薔薇色の人生 六
「そうだ、デュ・コロワは、モリエラ市警に捕まっていた男たちの首を落としたのは自分だ、と言っていた」
「何だと? 男たちを殺したのはそ奴か。現場にいた魔術師たちは大混乱だったそうだぞ。何しろ彼らの目の前で首が落ちて転がったらしいからな」
「なかなか凄まじいわね」
デジレの言葉にクリムゾニカが頷く。
「自分たちのことをいろいろ喋られると困る、とか、役立たずはいらない、と話していた。失敗した者には容赦ない粛清が行なわれるようだ」
セイラムは紅茶を一口飲んだ。まだ温かい。
「おい、お嬢さん」
「ぶん殴るぞ。何だ?」
いくら言ってもこの呼び方を止めないゼアラルに、セイラムは杖を振りかぶりながら返事をした。
「俺のことを言っていたんだろう?」
「ああ、そうだった、忘れていた」
「何のこと?」
ゼアラルの言葉にセイラムは思い出した。隣にいるクリムゾニカに聞かれて答える。
「デュ・コロワが言っていたんだ。『彼女は実に厄介な機構を遺した。おかげで何もかもがうまくいかない……悪竜のことも、それに、精霊王も……』と。彼女というのはいったい誰のことだろう?」
悪竜、精霊王、“彼女”。ゼアラルが大暴れしていた全盛期である七百年前に何かあったのだろうか? それにデュ・コロワも関わっているのだろうか。
もしや、“彼女”というのは…………
寸の間考え込んだセイラムは、クリムゾニカとデジレが沈黙していることに気付いて顔を上げた。二人は奇妙な顔をしていた。何かを知っているような、それでいて知らないような、困惑したような顔だった。
「どうしたんだ、クリムゾニカ? 黒の長老も」
セイラムが尋ねると、二人は慌てて何でもない顔を作った。
「いや、何でもない。気にするな。他には?」
デジレに聞かれてセイラムは記憶を掘り起こす。
「いえ、他にはありません……ああ、デュ・コロワは転移の術式を使ってその場から去ったのですが、予め準備をしていたようで、呪文の詠唱はありませんでした。靴に何か魔呪具を仕込んでいたのかも」
どんなものを仕込んでいたのか、魔術師の端くれとして純粋に気になる。
「そうか……」
デジレは一瞬どこか遠くを見て、それからクリムゾニカを見た。クリムゾニカもデジレを見て、二人は頷き合い、セイラムを見た。
「“彼女”というのはおそらく、悪竜を倒した花の魔女のことだと思うわ。彼女は“調停者”でもあった。精霊王とも当然面識があったはずよ。“機構”というのが何のことかは分からないけど」
「悪竜よ、お前、知っているか? “機構”とやらがいったい何なのか」
そう問いかけたデジレにゼアラルは実に素っ気なく答えた。
「知らん」
「そうか」
デジレは気にすることなく頷いた。
「発言してもよろしいでしょうか?」
黙って話を聞いていたウォルクが遠慮がちに手を挙げた。クリムゾニカが振り向いて促す。
「なぁに? ウォルク」
「はい。デュ・コロワと彼らの組織の目的は世界を変えること、それにはセイラム様が必要というか重要な要素になるわけですよね? セイラム様の“魔法”で世界の理や律を変えて、ひいては世界そのものを変えてしまおうとしている。アエス……ロイシー嬢のところの高位精霊はこの世界を滅ぼすこともできるかもしれない、と言っていました」
「その通りよ。セイラムにはその可能性がある。特に、魔力が増大した今なら確実に、ね」
「アエスとオーブリーは、セイラム様に世界を変えられるほどの強大な力があるとは思えない、何か仕掛けが必要だというようなことを言っていました」
言いながらウォルクはセイラムを見た。仕掛け云々は初耳だったセイラムは首を傾げる。
「仕掛け? 魔法の効果、もしくは魔力そのものを増大させられるようなものだろうか」
「具体的にどのようなものかは分かりませんが、あまりいい想像はできません」
ウォルクはクリムゾニカとデジレを見た。
