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君在りし日々を想う

 侯爵令嬢カトレアが、扇をかまえて一喝した。


「うるっさいですわっ、黙らっしゃい!」


 リラを取り囲んでいた令嬢たちが、一瞬で静かになった。叱られた全員が震えあがり、反抗する気配はない。


「わたくし、本日の観劇の宴を楽しみにしておりましたの。午前の部の古典悲劇は最高でしたし、その後の歌唱もうっとりと聞き惚れてしまいましたわ。目も耳も大変幸せで満足しておりました。それをっ、ネチネチ、グチグチとっ、あなたたちの雑音がっ、聞こえてくるではありませんかっ!」


 カトレアがキーッ!と捲し立てる。貴族令嬢の代表として、開幕の挨拶を行ったときには、おくびにも出さなかった高音だ。


「ドレスの流行がどうのこうのと……まったく、つまらないですこと。わたくしから見れば、あなた方のドレスだって、去年との違いが微少過ぎて、拡大鏡で観察しないと判別できなくってよっ!」


 言ってやった感を隠しもしないカトレア嬢、御年九歳。豪奢な金髪が燦然と輝いている。リラは、本当に同い歳だろうかと、彼女をとても眩しく感じた。何もかもが、自分とまるで違っている。


 ふんぞり返る侯爵令嬢の背後から、十代半ばくらいの取り巻き数名が、楚々と歩み出て後を引き受けた。

 おほほ……、あらあら……、おいたが過ぎてよ……などと微笑む年長のお姉様がたは、いずれも名家のご令嬢。あっという間に、涙目のいじめっこたちを引きずって、物陰へ姿を消してしまった。


