第八話 圧倒的な数、数、数!
この異世界には目覚ましなど存在しない。
普通は自分自身の魔力やスキルによって、決まった時間に目をさますことができるからだ。
しかし自由を謳うファブリックにそんなものは必要なかった。
彼が目を覚ますのは、全て自分のタイミング次第である。
誰かと約束して時間を守る行為そのものが日々の生活から抜け落ちた彼にとって、寝坊は普通のこと。いわば当たり前なのであった――
朝を知らせる小型の魔物が外で鳴いていた。
ようやくパチっと目を開けたファブリックは、いつものように伸びをしてから大きなあくびをした。
転生前に愛用していたナイトキャップを模した帽子を脱ぎ、緑色鉱石を加工して作った自動歯磨きカップを口にくわえた。
ウィィンと震える心地良い振動に脳と眠気を揺さぶられながら、パジャマを脱ぎ捨てる。
それでもなお、ファブリックの頭には約束のやの字もなかった。
さて、今日は何をしよう。
ウィッチを倒した後に見つけた鉱石の解析をしてみようかな?
頭の中はワクワクで溢れていた。
しかしここでようやく首を捻った。
俺は何か忘れていまいかと。
天気がいいから洗濯なのか。
それとも草刈り用αの開発だったのか。
うーむと唸り、首の角度が90度まで傾いたところで、ようやく何かが頭をよぎる。
ああ、アレだ……と。
「やっべ、完全に忘れてた。うっわ、もうとっくに時間過ぎてんじゃん。あの理不尽姉ちゃん怒ると激コワじゃん。ヤッベー、目ぇ付けられるぞ、どうすっかな、どうしたもんか」
このままサボってしまおうか。きっと激ギレされるに違いない。
後日謝罪すればいいだろうか。きっと激ギレされるに違いない。
これからギルド本部へ行って謝罪か。きっと激ギレされるに違いない。
ならばシレッと途中参加か。
激ギレはされるに違いないが、職務中ならばどうにか誤魔化せるかもしれない。
脳内でマイナスそろばんを弾いたファブリックは、新調したリュックにスフィアとミミズ用αをありったけ詰めて準備を整えた。どうせ怒られるなら、しれっと参加して謝罪するのがベストに決まっていると打算した結論だった。
青色鉱石を加工して作った冷凍庫から二食分のパンを取り出し、モニュモニュと咀嚼する。
腹が減っては戦はできぬと急ぐ素振りなく、ゆったりトイレで排便し、ようやく小屋を出発した。
「ペリテ運河の仮本部までは、……歩いて二時間、走れば一時間。さて、歩く……、いや、走った方がいいのか。しゃ~ねぇなぁ」
重い荷物を背負い、エッホエッホと走り出す。
日は高く上がり、ウェインたちが本部を出発してから既に三時間が経過していた――
☆☆☆☆☆
―― 同時刻 ユドラ川上流
先行隊に合流したウェインらA班は、目前に広がる異常事態に困惑していた。
茶色の大波のように蠢くサンドワームの畝りは、未だユドラ川を沿うように南下を続けていた。しかし一番の問題は、その進路ではなく、圧倒的な数だった。
「例年より少し数が多い程度という報告ではなかったのか?!」
ウェインが声を荒げた。それも仕方のないことだった。
「そ、それが、ムーカンを詳しく再調査したところ、例年の倍、……いや、四倍ほどのワームが発生していたようで……、その……」
発生数を見誤った担当者が冷や汗混じりに言った。
異常な個体数を前にし、ウェインは高台に用意された観測ポイントで強く床を踏みしめた。
「言い訳はいい。で、正確な数は?」
「や、約15から、に、20万、程度と……」
「20万?! 少なくともいつもの数倍は発生しているというのか」
ようやくミスを認めた担当者を振りほどき、ウェインは報告隊の一人にC班へ伝令を回せと命じた。
下手をすれば最終防衛ラインまでワームの動きは止まらない。
直感的なウェインの予測に基づく行動だった。
「しかし数が多いからといって我々の任務は変わらない。A班に告ぐ。これより我らはワームの先頭へと回り込み、進路を西側へと誘導する。浮遊系スキルを持つ者は先回りし我らを先導、それ以外の者は私に続け!」
例年見られないほど色濃く流れるワームの圧力は凄まじく、近くを沿って走るだけで恐怖を覚えるほどだった。波に飲まれたが最後、自力で脱出することはまず不可能。確実な死が待ち受けていた。
「奴らには正確な舵がない。しかしワームの性質上、自ら川に飛び込むことは稀だ。奴らと並行して走る時は、できるだけ川を挟んで行動するように心がけろ。飲み込まれれば、ひとたまりもないぞ!」
馬に跨り先頭を駆けていくウェインは、先行している浮遊スキル保有者の合図を受け、進路を指示した。どうやらワームの先頭が近く、場に緊張が走った。
川沿いの荒れ地を我が物顔で流れるワームの列は、行く手を阻む全てを破壊し進み続けていた。たとえ先団の仲間が朽ちて死のうとも、決して動きを止めることはない。本能的に砂地を求め、進み続けるようにインプットされているのだから……
しかし、だからといってワームの移動に規則性がないわけではなかった。
ワームの列の先頭には列を先導する《フォーマー》と呼ばれる百匹程度の集団が形成され、後続の列は、フォーマーに導かれるまま進行を続ける。
フォーマーは、数が少なくなれば後方から補充、少なくなればまた補充という具合に成り立ち、列を進行していく。早い話が、《フォーマー》を意図的に先導することさえできれば、列全体を任意の方向へと導くことが可能というわけである。
