薔薇色の人生 九
翌日。
セイラムは東九番地区にあるルシール神殿にいた。
ミレイユ・キャラハン子爵令嬢の葬儀のためだ。
葬儀用の正装に身を包み、黒いトップハットと黒塗りの杖を手に神殿の中に入る。
祭壇の上には精霊王の像が置かれていた。すべての精霊たちを統べる存在。至高き場所に御座す夢見る王。
祭壇には他に白い花が飾られている。白い花たちに囲まれるようにして棺が一つ安置されていた。
滑らかな白い木の棺の蓋には、金色のプレートが一枚付けられている。
プレートには『ミレイユ・アンナ・キャラハン』と刻まれていた。
「リオン伯爵」
呼ばれて振り向くとキャラハン子爵がやつれた表情で立っていた。王立軍の将校としていかつい風貌でにらみを利かせている彼が、少し瘦せてしまったようで顔色も悪い。そばには黒いヴェールで顔を隠したキャラハン子爵夫人とミレイユの姉、グローリアが。グローリアの傍らには彼女の婚約者であるカミーユ・アトウッド伯爵令息がいる。
「キャラハン子爵、ミレイユ嬢のこと、誠に残念に思います。ご存知かと思いますが僕は組合からこの事件について調査するよう命じられました。葬儀の後、皆さんにお話を伺いたいのですが、時間を取っていただけますか?」
セイラムの言葉にキャラハン子爵は力強く頷いた。
「もちろんです。私にできることは何でもします。どうか、娘を殺した者を捕らえてください」
「リオン伯爵、わたくしからも、どうかお願いいたします」
キャラハン子爵の一歩後ろで子爵夫人も震える声でそう言った。
グローリアは両親の後ろで震えている。小さく嗚咽の声が聞こえた。カミーユ・アトウッドはその細い肩をそっと抱いた。
黒髪に青い瞳の生真面目そうな若者。歳は確かセイラムより二つ年上だ。
「伯爵、僕からもお願いします。義妹のためにも」
「全力を尽くします。できる限りのことはします」
セイラムが頷くと、キャラハン子爵はセイラムの手を取って強く握った。
「どうかよろしくお願いします」
その後すぐに、キャラハン子爵たちは他の弔問客のところに挨拶に行った。セイラムはそれを見送った後、少し離れたところにいたアークレー子爵に会釈し、神殿内の適当な席に着いて葬儀式が始まるのを待った。
周囲の席がどんどん埋まっていくのをぼんやりと眺めていると、すぐそばで人の気配がした。
見上げると、マイヤール伯爵家の長男、マリユス・マイヤールがいた。
憔悴しきった顔だが身嗜みはきちんと整えられている。目の下のくまが濃い。
「……マリユス、久しぶりだな」
「伯爵、お久しぶりです」
余談だがセイラムとマリユスはロイズ王立学院のひと学年違いの先輩後輩の間柄だ。それほど親しくはなかったが、会えば挨拶するし世間話の一つもする。
セイラムがマリユスに座るよう手振りで促すと、マリユスは素直にセイラムの隣に腰掛けた。
「マリユス、君がミレイユ嬢と恋仲だったとは知らなかったよ。いつから付き合っていたんだ?」
隣で項垂れるマリユスに、セイラムはまっすぐ前の祭壇を見つめたまま声をかけた。顔は見ない。
「……一年、半ほど前からです。僕がまだ王立学院の生徒だった時から……。ミレイユは二つ下の学年で、委員会で一緒になって……」
「それで親しくなったのか」
「そうです…………なんで、こんな……」
嗚咽を漏らしながらマリユスは両手で顔を覆った。指の間から涙が零れ落ちる。
セイラムは自分のハンカチをマリユスの手に押し付けた。
「涙を拭け。もう葬儀式が始まるぞ」
「ぐすっ、はい……」
マリユスは素直に顔を拭いた。
「そう言えば、君はミレイユ嬢との仲を彼女の両親にはまだ言ってなかったのか?」
「ええ、はい。ミレイユが王立学院を卒業するタイミングで彼女のご両親に結婚の許可を貰おうと思っていたので、まだ……。自分の両親にも言ってなかったんです。親しくしている人がいる、とは言いましたけど」
マリユスは膝の上で拳を握り締めた。ハンカチが握り潰される。
「伯爵、あなたがこの事件を調べているとさっき言ってましたよね?」
「ああ、組合の命令でね。更なる犠牲者が出る前に解決させたいと思っている」
マリユスは勢いよく振り向いてセイラムの手を握った。涙で湿った手だ。
