辺に不審な人物がいたとか。どんな些細なことでも構いません」
そう質問すると、キャラハン子爵夫妻は揃って頭をひねり始めた。カミーユとマリユスも腕を組んで思い出そうとしている。
「そう言えば、ミレイユは誰かに見られている、と言っていたな」
ややあって、マリユスはそう言った。
「見られている?」
「ええ、気が付くと知らない男が自分を見ているのだと、そう言って怖がっていました。僕はその男の姿を見ていませんが、彼女の脅え方は本物で嘘を言っているようには思えなかった。だから、付添人を腕っぷしの強い男の使用人に変えたらどうか、って言ったんです」
キャラハン子爵はそれを聞いて納得したように頷いた。
「ああ、だからミレイユは付添人をマドレーヌではなくエイデンに替えたいと言い出したのか」
「失礼、エイデンというのはミレイユ嬢が攫われた時に一緒にいた従僕のことですか?」
セイラムがそう問うと、キャラハン子爵は頷く。
「ええ、そうです。エイデンは当家に十年ほど仕えてくれている従僕で、信用のおける者です。だからミレイユの付き添いを任せたのですが」
「そのエイデンと御者が怪我をしたと聞きましたが、会って話を聞くことはできますか?」
「ええ、もちろん。二人は西七番地区のエリオット三世病院に入院しています。重傷でしたが回復は順調で、王都警察の事情聴取にも応じていますし」
「わかりました。この後尋ねてみます」
セイラムは頭の中に“エリオット三世病院”とメモした。
続いて懐から例の似顔絵を取り出し広げる。
「これはミレイユ嬢らを襲った魔術師の似顔絵です。王都警察がエイデンと御者の証言を基に作成しました。この男に見覚えは?」
そう言うとマリユスは睨み殺せそうな眼力で似顔絵を睨みつけた。
「こいつが……っ!」
キャラハン子爵夫妻も怒りと憎しみのこもった視線で似顔絵を見つめている。カミーユも怒りの表情で似顔絵を見ていた。
セイラムは、ただ一人青い顔で無気力な目をしているグローリアのことが気になった。
「我々は王都警察からすでにこの似顔絵を見せられています。その時にも言いましたが、この男に見覚えはありません」
吐き捨てるようにキャラハン子爵が言った。
しばらく似顔絵と睨み合っていたマリユスもゆるゆると顔を上げ、首を横に振った。
「僕も、見覚えはありません」
「そうですか……。実は、つい先ほど確認したのですが、今回の連続殺人事件の被害者の一人、ミス・ジェーン・バルテが働いていたハーディ男爵邸の周辺でこの男が目撃されているのです。男爵邸の周りをうろついていた、と」
「何だと!?」
腰を浮かせて驚くキャラハン子爵。
「他の被害者たちの周辺でも、この男と思しき人物が目撃されています。また、この男について組合の黒の長老、赤の魔女の二名に尋ねてみたのですが、二人ともこの男のことを知りませんでした。顔の広い二人が知らないとなるとこの男は組合所属の魔術師ではないと思われます」
「組合に所属していない魔術師……」
キャラハン子爵の鸚鵡返しにセイラムは頷く。
「つまり組合にもこの男がどこの誰だか分からない、ということです」
しばし重苦しい沈黙が客間を支配する。
「この男が誰なのか、目星もまったくついていないのか?」
カミーユ・アトウッドの問いにセイラムは頷いた。
「はい。申し訳ありません。次の犯行を防ぐためにもミレイユ嬢の死を無駄にしたくはありません。何か他に気付いたことはありませんか?」
そう問いかけると、キャラハン子爵夫妻とカミーユとマリユスは唸りながら悩みだす。
「いや、まったく……心当たりは……」
その時、子爵夫人がはっとした顔をした。
「あなた、あれは?」
「あれ?」
「ほら、三月のグローリアの……」
「いや、あれは関係ないだろう?」
「何ですか?」
セイラムが聞き返すと、子爵夫妻はカミーユとグローリアの方をチラチラ見ながら言うか言うまいかしばし迷って、ようやく口を開いた。
「グローリアが、三月の半ばに何者かに襲われそうになったんです」
「……何ですって!?」
セイラムは身を乗り出す。
「そんな話は聞いたことがありません。場所はどこですか?」
「東六番地区です。パンタシア座で観劇した帰り道、余韻に浸るために少し歩いている時に襲われたんです。幸い付き添いの侍女と馬車が近くにいましたので犯人は何もせずすぐに逃げていったそうですが」
「このことを警察には言いましたか?」
「ええ、もちろん。犯人が逃げた後すぐに王都警察本部に駆け込んで被害を訴えましたから。なあ、そうだな、グローリア?」
父親に話を振られたグローリアは静かに頷いた。
「はい、そうですわ。御者に助け起こされ侍女と一緒に馬車に乗せられて、そのまま王都警察本部に向かいました」
意外な情報にセイラムは腕を組み考え込む。
この事件はいったい何を意味するのか?
単純に物取りの犯行か、それとも人攫いか。婦女暴行目的という線もある。
「今のところ連続殺人事件に関わりがあるとは思えませんが……もしこれが連続殺人事件と同じ犯人の仕業だとすると、犯人はなぜ何もせずに逃げたのか……」
「侍女と御者がいたからでは?」
マリユスの言葉にセイラムは首を振った。
「ミレイユ嬢の時は従僕と御者がいた。にもかかわらず彼女は攫われている。グローリア嬢は何もされていないし犯人はさっさと逃亡している。やはりグローリア嬢の件は無関係と考えた方がいいのかもしれない」
セイラムがそう言うと、子爵夫妻は静かに、やや残念そうに頷いた。
「他に何かありませんか?」
セイラムの再度の問いかけに、子爵夫妻とカミーユとマリユスは首を横に振った。
「他にはもうありませんわ」
「僕も、思いつくことはないな」
「僕もです」
「グローリア嬢、あなたはどうですか?」
セイラムが一人黙りこくっているグローリアに話しかけると、彼女はゆるゆると顔を上げ、セイラムをちらりと見て首を横に振った。
「いいえ、私も何も知りません」
「そうですか」
セイラムは椅子の背もたれに身を預けた。
――ミレイユ嬢と姉のグローリア嬢の間には何か確執があったらしいわ。
やはりどうしてもグローリアの様子が気になる。はっきりとは言えないが、何かを隠している気がするのだ。
なので仕掛けてみることにした。
「いえ、問題ありません。手がかりなら他にもあります。実はミレイユ嬢の遺体発見現場近くから犯人のものと思われる遺留品が見つかったのです。今夜、探知の術式を使って犯人の居場所を探ってみるつもりです。……あまり期待はできませんが」
「大きな手掛かりなのに期待できないってどういうことですか? それで犯人の居場所がわかるのでしょう!?」
キャラハン子爵の大きな声にセイラムは思わず眉をしかめた。
「これまで何の手掛かりも残さなかった犯人が突然こんな物を残していくとは考えられません。何かの罠、あるいは捜査を攪乱させようとしている……そう考えた方が自然です。まあ、犯人が油断していた、という可能性もありますが」
そう言うと、キャラハン子爵は唸り声を上げて黙り込んだ。
「でも、もしそれで犯人の居場所がわかったら」
言いながらこちらを見たマリユスに、セイラムは頷く。
「捕らえる千載一遇のチャンスだ」
その言葉に夫妻とカミーユとマリユスは顔をほころばせた。
グローリアだけは陰鬱な表情をしたままだった。