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天秤とウィッチクラフト  作者: 藤原渉
29/71

薔薇色の人生 八

 あくる日。


 ミレイユ・キャラハン子爵令嬢の葬儀が明日行われることになったとキャラハン子爵家の使いが朝早くに伝えに来た。キャラハン子爵夫妻の心痛は深く、子爵夫人とミレイユ嬢の姉は倒れてしまったそうだ。

 ミレイユ嬢の訃報は今日の朝刊で報じられた。おそらく貴族社会に大きな衝撃を与えていることだろう。


「ミレイユ嬢に付き添っていた従僕に会わせてもらえないか、葬儀の際にキャラハン子爵に頼んでみよう。ついでに、ハーディ男爵がいたらジェーン・バルテのことについて聞いてみるとしよう。とにかく何か情報を手に入れなければ」

「何か分かればいいのですが……ひとまず、明日の葬儀用の礼服を用意しておきました。後で確認をお願いいたします」

「わかった」


 その日の午後の早い時間にリオン伯爵邸に来客があった。


 セドリック・アークレー子爵。リオン伯爵邸の隣にあるアークレー商会という貿易会社の社長だ。まだ四十代半ばなのだが頭頂部は見事に禿げ上がってしまっていて、側頭部と後頭部に栗色の薄い毛が残っている。

 二日前、セント・ルースから戻ったその日にセイラムはアークレー商会にある依頼をした。

 ゼアラルが封印されていた緑柱石の竜像のことだ。


 セント・ルースから戻ったセイラムはまず竜像を見に行った。すると、封印が解けたためか像は粉々に割れていた。セイラムはその破片の売却をアークレー商会に頼んだのだ。

 竜像の大きさは縦およそ三十センチメートル。横も同じぐらいあった。かなり大きなひと塊の緑柱石だ。粉々にはなったが、一番大きな破片は鶏の卵ほどの大きさがある。それなりの値段で売れるだろう。得たお金は嵐で大きな被害が出たセント・ルースに寄付する予定だ。


 セイラムが売却を依頼する連絡を入れるとアークレー子爵はすぐにやってきて、ウォルクたち使用人が丁寧に集めた緑柱石の破片を、連れてきた鑑定士にその場で鑑定してもらい、それなりの値段になることを確認して布に包んで持ち帰った。


 もう買い手が付いたのだろうか?

 それと、昨夜入ったという泥棒の件はどうなったのだろうか?


 そう思っていたのだが、アークレー子爵の口から出たのは思いもよらぬものだった。


「盗まれた!? 昨夜の泥棒に、ですか?」

「申し訳ありません、リオン伯爵。もうご存じだと思いますが、昨夜遅く商会に泥棒が入りまして……すべての部屋が荒らされていたのですが、伯爵から預かった緑柱石が盗み出されておりました。報告が遅くなりまして、重ね重ね申し訳ございません」


 アークレー子爵は額の汗をハンカチでふき取りながら言った。


「すでに王都警察に被害届を提出しました。今捜査してもらっていますが、犯人の目星はまだ……」


 セイラムは手で顔を覆い大きなため息をついた。

 ここでセイラムはあることに気付く。


――大量の輝く鉱石と特別な石。


――粉々になった緑柱石。


 まさか……?


 内心冷や汗をかきながら、セイラムはアークレー子爵に質問した。


「盗まれたのは僕が預けた緑柱石のみですか? 他に盗まれたものは?」

「それが、金剛石(ダイヤモンド)紅玉(ルビー)青玉(サファイア)など、価値の高い宝石の付いた装飾品などもごっそりと盗まれていました。すべての部屋が物色されたようで、机や戸棚の引き出しはすべて引き出され、書類は散乱しひどい有様です。目録と照らし合わせて確認しました。盗まれたのはあの緑柱石を含む宝飾品類です」


