プロローグ
『傾国の令嬢』というタイトルで投稿した短編の連載版です。連載にあたって、設定が多少異なっています。
「きみとの婚約を解消したいんだ、イゾルデ」
ティンタジェル公爵家の応接室で対面するなり、マルクはイゾルデにそう告げた。
「……何故、とお聞きしても?」
震える声で、イゾルデは問う。
透き通るような肌は青白く、華奢な体はかすかに震えている。
精巧なビスクドールのように整った美貌は無表情のままだったが、その真紅の瞳は衝撃と不安に揺れていた。
イゾルデを蔑むように見下ろしたマルクは、吐き捨てるように答える。
「何故、か。理由はきみが一番よく分かってるんじゃないか?傾国の令嬢、イゾルデ・ハーツイーズ」
薄青の瞳は、ぞっとするほど冷たい。
その凍てつくような眼差しを見つめ返して、イゾルデは「……恐れながら」と口を開いた。
「婚約を破棄されるような心当たりは、私にはございません。マルク様が口にされた二つ名も、根も葉もない誹謗中傷です」
「はっ、どうだか……。きみは、昔から何を考えているのかよく分からないからな」
マルクの言葉に、イゾルデは唇を噛み締める。
そんなイゾルデを睨みつけ、辛辣な声でマルクは続けた。
「それに、いつかきみは俺にも魔力を使うかもしれない」
「何を……っ!」
「あり得ない話ではないだろう?我がティンタジェル公爵家は、王家の分家で莫大な富を有する。その次期当主たる俺を、きみが魔力で言いなりにするのではと周囲が噂していることを知らないのか?」
「それは誤解です!私は、そのような事を考えた事など……っ」
「もう、俺は疲れたんだよ。周囲の噂を躱すことにも、きみを信じることにも」
ふいに、マルクの顔から表情が消える。
そして、ほんの一瞬……その薄青の瞳に、憐れみのような、失望したような色が浮かぶ。
「とにかく、これは確定事項だ。きみの許可なんて必要ない」
「は……?」
「少し考えれば、分かることじゃないか」
マルクは再び嘲笑を浮かべて、イゾルデを見た。
「俺はティンタジェル公爵家の嫡男で、きみはただの伯爵令嬢だ。こちらから一方的に婚約を破棄しても、きみの父上は頷くしかない」
まるで出来の悪い生徒に教えるような口調で告げられた言葉に、イゾルデは言葉を失う。
確かに、ティンタジェル公爵家は王家に次ぐ名門の家柄だ。数代前の国王の王弟を始祖とし、先代の当主には王女が降嫁しているため、マルク自身も色濃く王族の血を引いている。
格下のハーツイーズ伯爵家では、確かに太刀打ちできないだろう。……だが。
「……それほど一方的に婚約を破棄されては、私の社交界での評判は、地に落ちるでしょうね」
「それが、どうかしたか?きみの社交界での評判など、既に地に落ちているだろう」
呆れたように告げられた言葉に、イゾルデは静かに目を伏せる。
イゾルデがマルクを異性として愛しているかと聞かれれば、答えは否だ。
だが、婚約者として、いずれ家族になる存在として、愛そうと努力してきたつもりだった。
こみ上げてくる涙を、ぐっと堪える。
……今は、まだその時じゃない。
この男に、これ以上無様な姿を見せてはいけない。
「……畏まりました。これまでのお付き合いに感謝申し上げます、マルク様」
ドレスの裾を持ち上げ、イゾルデは淑女の礼をとる。
できるだけ優雅に、できるだけ美しく。
「それでは、これでお暇させていただきますわ」
精一杯の笑みを浮かべて、イゾルデはその場を後にした。
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