「しかし問題はその数だ。フォーマーを含めて、奴らは個々に考えることをしない。ただ前行く者に続き、闇雲に走り続けるだけだ。だからこそ我々が選択を誤り、ひとたび列が分裂しようものなら、二手に分かれた巨大な波が生まれてしまう。そうなってしまえば、制御はおろか我ら自身が波に飲まれ、全滅しかねない」
指定の場所で待機していたB班と交差したウェインらA班は、二手に分かれ作戦を開始した。いよいよフォーマーの先頭まで回り込んだウェインは、浮遊したまま準備を整える一団へ合図を送った。
「用意した資材をワームの進行方向へ投入しろ。私が一気に火を放つ。奴らは主に火や水を嫌う。あとは各自川沿いに配置し、フォーマーを西側へと誘導しろ!」
うなずいたギルドの面々が散っていく中、火の壁を作るため用意された大量の資材が川の西側、南への進路を防ぐように投入された。
ウェインは一足早く馬上から飛び上がり、眼下に広がる資材へ向け、剣を振り下ろした。
「行くぞ。聖騎士の炎!」
巨大な火柱が川伝いに吹き上がり、敷き詰められた資材が炎に包まれていく。
続けざまに放った炎は、まるでワームに順路を指し示すように弧を描き、炎の道を作り上げていった。
ギルドの面々も、火矢や自らのスキルを駆使して道を補強する。
東には川が、そして川に沿うよう南側に作られた炎の道が、ワームを西へと誘導した。
フォーマーの先頭が炎の匂いを嗅ぎつけ、進行方向に迷い始めた。すると速度が落ちたことで列詰まりが発生し、左右にあぶれた個体が川側へと膨れ始める。
滞留した流れを放置すれば、圧力に負けた後方の列が先団のフォーマーを押し潰し、炎の道へとなだれ込んでしまう。そこで必要となるのが、B班の働きだった。
後列の流れを緩やかにすべく、遅効系スキルを持つ者たちが、膨れた集団を引き締め列を整える。その隙にウェインらA班が足踏みしているフォーマーの尻を叩き、西側へと集団を先導するというのが例年の流れだった。
しかし時に、異常な数は想定外の事態を引き起こす。
通常であれば容易く引き締められるワームの列も、数による圧力に押されて止めきれず、次第に制御領域を越えて両側に溢れ始めていた。
ウェインらが必死にフォーマーを先導するも、足踏みしているワームの動きは鈍く、膠着状態が続いたままだった。
「A班マズい、これ以上は制御が効かない!」
「泣き言はいらん。全勢力を持って奴らの動きを止めるんだ。ここで侵攻を終わらせる!」
フォーマーの尻を叩き、ウェインが再び炎柱を吹き上げた。
あまりの熱さによろめいたワームは、少しずつ西側へ流れ始めていた。しかし後方の圧力は秒ごとに増し、いよいよ動きのないフォーマーの背中を潰し始めた。
「ダメだ、もう無理だ。止めて、いられない……!」
「もう少しだ。A班で手が空いている者はB班の加勢に回れ。ここを突破されると厄介なことになる、急げ!」
川沿いに陣取っていたA班も力尽きかけているB班の後方へ回り込み魔力を込めた。
しかしさらに推し進めようとするワームの圧力は凄まじく、ついには川側に列が溢れ始めた。
誰かの駄目だという叫びの直後、押されたフォーマーの数匹が、炎の壁に直撃し炎上した。
熱さに暴走した一部のワームは、熱から逃れるため温度の低い川方向へと流れる。炎の壁を守っていた残りのA班が必死に抑えるも、いよいよ限界が迫っていた。
「数秒だ、あと数秒でフォーマーが動く。耐えろ、耐えきるんだ!」
ワームの肉が焼ける異臭が周囲に充満し、圧力に負けた個体が音を立てて弾け始めた。
ギシギシと密度を増していく最前線は、既に爆発する直前の風船のように膨らみきっている。
ダメ押しと、ウェインの剣が地面を叩いた。
するとようやく重い腰を上げたフォーマーが西へと流れ始めた。「ヨシ!」とA班の誰かが拳を握ったが、それとほぼ同時に、川と炎の壁の境目で爆発音が響いた。
「ま、まさか……?!」
ウェインの顔が強張った。
それを裏付けるように、誰かが叫んだ。
「壁の一部が破壊された、南へワームが抜けるぞ!」
フォーマーが西側へ流れ始めたのもつかの間、圧力に押し出された一部のワームが炎の壁を突き破り、川沿いを南下し始めた。
一度漏れるが最後、進行方向南側へとかかった圧力に負け、横道へそれたフォーマーを押し潰すように、南へとワームが流れ始めた。
「進行を止めろ、ここで止めなければマズいことになる!」
ウェインが慌てて川沿いへ走るも、一度押し込まれた圧の力は凄まじく、押し出された水鉄砲のように勢いを増していった。いつしか西側へ進んでいた数匹のフォーマーを残したまま、流れは南側へと完全に傾いてしまった。
「マズいです、数が多すぎる。侵攻を止められない」
過去にフォーマーだったものたちを置き去りに、また新たなフォーマーを形成し、ワームは再び南下を開始する。
ウェインは浮遊可能な隊員に本部への伝令を任せ、第二波を止めるべく南へと走った。
「一度の失敗で諦めるにはまだ早い。そのために第二、第三の仕掛けを用意しているのだ。最前線で力を使ったものは後方で待機、他の者は再び川向こうから南へ下るぞ、急げ!」
ギルド隊員を鼓舞すると、大きな声が上がった。
まだ大丈夫、自分に言い聞かせたウェインの額には汗が滲んでいた。
《 アレな感じがする 》
そう口にしたクルフの言葉が脳裏をよぎる。
「あの人の勘は、嫌な時だけよく当たる。本当に嫌になる!」