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不死の子供たち  作者: パウロ・ハタナカ
第十九部

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 砦を観察していると、死骸の山の向こうから黒い影がやってくるのが見えた。黒蟻に跨った〈コケアリ〉の戦士だ。彼女の触角がわずかに揺れたあと、砦を指さすのが見えた。


 その黒蟻は戦闘用に選別された個体なのだろう。艶のある体表は甲冑のように厚く、脚の関節部には摩擦を防ぐための樹脂状の溶液が塗りこめられていた。地面を踏みしめるたび、死骸と粘液の層が押し潰され、内部に溜まっていたガスが逃げて鈍い破裂音を立てる。


 複眼の奥で反射した青白い光が一瞬だけこちらを捉え、戦士は進路を示すように身体を傾けた。砦の外壁には出入り口らしい構造は見えなかったが、壁面の一部に継ぎ目があらわれ、内部へ続く狭い通路が露出する。


 外からは石積みに見えなかった面が、内側の機構でわずかにずれて開閉していた。精密に噛み合う石材の裏側には筋肉めいた収縮組織が埋め込まれていて、それを利用した機械的なロック機構が働いているようだった。閉じたときには完全に一体化し、侵入経路を悟らせない構造になっている。


 砦に足を踏み入れると、外の静寂とは異なる種類の騒がしさがあった。戦闘の最中、どうやって侵入したのかは分からなかったが、砦内にも戦闘の痕跡が生々しく残されていた。


 広場には〈混沌の子供たち〉の死骸が積み上げられ、乳白色だった皮膚はすでに変色し、粘液は土と空気に触れて黒く固着していた。表面は乾いているように見えても、体内は腐敗液とガスで満たされていて、些細な衝撃で内側の柔らかい組織が露出していた。


 それらの死骸の山には、まだ生きている個体が混ざっていて、神経反射だけで痙攣して指や顎が不規則に震えていた。コケアリたちはそれを一瞥しただけで、躊躇(ためら)うことなく止めを刺していく。


 コケアリの戦士階級だけでなく、より細身で小さな個体も忙しなく動き回り、負傷者の外骨格の亀裂に液体を流し込んで凝固させていた。それは体液と反応して発熱し、短時間で硬化するようだ。即席の装甲としては機能するが、完全な修復ではないのだろう。傷口の隙間からは依然として体液が滲み、青白い光の下で鈍く光っている。


 別の場所では、旧文明の鋼材を用いた武器の分解と洗浄が行われていた。戦闘中に付着した粘液をそのままにしておくと、金属が腐食してしまうため、細いブラシ状の道具で丁寧に削ぎ落として洗い流している。


 作業中も触角は常に動き続けていて、周囲の振動や匂い、仲間の位置を同時に把握しているらしく、視線を向けなくても互いの動きを理解しているようだった。


 その様子を横目に、我々は主塔へと足を進める。塔の内部へ入ると、温度がさらに一段低くなり、外の腐臭がわずかに薄れる代わりに、石と湿気の冷たい匂いで満たされた。広間の中央には大理石調の石材で組まれた円卓が据えられているが、その表面は完全な平滑ではなく、微細な溝が刻まれている。


 高い天井には無数の昆虫が張り付き、一定の周期を持つ明滅を繰り返していた。そこに生物発光特有の不規則なリズムが重なり合い、広間全体がゆっくりと呼吸するように明滅して見える。光の強弱に合わせて影が伸び縮みし、石壁の凹凸や床の細かな傷が別の形に見え隠れした。


 円卓の周囲には多くのコケアリが集まり、光で投影される地図を見つめていた。複雑に入り組んだ坑道が層状に重なり、立体的に描き出されているが、それは人間が用いるホログラム投影機とは原理が異なるようだ。


 以前、〈豹人〉が利用する〈記憶石〉と呼ばれる記憶媒体を見せてもらったことがあるが、それに似ているように感じられた。


 水晶のように透明度の高い鉱物が淡い光を放ち、内部に蓄えられた情報を空間に描き出している。その光は粒子となって空中に散り、互いに干渉し合いながら光の線と面を形成し、坑道の形状を織り上げていく。


 外部電源や投影素子は見当たらず、石そのものに情報の保持と再現機能が組み込まれているようだ。内部に存在する何らかの結晶構造が未知の刺激に応じて発光と配置を制御しているのかもしれない。


