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天秤とウィッチクラフト  作者: 藤原渉
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薔薇色の人生 二

「五件目と六件目は遺体発見が同時でした。死亡推定時刻の早い順に……まず五件目、三月二日、被害者はラモーナ・ラトリッジ、二十六歳、西八番地区で暮らしていて夫と子供が二人。彼女は同じく八番地区のパン屋で働いていました。彼女は遺体発見の五日前に行方不明になり、捜索願が出されていました。二月二十五日の早朝、まだ空が明けきらない時間に仕事のために家を出て――パン屋勤務ですからね、早朝にパンを焼く仕事をしていたみたいです――ですがその日は店に出勤しませんでした。家を出た直後に攫われたものと思われます。遺体発見現場は西一番地区の公園です」


 五人目の被害者の資料には写真が添付されている。ラモーナは黒髪(ブルネット)で、これと言って特徴のない平凡な容姿だった。


「ラモーナは最近常連客ができたと言っていたそうですよ」

「常連客?」

「ええ。陰気で暗そうだがいつも胡桃入りレーズンパンを五つ六つ買って行ってくれるんだとか」

「……なるほど」


 陰気で暗そう。クラリッサを見張っていたのと同じ男だろうか。


「六件目、同じく三月二日、被害者はアナ=マリア・マレット、二十三歳、南六番地区にある劇場『パンタシア座』の女優です。ミス・マレットは遺体発見の前日に行方不明になりました。遺体発見現場はラモーナと同じく西一番地区の公園」


 六人目の被害者の資料には、ブロマイドが付いていた。高々と結い上げた見事な金髪、派手な化粧。目元の泣きぼくろが蠱惑的だ。


「ああ、これもよく知っている。新聞の一面に載っていたからな。行方不明になった時の状況は?」

「はい、ミス・マレットは三月一日の夜、公演を終えて劇場を出た後行方が分からなくなりました。いつもは仲間たちと一杯飲んでから帰っていたのに、その日に限って風邪気味だからと一人で真っ直ぐ帰ったんです。付き纏いがあったかどうかは心当たりが多すぎてわからない、と」

「人気女優だからな。ファンは多いだろう。だいぶ過激なファンもいたと聞いている」


 アナ=マリア・マレットは十四、五歳で舞台デビューした。初めこそ台詞のほとんどない端役が多かったが与えられた仕事を堅実にこなし、十七歳の時にパンタシア座の伝統ともいえる有名歌劇でヒロインに抜擢され、一気にスターダムにのし上がった。見事な金髪とアイスブルーの瞳、蠱惑的な泣きぼくろという美貌も相まって、今や看板女優の地位は揺るぎないものとなった。


 彼女の人気が爆発するとともにファンは増え、中にはしつこく付き纏う者もいたとか。過激なファンのおかげで何度か引っ越しを余儀なくされたそうだし警察沙汰になったこともある。


「ミス・マレット本人は、『こんな人気はそう長く続くものじゃない。時間が経てば大半のファンは私に飽きて離れていくだろう。そうなった時にそれでもまだファンでいてくれる人たちを私は大切にしたい』と話していたそうですよ。『もちろん、今私のことを好きでいてくれる人たちのこともね』とも」

「有名になったのに調子に乗らず、なかなかできた人物だったんだな」


 セイラムもパンタシア座には何度も足を運んだ。知人との付き合いで行くことが多かったが、たまに個人的に見たい公演があったのだ。

 アナ=マリア・マレットはどんな役もこなす名女優だった。きらきらと輝く美しいヒロインを演じることがほとんどだったが、中には老婆役という変わった役もあった。人気絶頂の名女優に老婆役をやらせるとは、と誰もが驚いたし批判もあったが、あの舞台は最後に面白いどんでん返しがあり、大変楽しめた。


「ミス・マレットのファンたちは阿鼻叫喚ですよ。彼女の葬儀は三月五日に行われましたが、葬儀を執り行った南六番地区のアイリス神殿には大勢のファンが詰めかけて大変な騒ぎになったそうです」

