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天秤とウィッチクラフト  作者: 藤原渉
26/71

薔薇色の人生 五

「セイラム様!!」


 ものすごい勢いで駆け付けたウォルクにタックルされ――本人は勢いあまってちょっと激突してしまっただけかもしれないが、セイラムは確実に吹っ飛びかけた――両の二の腕を掴まれがくがく揺さぶられ、脳みそがシェイクされる。


「セイラム様! お怪我は!? 大丈夫ですか!? 今の男は!!???」

「ま、待て、ウォルク、待ってくれ、大丈夫だから」


 セイラムが制止してもウォルクは止まらない。揺さぶられ続けて気分が悪くなり、セイラムの顔色がどんどん土気色になっていった。

 見かねたゼアラルがウォルクの首根っこを掴んでセイラムから引きはがす。


「執事、お前も大概だな」

「おい放せ!」


 先ほどとは立場が逆転したようだ。ゼアラルに首根っこを掴まれてもなおウォルクは暴れ続けている。周囲の視線が痛い。

 解放されたセイラムは頭を二、三度振ってからウォルクに声をかけた。


「ウォルク! 僕は大丈夫だから落ち着いてくれ!」


 そう目の前で叫ぶと、ウォルクはようやく大人しくなった。


「……申し訳ありません、取り乱しました」

「取り乱しすぎだろ、お前なかなか面白い奴だな、執事」


 ウォルクはゼアラルをぎろりと睨みつけた。ゼアラルはそんな視線などどこ吹く風だ。


「……今の男はどうやらオーブリーの仲間らしい。モリエラ市警で死んだ男たちの首を落としたのは自分だ、と言っていた」

「何ですって?」

「最終的には僕をどうにかするつもりらしいが、今は時機ではないらしい。また会おう、と言われた」

「ほう、時機ではない、か」


 ゼアラルは愉快そうに笑った。対照的にウォルクはいつになく狼狽えている。


「では、時機とやらが来たらセイラム様をどこかに拉致する、と……?」

「まだ分からないが、そうなるだろうな。屋敷に着いたら組合(ギルド)に報告を上げないと」


 二人を促し、セイラムは徒歩での移動を再開した。

 清幽城を訪れゼアラルに関する報告を上げたのはつい二日前のことだ。たった二日で今度はオーブリーの仲間らしき謎の男に会ったという報告を上げなければならないのだ。急展開すぎて気が重い。


「そう言えば、あの男は名前をデュ・コロワだと名乗ったな。オーブリーが使っていた術式の作成者の名だ……」


 セイラムを捕らえた限定的な異空間を作り出す術式。あれは厄介だった。何をしても破ることはできず、結局ゼアラルが力任せに破ったのだ。

 あの男があの術式の作成者。だとすると、五賢者に匹敵する実力を持っているかもしれない。いや、それ以上か……? いずれにせよ厄介な相手だ。


「あのデュ・コロワとかいう男はゼアラルのことと精霊王について言っていたな」

「ほう? 俺のことを? 何と言っていた?」

「ええと……『彼女は実に厄介な機構を遺した。おかげで何もかもがうまくいかない……悪竜のことも、それに、精霊王も……』だったかな。彼女、とはいったい誰のことだろう?」


 ゼアラルを見ると、彼は笑っていた。どこか満足そうで、それでいて何か悪だくみをしているような笑顔だ。


「お前、何か知っているのか?」

「さてな」


 セイラムは溜息をついた。


「お前はいつもそれだな。清幽城でも何か思わせぶりなことを言っていたし」


 ゼアラルは何も言わない。


「彼女が遺した機構とはいったい何だろう? 彼女というのが誰のことなのか分かればこれも分かるのか?」


 彼女。


 セイラムの脳裏に一瞬、オーブリーの異空間の中で出会った謎の女が浮かんだ。古い様式の黒いドレス、頭から被った黒いヴェール、淡い金色の髪。


 あの女はいったい誰なんだろう?


