褒めたい人がいるならば
良いことされたら良いことを言いたくなる。いいんじゃない。
馬鹿と天才は紙一重とよく言う文句だが彼は清々しい馬鹿である。
彼に関する美談は私の記憶にて独占したい気持ちがないと言えば嘘になる。語るに惜しいが幾ばくか皆と共有したい。
高校一年の春、真新しい制服には似つかわしくない逆立った髪に白いマスクをした彼を私は思わず三度ほど見直した。その断片的な印象で彼を豪快で自分よがりな青年であると断言した私は如何しようも無い阿保である。彼が周りのことを思いやれる性の持ち主であることは当時の私にも理解するのに秒という単位はいらなかった。
今一度彼の顔をひしと見ていただきたい。わかるだろうか。彼は純粋無垢の権化そのものであり、きっと幼少時代は光源氏もかくやと思われる愛らしさで比叡の山々までも笑顔と愛の心地で満たしたであろう。私自身、彼が無料で垂れ流してくれる無邪気さに幾度も触れ、その度に心に晴れ間がさし、忘れかけていた童心を思い出していたことは驚くべき事実である。この特別な感情は彼と行動を共にするかショパンの旋律を聴いたときにしか味わえないであろう。皆もぜひ体験することを勧める。そしてありがとう、彼。
挙げれば枚挙に遑がない彼の美談を美しく伝えられるかの責任が私に生じているが、もう少し私の言葉で彼の話を聞いてほしい。次に注目すべきは彼のエンターテイメント力である。いつもどんなときも彼は集団の中心にいる。ふと気づくと自然と彼の周りには食べログで星4.5を獲得した店に客が溢れるように、初夏の夜に舞う蛾が街灯に群がるように仲間がいたことを思い出す。私が思うに彼の口から放たれる言葉一つ一つには人の笑いを誘うように計算された何かがあるのだろう。彼は笑いのロジカリストである。もし彼が1800年代のフランスを生きていたなら、ドラクロワは民衆を導く自由な彼という後世に残す名画を描いただろう。それほど彼といると楽しくて、半永久的に共に言葉を交わしていたくなる。
その彼のエンターテイナーとしてのエピソードを継いで話したい。彼は見えないイヤホンが耳に常時ついているかのように、ふと気づけば音を奏でている。その時は見えないギターを弾いている。彼が歌うと無いはずのステージが見えてそこに彼が立ち照明があたり歓声が飛び、まるで国民的スターのコンサートを最前列の特等席で見ているような気分になる。おそらく一世紀ほど彼の誕生が早ければ、チャップリンに喜劇王の称号は与えられなかったに違いない。また俳優としてもエンターテイメントに優れている。カメラを向ければ刹那、そのスマートフォンの画面は彼主演の映画フィルムと化すのだ。私はどれだけ彼のフィルムを撮ったであろうか。二週間ほどで数えるのはやめた。いつ見返しても全て笑えるものばかりであり、その度に彼のセンスに脱帽してしまうのだ。吉備団子一つでなぜ動物たちが桃太郎の配下と成り下がり鬼退治に参加した気持ちが理解できた気がした。ここに桃太郎は頭一つ抜きん出たエンタメ力を持ち合わせた勇敢というより愉快な男であったという説を提唱する。もし彼が桃太郎ならば私は無償で彼の側近に名乗りをあげることは確実である。皆も笑わずにはいれないであろう。そしてありがとう、彼。
努力した結果何かができる人のことを天才と呼ぶのなら私はそうだ。かのイチローの放った言葉である。彼と出会ってから三年と少々経つが、私は彼の言葉には不思議な魔素を感じる。彼は本当に今を生きているのだなと痛感した言葉が「明日から」という五文字である。彼はもはや枕詞であるかのように頻発していた。体が鈍ってきたからといい「明日から体を鍛える」と高らかに宣言したこともあったろうか。実践したかは神と本人のみぞ知る。「明日から勉強する」と公衆の面前で堂々と言い放ったこともあったろうか。実践したかどうかは神も本人も彼の母も私もその他の友人も知っている。前述のイチローの言葉に従うならば、彼は天才かどうかわからない。彼は今を本気で殴っているのだ。今をくどいほど噛みしめているのだ。未来、過去という言葉は彼の脳内辞書から早々に削除されていることだろう。彼が英語のテストに全て現在進行形で埋め尽くすのは想像するに容易い。ねじれ国会をねじり直し、数学の公式をねじ曲げる日もそう遠くはなかろう。そんな彼に「後悔していないのか」と問うてみたことがあった。彼は「全くしていない」と即答した。それを聞いた瞬間、あの質問が彼にとって極めて愚問であったことを悟った。彼のように正直に真っ直ぐに生きる人をまだ見たことがない。一つの生き方を示してくれたと言っても過言ではない。その彼の功績は末代まで語り継ぎ、書に成文化し墓に入れて眠ろうと私は決めている。皆も感化されるに違いない。そしてありがとう彼。
彼の良所を語り尽くそうと思えば四半世紀、書にすれば日本中の広辞苑と六法全書の総ページに相当するだろう。そんな中で拙い私が拙い文章で彼の美談を私なりに抜粋して表してみたのだが、それでも彼の褒めるべき長所は数多く伝わったのではなかろうか。彼の文章を書くだけで今にも彼の陽気で部屋が飽和しそうであろう。今すぐ彼の名を知りたいという気持ちを皆が抱いていることは理解するに吝かではない。ここにきて私も彼の良いところを語りつくせなかった後ろめたさと彼を世に知らしめてしまうのを惜しむ思いに板挟みにあっている。彼がどんな姿、表情、行動を備えているかは各々の肉眼で確認してもらいたい。
遅くなったが彼の名は ー
悪いことされたら悪いことをする世の中じゃなくてよかったって思ったけど、よく見てなかっただけだった。