第百十話 もう何がなんだかわからない
小さなナニカは、皆に背中を向け、さもダラけたように片肘ついて横たわり、背中に生えた申し訳程度の小さな翼で横腹をボリボリと掻いた。
そして数秒後、ようやく周囲の変化に気付き、ゆっくりと振り返った。そして恥ずかしそうにポッと顔を赤らめた。
「な、な、な、なんだコイツは……」
ちょうど壺を横にしたくらいちんまりしたそのナニカは、真っ白の身体を砂に半分埋めながら、闇夜に浮かぶファブリックらの顔を見回した。しかしナニカが見た全員の顔は、皆が皆呆然と、あんぐり口を開けた不思議なものだった。
短い手足。
そして見覚えのあるつぶらな瞳。
ヒューマンの子供より、もうひと回り小さな白のぬいぐるみボディ。毛皮のように柔らかそうな身体をこれでもかと見せつけ正面を向けば、プリプリと可愛らしく尻を振った。
続け様、ファブリックらの視線が自分たちの足元へと向けられた。目の前のナニカに似た珍獣を、つい最近どこかで見た気がしたからだった。
「し、し、し、白いクママだーー!!」
唐突にナギが叫んだ。
オロオロと慌てるクママに気付き、白いクマもまたオロオロと慌てた。そして今度はモフモフと涙を流し合い、ガッシリと抱き合った。
「マ、クマクママッ(お、弟よ)!」
「マ、マクマクマ(あ、兄ちゃん)!」
熱い抱擁を交わす珍獣グマ二匹は、クラブで若者がするように拳や肘などをタッチさせ、感動の再会を喜びむせび泣いた。何のことやら状況不明なファブリックらは、ただただ冷めた目で、不可思議な光景を眺めていた。
「何が温度コントロールだ。おいエレク、なんなんだこの珍プレーは?!」
「し、知らん。私がそんなこと知るはずなかろうが……」
その後レックスが通訳した要約によると、白クママ曰く、随分昔に悪い魔法使いによって壺の中に封印されてしまい、アベヒの壺自体がこの世になくなったことで壺から出る方法がなくなり困っていた、らしい。
「クマクマクママママクマママクママママ(どれだけ探した思ってんねん)!」
「クマクマ、クママクマクママクママママクマックマックママ(ごめんやで、ワイがジジイの言いつけ破ったばっかりに)!」
その後もしばらく、おんおん泣きながらの感動の再会は続いた。しかしファブリックらは、もう夜も遅いからとそのままゼプカ自宅の一角を借り、眠りについた。
『 クマママクマクマクママ
(少しは関心持てや)! 』
◆◆◆◆
―― 翌朝 早朝
肩を組みながらトレンダムに腰掛けた珍獣二匹は、もはやなんの違和感もなく勝手にそこを定位置として陣取っていた。今さら何も言うまいと口を噤んだ他の面々は、誰一人そこに触れなかった。
その一方で、不自由のない快適な旅路を夢見ていたファブリックは、喉の乾きを恨めしそうに嘆きながら、ただただ暑い砂漠の砂の上で子供のように駄々をこねて転がった。
「結局、全部無駄足だった! 無限エアコンを手に入れるはずが、増えたのはバカグマだったなんて笑えるか!」
「どうしてよ、可愛いじゃない。ねー、クママにコモモ♪」
昨晩のうちに《コモモ》と命名された珍獣に抱きつきながらナギが笑った。もう知らんと呆れていると、誰かがファブリックの服の裾を引っ張った。
「ん、……なんだガキンチョ」
神妙な顔をして近付いたのはカネルだった。カネルは、結局最後まで言いそびれていたと照れながら、ファブリックに改めてありがとうと礼を言った。
「ふん、礼を言われる覚えはない。俺は俺の目的に従ったまでだ」
「どっちだっていいよ。結果が全てだって、誰かも言ってたしね」
「生意気なことを。……で、お前らこれからどうすんだ」
「まだ決めてないよ。だけど……、僕と母さんは街に住めないから。どこか都合のいい場所を探して静かに暮らすよ」
「ふん、いちいちウジウジとした奴め。おいエレク、ちょっとこい!」
ファブリックはエレクを乱暴に呼びつけた。私は偉いんだからもっと敬えと憤慨しながら歩み寄ったエレクに、ファブリックはポイとカネルを投げつけた。
「おいエレク。お前、今日からそいつら親子を匿ってやれ。その方がお前も都合がいいだろ。なんなら壺も作り放題だしな。じゃ、後は頼んだ」
「…………は、ハァッ?! いや、ちょっと待ちなさいよ。おいこら、何を勝手なことを!」
「砂の術者だかなんだか知らんが、どうせ砂漠の真ん中に一人で住んでんだから、それくらい別にいいだろ。それにそいつの母親、お前の何倍も強いからな。用心棒にはもってこいだ」
「よ、用心棒って。しかしお前な……」
カネルの肩に手を置いたウィッチがペコリと頭を下げた。本当に大丈夫なんだろうなと怪訝な顔をしたものの、砂の術者という立場上、神聖かつ高貴でなければならないという見栄もあり、エレクはゼプカら家族の手前、無碍な態度を取ることができずしぶしぶ受け入れた。
「よし、これで全て片付いた。あとは俺の安住の地を探すだけだ!」
こんなところでいつまでも時間を潰していられるかと心底失礼な言葉を浴びせながら荷物をまとめたファブリックは、ゼプカら家族にだけ律儀に礼を伝え、これで準備完了だと頷いた。
「いよいよ出発だね。今度はどの国に行くのかな? ワクワク!」
「グラベルだけはやめておいた方がよろしいでしょうね。命が惜しくば」
ナギの何気ない質問に、レックスではない誰かが返事をした。「え?」とナギが不意に振り返ると、そこに見覚えのないフリルの付いた服を着た女が立っていた。
「少なくとも第三国。何よりグラベルと軍事協定を結んでいる国への入国はお勧めしません。もちろん、それでも良いと言うのならば構いませんが」
すぐ涙目になったナギが「ヒェェェ」と叫びながらファブリックの影に隠れた。同じように武器を構えたレックスやウィッチをよそに、ファブリックに近付いた女は、ファブリックの目の前でペコリとお辞儀をした。
「周辺国であれば、ベガロかエスクマル。もしくはピゲンという選択肢もございます。いかがなさいますか?」
にこやかに顔を上げ、ニーナが微笑んだ。しばらくニーナの言葉と意味不明な現状を頭の中で咀嚼したファブリックは、ううむと腕を組みながら質問した。
「……どゆこと?」
「もうお忘れですか? アナタが《自由にすればいい》と仰ったのではありませんか」
「……いや、ちょっと言ってる意味が」
「ですから、自由にさせていただくことにしました。本日からよろしくお願いしますね、ファブリック様」
「………………はい?」
「では参りましょうか。う~ん、そうですね。やはり私のオススメはピゲンでしょうか」と悩む素振りをみせながら、ニーナがファブリックの背中を押した。
意味もわからずなぜか苛立ったナギが、ニーナとファブリックの間に割り込んで「シャー!」と猫のように爪を立てた。
「ほら、早く行きますよ」とニーナが皆を呼んだ。
もう何がなんだかわからんと涙を流したファブリックは、こうしてまた新たな街へと旅立つのであった。