「どうか、どうかミレイユを殺した犯人を捕まえてください。絶対に許さない、八つ裂きにしてやる……!」
マリユスの目には強い光が宿っていた。嫌な光だ。負の感情に支配されている。
「落ち着け、マリユス」
セイラムはマリユスの肩を軽く叩いた。
「どんな凶悪犯だろうと、なるべく捕らえて法による裁きを下してもらう。私刑は罷りならない。……必ず相応の裁きを下してもらう」
「…………わかってます」
苦しそうな表情でそう呟いたマリユスの肩を、セイラムはもう一度叩いた。
ちょうどその時、祭壇上に神官が現れ、卓の上に聖典を置いた。それを合図に着席していた参列者たちは一斉に立ち上がり、祭壇の精霊王の像に向かって首を垂れる。
「伯爵、ミレイユの両親と話す時、僕も同席させてください」
着席する時、マリユスがそう囁いた。
セイラムは一瞬どうしようかと思案し、是、の意味を込めて頷いた。
***
葬儀式は粛々と進行し、最後に鎮魂歌と精霊歌を歌って終了した。
棺が運び出され、墓地へと運ばれていく。このまま埋葬されるのだ。
セイラムは埋葬には立ち会わず、神殿前でじっと待っていた。
「リオン伯爵」
声をかけられ振り向くと、スカーフィア女侯爵が靴のヒールの音も高らかにこちらに近づいてきた。彼女とはセント・ルースから戻った直後に報告書を提出しに侯爵邸を訪れた時に顔を合わせたばかりだ。
「女侯爵」
「物騒よね。とうとう貴族の娘まで犠牲になってしまったわ」
「ディアーヌ嬢はどうしていますか?」
「なるべく外に出るな、と言ってあるわ。実際に外出は控えているみたい。まあ、あの精霊がついているから万が一の場合でも大丈夫でしょうけど」
「ああ、そう言えばアエスがいましたね」
アエス・マクラウド。ディアーヌと契約を交わし彼女の守り人になった海に属する高位精霊。
「ですが、用心するに越したことはありません。いつ、また、誰が狙われるか分からないのですから」
「ええ、そうね。……風の噂であなたがこの事件について調査していると聞いたのだけど」
「耳が早いですね。その通りです。この後キャラハン子爵とご家族にミレイユ嬢の件について話を聞く予定です」
「そう」
スカーフィア女侯爵はわずかに眉間にしわを寄せた。
「ミレイユ嬢と姉のグローリア嬢の間には何か確執があったらしいわ。そういう話をちらりと聞いたことがあるの」
「確執? 姉妹喧嘩でも?」
「さあ? 詳しいことは知らないわ。まあこの事件には関係ないでしょうけど」
「……そうですか」
スカーフィア女侯爵は踵を返した。
「さ、私はもう行くわ。駐在大使たちに注意喚起を行なわなければならないの」
「注意喚起? この事件の、ですか?」
「違うわよ。あなた聞いてない? 数日前に準男爵サー・マーカス・フォールが夜道で何者かに襲われて怪我をしたのよ。大使館のある東二番地区での出来事だったから、念のため警戒を強めるよう頼んでおかないと」
「ああ、それなら聞いています。サー・マーカスは幸い命に別状はないとか」
「それでもしばらく出仕は無理だそうよ」
心配な話だが、サー・マーカスは意識もはっきりしており警察の事情聴取にも積極的に応じているとか。犯人が捕まるのは時間の問題だろう。
「サー・マーカスは精霊・魔術師否定派なのよね。犯人は魔術師じゃないかって同じく否定派の者たちが騒いでいるのよ」
「頭の痛い話ですね」
それじゃ、と軽く手を振りスカーフィア女侯爵は去って行った。
それを見送りふと振り返ると、離れたところにハーディ男爵がいた。
チャンスとばかりにセイラムはハーディ男爵に近づく。
「ハーディ男爵」
声をかけるとハーディ男爵は振り返り、セイラムを見て一瞬驚いた素振りを見せ、会釈した。
「これは、リオン伯爵。お久しぶりですな」
「お久しぶりです。……少々伺いたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「構いませんが、一体何を?」
「ジェーン・バルテのことです」
途端にハーディ男爵は思いっきり苦虫を噛み潰したような顔になった。
「……何をお聞きになりたいんです?」