「はぁ、嫌になりますわね。あなた、大丈夫かしら?」

「は、はい」

「そう、よかったわ。ああ、わたくしのことは、カトレアとお呼びいただいて結構よ」


 慌ててリラが膝を折る。流行遅れのドレスを摘まんで、カトレアへ挨拶した。


「お目にかかれて光栄でございます、カトレア様。お助けいただき、大変ありがとうございました。わたくしはヒール子爵の娘、リラと申します」

「……あなた、ヒール家のお嬢さんなの?」


 戸惑った声だった。やはり自分は場違いなのだと、リラは唇を噛み締めた。


 この王都では年に一度、春の野外劇場で、華やかな観劇の宴が開催される。現王陛下の母君にあたる、グロリオサ先代女王陛下の即位を記念し、始まった恒例行事だ。


 王国の女性の多くが、先代女王陛下を敬愛しており、リラもその一人である。


 何しろ、女王陛下が尽力されるまで、離婚、相続、爵位継承の権利は、女性に認められていなかったのだ。


 確かに、改革による弊害は大きい。教会の力を利用し、改革を進めたため、神話に由来する双子を忌む因習を残す結果になってしまった。

 また、教会が禁忌とみなした、錬金術や魔導分野の一部技術には、現在も厳しい制限が設けられている。


 賛否両論ある先代女王の治世だが、田舎貴族で兄のいるリラにとっては、女性の待遇を改善してくれた、間違いなく名君であった。


 そんな憧れの先代女王が始めた宴。数十年続いた行事だろうと、統治者次第でいつ廃止されてもおかしくはない。だから、行けるうちに出席してみたかったのだ。


 田舎者がお呼びじゃないのは知っていた。領地に籠って農業ばかりしているヒール家なんて、浮いて当然ということも。

 目立たないよう注意していたリラだが、飲み物を取りに家族から離れた途端、同世代の令嬢たちに囲まれてしまった。


 無念さを噛み締めて、頭を下げる。


「場もわきまえず、わたくしごときが参加してしまい、申しわけ……」

「違うわ、誤解なさらないで」

「え?」


 思いがけない否定の言葉に、リラは目を丸くした。


「春の宴は、下位貴族の方々にも気がねなく参加していただきたくて、野外劇場で開かれるのよ。知っていて?」

「そうなのですか、存じませんでした」

「ですから、あなたは場違いではありませんよ、リラさん。このカトレアが保証して差し上げるわ。おーっほほほ!」

「まあ。うふふ」


 この高飛車で自信家の、きらびやかなご令嬢は、思いやりのある人だとリラは感じた。


「先程はね、いつもお見かけしないヒール家の方々が春の宴へ参加されたと知って、単純に驚いただけなの。お会いできて嬉しいわ」

「あの……わたしも……いえ、わたくしも、嬉しいです」

「良かったですわ! ところで、本日はご家族といらしたの?」

「はい、みんなで参りました。ただ、祖母だけは、領地へ残りましたが……」


 リラが皆で行こうと説得し、家族も乗り気で参加が決まった。だが、祖母だけは残ると言って頑なに譲らなかったのだ。


 腰が痛むと弁解していたが、おそらく嘘だろう。少女時代に、王都で過ごしたことがあると聞いている。だが、ろくに教えてくれないし、けして近付こうとしないのだ。


 祖母は王都に、嫌な思い出があるのかもしれない。


「そう……残念ね……」


 侯爵令嬢カトレアは、眉尻を下げている。祖母と彼女に面識は無いだろうし、何故だろうかと不思議に思う。


 リラが首を傾げていると、拍手が聞こえた。


 野外劇場の円形舞台に、正装の役者が立っている。一冊の詩集を手にしていた。

 そろそろ午後の部が始まると、詩の朗読で観客たちへ報せるのだ。


 朗々と響く役者の声が、短い詩を読み上げていく。


「在りし日の君を想う。咲きほこる花を眺むる優しき瞳を。君去りぬれど、色褪せぬ──……」


 華やかな場にそぐわない、寂しい詩だ。きらびやかなカトレアが、静かな表情で舞台を見つめ、じっと耳を傾けているのが、少し意外だ。


 リラは、領地に残った祖母が大切にしている詩集にも、この詩が載っているのを思い出した。この詩が好きらしく、本に開き癖がつくほど、幾度も読み返している。


 祖母が詩へ目を通す横顔の、祈るような静謐さ。あの表情が、大輪の花に似た侯爵令嬢カトレアの表情と、何故か重なる。


 詩の朗読が終わると、カトレアとリラは、別れの挨拶を交わして、それぞれがいるべき場所へ戻っていった。


 ほんの一時の、短い邂逅。美しい侯爵令嬢から親切にされただけで、十分ありがたいことである。


 けれど、これほど身分に差がなければ、カトレアと友達になりたかった。我ながらおこがましいと思ったリラは、そんな気持ちを胸にとどめて、誰にも打ち明けはしなかった。


 □


 春の宴を満喫し、子爵一家は領地へ戻った。平和な時間が過ぎていき、そのうち三年の月日が経っていた。


「お義母様、大丈夫ですか? リラ、お水を持ってきてちょうだい!」


 夏の終わり、茶会に出ていた母が、青ざめた祖母を支えて戻ってきた。メイドと下僕が母を手伝い、リラは厨房へ水を取りに行く。


「いったい、どうされたのです? お祖母様のご容態は?」

「急に、ご気分が悪くなられたようなの。でも、安心してちょうだい。お水を飲んだら、少し顔色が良くなられたわ」


 廊下で待っていたリラは、部屋から出てきた母の言葉に安堵した。


 茶会の席で、王都で流行っている怪談の話題が出たという。恋人に棄てられて崖から飛び降りた令嬢の亡霊が、裏切り者をとり殺そうと、王都をうろついているというのだ。


 母が子供時代にも、似たような怪談が都会から流れてきた。くだらないわねえと、みんなで楽しく雑談していた。その時点では、祖母も笑っていたらしい。


「そのうち、貴族のご老人が、幽霊と遭遇して塞ぎこんでいるという噂話になったの。ええと、誰だったかしら……この辺りの貴族じゃないのは確かね。その時、お義母様が真っ青なお顔で、カップを落とされたのよ」

「その方とお知り合いで、心配のあまりご気分が悪くなられたのでしょうか?」

「いいえ。お義母様は知らない人だとおっしゃっていたわ。目眩がしたとき、偶然、怪談のタイミングと重なっただけみたい。あなたも、この件で何か質問されたら、誤解をといておいてね」

