秘密図書館の自動人形
その図書館は、王家の森の奥深くに、ひっそりと建っている。蔵書は禁書だ。書物に限らず、禁忌に触れる物品は、王国を巡りめぐって必ずここへ辿り着く。
国の中枢に位置する一握りの人々は、ここを秘密図書館と呼んでいた。
「はい、あげる」
寄贈品として到着したばかりの自動人形は、そう言って右手を差し出した。繊細な造りの白い指で、木の葉を一枚摘まんでいる。
その人形は、鮮やかな紫色の髪に、端整な顔をしていた。白いワンピースとブーツを身につけ、日傘をさした彼女は、森の小道をのんびり歩いて来たのだ。
傍らに立つ若者に、年代物らしい革のトランクをひとつ持たせている。いわくつきの寄贈品というよりも、避暑地を散策する深窓のご令嬢といった様相である。
「あの、わたくしより先に館長へご挨拶を……」
お仕着せ姿の三九六号は、内心ひどく狼狽えていた。木の葉をくれる意味が分からない。館長より先に、自分へ話しかける理由も。そして、なにより荷物持ちの若者が問題だった。
「かまわないよ、三九六号。受け取ってあげなさい」
「は、はい。陛下」
トランクをぶら下げた国王陛下に促されては、どうにもならない。彼女が木の葉を受け取ると、人形はようやく館長へ向き直った。
「こっちは、あなたにあげる」
人形は小石を差し出した。ものに動じぬ館長が、困惑しているのが伝わってくる。平然としているのは人形だけだ。
「これだけ丸い石ころは、なかなか落ちてないわ。陽にかざすと、少し光るの」
無表情で平坦に話すのに、どことなく得意気に見えるのは気のせいだろうか。
「これを俺にどうしろと……」
「知らないの? 丸い物はね、家が傾いてるって文句を言いたいときに、床へ転がして使うのよ」
「この図書館は、傾いてなどいない」
「実際に傾いているかどうかなんて関係ないわ。文句を言うために転がすの。あなた下手そうだから、よく練習してみるといいわ」
目を瞬かせた館長に、若い王様が吹き出した。館長と国王は、浮かべる表情こそ違っていたが、その顔立ちは見分けがつかないほど酷似している。
□
三九六号が淹れた紅茶を、国王と館長が飲んでいた。自動人形はテーブルから一人離れて、書架から引き抜いた本を立ち読みしている。行儀が悪いはずなのに、ひとつひとつの所作が洗練されているせいか、見苦しくは感じない。
「どうだい、面白い人形だろう。兄さんの驚く顔なんて久し振りに見たよ」
「傍若無人が過ぎる。どうにかならないのか」
「最初の所有者が変わり者でね。嫌な命令は従わなくていいと、設計の時点で組み込ませたらしいんだ」
特注品の精巧な自動人形。莫大な資金を費やして、一流の魔導技師たちに技術を注ぎ込ませた逸品だ。しかし、人造生命に近いという理由から、今では簡易機構の人形を除いて、製造が禁じられている。
あれは確か、王位継承法が発令され、王国初の女王が誕生したのと同じ時期だと、三九六号は記憶を探った。ずいぶん年月が経っている。技術が失われて久しい現代では、これほど複雑な構造の自動人形を改造するなど、不可能に違いない。
「ある一族が、代々管理してきた貴重な骨董品だよ。けど、前所有者は彼女の行く末を憂いてね。安心して託せる親族がいないと悟るや、自分の死後はここへ寄贈されるよう手配していた」
「……亡くなったのか」
「老衰だってさ。そんな訳で、新たな所有者が必要だ。あと数日で、動力が切れてしまう。彼女は所有者の魔力しか受け取らないから」
「ちょうどいいじゃないか。停止したら、倉庫にでもしまっておこう」
「動けない状態で一定期間放置すると壊れるのさ。所有者から遠ざけすぎても壊れてしまう。いやはや、最初の所有者の執念じみた強固な意志を感じるよねえ」