「ああ、聞いている。一部が暴徒化して警察が出動する騒ぎになったとか」


 騒ぎが沈静化した後暴れていたファンたちは何故か意気投合し、コルレクス駅前一帯の酒場を何軒も貸し切って朝まで飲み交わしたとか。


「湿っぽい酒にはならず、ミス・マレットの美しさと確かな演技力を讃え、これまでに演じた役の中でどれが一番素晴らしかったかを語る場になったそうですよ」

「暴れるよりもその方が平和的で健全だな」


 ファンってすごい。

 セイラムが勝手に感心していると、バート警部はさらにもう一つ爆弾を落とした。


「実はミス・マレットは婚約していたんです。ご存じですか?」

「婚約!? 恋人がいたのか?」


 セイラムは驚いて声を上げた。隣でウォルクも目を剥いている。


「ええ、実は。相手はソーントン子爵の長男、ブレーズ・ソーントン卿です。ブレーズ卿もミス・マレットの熱烈なファンだったのですが、それが彼女がまだ端役しかもらえていない頃からのファンだったそうで、当時から秘かに文通していたんだとか」


 セイラムはブレーズ・ソーントンの顔を思い浮かべた。橙色に近い赤毛に青い瞳の、役者顔負けの色男。背は高く、乗馬が得意で身体つきもしっかりしている。

 そして、見た目からも想像がつく通り大変おモテになる。ロイズ王立学院に入ったばかりの頃は女子生徒相手に浮名を流していたものだが、ある時からそれがぱったりとやんだ。

 アナ=マリア・マレットが舞台デビューした頃と一致する。


「ミス・マレットの葬儀には当然ブレーズ・ソーントン卿も参列していました。婚約者として身内の席にいましたよ。それに気付いた他のファンたちが騒ぎ出し、あの騒動になったんです」

「なるほど……」


 アナ=マリア・マレットの婚約については世間には伏せられていた。タブロイド紙の記者たちも知らなかったそうで、あの葬儀で初めて知られることとなったのだ。


「そういえば伯爵、お宅の執事殿もあの騒ぎの現場にいたようですが?」

「は?」


 ばっと振り向くと、ウォルクは慌てて手と首を振って「違います!」と叫んだ。


「たまたま通りかかっただけです! ほら、二月末に起こった銀翠川陥没事件の報告書を王都警察本部に提出しに行った帰りのことですよ!」

「……ああ、僕は別件で参内するから代わりに出しに行ってくれと頼んだ、あの時か」

「そうです。帰りにアイリス神殿前を通りかかったら大変な騒ぎになっていて、女性が何人か人波に押されて倒されていたので助けに行ったんです。そうしたら乱闘に巻き込まれて……」

「えらい大立ち周りだったそうじゃないですか。やりますな、執事殿」


 バート警部が笑いながらウォルクを揶揄(からか)う。


「揶揄わないでもらえますか、バート警部」

「ふっふっふ。しかし、あの陥没事件に伯爵も関わっていたんですか?」

「ああ。魔術が関わる事件は全て僕が引き受けているからな。あれは魔術を覚えたての未熟な魔術師が起こした事故だった。本人も深く反省し、魔力をきちんとコントロールできるまで王都への立ち入りを禁じただけで済んだ。怪我人がいなかったことも大きかったな」


 陥没した穴はセイラムが直々に塞いだ。川底に開いた直径三メートル、深さ十数メートルの綺麗な円柱形の穴は瞬く間に塞がれ、人々の話題からはすぐに消えた。


「さあ、話を戻そう」

「はい、七件目は少し間隔が開いて四月一日、被害者はアリエル・イームズ、二十歳、南一番地区に住む娼婦です。彼女は一日の早朝に姿を消し、同日夜遅くに発見されました。泊まっていった客を見送りに外へ出て、そのまま戻らなかったそうです。客はアリエルが手を振ってくれるのに応えた後さっさと立ち去ったため、アリエルが店に戻ったところは見ていない、と。遺体発見現場は同じく南一番地区の用水路」


 七人目の被害者の資料にもブロマイドのような写真が付いている。娼館で使われていたものだろうか。煙草の(やに)でやや黄ばんでいる。アリエルも美しい金髪の持ち主だった。大きく下品に開いた胸元には特徴的なほくろがある。