「はい、お母様」


 応診に来てくれた主治医も、疲れからくる貧血だろうと診断し、母とリラは安堵した。


「お祖母様、お加減は? ご無理をなさってはいけないわ」


 祖母の部屋へ様子を見に行くと、ベッドで上体を起こして読書していた。


「みんな大袈裟なのよ。じゅうぶん横になったから、すっかり良くなったわ」


 祖母は笑ってみせるが、まだ顔色が青白い。


「わたし、ハーブティーを淹れるわ。体が温まって、貧血に効果があるみたいなの。飲んでくださる?」

「ええ、勿論。ありがとう、リラ。優しい子ね」

「す、すぐ、お持ちしますね」


 照れ屋のリラは、急いでハーブティーを淹れてきた。祖母はまだ、さっきと同じ姿勢で本を開いている。


 考え事に集中しているせいか、扉を開けたリラに気付かない。祖母の独り言が微かに聞こえた。


「…………きっと間違いよ。絶対に、そんなことは、なさらない。けれど……けれど、もし……本当なら……お止めしなければ……」


 祖母の指先が、本に綴られた一編の詩の上に置かれている。リラの位置から、文字は確認出来ない。だが、祖母が大切にしているいつもの詩集だ。何が書いてあるのか、リラにはわかっていた。



 在りし日の君を想う。

 咲きほこる花を眺むる優しき瞳を。

 君去りぬれど、色褪せぬ思い出よ。

 うつろう季節、かさねゆく年月、その果てに、いつか──……。



「あら、早かったわね、リラ。ありがとう、いい香りだわ」


 ハーブティーの匂いに気付いた祖母が、ゆっくりと詩集を閉じた。孫を安心させようと、ぎこちなく微笑む表情に、リラは却って胸がざわめいた。


 □


 ヒール子爵家の居間では、珍しく口論が起きていた。


「本気でおっしゃってるんですか、母上!?」

「ええ、わたくしは本気よ」

「無茶はやめてください。また具合が悪くなったらどうするんです! 何故王都へ行きたいのか、目的だって教えて下さらないし!」


 急に王都へ行くと言い出した祖母に、父が頭を抱えている。本人は、ただの観光だと主張しているが、どう考えても疑わしい。


 季節は秋。過ごしやすい気候ではある。だが、朝晩の冷えこみは徐々に厳しくなってきた。父は、高齢の祖母を案じているのだ。


「気持ちはわかるがね、母さんを行かせてやんなさい」


 二人の口論を見守っていた祖父が、穏やかに口を開いた。


「ち、父上まで」

「それに、君もだ。あんまり息子を困らせるものじゃないよ。一人旅なんてやめなさい。そうだ、リラを連れて行ったらどうだね?」

「あなた……」


 祖父は思慮深く、穏やかな人柄だ。滅多に指図しないぶん、発言には重みがある。


「リラは、まだ子供ですよ、父上!?」

「子供ったって、十二だろ? 昔なら成人だ。いい経験になるぞ」


 話し合いの結果、しっかり護衛をつけることとなり、祖母とリラの王都旅行が決定した。




 不安に感じていたリラだが、いざ出発してみると、祖母との旅行は楽しかった。


 数十年ぶりの王都に、ずいぶん変わったと驚きながらも、祖母は地理に詳しく活動的だ。華やかな都会に気後れするリラとは違い、歩き方もなんとなく様になっている。


 時々、祖母は人混みの中に、誰かを探しているようだった。顔見知りはみつからないまま、日程だけがすぎていく。

 滞在期間は一週間だと、父から厳しく言い付けられていた。手伝おうかと遠回しに尋ねても、人探しなどしていないと祖母が認めず、これでは力を貸すことができない。


 結局、観光を楽しんだだけで、最終日になっていた。


「あれを食べましょうよ、リラ」


 気落ちする素振りを見せず、祖母が指差したのはサンドイッチの屋台だ。止める間もなく、平民に混じって、平然と購入してしまった。リラだけではなく護衛たちまで驚いていたから、下位貴族にしても破天荒な行動だろう。


