第百八十二話 勝手な先入観
「……壊れない壁」
ファブリックの目の前から浮き上がったアクアが輝き、これまでで一番分厚い水色の壁が立ち塞がる。恐ろしい勢いで撃ち込まれた斬撃は、壁にめり込むようにして止まった。しかし――
『 一撃で終わりだと思うなよ、AA.ファブリック! 』
ツバを飛ばし、壁から剣を引き抜いたヴァイドが、目にも留まらぬスピードで第二、第三撃と剣を振るった。右、左と撃ち込まれた攻撃によって破壊された壁を突き破り、ヴァイドはいよいよ目の前まで追い込んだファブリックへと剣を振るった。
『 シネェェエエェェ、ゴミムシガァアアァァ!! 』
顔と顔の距離にして、ほんの数十センチ。ヴァイドとファブリックの視線が、初めて目前で交差する。片やヴァイドは持ち得る全ての力を剣に乗せ、トドメを刺さんと振り翳す。しかし片やファブリックは、ふぅぅぅと思い切り息を吸い込んで止め、両足を開き、腰を落として身構えるだけだった。
『 これで終わりダッ、真・王の一撃ァァァア!! 』
浮き上がったアクアが再び光り、ミルフィーユ状の薄い壁を織り合わせるようにファブリックの前に並べていく。全ての闇を吸収し、巨大な一つの剣となって振り下ろされたヴァイドの一撃を正面から受け止めた水色の壁は、一枚、また一枚と砕けて散っていく。
「無駄よ無駄ァッ! 全てぶち壊して貴様を撃つッッ!」
攻撃の勢いは凄まじく、折り重ねた壁は次々に割れ、空気中に飛び散り消えていく。しかしファブリックは身動き一つせず、頭上で蠢く巨大な影の軌跡を、ただ上目遣いに見つめていた。
『まだまだァッ、砕けェエエェ!』
巨大な金属の塊が擦れて鳴らすような耳障りな音と重厚すぎる破壊音が轟くも、誰一人そこから目を離すことなく息を飲む。
これで全てが決まる ――
場の全員が、それを肌で感じていた。
眩い光を放っていたアクアは、最後の仕事を終えたように、ころりと地面を転がった。ニヤリと笑ったヴァイドは、まだ自分には力が残っていると、壁を押す剣に全ての魔力を込めた。
「クゥゥゥダァァァァケェァァッ!」
再び勢いを増したヴァイドの剣が壁を押し、引き裂く。そして最後に残った一枚を前に勝利を確信したヴァイドは、剣先を突き立て、壁を貫いた。
破られた。場の全員の口が一斉にカパリと開く。
一人はついにあの男が負けると目を見開き、一人は口を押さえ目に涙を溜めた。
『 ファブ! 』
壁を破った音と共に、誰かの声が抜けていく――
その声は、障害物の無くなった広場を抜け、ダイレクトに男の耳へと届けられた。
「うるせぇなぁ。黙って見てろ、バカ女!」
ヴァイドが壁を撃ち破った瞬間に見た光景。
それは、ファブリックが両の拳に水色の光のようなものをまとったおかしなものだった。
振り下ろした剣をヴァイド自身が止めることは、既に不可能だった。「あれだけ時間を稼げれば幾らでも躱せる」とでも言わんばかりに半身で構えたファブリックは、剣先を躱し、頭上から降ってくるヴァイドの胸元へと一歩踏み込んだ。
「だ~れがアクアで攻撃するっつった? 勝手な先入観はいけないなぁ、ヴァイドちゃん?」
ここまでのやり取りを時間にすれば、たかだか四十秒程度。残り二十秒と呟いたファブリックは、剣が地面に触れる前に、これでもかと握った左拳をヴァイドの腹に叩き込んだ。
ヴァイドが呻き声を上げる暇もなく、首、脇腹、脇、喉と続いて、恐ろしく滑らかにアゴ、右頬、左テンプルと攻撃が繋がっていく。
いつかのダンジョンで、誰からか受けた打撃を完全に模倣した連続攻撃が直撃し、ヴァイドの黒い鎧を木っ端微塵に砕いていく。
左拳の光が消え、ファブリックは最後にとっておいた右の拳を身体の横までグッと引きつけた。そしていつか見た特撮ヒーローを真似るように、思い切り振り抜いた。
「グーで殴れば全て解決って、よくよく考えてみると とんでもない歌詞だよな。まぁでも、特撮のヒーローって、結局最後ぶん殴って解決するんだよな、それこそ理不尽に」
見事に打ち抜いたアッパーカットがヴァイドのアゴに突き刺さる。黒く陰っていた周囲の魔力が、ガラスのように音を立てて崩れていく。剣を落とし、子供が放り投げた人形のように回転しながら飛んでいったヴァイドは、頭から地面に落下し、気を失って倒れた。
「まぁ普通、剣聖相手には剣で……、てのが正しいんだろうけど、たまにはこんな終わり方も良いじゃない?」
シンと静まり返り、誰一人身動きがとれない中を、たった一人駆け出したナギが、ファブリックに飛びつき抱きついた。やめろ、離れろと暴れるファブリックを見ながらフフンと呆れたレックスは、声高に勝利の咆哮を上げた。