「こちらも、付き纏われていたかどうかはわかりません。心当たりが多いそうですよ、こっちも」


 客は日々入れ替わる。常連もいるだろうが、一見の客も多いだろう。中には娼婦に本気でのめり込む者もいただろう。


「そして、八件目、今のところ最後の被害者は今朝方発見されました」

「今朝?」

「ええ、今朝です。なのでまだ新聞にも載ってませんよ」


 言いながらバート警部は懐から写真を一枚取り出した。


「これが被害者です。彼女はキャラハン子爵の次女で名前はミレイユ。十七歳。昨晩付添い役の従僕と出かけた帰りに馬車が何者かに襲われ、攫われたそうです。私の同僚率いるチームが捜索に当たりましたが、今朝東九番地区の線路わきの茂みで遺体となって発見されました」


 ミレイユ嬢のことはセイラムも何度か顔を合わせたことがあるため知っている。ロイズ王立学院の生徒で、明るい茶色の髪の母親似の美少女だった。写真にも、明るい茶色の髪を巻いて結い上げ、リボンで飾り、気取った表情をする少女が写っていた。


「バート警部、よろしいでしょうか?」


 じっと話を聞いていたウォルクが口を開く。


「よろしいですとも、何ですかな? 執事殿」

「ミレイユ嬢は昨夜どこに出かけていたんですか?」

「それが、ですな……」


 バート警部は言い淀みながら困ったように顎を触った。


「ミレイユ嬢には親に秘密にしている恋人がいたようなんです。昨晩はその恋人の家の近くの公園で秘かに会っていたようなんですよ」

「逢引きか……ぐっ!?」


 下世話なことを言ったゼアラルの足をセイラムは思いっきり踏みつけた。ぎろりと睨まれるが、もう恐怖は感じない。


「ははは、いや、実際その通りなんですよ。ミレイユ嬢はその恋人と小一時間共に過ごし、帰宅したんです。そしてその途中で攫われた、と。ちなみに恋人というのはマイヤール伯爵の長男、マリユス卿です」


 セイラムはマリユス・マイヤールの顔を思い浮かべた。父親に似て凛々しい濃い眉毛の、意志の固そうな顔をしていたように思う。


「初め、ミレイユ嬢の従僕が疑われたんですよ。彼がミレイユ嬢をどうにかしてしまったんじゃないか、と。疑いはすぐに晴れましたが」

「どうして従僕が犯人ではないとすぐにわかったんだ?」

「痕跡があったんですよ、魔術が使われたと思しき痕跡が。従僕には魔術の心得は全くありませんでした。おまけに従僕と馬車の御者は二人とも重傷を負っています。それに、馬車が襲われるのを近隣の住民が目撃しています」


 バート警部は別の写真を何枚か取り出しセイラムに見せた。その内の一枚には、屋根部分がすっぱりと切り取られた馬車が写っていた。


「……これは」

「人間業ではありませんね。魔術でしょうか」

「そうだろうな」


 別の写真には人の背丈ほどの高さで斜めにすっぱりと断ち切られた木が写っている。


「それはミレイユ嬢が攫われた現場にある木です。おそらく馬車を破壊したのと同じ魔術が使われたのだと思います」


 さらに別の写真には切られて落ちた馬車の屋根や木の上部分が写っていた。


「なるほど、魔術師が関わっているのは間違いないようだな。だが、ものの見事に被害者の身分も職業もバラバラだ。無差別的な犯行か?」

「どうでしょうね……今のところ被害者に共通点はありません。若い、ということ以外は。頭の痛いことに、庶民はこの話題で持ちきりですよ。次は誰なのか、って」

「次は誰か、とは不謹慎な話だな」

「みんな自分には関係ないって思ってるんですよ。被害者になり得る若い娘さんも、自分は大丈夫って心のどこかで思ってます。もっと関係ない男や年配の女たちにとってはちょっとスリルのある娯楽ですよ。こんな血生臭い事件、滅多にないですからね」

「娯楽、か……」

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