館長の眉間に深い皺が刻まれる。三九六号は兄弟の応酬をハラハラと見守った。
「私としては、彼女はここで上手くやれると思ってるんだ。兄さんとも、三九六号とも。勿論、私ともね」
「馬鹿いえ」
「ははは、まあ試してみなよ」
国王は立ち上がった。森を抜けて王城へ戻るのだろう。
「なあ」
「なに、兄さん」
「お前も人形から、何か貰ったのか」
国王はポケットから毛糸の切れ端を取り出した。
「退屈なとき、猫と遊ぶのに使うものらしいよ」
「お前、猫なんか飼って無いだろう」
「うん。なら飼えばいいってさ」
元通りに毛糸をしまうと、また来ると言い残して、国王は帰っていった。館長は腕組みし、しばらく渋面で黙りこんでいたが、やがて三九六号へ指示をだした。
「あの人形を連れてきてくれ」
「所有者登録されるのですか?」
「…………寄贈品を破損するわけにはいかないからな」
三九六号は安堵した。とても風変わりな人形だが、壊れる姿を見たくなかったのだ。
人形へ近付いていく。彼女は本から顔を上げて、三九六号をじっと見た。無垢な眼差しにドキリとする。心を直接覗きこまれてしまいそうな、そんな真っ直ぐな目をしていた。
「ここにある本は、森の外へ出したら駄目なんでしょう?」
「はい。全て禁書ですから」
「だけどこのお話を知ってるの。閣下と一緒に外で見たわ」
閣下とは、歴代所有者の誰かだろうか。人形に本を読み聞かせる好々爺を連想してしまう。
人形に問いかけられた三九六号は、チラリと本の題名を確認した。子供向けの童話集で、短いお話がたくさん綴られているものだ。
「初版だけ禁書なんですよ。載せてはいけない御方のお名前があって、回収されたんです」
「どこ?」
回収原因の名前が気になるのだろう。三九六号がさらに歩み寄ると、自動人形はふと口を開いた。ぐっと縮んだ距離のせいか、人形と内緒話でもしているような錯覚を覚える。
「あの葉っぱはね」
「え? は、はい」
「栞にして使うものなのよ」
「あ……」
三九六号は読書が好きだ。偶然だろうか、素敵な栞が欲しいと考えていた。
そういえば、誰かにプレゼントを貰うのは初めてだ。日用品なら支給されているし、嗜好品も王城から届けてもらえる。けれど、三九六号が培養ポットから出て以来、贈り物などされたことは一度もなかった。
「あの、ありがとうございます」
「秋になったら、赤いのか黄色いのを探してくるわ」
三九六号の頬が赤くなる。人形は笑顔こそ浮かべないが、冷たくはみえなかった。愛想が無いだけで、敵意も悪意もないのだと今ならわかる。
「それで、どこに書いてあるの?」
人形が先程の童話集を差し出した。ありふれた恋物語のページが開かれている。
生真面目な三九六号は、おそるおそる館長を振り返った。人形を呼んでくるよう命じられたのに、いつまでもお喋りしていたら、叱責されるかと懸念していた。
「まあ……」
しかし、こちらを睨んでくるかと思われた館長は、いつの間にか窓辺へ移動していた。人形からの贈り物を陽にかざし、光り具合を確認しているようだ。石ころを観察する小難しい表情に、却って可笑しさが込み上げてくる。
ここは禁書をおさめた秘密図書館。図書館の所有者は、城では氷のような目をしている国王陛下。館長は存在しないはずの双子の兄だ。
そして司書兼メイドはホムンクルス三九六号、禁忌の人造生命体が務めている。
この自動人形なら、自分たちと仲良くしてくれそうだと、ホムンクルスは国王陛下と同じ意見を抱いていた。すでに好意を感じている。
「ここですよ。ほら、この王子様のお伽噺だと、意地悪なご令嬢が……」
童話集を指して説明するホムンクルスの口元は、楽しそうにほころんでいた。