「それは……何ともひどい。被害総額は一体いくらになるんだろう……」

「今はまだ何とも。うちの者たちに計算させていますが、正直考えたくありません。うちにとっては大打撃です。古代竜の頭骨の化石や中に鳥の羽が入っている握り拳ほどもある琥珀は無事だったのですが……ランバルド連邦の五公家の一つ、ファンドーリン家が借金の形に売り飛ばした家宝の青玉(サファイア)など目玉が飛び出るほど値の張るものが多数あったのです。それらがすべて……ですが、価値の高いものを多数盗み出しておきながら、何故か砕けた緑柱石まで持っていくなんて……いえ、伯爵の緑柱石に価値がないとは言っておりませんぞ」


 慌てて首と手を振るアークレー子爵にセイラムはわかっていると頷いた。


「とにかく、大事な緑柱石を盗まれたことを改めてお詫び申し上げます。誠に申し訳ございませんでした」

「あなたの謝罪は受け入れますが……商会のセキュリティはどうなっていたんですか? 戸締りなどはきちんとしていたんでしょう?」

「もちろんですとも! 扉も窓も全て施錠しておりましたし夜間も警備員が常駐しておりました。警備は万全だったはずなのですが……その」


 言い淀んだアークレー子爵をセイラムは促した。


「何ですか? 言いにくいことでも?」

「いえ、実は泥棒はどうやら魔術師らしいのです」


 アークレー子爵の言葉にセイラムは今度こそ絶句した。


「魔術師!? ……何てことだ、こんな時に……」

「こんな時に? 何です?」

「いや……」


 セイラムは言い淀み、少し迷った後言葉を選んで慎重に話した。


「ミレイユ・キャラハン子爵令嬢の件は御存じでしょう?」

「ええ、今朝当家にも使いの者が来ましたよ。葬儀にはもちろん参列する予定です。気の毒な話ですよ。あんなに素晴らしいお嬢さんがまさか……」


 アークレー子爵は悲痛な面持ちで首を振った。


「ミレイユ嬢は現在王都で起こっている連続殺人事件の被害者の一人なのですが、犯人はどうやら魔術師らしいのです」

「何ですと!」


 腰を浮かせて驚くアークレー子爵。セイラムが彼に話したのは、彼が信頼できる人物だということと口が堅いという二つの理由からだ。


「犯人が魔術師らしいというのはおそらく間違いないことですが、世間にはまだ発表されていない情報です。くれぐれも……」

「分かっております。他所で喋ったりなどしませんよ。しかし魔術師とは……。伯爵はこの情報をどこで?」

「王都警察の捜査担当者からです。実はこの事件の調査を組合(ギルド)から命じられまして」

「ああ、なるほど」


 アークレー子爵は頷く。セイラムが魔術と精霊がらみの事件の専任捜査官であることは周知のことだ。


「連続殺人事件の捜査はまだ途中で、容疑者すら浮かんできていない状態なのですが、そんな時に魔術師がまた事件を起こすとは、正直僕もショックです。ですが誤解しないでください、アークレー子爵。たいていの魔術師は善人です。変わった者が多いですがね」

「分かっていますよ、伯爵。当家もたびたび魔術師の世話になっていますから。彼らはなかなか愉快な人たちばかりだ」


 アークレー商会で扱っている商品の中には魔術に関連する品もある。呪われた装飾品や精霊が宿るものなど、扱いの難しいものが来た時は組合(ギルド)に連絡して対応してもらっているそうだ。


「話を戻しますが、泥棒が魔術師だとどうしてわかったのですか?」


 セイラムの質問に、アークレー子爵は苦笑した。


「簡単なことです。物音を聞いて駆けつけた警備員が姿を見たのですよ。腕を振るだけで壁を一部壊して外に飛び出し、走り去っていく犯人――魔術師の姿を」


 何とも大胆な犯行だ。だが、疑問が一つ。


「しかし、僕もうちの使用人たちも、怪しい物音は何も聞いていません。壁を壊すとなると相当派手な音がしたと思うのですが」

「警備員の話では破壊音はほとんどしなかったと。音を消す魔術でも使っていたのかもしれません」

「ああ、なるほど」


 本当に魔術は何でもありだ。


「この件、組合(ギルド)に報告は?」

「しましたよ、もちろん。犯人の魔術師がどこの誰なのか、調べてもらっています」


 昨日清幽城を訪れた時、黒の長老からこの話題は出てこなかった。まだ彼の耳には入っていなかったのかもしれない。今頃はもう入っているだろう。次に会った時何か嫌味でも言われそうだ。『お前は退屈しなくていいな』とか何とか。


