とある伯爵令嬢のとまどい
最近の私はどうかしている。
ルナリエラはここのところよくそんなことを考えている。
ルナリエラは合理主義者であり、現実主義者であると自負している。実現できないことや非現実的なことを考えるのは無駄であるとさえ考えていた。
しかし、彼 ークリストファー・アルヴィー に出会ってから、もしも自分が彼の国に生まれていたならばという非生産的な考えが何度も頭をよぎる。
話に聞く彼の国は、先代国王からの政策が実を結びつつあり、男女が全く平等ではないものの、女性の勉学や就職については我が帝国とは比べ物にならないほどに制限がゆるい。貴族でありながら自分で商売をする侯爵夫人や、学園長を凌ぐ権力を持つ女傑と言われる女性教師もいて、後継の男児がいない場合には女性が爵位を継ぐことも可能であるという。
(いつか、彼の国を見てみたい)
いずれ自分の自由が制限されるルナリエラにとってはまるでお伽話のような感覚でそう思ってしまう。
絶対にそれが叶わないことであるとわかっていても、ときに面白おかしく、ときに真面目に自国を語る彼の話に、つい引き込まれてしまうのだ。
そうして、クリストファーと出会ってから一年近く経つ頃には、彼の国の言葉を勉強し、日常の会話ができるほどになってしまった。
クリストファーは不思議な人だ。真っ赤に燃える炎のような髪も、澄んだ秋の空のような青い瞳もこの国では珍しい。帝国では黒い髪に濃い瞳の色が多いのだ。
いつもふわりと笑みを浮かべ、柔らかい物腰に人懐こい話し方なのに、時折どきりとするほどに澄んだ瞳に観察されているような気がするのだ。
また、この1年で同じくらいだった身長がかなり伸びてルナリエラよりもだいぶ高くなっていた。少年期から青年期へと変わっていく中で、細い印象は拭えないが、二十歳を超えればがっしりとしてくるだろうし、まだもう少し伸びるだろうとクリストファーはいっていた。
そして、クリストファーはなるほど、父が目をかけるだけあり、頭の回転が速いのであろう話し方をする。
ルナリエラの研究にも興味を持ち、的確な質問をぶつけてくる。また、より内容を掘り下げて質問をしてくるので、熱い議論になってしまったことも1度や2度ではない。
人と議論することがこんなに楽しいとは思わなかった。
さらに、彼はルナリエラの髪や瞳などだけでなく、教養や知識も褒める。なんの変哲もないルナリエラのことを大袈裟なほどに褒めてくるのだ。話をするときに目を伏せなくていい、と男性に言われたのは初めてだ。
(フリードリヒ様とは大違いね)
そんなことが頭に浮かんだのも一度や二度などではく、その度に、自分の未来の夫と比べるようなことは良くないとその考えを打ち消すのだ。
ふとした折、髪や指先に彼の体温を感じた瞬間、顔が熱くなるのを止められない。
(あの青い瞳が良くないの…まるで宝物でも見るような…)
気がつけば、フリードリヒとの結婚まで残り1年となっていた。
「クリストファーとは今でも定期的に会っているそうだな。話が合うのかい?」
忙しい父が珍しく早く帰宅し、夕食の席で問われた。
後ろめたいことはなにもないのだが、自分の正体不明の感情がなんとなく後ろめたい気がして、つい謝罪が口から出た。
「申し訳ございません。結婚までもう一年を切っておりますので、これからはお断りさせていただいた方がよろしいですか?」
そう答えると父は、「そうではない」と困ったように首を振りながら言った。
「彼は気持ちの良い青年だ。きちんと節度をもってお前と接しているのも聞いている。お前が定期的に接触をするのはハルバール伯の娘たちごく一部だから珍しいと思ったのでな。」
確かに、極端に友達の少ないルナリエラはアメリアら馴染みの令嬢3人以外はほとんど知り合いの域を出ない付き合いしかしていない。
ちなみにアメリアも宮中伯家の1つである、輸出入などを手がける外交官や官僚を輩出するハルバール伯爵家の娘だ。
「そうですね。彼の話は興味深いことが多いです。私はこの国しか存じませんので。」
「私もかつて見識を広めるためにと隣国へ留学したが、やはり違う国の習慣や物の考え方というのはとても興味深かった。隣の国ですら知らないもの、見たこと聞いたことのないものがたくさんあった。」
父がここまで話をするのは珍しい。
「お前はとても優秀だ。もしも男として生まれていたならば学問で身を立てる道もあっただろう。クリストファーを見ていると、本当にお前の学ぶ道が途中で閉ざされてしまうことが残念でならない…」
「お父様…」
「やめてくださいな、あなた。女に生まれたからには、立派な殿方に嫁いで子を産み育て家を守ることが幸せなのですよ。ルナリエラもフリードリヒ殿のもとに嫁いでみればわかります。ねぇ、リチャード?」
母は跡取りである兄に同意を求めたが、兄は面倒そうにため息をついただけだった。母は返事を求めていなかったようで、気にせず女性の幸せについて蕩々と語っていた。
小さい頃から何度となく聞かされているこの説教はもうそらで言えるほどだ。この話をされるたびに、ルナリエラは周りの空気が減るような気持ちになった。
もしかしたらこの時、父にはすでに何かの予感があったのかもしれない。