「ですが、セイラム様の魔力が増大してしまった今、そのような仕掛けはもしかしたら必要なくなったかもしれません。だとすると、デュ・コロワの言う時機というのは思っているよりも早く来るのでは? そして、奴らからセイラム様をどうやって守れば……」
不安からかだんだん早口になるウォルク。それを見てセイラムは、何故か安心した。普段の彼があまりにも完璧で、できないことなど何もないように見えるから。常に冷静で堂々としていて、不安など感じたこともないように見えるから。
「ウォルク」
声をかけるとウォルクは弾かれたようにセイラムを見た。
「僕はそんなに弱くはないぞ」
「しかし」
「さっきお前が自分で言っただろう、僕の魔力が増大したと。おかげで今までできなかったことが――より強力な攻撃魔術が使えるかもしれないし、他にもできることの幅が広がった。僕だってただ攫われるのを黙って待っているつもりはない。対策はしっかり練っておくさ」
ついでに攫われた後自力で逃げる方法についても考えておこう。
言うと無茶をするなと怒られそうなので言わないが。
「ウォルク、セイラムの言う通りよ。彼は今五賢者に匹敵するほどの魔力を持っているわ。そう簡単に攫われたりしないわよ。とは言え油断は禁物だけど」
「そうだな。とりあえず先程クリムゾニカが渡した御守と、私からも何か渡しておこう。そう言えば、お前の指輪には悪竜の鱗がはめ込まれていたな」
「ええ、そうです」
セイラムは自分の左手の人差し指にはまっている指輪を見た。金の台座に大きな緑柱石、ではなく、ゼアラルの鱗がはめ込まれている。
「悪竜よ、それがお前の身体の一部なら、離れていても在処が分かるのではないか?」
デジレに問われたゼアラルは砂糖でじゃりじゃりする紅茶をもぐもぐと飲み下しながら頷いた。
「分かる。この界にいるのなら、それがどこだろうと分かる」
「であれば、お前の鱗をもう二、三枚伯爵にくれてやってくれんか? 伯爵はそれで腕輪なり首飾りなり作って身に着けるといい。万が一攫われた時はそれを頼りに悪竜に探し出してもらえばいいだろう」
絶対断られるだろう、と思いながらセイラムがゼアラルを見ると、ゼアラルは服の中に手を突っ込み、腹や背中を引っ掻いていた。
「おい、みっともないからやめろ!」
ウォルクが慌てて注意すると、ゼアラルは服の中から手を出した。
「ほら」
その手をセイラムに差し出してきたので何事かとセイラムも手を出すと、手のひらの上に何かが落ちた。
ぶつかり合って硬質な音を立てたのは、木の葉のような形をした透き通る緑色と金属のような光沢のある黒色の、二種類の鱗だった。
「え、お前、これ……いいのか?」
「やる。好きに使え」
ゼアラルのこの行動にはさすがのデジレも驚いていた。ぽかんと口が開いている。
「今剥がしたの? 自分の鱗を? ちょっと、あなた本当にあの悪竜?」
「どういう意味だ、紅炎の」
「だってあなた、破壊と悪逆の限りを尽くした悪竜でしょう? そんな魔霊が人間のために自分の鱗を剥がして与えるなんて……とても信じられないわ」
クリムゾニカの言葉を、ゼアラルはフん、と鼻で笑い飛ばした。
「別に、鱗の数枚程度、どうでもいいことだ。お前たち人間も髪が数本抜けたことをさほど気にはしないだろう?」
「それはそうだけど……」
クリムゾニカはまだ信じられないと言った面持ちでセイラムの手のひらの鱗を見る。
セイラムは心の中で、気にする奴はいるぞ、と呟いた。例えば、リオン伯爵邸の隣にあるアークレー商会という貿易会社の社長、セドリック・アークレー子爵とか。まだ四十代半ばなのに見事に禿げ上がってしまって、あちこちから育毛剤や頭髪に良いという薬を取り寄せているらしい。セイラム経由でクリムゾニカにも相談していたぐらいだ。残念ながら彼の努力は全く実ってはいない。
アークレー子爵は毎朝起床すると、枕に落ちている髪の毛を一本一本数えているのだとアークレー子爵夫人がこっそり教えてくれた。涙が出る話だ。
「まあ、いい。伯爵、その鱗を身に着けておけ。悪竜よ、お前を信用してもいいのだな?」
