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第一話

「すまない、イゾルデ」


 イゾルデが書斎に入室するなり、イゾルデの父であるモルオルトが頭を下げる。


「……どうか頭をお上げください、お父様」


 マルクに婚約破棄を告げられた日から、既に十日が経った。

 ティンタジェル公爵家からは正式に婚約破棄の書類が届き、書類を持参した使者によって、イゾルデは半ば強制的にサインをさせられていた。


「かねてからの婚約で、こんな形で破棄されるなどとは予想もしていなかった。まさか、今更になってお前の魔力の事を問題にしてくるとは……」


 拳を握りしめるモルオルトに、イゾルデはかぶりを振る。


「……仕方のないことです。どうか、お気になさらないでくださいませ」

「だが……」


 何かを言いかけ、モルオルトは再び気まずそうに口をつぐむ。

 その様子に、イゾルデは嫌な予感がした。


「まさか……まだ、悪い知らせが?」

「……とても、言いにくい事なのだが」


 イゾルデから目を逸らしたまま、モルオルトは絞り出すような声で告げる。


「今日、ティンタジェル公爵家より書簡が届いたのだ。その……お前の代わりに、妹であるブランエノワールを新しい婚約者に、と」



***



『……お前にはすまないと思っている。だが、我が家としては、ティンタジェル公爵家からの申し出を断る事は出来ないのだ』


 書斎から飛び出す前、父から告げられた言葉が、イゾルデの脳裏を駆け巡っていた。


 あれから、ずっと家には居場所がない。


 流石にイゾルデに気を遣っているのか、表立ってマルクとブランエノワールの婚約を祝うような事はなかった。

 だが、ティンタジェル公爵家との縁談が流れずに済んだ事で、父が安堵しているのは明らかだった。


「……ィ」


 我知らず、イゾルデはため息をつく。


「……ディ」


 とにかく、完全にお荷物扱いされてしまう前に、新しい婚約者を探さねばならない。だが……


「レディ!」


 物思いに耽っていたイゾルデは、肩を叩かれた衝撃で、ハッと我に返った。

 振り返れば、正装をした青年が、自分の肩に手を置いている。


「レディ、御気分が優れないのですか?先程からお声掛けしていたのに御返事がないので、心配しておりましたよ」

「も、申し訳ございません……」


 怪訝そうな青年の声に、イゾルデは赤面する。


 今日は、婚約破棄されて以来、初めての夜会だ。


 なんとか新しい婚約者を見つけなければならないのに、こんな事では先が思いやられると、内心でまたため息をつく。


「……まあ、お体に差し障りがないようで安心いたしました。ところで、レディ」


 青年は気を取り直したように微笑むと、イゾルデに向かって手を差し出す。


「どうか、私と一曲───」

「おい!」


 言いかけた青年を遮り、鋭い声が響く。

 見れば、青年の横には、同じ年頃の男性が立っていた。


「失礼、レディ。彼をお借りしても?」


 早口でそう言うと、イゾルデが頷くのを見もせずに、イゾルデに声を掛けてきた青年を引っ張っていく。


 まるで、目が合えば魂を取られるとでも思っているかのように。


 (……まあ、多分似たような事は考えているのでしょうね)


 友人らしき男性が、訝しがる青年に何事かを耳打ちする。

 すると、途端に青年の顔色が変わった。


「『傾国の令嬢』……?あの、ハーツイーズ伯爵家のか?」

「ああ……俺が止めていなかったら、危なかったぞ」


 イゾルデから少し離れたところで、こちらを伺いながらひそひそと話す声が、耳に届く。

 さらに、一連の騒ぎで周囲もイゾルデの存在に気づいたらしく、囁き声が飛び交い始める。


「いやですわ、どうしてこの夜会に……」

「目が合えば虜にされる、とか……」

「さすがは『傾国の令嬢』だな。婚約破棄されたばかりだというのに、もう次の獲物探しとは」


 好奇、軽蔑、警戒。


 けして好意的ではない視線にさらされ、沈んでいたイゾルデの心は、さらに重くなっていく。


 (ここでも、同じなのね……)


 この世界において、魔力持ちの数は多くない。

 さらに言えば、魔力持ちはその強大な力故に畏怖され、忌避される事も珍しくはない存在だ。


 しかも、イゾルデの持つ魅了の魔力は、異性同性問わず相手を惑わし、自らの虜としてしまう。


 そんな属性の魔力を持っているのだから、誤解される事が多いのも、噂に尾鰭がついて悪女扱いされてしまうのも、仕方のない事なのかもしれない。


 ……だが。


 (……この力を一番嫌っているのは、私自身なのに)


 イゾルデは、魅了の魔力を使った事は一度としてない。


 そもそも『傾国の令嬢』という渾名で呼ばれるようになったのも、以前夜会の場で男性に声を掛けられ、その婚約者の令嬢が誤解して騒ぎとなったのがきっかけだった。


 しかし、そんな事は、誰も理解してはくれない。


 マルクも、この会場内の人間達も……もしかしたら、家族でさえも。


 突き刺さる視線に耐えきれず、イゾルデは会場の端へと移動しようとし……そして、派手に転倒した。


「あら、ごめんなさい」


 振り返れば、数名の令嬢達がくすくすと笑っていた。

 その嘲笑に、イゾルデは足をかけられたのだと気づく。


 (私が、何をしたって言うのよ……!)


