とある伯爵令嬢の憂い
私ことルナリエラ・モンドールは子供のころから少々変わっていたらしい。
こどもらしい遊びやかわいいドレスやお菓子には興味をあまり示さず、じっと庭を流れる川を見ていたり、葉の筋を数えていたりした。そして5歳の時に5つ年上の兄の勉強をこっそりのぞいてからは数字のとりこになった。
数字は美しい。森羅万象すべてを数字を使って証明するのは私の夢だ。どんなことでも数字で表せないものはなく、勉強すればするほどその面白さにのめりこんでいった。カタツムリの殻の巻き方すら数式で表せるのだ。
幸運だったのは、生まれた家が宮中伯であったことだろう。
女子に教養は必要ないというこの国で、私が自由に勉強できたのは、私の父が同じように学問を愛する人間だったからだろう。いち早く私の才能を見抜いた父は、兄についていた家庭教師を私にもつけてくれて、勉強することを許してくれた。母は複雑な顔だったが、表立った反対をされることはなかった。これは、結婚するまでは自由に勉強させるという父からの条件が母に伝えられたからだと兄から聞いた。
そう。私が自由に学問に打ち込めるのも、結婚するまで。結婚したら相手の家に入り、お茶会と夜会ばかりの噂話の中で生活していかなければならない。そして、両親は私の結婚相手をすでに決めていた。
私が18になったら2つ上の侯爵家の長男と結婚し、侯爵家の持つ爵位を1つ譲り受けることになっているのだ。そしてゆくゆくは彼と共に侯爵家を継ぐ。両親としては、娘が結婚した後、不自由のない生活を送れるようにと結婚相手を探してくれたのだろう。侯爵家は大きく、生活には困らない。それでも、結婚すれば学問から離れなければならない。
貴族の結婚では政略的なものが普通で、恋愛結婚は庶民のものだ。だから仕方がないとはいえ、私はこの侯爵家のフリードリヒとの結婚がかなり不安だった。
彼は典型的な貴族だ。女が学問をすることに拒否感がある。婚約当初から、はやく学問をやめるよう言われてきた。
また、私の顔が気に入らないらしく、目が合わないように、女らしく静かにしろと言われてきた。結婚するのだから、彼の言うことに従わなければならない。自然といつも伏し目がちになった。
社交界の噂話など全くわからないから、彼とは話が合わなかった。
つまらない女だ、宮中伯の娘でなければ結婚などしたい女ではないと言われた。顔を合わせるたびに、私と結婚しなければならない我が身の不幸を嘆いていた。
それでも、家同士の取り決めだから、結婚しないわけにはいかない。
結婚してからこの人といい家庭を築けるだろうか。
そんな不安が結婚が近づくにつれて大きくなる。
もし私がこの国でなく外国に生まれていたら…無駄だとわかっているのに、そんなことを考えてしまうことがよくある。
今、私は16歳。結婚するまであと2年。この自由はあと2年で終わる。
今夜は、父と同じ宮中伯主催の夜会だ。娘と年が近く仲が良いので楽しみにしながら会場にはいった。
「御機嫌よう、フリードリヒさま。」
婚約者の姿を見つけ、私は挨拶に行った。
いつものように面倒そうに対応される。今日は茶色の髪の女性を連れていた。はかなげな雰囲気の女性だ。
「ああ。ルナリエラか。今日は君と踊る気はないから、好きなところに行ってこい。」
いつも通り婚約者としての義務は果たさずに解放される。隣の女性にくすりと笑われた気がした。
「かしこまりました。失礼します。」
頭を下げて友達の姿を探した。
「ねえ、ルナリエラ。本当にフリードリヒ様とは大丈夫なの…?」
友達であるアメリアが後ろを気にしながら尋ねてきた。彼女たちの背後、ダンスホールでは、先程の女性とフリードリヒが仲睦まじく踊っていた。時折顔を近づけては笑い合う様子が、彼女たちの方からも確認できた。
仲の良い友達数人とたわいもない話で盛り上がっていたが、後ろの様子にとうとうアメリアが口火を切ったようだ。
「大丈夫といわれても…お互いに嫌だといって婚約がなくなるわけではないもの…」
「婚約者としてのダンスすら断るなんてさすがにマナー違反ではない?」
「でも、お父様は結婚すれば落ち着くだろうとおっしゃって…」
「一度ガツンといってやったほうがいいと思うの!」
見かけによらずはっきりした性格のアメリアを、ルナリエラと友人のマリアとエルローザがなだめる。気の弱いマリアは他人事なのに今にも泣きそうだ。
「落ち着いて、アメリア。」
なぜか当事者であるルナリエラがなだめている。
「ガ、ガツンとなんてそんな、男性に向かっていうなんて、む、無理ですわ…」
マリアはプルプルと震えながら言った。
「結婚しても先に屋敷に妾がいそうよねぇ。あの方」
エルローザはなだめているのか火に油を注いでいるのかわからない。
「私が…勉強を諦められれば少しは違うかしら…」
ポツリとそういうと、アメリアとエルローザは即座に否定する。
「才能だけでなくたくさん勉強して努力しているのだから、気にすることないわよ!」
「そうよぉ。この国は女性の学問は忌避されるけれど、他の国では才能ある女性は重用されると聞いているわ。あなたは自分の才能を誇るべきよ。」
そんな話をしている後ろで、フリードリヒ達は夫婦や婚約者にだけ許される3曲目のダンスに入っていた。
「ありがとう。私ももっともっと勉強したいの…でも、フリードリヒと結婚することも結婚後学問を辞めることも、もう決まっていることなのよ。」
変わり者の自分をいつも励ましてくれる友人達に感謝しつつ、これからのことを考えると、ルナリエラは頭が痛い思いだった。