      ***


 東六番地区、ロイズ王立学院。正門前の広場に着くとすぐに、端の方の邪魔にならないところにリオン伯爵家の馬車が停まっているのを見つけた。御者台でエドアルドが何か本を読んでいる。


「エドアルド」


 セイラムが呼びかけるとエドアルドはすぐに顔を上げ、本を閉じた。


「セイラム様、お待ちしておりました!」

「すまなかったな」


 エドアルドはすぐに馬車の扉を開けてセイラムたちを乗せ、出発した。


「セイラム様、考えはまとまりましたか?」


 ウォルクが尋ねる。彼も落ち着いたようだ。


「うん、いや、あんまり、だな。とりあえず帰ったら黒の長老に報告、クリムゾニカにも一度会って話したい旨手紙を送ろう。あとは……」


 やることはたくさんある。まず連続殺人事件のことだ。


 三十分ほどで馬車は東四番地区にあるリオン伯爵邸に到着した。

 すぐにセイラムは転移の術式の準備にかかる。複雑な術式であるため魔呪具を使わなくてはならないのだ。

 魔術に関する書物や道具をしまってある部屋から巻いて纏められた巨大な黒い布を運び出し、庭に広げた。布には天、地、界、人を意味する四つの同心円が刺繍されており、周りには神聖文字で何ごとか書かれていた。残念ながらセイラムはまだ全てを読むことはできない。

 さらに、布のそこかしこに大小さまざまな鉱石が縫い付けられていた。磨かれた貴石もあれば磨かれていない原石もある。


「おい、お嬢さん(ミレディ)。今回は俺の背に乗っていかないのか?」

「その呼び方を止めろと言っただろう。そろそろ殴り倒すぞ。毎度毎度目立ちたくないからな。今回はこれを使う」


 しわ一つないように綺麗に布を広げると、セイラムはその上に金粉をひとつまみ散らした。


「これで良し。さあ、行くぞ」


 今回はウォルクも伴う。ウォルクは家政婦(ハウスキーパー)のミセス・マチルダ・ベイツに帰って来たばかりですぐ留守にすることを詫びていた。


「申し訳ありませんが、よろしくお願いします。それほど長く留守にはしませんので」

「わかっていますよ。うちのことは任せてくださいな」

「ありがとうございます」

「マチルダ、すまない。留守を頼む」

「ええ、行ってらっしゃいませ、セイラム様」


 マチルダはふくよかな身体を揺らして手を振った。

 セイラム、ウォルク、ゼアラルの三名は広げた布の上に鉱石を踏まないように気をつけながら立った。


「ほう、今はこんなものを使うのか。昔は転移の術式の準備には恐ろしく時間がかかっていたが」

「魔術は日進月歩で進化しているんだ。七百年前とはずいぶん違うだろう」


 セイラムは杖を構えた。師匠であるクリムゾニカに作ってもらった長さ約四十センチの、野薔薇の模様が刻まれた透き通る花色(薄青色)の杖だ。


「さあ、出発しよう……ゲオルギウスの術式第五十二番、附則百六番、百五十五番併用、『分かたれた空間を繋ぐ四つの円と風の糸、風が向かうは魔術蔓延る古の都、俗世を離れし静かなる城へ、天を流れる流星の如く我らを疾く運び迎え入れよ』!」


 呪文の詠唱が始まるとほぼ同時に布に刺繍された同心円と神聖文字、そして鉱石が光りだした。詠唱が進むとともに光は強さを増し、セイラムたちを包み込む。そして詠唱が終わると同時に布も、上に立っている三人も光に飲まれ、光と一体化した。


 布があった場所に浮かぶひと塊の光は数秒だけその場に留まり、次の瞬間流星のように飛び去った。

 向かうのは北の方角。ルクセリア近郊にある清幽城だ。


 昼間の空を駆け抜ける光に気付いた者は残念ながらいなかった。光はあっという間に――リオン伯爵邸を出発してから五分ほどで清幽城の前庭に到着した。前庭を受け入れ口に指定するよう術式に組み込んであるのだ。


 速度を落とした光が前庭に降り立つと、光は徐々に治まり、中からセイラムたちの姿が現れた。

 誰が来たのかと見守っていた何人かの魔術師は、悪竜ゼアラルの姿を見るなりある者は逃げ出し、ある者は黒の長老に知らせるため全力ダッシュで走り去った。


「相変わらずここの連中はバタバタしているな」

「十中八九お前のせいだぞ」


 セイラムは転移に使った布を丁寧に巻き取った。指をパチリと鳴らすと、布は消え去る。近くにある倉庫に一時的に預けたのだ。転移の術式を使って城を訪れる者たちのために用意された倉庫だ。誰でも自由に使っていいことになっている。

 勝手知ったる組合(ギルド)本部だ。セイラムは案内の者を待たずにさっさと城内に入り、黒の長老デジレ・サン・サーンスの執務室目指して歩みを進めた。

 執務室の前ではデジレが呆れた顔で待ち構えていた。そばには先日はいなかった弟子が数人控えている。


「二日ぶりだな、リオン伯爵。執事と悪竜もようこそ。いったい何事かね?」

「そう呆れた顔をしないでください。僕だってこんなに早く来ることになるとは思ってなかったんですから」

「まあ、いい。入りたまえ」


 デジレに続いて執務室に入ると、そこには見慣れた赤い姿があった。

 年の頃は二十代半ばほど。豪奢な真紅の巻き毛に鮮やかな橙色の瞳、白い肌。女性にしては背が高く、腰が細くて胸と尻が大きい。見事なプロポーションの肢体を胸元が深く切れ込んだシンプルな黒いドレスで包んでいる。