 悔しさと惨めさに、唇を噛む。

 真紅の瞳から涙が零れようとした、その時だった。


「……大丈夫か?」


 白手袋に包まれた手が、優しげな声とともに差し伸べられる。

 顔を上げたイゾルデは、目の前の人物の顔に、思わず息を呑んだ。


 (きれいな、人……)


 澄んだ湖水のような、瑠璃色の瞳。

 金糸の髪はシャンデリアの光に照らされ、眩いばかりに輝いている。    

 肌は白くきめ細やかで、形の良い桜色の唇といい、会場内の女性達が嫉妬してしまいそうなほどに艶めかしい。


 まるで挿絵から抜き出てきたような完璧な美貌に、しばし呼吸さえ忘れて見惚れてしまう。


 そんなイゾルデを現実に引き戻したのは、先程イゾルデに足をかけた令嬢達の悲鳴のような叫びだった。


「トリスタン王太子殿下!?」

「なぜ、このような場所に……」


 まさか、と思って目の前の男をよく見れば、その耳朶に光る耳飾りに気がつく。

 虹色に輝く特殊な金属で作られたそれは、直系王族だけが身につける装飾だ。


「トリスタン殿下、はやくその方から離れてくださいませ!」


 耳を劈くような、甲高い声が会場内に響く。

 振り返れば、イゾルデを真っ先に嘲笑した令嬢が、素早くトリスタンの腕を取っていた。


「その方は、ハーツイーズ伯爵家の『傾国の令嬢』ですわ!」


 びしり、と倒れたままのイゾルデを指差しながら、トリスタンの腕に豊満な胸を押し当てて、彼女は叫ぶ。


「……傾国の令嬢?」


 秀麗な眉宇を曇らせ、怪訝そうな表情を浮かべるトリスタン。

 そんなトリスタンの反応に気を良くしたのか、令嬢はさらに甲高い声で捲し立てる。


「この方は、トリスタン殿下のはとこであられるマルク様と婚約しておきながら、他の殿方を魔力で惑わしたのです!まったく、淑女らしからぬ破廉恥な……」

「……そうか」


 ああ、この人もか、とイゾルデは思った。


 困った人間に手を差し伸べるような優しい人でも、私の魔力を知れば、結局は離れていく。

 そうして、傾国の令嬢、破廉恥な女と後ろ指を指すのだ。


 もう、何度も繰り返してきたことで、慣れている。


 けれど、せめて彼が自分に軽蔑の眼差しを向けるのは見たくない───と、イゾルデが俯いた、その時だった。


「ところで……そろそろ、僕から離れてほしいのだけど」


 トリスタンは()()()()()()()()()、冷めた声音で言い放つ。


 予想外の言葉にイゾルデが目を向ければ、まさにトリスタンが令嬢を振り払ったところだった。


 ぽかんと呆ける令嬢にため息をつきながら、トリスタンは「そもそも」と続ける。


「このような公の場で、婚約者でもない男の腕に抱きついている貴女こそ、破廉恥なのでは?」

「は……」

「それに、彼女が婚約者のいる身で他の男性を誘惑したと言うけれど、それは確かな話なのかな?証拠もなしに誹謗中傷をしているのなら、貴女に淑女の何たるかを説く資格はない」


 ぴしゃりとトリスタンが言い切れば、令嬢は顔を真っ赤にして、死にかけの金魚のように口をパクパクさせている。

 当のトリスタンは、そんな令嬢を一瞥する事もなく、再びイゾルデへと手を差し伸べた。


「……さあ、レディ。どうぞお手を」


 ふんわりとした笑みとともに、優しい声で促される。

 そこに、先程までの酷薄な雰囲気は微塵もない。


 (もしかして……私のことを庇ってくれた……?)


 今まで、魅了の魔力の事を知って、それでも手を差し伸べてくれた人なんて、一人もいなかった。


 元々魅了の魔力持ちというだけで疑惑と警戒の視線を向けられ、それがマルクとの婚約破棄からは軽蔑の視線となって、陰口を叩かれるのなんて日常茶飯事。庇ってくれる人間なんて、いるはずもない。


 それなのに───目の前のこの人は、こんな私を庇って、手を差し伸べてくれた。


 (……この人が、いい)


 どくん、と心臓が跳ねる。


 煩いくらいに鼓動が鳴り響いて、指先が震えてくる。


 それは、けして願ってはいけない事だと、許されない事だと、頭では分かっているのに。


 (たとえ仮初めでも、この人が私を愛してくれたなら……!)


 気づけば、私は差し伸べられた手へと、ありったけの魔力を注いでいた。



最後まで御覧いただき、ありがとうございます。

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