「知らん。お前たちの好きにすればいい」
素っ気ないゼアラルの言葉に、デジレは肩をすくめる。
「執事よ、ひとまず悪竜が協力してくれる以上多少は伯爵の安全は確保された。魔術師による脅威からは守られるだろう。他の脅威からはお前が守れ。魔術以外の攻撃――物理的な戦闘においてはお前の右に出る者はいないだろう」
デジレの言葉にウォルクは深く頷いた。
「はい。この命に代えてもセイラム様をお守りします」
「うむ」
いや、お前の命を賭けるようなことじゃない、頼むから自分をもっと大事にしてくれ――咽喉まで出かかった言葉をセイラムは飲み込んだ。この空気に水を差すようなことはしたくないし、ウォルクの過保護具合がさらに爆発しそうだからだ。
あと、自分も他人のことは言えないから。『お前が言うな』と言われるのがオチだ。
うちに帰ったら一度よく話し合おう。まずどうにかしてウォルクに信用してもらわないと。そう心配せずともいいとどうやって証明したらいいだろう。
悩みながらセイラムは、この話題がひと段落したので次の話題を出した。
「もう一つ、例の連続殺人事件の件で話があります」
言いながらセイラムは懐から、バート警部から受け取った犯人らしき魔術師の似顔絵を引っ張り出した。
「目撃者の証言から作成した、犯人らしき魔術師の似顔絵です。黒の長老、クリムゾニカ、この男に見覚えはありませんか?」
デジレとクリムゾニカは似顔絵を覗き込んだ。
陰気な顔の男。頬がこけていて、目も落ち窪み、眉はほとんどないぐらい薄い。目の下には濃い隈が張りつき、まばらに髭が生えている。髪は黒髪で、生え際がだいぶ後退していた。年齢はよく分からない。
「ふむ、悪いが見覚えはないな」
「私もよ。知らない顔だわ」
「そうですか……実は、この男は精霊契約法を使っているらしいのです。今朝方発見された遺体……ミレイユ・キャラハン子爵令嬢の遺体に精霊の魔力が残っていました」
「何だと? 厄介だな、それは」
「おまけに貴族の娘が殺されるなんて、ますます反対派が活気付くわね」
「二人にこの男に関する情報を集めていただきたいのですが……」
「わかった。いいだろう、私がやろう。クリムゾニカは怪我人の世話があるだろうからな」
「あら、付きっきりというわけではないわ。いざとなったらグリニスにも手伝わせるし。私も知り合いに声をかけてみるわ。この似顔絵、複製はある?」
「済まない、これ一枚しかもらってこなかった」
「なら今作ろう」
そう言ってデジレは杖を振った。長さは五十センチほど。やや長めで、漆黒に金の粒、銀の粒が散らされた星空のような杖だ。先端には先がいくつにも尖った星のような水晶の結晶が付いている。
似顔絵と、部屋の隅から紙がもう二枚ひらひらと飛んできて重なり合う。三枚が離れると、白紙だったはずの二枚の紙にも男の似顔絵が描かれていた。もちろん、元の絵には何の変化もない。
「これでいい。一枚はクリムゾニカに、もう一枚は私が預かっておく」
言いながら、デジレは元の絵をセイラムに渡した。
「ええ、お願いします。それから、もう一つ」
「何かね?」
「黒魔術……特に人間の心臓を使う黒魔術について聞きたいのですが」
途端に二人の賢者の顔がキュッと真面目なものになる。
「心臓か……色々あるが、どれもこれも禁術ばかりだ」
「ねえ、私その連続殺人事件について若い娘が殺されてるってことと黒魔術の気配がするってことしか聞いてないんだけど、もしかして心臓盗られてるの?」
「そうだ。八人全員心臓を盗られている上に体内に血液もほとんど残っていないんだ。遺体発見現場に血痕はなかったから、どこか別の場所で殺害された後に遺棄されたんだと思う」
「心臓を八つも……何の術式かしら?」
しばし考えこむ二人。セイラムも同じように考えるが、何しろ彼らとは生きてきた年数、経験値、知識量が違う。そもそも黒魔術については軽くかじった程度の知識しかない。すぐに行き詰まってしまい、結局二人が何かしらの意見を出してくるのを待つことにした。