火遊びのことを聞かれると思っているのだろうか。聞かれて困るなら不倫などしなければいいのに。もしくはバレないようにもっとこっそりとやればいいのだ。いや、よくはないか。
「ジェーン・バルテが亡くなる前、何か異変はありませんでしたか? 例えば、彼女の周辺に不審な人物がいたとか」
そう問うと、ハーディ男爵は虚をつかれたような顔をしてから顎に手を当て考え出した。予想していたことと違うことを聞かれたからだろうか。
「異変……異変なぁ……。ああ、そう言えば」
ハーディ男爵はパッと顔を上げた。
「何です?」
「誰かがうちの屋敷の周りをうろついている、と使用人たちが言っていたな。知らない男だ、と。私も一度だけそいつの姿を見ましたよ。痩せた不気味な印象の男でした」
セイラムは懐からバート警部に貰った似顔絵を取り出した。
「それはこの男ですか?」
ハーディ男爵は似顔絵を見て頷いた。
「この男です。間違いありません。この陰気な顔、広い額。あの男ですよ」
やはり、と言うべきか。
「実は、今回の連続殺人事件において、犠牲者の内数名が、生前謎の男に付き纏われていたらしいのです」
「何ですと!」
驚くハーディ男爵から似顔絵を返してもらい、懐に仕舞う。
「そして、この似顔絵の男は先日殺害されたミレイユ・キャラハン子爵令嬢を襲撃した人物なのです。ミレイユ嬢と共にいて負傷した従僕と御者の証言からこの似顔絵を作成しました」
ミレイユ嬢を襲撃した者と付き纏いを行なっていた者は同一人物。組織立って動いている様子はなし。
犯人は単独犯だろうか。まだ確定はできないが可能性は高い。
「こ、この男はいったい誰なんですか?」
「それはまだ分かりません。魔術師らしいんですが、組合の長老もこの男のことを知らないのです。少なくとも組合に属する魔術師でないことは確かです」
「そ、そうですか…………いや、しかし……」
「どうされました?」
何か考え込む様子のハーディ男爵にセイラムは問いかけた。
「いえ、大したことでは。ただ……」
「ただ?」
「その似顔絵の男、どこかで見たことがあるような気が……」
「見覚えが? どこでですか?」
食い気味にセイラムが聞き返すとハーディ男爵は頭を掻いた。
「いや、申し訳ない。気がするというだけで、はっきりしたことは……」
「……そうですか」
セイラムが残念そうに言うと、ハーディ男爵は俯いて黙り込み、再び顔を上げた。
「リオン伯爵、その、ジェーンのことなのですが……」
言い淀むハーディ男爵をセイラムは無言で待った。
「その、私と深い仲にあったのですが、その所為で妻にあらぬ疑いが……」
「男爵とジェーン・バルテの関係に嫉妬した夫人がジェーンを殺害した、という噂ですね?」
「……そうです」
ハーディ男爵はこれ以上ないくらい情けない顔をしていた。自分の火遊びから妻に飛び火してしまったのだ。一応火遊びすることに対する罪悪感はあるらしい。
「妻は、シエナは無関係です。どうかそれだけは……」
「分かっています。被害者たちの死には明らかに魔術師が関わっていますし、男爵夫人には他の犠牲者たちを殺害する動機はない。男爵夫人はこの事件に関係ありません」
セイラムがそう言うと、ハーディ男爵はほっとした顔をした。妻が罪を犯していたとすれば、ハーディ男爵本人や男爵家も無事では済まないからだ。
「ですが男爵、あなたの行いの所為でそう言う疑いが出てきたことを理解されていますか?」
ほっとしたのもつかの間、セイラムの言葉にハーディ男爵は再び情けない顔になった。若干脂汗もかいているようだ。
「……分かっています。ですが……」
「僕はあなたの身内ではないのでこれ以上苦言は言いませんが……確か財政難に陥りかけていたハーディ男爵家を助けるために裕福な商人の娘である夫人に嫁いできてもらったんですよね? 多額の持参金付きで。その上夫人の実家には今もたびたび金銭面で支援してもらっているとか」
ハーディ男爵の顔色がどんどん土気色になっていく。
「離婚調停となったらあなたに勝ち目はないでしょうね」
とどめを刺すとハーディ男爵はがっくりと項垂れた。そのままもごもごと挨拶をしてとぼとぼと去って行く。
彼の浮気癖がこれで治ればいいのだが、たぶん無理だろうなぁ、と思いながら、セイラムは見送った。