「まあ、とにかくそう言うことです。誠に申し訳ございません。盗まれた緑柱石の弁償については改めてお話しさせていただきます」

「まだ取り返せないと決まったわけではありません。あまり気に病まないでください。……今後は泥棒が魔術師だった場合の対応についても万全にしておいた方がいいでしょうね。もちろん僕も協力させていただきます」

「ありがとうございます、リオン伯爵」


 アークレー子爵は立ち上がって深々と頭を下げた。照り艶のいい頭頂部が目に眩しい。

 セイラムは微笑んだふりをして目を細めた。


      ***


 玄関先でアークレー子爵を見送り、セイラムは大きなため息をついた。


「大丈夫ですか?」


 後ろからウォルクが心配そうに声をかける。


「大丈夫だ。だが、まさか盗まれるとは。……犯人はやはり、連続殺人事件の犯人と同一人物なんだろうか?」

「今はまだ何とも言えませんが……大量の輝く鉱石と特別な石、でしたっけ?」

「そうだ。もし犯人が同一人物なら、大量の輝く鉱石がこれで準備できたことになるな。うちの緑柱石は砕けたままでまだ形を整えてもいないが」

「それでも緑柱石です。輝く鉱石ですよ」

「……確かに。そうだな、お前の言う通りだ」


 一番大きな破片は鶏の卵ほどもある。ましてや長年悪竜が封印されていた緑柱石だ。魔力はもう宿っていないが犯人は何らかの価値を見出したのかもしれない。

 だが、犯人はあの緑柱石がゼアラルを封印していたものだとは知らなかっただろうから、盗み出したのはおそらく偶々だろう。むしろそっちの可能性の方が高い。大量の宝石目当てでアークレー商会に侵入したら、粉々になった、元は相当大きかったであろう緑柱石を見つけて盗って行った。そう考える方が自然だ。


「早く犯人を見つけなければな。だが、一体どこの誰なんだ」

「黒の長老と魔女殿にも見覚えがないとなると、八方塞がりですね」


 あの顔の広い黒の長老に見覚えがないとなると、犯人は組合(ギルド)に所属している魔術師ではない。ごく少数だがそういう魔術師は存在する。


 そもそも魔術師が組合(ギルド)に所属するのは、何かあった際に守ってもらうためだ。

 過去に何度も、魔術師否定派による魔女狩りが行なわれたことがある。ルビロ王国に限った話ではない。世界中で、だ。

 組合(ギルド)ができる前は、魔術師は自分の身は自分で守るしかなかった。魔術師同士での連携も取れておらず、多くの魔術師が捕らえられて命を落とした。


 これを教訓に、有事の際は連携して魔術師の命や尊厳、権利を守るために組合(ギルド)が創られた。だが、初めのうち組合(ギルド)の機能はうまく働かなかった。何故なら魔術師はそもそもスタンドアローンな者が多いからだ。他人と協力し合うという当たり前のことができない者が多かった。このため、三百年前の魔女狩りでも魔術界に甚大な被害が出た。


 ここでようやく黒の長老を始めとする当時の五賢者たちが他の魔術師たちにいざという時は互いに協力し合うことを呼びかけた。具体的にどうすればいいのか、定期的に会合を開いて話し合い、手引書(マニュアル)を作成し、また、基本的に他人との交流がない魔術師たちに他の魔術師と交流し合うよう求めた。交流のきっかけになればと新しい術式の発表会などを開催し、結果様々な流派、一門同士の交流が盛んになった。


 今、もしまた魔女狩りが行なわれたなら組合(ギルド)は一丸となって抵抗するだろう。今ならそれができる。力の弱い魔術師は強い魔術師――例えば五賢者たち――の庇護下に入り、守ってもらえるのだ。


