薔薇色の人生 一
清幽城から王都のリオン伯爵邸に戻った二日後、セイラムはウォルクとゼアラルを連れて南二番地区にある王都警察本部を訪れた。
五賢者の一人、黒の長老こと玄界の魔導師デジレ・サン・サーンスの依頼で、王都で起きている連続殺人事件を調べることになったためだ。
被害者は全員女性。身分もバラバラで若いという以外に共通点はない。だが、遺体には黒魔術の生贄にされた形跡があったという。
黒魔術とは、人間を含む生き物の血肉や命を対価に行う魔術のことで、魔術界では最大の禁忌とされており、使用した者は問答無用で厳罰を受けることになる。場合によっては死刑だ。
魔術師が関わっていることは間違いない。
誰が何のために罪を犯しているのか、調査して犯人を捕らえる、もしくは排除するのがセイラムの今回の仕事だ。
「一般的には魔術師が関わっていることは伏せられているんですよね?」
王都警察本部の受付で事件担当者であるバート警部を呼び出してもらい、彼が来るのを待っている最中、ウォルクが声を潜めてセイラムに尋ねた。
「そうだ。精霊・魔術師否定派の者たちを刺激しないよう、魔術師が関わっていることは伏せられていたらしい。だが、これ以上隠しておくのは難しいそうだ。黒の長老からは早期の解決を求められた」
そして、デジレから事件に関する資料を――非常にざっくりとした内容の資料を受け取り、詳しいことは王都警察の担当者に聞けと言われたためここに来たのだ。
ゼアラルは思ったより大人しく椅子に座っていた。今日はあちこち破れたぼろぼろの黒衣ではなく、従僕のお仕着せを着ている。だが、長身で整った風貌が人目を惹き、王都警察本部の女性警察官らがチラチラとこちらを見て秋波を送っていた。
王都警察本部内は賑わっていた。連続殺人事件の捜査で忙しいようだし、三日前にはどこかの準男爵が夜道で何者かに襲われて怪我をしたそうだし、昨夜遅くにリオン伯爵邸の隣にあるアークレー商会の建物に泥棒が入ったようだと朝早くに数名の刑事が尋ねてきたばかりだ。
残念ながらセイラムもリオン伯爵邸の使用人たちも、何も物音を聞いていないし何も見ていなかったため、刑事たちは肩を落として帰っていった。こちらの事件の捜査本部も王都警察本部内に立ち上げられたそうだし、他にも日々大小さまざまな事件が起こっている。
奥の方で誰かが書類をぶちまけたのが見えた。
「やあやあ、お待たせしました、伯爵!」
にこやかに手を振りながらやって来たのはオースティン・バート警部。王都警察本部の殺人、傷害事件担当の警部で、優秀な人物だ。
大変恰幅がよくいつも洒落た格好をしている。整髪料で撫でつけた髪とちょび髭が特徴だ。
「ごきげんよう、バート警部。忙しいところすまないね」
「いえいえ、忙しいのは忙しいですが、お気になさらず。さあ、こちらへどうぞ。執事殿たちも……おや、そちらは初めて見る顔ですな」
「新しく雇った従僕で、ゼアラル・ドラコニスという。ゼアラル、こちらは王都警察のバート警部だ、挨拶を」
セイラムに促され、ゼアラルはやや不機嫌そうな顔で前に出た。
「……ゼアラル・ドラコニス、です……よろしく」
なぜ自分がこんなことを……? と不満に思っているのが思いっきり顔に出ているが、バート警部は気付いているのかいないのか、気にしていないだけなのか、ゼアラルの表情にはまったく触れずににこにこと笑顔でゼアラルの手を取った。
「オースティン・バートです。今後ともどうぞよろしく!」
そのままゼアラルの手をぶんぶんと勢い良く振って握手し、バート警部は笑顔のままセイラムに向き直った。
「さあ、こちらへ! 会議室にてお話ししましょう」
一行はバート警部に先導され、三階の会議室を目指す。途中ゼアラルがぶつぶつと文句を零した。
「なぜ俺が人間のように挨拶などしなければならないんだ」
「簡単なことだ。お前は僕の従者となった。で、あるからにはお前は貴族である僕の従者に相応しい立ち居振る舞いをしなければならない。初めて会う人物に挨拶するのは当然だろう?」
「セント・ルースにいる間に話し合っただろう。従者の失態は主の失態だ。セイラム様に恥をかかせるわけにはいかない。セイラム様の評判が落ちたら二度とチョコレートケーキを食べさせないぞ」
「ぐっ……くそ、ずるいぞ」
ゼアラルは思いっきり顔をしかめてそっぽを向いた。
セント・ルースにはあの後一週間ほど滞在していたのだが、その間にこの伝説の悪竜はチョコレートケーキにドはまりしていた。毎日三度の食事のデザートと、更にティータイムのおやつにもチョコレートケーキを所望するほどだ。
それは王都に戻ってからも現在進行形で続いている。特にコルレクス駅前にある百貨店『パークス』内にある、洋菓子店『パラディ』のオレンジの香りがするチョコレートケーキが大のお気に入りで――きっかけはそう、たしかセイラムのおやつだった。『うまそうだな』と横から搔っ攫われたのだ――給金はすべてこのチョコレートケーキにつぎ込むと宣言しているほどだ。
「さあ伯爵! どうぞお入りください」
到着した会議室の入り口で、バート警部が大仰な手振りでセイラムを中に案内した。セイラムに続いてウォルクとゼアラルも中に入る。
広々とした会議室の前方には黒板があり、そのすぐ近くの机に事件の資料や遺留品が用意されていた。