「久しぶりね、セイラム」


 紅炎の魔女クリムゾニカ・ケストナーはセイラムを見てにぃぃっこりと微笑んだ。笑っているのに怖いのは何故だろう。


「久しぶりだな、クリムゾニカ。その、諸々の報告が遅くなってすまなかった」

「そうね。特に悪竜のことはすぐに連絡をよこして欲しかったわ。変な連中に狙われているってことも。どうして師匠の私が知らされるのが一番最後なの? おかしいでしょう?」

「……すまない」


「先日の嵐で怪我をした人を私が拾ったって聞いたのよね? それを気にしているの? あなたが気にするようなことじゃないわ。嵐は悪竜が起こしたものだし、崖崩れもそこに馬車が通りかかったことも全ては偶然。セイラム、あなたに責任はないのよ」

「だが、ゼアラルの封印を解いたのはどうやら僕らしいんだ。どうやったのか自分では分からないんだが」


「そうね、しばらく会わないうちにあなたの魔力が増大しているわ。五賢者(わたしたち)に匹敵するくらい。これが関係しているのは間違いないと思う。何があってそうなったのか後で根掘り葉掘り聞かせてもらうわよ」

「わかっている」


 言いたいことを言い終えたクリムゾニカは応接セットの長椅子にさっさと座った。デジレもクリムゾニカの向かいの一人掛けの椅子に腰を下ろす。


「君たちも掛けたまえ」


 そう促され、セイラムはクリムゾニカの隣に着席した。ウォルクとゼアラルは適当な椅子を引っ張ってきてそれに腰掛ける。


「さて、何があってこんなに早く顔を見せてくれたのか、教えてくれ」


 デジレはセイラムに問うた。同時にデジレのそばに控えていた弟子たちが動き、紅茶を淹れて出してくれた。

 角砂糖を二つ、牛乳をやや多めに。そこにブランデーをひと垂らし。

 これがデジレのお気に入りの飲み方だ。

 セイラムは砂糖もミルクもなし。クリムゾニカは角砂糖一つに檸檬を浮かべて。ウォルクもセイラムと同じく砂糖、ミルクはなし。ゼアラルは角砂糖を七つ、ミルクもたっぷりと入れて一口飲み、「(ぬる)いしじゃりじゃりする」と言って顔をしかめた。


「オーブリーの仲間と思われる男と接触しました」


 セイラムがそう言うと、デジレは片眉を上げた。ほとんど表情は変わらないが、これは彼が驚いた時にする癖の一つだ。


「何だと? どこでだ?」

「王都です。南六番地区。男は三十歳前後、長い黒髪に真紅の瞳、仕立てのいい服を身に着けていました。……上から下まで黒ずくめでしたが」

「長い髪? 今この時代に? 珍しいわね」

「ああ、今の時代、男の長髪は流行らない。しばらく前に廃れたからな。その男は何か言っていたかね?」

「その男はデュ・コロワだと名乗りました。オーブリーが使っていた術式の作成者と思われます。それから、デュ・コロワはオーブリーのことを上から目線で話していました。オーブリーよりも上の立場にいるのだと思います」

「オーブリーの上役か……世界を変えることが目的の組織……」


 デジレは難しい顔をしながら腕を組んだ。


「時機が来たら僕をどうにかするつもりのようです。準備が整ったら迎えに来る、と言っていました。もちろん行くつもりはありません。絶対に」


 そんな絵物語の囚われのヒロインのようなポジション、御免被る。もし拉致されてしまったら、助けが来るのを待たずに自力で脱出する所存だ。


「相手の方が実力は上よ、絶対に。あなたじゃ太刀打ちできないかもしれないわ。とりあえず御守(タリスマン)をあげるから、持ち歩きなさい」

「ありがとう、クリムゾニカ」


 クリムゾニカはドレスの隠しから革紐の付いた銀のコインのようなものを取り出してセイラムに渡した。コインには太陽と月と星の模様と神聖文字が刻まれている。受け取って礼を言ったセイラムは自分の首にそれをかけ、服の下に仕舞った。紅炎の魔女の魔力が込められた御守(タリスマン)だ。効果は絶大だろう。


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