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第二話

 

「イゾルデ、こちらへおいで?」


 あの夜会から、数ヶ月。


 あれからの出来事は、ありきたりな恋愛小説の流れをなぞったようなものだった。


 まず、魅了の魔力によって虜となったトリスタンは、衆人環視の元でイゾルデをダンスに誘った。

 さらに数日後には、トリスタンがハーツイーズ伯爵家を訪れ、モルオルトにイゾルデとの婚約を願い出た。王家との縁組を断れる訳もなく、モルオルトが頷いたのは言うまでもない。


 すでに国王陛下からも承認を得て、トリスタンの正式な婚約者となったイゾルデは、たびたび王宮へと招かれるようになっていた。


「ここの薔薇は、僕が世話をしているんだ。イゾルデに見せたくて、満開になる日を心待ちにしていたんだよ」


 手招きをするトリスタンのそばには、今日呼び出された理由である薔薇が、今を盛りとばかりに咲き誇っている。

 まるで絵画のように美しい情景に目を細めながら、イゾルデは誘われるままに足を進めた。


「ええ、本当に……。どの薔薇も見事ですわ」


 赤、桃色、橙、黄色、白、淡紫。

 様々な色の薔薇が咲き乱れる景色は壮観で、一歩踏み出すたびに甘く華やかな香りが鼻を突き抜ける。


「気に入ってくれた?」

「ええ、とても」

「それなら良かった」


 トリスタンは微笑み、そばにあった真紅の薔薇を指し示す。


「この薔薇は、特に手をかけて育てたんだ。その……きみの瞳と、同じ色だったから」


 そう言って、トリスタンは少し照れたようにはにかむ。

 その様子に、イゾルデは胸が締めつけられるような感覚を覚えた。


「色や見た目だけじゃなく、香りも格別なんだ。良かったら、嗅いでみて」

「ええ……」


 内心の動揺を悟られぬよう、イゾルデはその場にしゃがみ、大輪の薔薇へと顔を近付ける。


 (これなら、殿下から私の顔は見えないわ……)


 ほっと胸をなで下ろし、何気なく薔薇に触れる。

 その時だった。


「……っ!」


 指先に、鋭い痛みを感じる。

 見れば、注意せずに触ったせいで、人差し指に棘が突き刺っていた。あっという間に血が筋となって、白い肌を伝っていく。


「イゾルデ、怪我を?」

「……た、大した傷ではありません」

「ダメだよ、よく見せて」


 そう言って、トリスタンはイゾルデの手を取り、丹念に傷口を検めはじめる。


 (わ、睫毛長い……)


 間近で見るトリスタンの顔は、もはや神々しいまでに美しい。

 その様を見つめながら、これなら令嬢達が群がるのも無理はないな、とイゾルデは思った。


「棘が食い込んでいるな……。痛いだろう?」


 まるで自分が怪我をしたような痛ましい表情で、トリスタンは傷口を見つめている。

 だが、そんな彼の姿を見てイゾルデの心を占めるものは、愛される喜びでも、ましてや優越感でもなかった。


 (この人は、何も知らない……)


 その恋心が、魔力によるまやかしに過ぎないということを。

 だから、トリスタンに優しくされるたび、罪の意識にイゾルデの胸は締めつけられる。


「すぐに侍医を呼んでくるよ。だから、イゾルデはここで待っていて」


 優しく微笑み、トリスタンは立ち上がる。

 足早に駆けだしたトリスタンの後ろ姿に、イゾルデは悲鳴を上げたくなった。


 (私には、あなたに優しくされる資格なんてないのに……)


 魔力を解除すれば、トリスタンは正気に戻り、そしてイゾルデを軽蔑するだろう。

 そのことが、イゾルデは何より恐ろしかった。



***



「やあ、イゾルデじゃないか」


 背後からの声に振り向けば、そこには見慣れた男の姿があった。


「……お久しぶりです、マルク様」


 淑女の礼をとるイゾルデを見下ろし、マルクは「ああ」と返した。


「婚約破棄の時以来だな。ところで、何故きみが王宮に?」


 マルクの問いかけに、イゾルデは言葉に詰まった。


 すでに正式な手続きは済んでいるものの、まだトリスタンとイゾルデの婚約は公表されていない。


 (でも、他に私が王宮にいる適当な理由なんて……)


 沈黙するイゾルデに、マルクは無視されたと思ったのか、不愉快そうに鼻を鳴らした。


「……ふん。相変わらず愛想のない女だ」


 冷たい声でそう言い放ち、蔑むような眼差しでマルクはイゾルデを見る。


 (ああ、この人はいつもこうだった)


 かわいげのない女、お前といてもつまらない。

 こちらの話なんて聞こうともせず、一方的な態度でマルクはよくイゾルデを罵った。

 氷を埋め込まれたように、イゾルデの胸の中を冷たいものが満たしていく。


「あのような経緯で婚約破棄をしたのだから気まずいだろうと、こちらから話しかけてやったというのに」


 尊大な話し方も、傲慢さも、何一つ変わっていない。

 それに言い返せない、自分自身も。


「大体、きみには相手への気遣いがないんじゃないか?そんなことだから……」

「やあマルク、僕の婚約者に何か用かな?」


 マルクの言葉を遮った声に、ハッと顔を上げる。

 見れば、侍医を伴ったトリスタンが、マルクの傍らに立っていた。


「……トリスタン殿下」


 マルクは、途端に苦虫を噛み潰したような顔になる。


「こちらにおいでとは気づかず、大変失礼致しました。……ところで、聞き間違いでしょうか。いま、婚約者と?」

「ああ。まだ公には発表していないが、僕はイゾルデ嬢と婚約している」


 間髪入れずに答えたトリスタンは、いつも通り優しげな微笑みを浮かべているが、目の奥が笑っていない。

 トリスタンの言葉に、マルクはしばし衝撃を受けたように瞠目していたが……


「……そう、でしたか。では、邪魔者は退散いたしましょう」


 すぐにいつもの皮肉な笑みを貼り付け、あっさりと身を翻した。

 そして、すれ違いざま、イゾルデにだけ聞こえるような声で囁く。


「……元婚約者のよしみで教えておいてやる。きみがどんな手を使って王子の婚約者に納まったのかは知らないが、彼が愛しているのはきみではない」

「え……?」


 イゾルデが思わず声を上げれば、やはり知らなかったんだな、とマルクは嘲笑う。


「彼の想い人は、ブランエノワールだよ。大方、姉であるきみを身代わりにしたといったところじゃないか?」


最後まで御覧いただき、ありがとうございます。


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