「まず事件の説明を。最初の事件は四ヶ月ほど前、一月の十四日に起こりました。被害者はクラリッサ・ウェイン。西四番地区に住む二十三歳の女性。職業は雑貨店の店員。夫と子供が一人の三人家族。十二日の夕方五時過ぎ、仕事帰りに行方不明になりました。攫われたと思われますが目撃者はありません。彼女はその数日前から何者かに見張られていると夫や雑貨店の店主に訴えていました。そして、十四日に遺体となって発見されました。遺体発見現場は西三番地区の墓地です」
「見張られている? 誰に?」
「見たことのない男だと言っていたそうです。痩せていて不気味な雰囲気の男だと」
言いながらバート警部は遺体発見現場の詳細と被害者に関する情報が書かれた書類をセイラムに渡した。書類には遺族から貰ったのだろう写真が一枚添付されている。白黒の写真だが、クラリッサは目鼻立ちのはっきりした少々きつめの顔立ちであることが分かる。髪の色は明るい。
「二件目は一月の末です。被害者はヘンリエッタ・スタイナー。西五番地区に住む十九歳の女性。カフェの店員で婚約したばかり。彼女は遺体発見の三日前に行方不明になっています。遺体発見現場は東一番地区の空き地」
続いて二人目の被害者に関する書類。これにも写真が付いている。ヘンリエッタは濃い色の巻き毛だった。
「三件目は二月六日、被害者はジェーン・バルテ、二十五歳、ハーディ男爵家の住み込みの女中です。彼女は前日に姿を消しました。遺体発見現場は南九番地区の線路わき」
「ああ、これに関しては覚えがある。ハーディ男爵が女中が殺されたと言っていた。男爵家は使用人が少ないから困ったことになった、と」
三人目の被害者の資料には写真は付いていなかった。代わりに遺体を元に描いた似顔絵が付いている。薄目を開けて生気の抜けた顔。唇は厚めで垂れ目の、男に人気のありそうな顔立ちだ。
「四件目は二月十八日、被害者はラナ・タリス、十七歳、南六番地区の市場の花屋で働いていました。住んでいたのは南七番地区です。十五日に姿を消しまして、三日後に発見。遺体発見現場は北の森林と東三番地区の境目辺りです」
四人目の被害者の資料にも写真はなかった。これも似顔絵だ。生気のないやや引き攣った顔。まだ幼さが残っている。
「ヘンリエッタ・スタイナーとラナ・タリスも知らない男に付き纏われていると周囲の人に訴えていました。二人とも、消息を絶った日の夕方から夜の間に、働いていた店からの帰宅途中に姿を消しています。目撃者はなし。ただ……」
「ただ?」
「ラナ・タリスが行方不明になった二月十五日の夕方、南七番地区で女の悲鳴を聞いたという者がいました。ラナ・タリスのものかどうかはわかりませんが」
目撃者がいない以上、その悲鳴がラナ・タリス本人のものかどうか証明はできない。だが可能性は高いだろう。
「ジェーン・バルテは二月五日の昼間、ハーディ男爵の使いで外出し、戻らなかったそうです。使いの行き先は東五番地区の郵便局で、手紙を出すように男爵は指示したそうです」
「ジェーン・バルテはちゃんと郵便局に行ったのか?」
「ええ、郵便局員が彼女が来たことを証言してくれました。手紙を出す手続きをちゃんと済ませて、彼女は帰っていったそうです」
ではジェーン・バルテは郵便局からの帰り道で攫われたことになる。
「あと、これはちょっと伏せておいて欲しい情報なんですが」
「何だ?」
バート警部は困ったような顔をして声を潜めて言った。
「ジェーン・バルテはハーディ男爵の愛人だったんですよ」
「は!?」
突然の新情報にセイラムは頭の中の大部分を占めていた何かが一気に吹き飛んだのを感じた。ウォルクもいつものポーカーフェイスを崩して驚いている。ゼアラルは醜聞にわくわくしているようだ。
「あ、愛人? ハーディ男爵は愛妻家だと聞いていたのだが、自分のところの女中と深い仲になっていたのか?」
「ええ、そうです。元々ハーディ男爵は移り気で好色な人なんだそうです。まだ新婚の頃、夫人が第一子である長男を身籠った頃から浮気を繰り返してきました。妊娠中の夫人はその、夜のお相手ができませんからね」
「まさか……、ハーディ男爵は事あるごとに夫人にこまめに贈り物をしていると聞いているのだが」
「夫人の機嫌を取るためですよ。いくらうまく隠しても一緒に暮らしているんですよ? 夫の浮気に気付かないわけがない。夫の挙動、香水の匂い、意味深な発言や突然の贈り物……女性というのは、なかなか勘の鋭い生き物なんですよ」
娼婦が数人、庶民の若い娘、売れない女優、どこかの貴族の奥方とのダブル不倫、自分の屋敷で雇っている女中との火遊び……バート警部は指を折りながら数えていく。どんどん折られていく指にセイラムはだんだん顔が引き攣っていくのが分かった。ハーディ男爵を見る目が変わりそうだ。いや、確実に以前と同じには見られない。
「ハーディ男爵の浮気癖を知る者の中には、ジェーン・バルテは男爵夫人がどうにかしてしまったんじゃないか、という者もいますね」
「どうにか、というのはつまり、男爵夫人がジェーン・バルテを殺してしまった、と?」
「ええ、そうです。それで、それを知ったハーディ男爵が他の使用人に命じて死体を捨てさせた、とか、そういう噂もありますよ」
痴情の縺れ。さも有りなんだが、こうして連続殺人事件の一つに数えられている以上それは絶対的に違うだろう。
連続殺人事件だと言える何かがあるのだ。