「わたくしはね、これでも、お転婆だったのよ」


 さすがに立ち食いはできず、中央公園のベンチでサンドイッチに手をつける。


「驚きました。わたし、屋台のお食事なんて、初めてです」

「実はね、わたくしも今日が初めてよ。気が合うわねえ」

「もう、お祖母様ったら!」

「うふふ」


 楽しそうに笑った後、祖母は改めて、感慨深く公園を見渡した。


「ずっと昔、この公園にはよく来たのよ。懐かしいわ」

「そうなのですね」

「その頃、わたくしには、特別なお友達がいたの。身分ある御方で、おそれおおいと思ったけれど、大切なお友達だと、その御方から言っていただけたのよ。嬉しかったわ」


 祖母の友人は、深窓のご令嬢だったという。護衛付きでも公園をそぞろ歩きなどできない、高貴なお立場だったそうだ。

 名家の伯爵令嬢あたりだろうかと、リラは想像した。


「お姫様みたいな御方だったのね」

「そうよ。とても、優しい御方だったわ。優しすぎて、ご自分が傷つかれるような、そんな不器用な方だった。お守りしようと誓ったのに、わたくしはちっぽけ過ぎて、何のお役にもたてなかったわ」

「お祖母様……」


 リラは、かつて春の宴で出会った侯爵令嬢を思い出した。自信に満ち、優れた容姿ばかりではなく、内面からも豪華な輝きに溢れた、カトレアという令嬢を。

 あの少女も、高貴な身分でありながら、リラへ親切にしてくれた。居丈高だと勘違いされかねない言動とは裏腹に、とても優しかったと、記憶を振り返る。


 祖母の友人は、さすがにカトレアほどの身分ではないだろう。だが、高貴な立場だったというその友人を、カトレアに重ねたリラは、正直、祖母が羨ましかった。


 リラはカトレアと友達になるどころか、二度と会う機会もないのだから。


「お友達は、自然がお好きでね、宝石よりお花を好まれた。色々、お辛い時期だったから、少しでも元気を出していただきたくて、必死に方法を考えたわ。でも、駄目ね。今、考えてみると、喜ばせるどころか、ご迷惑ばかりおかけした気がするわ」

「ご迷惑って?」

「あなたにするみたいに、綺麗な木の葉や、どんぐりを差し上げたりしたのよ。わざとひょうきんな事を言ったりもしたわ。あの方に笑って欲しかったの。まったく、我ながら情けないわね」