 組合(ギルド)に所属していない魔術師は悪いが見捨てられるだろうし、そもそも迫りくる危険についての連絡すら来ない。そこまで面倒は見切れない。

 黒の長老とクリムゾニカが知らないのなら、例の魔術師は組合(ギルド)所属の魔術師の弟子ではない。どこかで独学で学んだのかもしれないし、デュ・コロワの組織のように闇に潜む一派があるのかもしれない。


 セイラムは深い溜息をついた。連続殺人事件についてもアークレー商会に入った泥棒についても犯人の手がかりは今のところないし、大事な緑柱石も盗まれてしまったし、散々だ。

 緑柱石が戻らなかったら自分の財布からセント・ルースへの寄付金を出そう。元々緑柱石の売却金額に自分のポケットマネーを上乗せするつもりだったし、予定より大きい金額を出すことになるのは全然構わない。セイラムはそこまでケチな男ではない。


 だが長年家宝に等しい存在だったものが盗まれたというのは正直に言って悔しい。

 一年前に泥棒に盗まれた時も同じ悔しさを味わった。まだ砕けておらず、今後もずっと家宝として手元に置いておく予定だったからあの時の悔しさと怒りは今よりずっと大きかった。


 幼い頃はあの竜像でよく空想遊びをした。セイラムは、ある時は悪い竜を倒した英雄であり、ある時は相棒である竜の背に乗って旅をする剣士であり、またある時は竜の王国の王子だった。


 そして、ウォルクは常にセイラムの家来という立場だった。子供の遊びに付き合うのは大変だっただろうが、ウォルクは文句ひとつ言わずにいつでも一緒に遊んでくれた。

 それをセイラムの両親は優しく見守ってくれて、時々遊びに付き合ってくれた。父は助言をくれる偉大な王や賢者であり、母はある時は賢い女王、またある時は囚われのお姫様だった。


 そんな思い出が詰まった竜像を手放すことにしたのは砕けてしまったからだ。薄情かもしれないが、壊れたものをいつまでも持っていても仕方がない。思い出なら心の中にある。いつでも思い出せる。それに、すべて手放すわけではない。いくつかの欠片は手元に残してある。思い出に浸りたいならそれで十分だ。

 横目でちらりとウォルクを見ると、彼はどこか遠くを見ていた。


「どうしたんだ?」

「え、いや、失礼しました」

「別に構わないが、何を見ていたんだ?」


 鳥か? と言いながらセイラムはウォルクが見ていた方を見た。


「いえ、あの竜像のことを想っていました。懐かしいような、何と言うか複雑です」


 思いがけないウォルクの言葉にセイラムは驚き、同時に嬉しく思った。


「お前も懐かしんでくれるのか」

「もちろんです。あの竜像を題材にいろんなごっこ遊びをいたしました。あなたはとても腕白でついていくのは大変でしたが」

「それは済まなかった」


 二人顔を合わせて笑い合う。


「そう言えば」


 ふとセイラムは今朝届けられた手紙の内容を思い出した。


「ディアーヌ嬢が夏の終わりにロイズ王立学院の編入試験を受けることになったそうだ。合格すれば秋に編入することになる。今までは声のことがあったから家庭教師に勉強を教えてもらっていたそうだが、もう声が戻ったからな。彼女も楽しみにしているそうだ」

「それはようございました。卒業後の社交界デビュー(デビュタント)が楽しみですね」

「そうだな。まあ、予行演習としてこれからいくつかの晩餐会に顔を出す予定らしい」


 手紙に書かれた文字からも彼女の弾んだ気持ちが見て取れた。


“友達を作りたい”


 手紙にはそう書いてあった。花びらと人魚亭の娼婦たちとは仲はよかったが友達と呼べるような関係ではなかったのだそうだ。友達というよりは“同士”だった、と。

 ディアーヌの新生活を思うとこちらも何だか楽しい気分になってくるが、浮かれてはいられない。彼女もまた連続殺人事件の標的(ターゲット)になり得る“若い女性”だ。

 解決を急ぐことを、セイラムは改めて決意した。

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