「……わたしも、機転が利くほうではありませんから、なんとなくわかります」


 たとえば、カトレアを喜ばせたくても、リラだって上手く出来そうにない。きっと空回ってしまうだろう。さすがに木の葉やどんぐりをあげる度胸は持てないが。


 苦笑いした二人は、サンドイッチを食べきると、公園を散策した。ちょうど紅葉の季節で、黄色く色づいた銀杏の葉が落ちていた。


 祖母とリラは木の葉を拾う。押し花ならぬ押し葉にして、栞にするのだ。貴族らしくはないけれど、ヒール子爵家では恒例になっている秋の楽しみだ。


 散策を終え、公園から出て少し歩いたところで、祖母がふと足を止めた。


 紫色の艶やかな髪をした令嬢が歩いてくる。


 身なりのよさや、兼ね備えた気品から察するに、どうみても貴族令嬢である。リラより、ずっと高貴な立場だろう。しかし、彼女は一人きりで、供を連れていなかった。


「護衛や召し使いと、はぐれてしまったのかしら?」

「…………」


 棒立ちになった祖母は返事をしなかった。食い入るように、令嬢を見つめている。やがて、かたく強張らせた青い顔で、唐突に祖母が駆け出した。


「お祖母様!?」


 リラは慌てて追いかけた。一足はやく、祖母が令嬢の正面にたどり着く。間近から不躾に、見知らぬ人を凝視する祖母に、リラは狼狽えた。


「…………ちがう」


 祖母が言った。


「ああ……、あなたではないわ。そう……人違いだったのね」


 この一週間、雑踏の中で探していた人物のことだろう。この紫髪の令嬢と似ていたのかもしれない。


 祖母の顔が一瞬、泣きそうに歪んだ。

 人違いだったことに、祖母が安堵していたのか、落胆していたのか、リラには判断できなかった。




 護衛たちの困惑した気配に気付き、リラが我に返る。感慨にふけっている場合ではない。


「お、お祖母様、こちらの御方にお詫び致しませんと」

「あっ、そうでした。無作法を致しまして、申し訳ございませんでした。わたくしの友人に、あまりに似てらっしゃったので、ついあのような態度を……」


 祖母が詫びると、令嬢は頷いてくれた。無表情だが寛容な性格らしく、腹を立ててはいないようだ。


「さしでがましいようですが、日中とはいえ、一人歩きは危ないですよ。ご事情をうかがってもよろしいですか?」

「お芝居が終わるまで、公園ですごそうと思ったの」


 所作は洗練されているのに、話し方が妙に拙い。子供を相手にするように、祖母が令嬢へ根気強くといかける。


「ご家族と観劇にいらしたのですね?」

「そうよ」

「ご家族は、あなたが公園へ向かわれたことを、ご存知ですか?」

「いいえ」


 令嬢は首を横に振った。危険性を理解していないらしい。


「ご迷惑でなければ、ご家族の元へお送りしますよ」


 こちらからの提案に、頷きも断りもせず、令嬢は祖母の手元をじっと見つめた。そういえば、銀杏の葉を持ったままである。


「これは、お目汚しを。この銀杏の葉はですね……」

「知ってる。栞にするんでしょう」


 言い当てられて、祖母が目を丸くする。令嬢は当然のように言葉を続けた。


「友達から貰って喜んでた人がいたの。だから知ってる。綺麗な葉っぱはね、栞にするものなのよ」

「そう、でしたか……」


 祖母の目が潤んでいる。いつも祖母が読んでいる詩が、リラの頭をよぎっていた。



 在りし日の君を想う。

 咲きほこる花を眺むる優しき瞳を。

 君去りぬれど、色褪せぬ思い出よ。

 うつろう季節、かさねゆく年月、その果てに、いつか君に会わんとぞ思う。

 我が心に友の姿あり。

 君在りし日々を想う。



 これは、亡くなった友を偲ぶ詩だ。

 そして、公園で聞いた祖母の友達の話は、過去形で語られていた。


 祖母は、体調を崩したのをきっかけに、これまで近付くのを避け続けた王都へ、友達に会いにきたのだろう。本来は、その人の思い出と、再会するための旅行だったのだ。


 リラが気付かないうちに、街でこの令嬢を見かけて、まさかと思いながらも、探してしまったのかもしれない。


 浮世離れした令嬢が、じっと祖母を見つめている。リラは、自分たちを不審がらずにいてくれる、不思議な令嬢に感謝した。

 祖母の友人に似た人と出会えただけでも奇遇だが、それが彼女でよかったと心から思っていた。


「よろしかったら、いかがですか」


銀杏の葉を祖母が差し出す。


「いいの?」

「はい。せっかくこうして、お知り合いになれたのですもの。お近付きの印に、受け取っていただけたら嬉しいですわ」

「ありがとう」


 令嬢は、祖母から銀杏の葉を受け取ると、丁寧にハンカチにくるんでポケットへしまった。


「もう、用事が済んだから、公園には行かなくていい。劇場へ帰るわ」


 令嬢も栞を探しに公園を目指していたようだ。


「では一緒に参りましょうね」

「うん」


 和やかに歩き出す。祖母が令嬢へ話しかけた。


「そういえば、自己紹介がまだでしたわね。わたくしは、ジニア・ヒール。こちらは孫のリラと申します。あなたのお名前をうかがってもよろしいですか?」


 何故か令嬢は目を瞬いた。


「私の?」


 相変わらず無表情だが、名前を尋ねられるのを意外だと思っているように、リラは感じた。


「私の名前でいいの?」

「? ええ、勿論ですわ。わたくしたちは、あなたのお名前が知りたいのです」

「そう」


 微笑む祖母へ、令嬢が可憐な唇をそっと開く。


「私の名前は……」


 そして、彼女は祖母とリラに、とても素敵な名前を告げたのだった。

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