 その制御原理は科学技術とも魔術ともつかず、地球の常識では説明できないものだったが、コケアリたちの存在を前にしたあとでは、むしろ自然に思えた。


 円卓の奥では、〝闇を見つめる者〟が触角を細かく震わせ、大顎を微かに鳴らしながら戦士たちと何かを相談していた。


 翻訳機を通していないため意味は直接理解できないが、その振動の強さと間隔から、焦燥と警戒が入り混じった指示が飛んでいることは伝わってくる。彼女の複眼に映り込む地図の光が外骨格に青い影を落とし、彼女の輪郭を曖昧にした。


 広間の四方には、等間隔に異様な石像が並んでいる。カマキリに似た細長い胴体を持つ生物〈アジョエク〉の立像だ。


 滑らかな外骨格は黒い光沢を帯び、照明の明滅に合わせてヌメルように反射する。異様に肥大化した腹部は半透明の皮膜で覆われ、その内側にはザクロの果肉のような粒状の構造体が密集しているのが透けて見えた。ひとつひとつが独立した嚢のようにも、未成熟な個体の集合のようにも見え、その境界は曖昧だった。


 その像はあまりにも有機的で、表面の質感は触れれば柔らかく沈み込みそうな錯覚を与えるほどだった。


 天井からの光が強まる瞬間、皮膜の内側でわずかに影が動いたように見えたが、それが光の屈折による錯視なのか、内部構造の再現があまりにも精巧なために生じる錯覚なのか、もはや判別はつかない。


 その〈アジョエク〉は異界の女神に仕える存在だったが、なぜその像がここにあるのかは分からない。しかし昆虫種族でもあるコケアリにとって、この像は単なる装飾ではなく、何らかの〝守護〟あるいは〝崇拝〟の意味を持つのかもしれない。


 我々の到着に気づいた〝闇を見つめる者〟は、ゆっくりと首を上げ、触角をわずかに揺らして歓迎の意を示した。


 首元の翻訳機が起動すると、大顎のクリック音に重なるように、耳には届かない帯域の超音波が空気を震わせる。端末の受信部がそれを拾い、複数の周波数を分離して言語へ再構成するまでに、わずかな遅延が生じた。


 人間の声帯とはまったく異なる発声器官から生じた振動が、機械による演算を経てようやく意味を持つ。その過程そのものが、ここに存在する知的生命体が人類の進化系譜から完全に逸脱していることを物語っているようでもあった。


 私も情報端末を取り出して、翻訳機能を起動して応答する。合成された音声が空気を震わせると、コケアリたちの触角が一斉に反応し、微細に揺れた。複眼に映る光の揺らぎ、触角の位置、そのすべてが彼女たちの緊張と疲労、そして差し迫った危機を垣間見せている。


 それから、円卓に映し出された地図を囲むようにして戦況の確認が始まる。ハクとジュジュは広間の端に行き、発光昆虫や〈アジョエク〉の立像を興味深く観察していた。


 ハクは触肢で床を叩いて、振動を探っているようだった。それに合わせるように、ジュジュの抱えた鉢植えの葉は震え、鮮やかに明滅していた。


 この空間そのものが、ハクたちにとっても理解不能な領域なのだろう。しかし、それも無理はない。ここでは何もかもが人類の文明とは異質だった。


 円卓に視線を戻すと、坑道のいくつかの地点が暗く沈んでいるのが分かる。〈記憶石〉が投影する光の網目の中で、特定の通路だけが途切れ、情報が更新されていない。そのことについて質問すると、どうやら、すでにいくつかの前哨基地と連絡が途絶えてしまったようだ。


 混沌の軍勢の侵攻によって基地そのものが物理的に消滅したか、あるいは戦士たちが機能不全に陥った可能性が高い。


 混沌の軍勢がこの砦を目指している理由は、コケアリたちも把握していないようだったが、敵の進行方向は明確だった。地図上では、複数の坑道から流入する群れがひとつの収束点へ向かっている。その中心は、砦と資源回収場の中間地点に存在する未知の構造物――我々が壁で封印した遺物の位置だった。


 確かな目的をもって進軍しているのか、それとも何かに誘引されているのかは分からない。しかし、進軍の偏りは偶然ではなかった。


 特定の地点を避け、別の地点へ集中している。まるで地中に埋められた信号を追っているかのようだった。もし遺物が未知のエネルギーや情報を発しているのだとすれば、それが混沌の軍勢を引き寄せている可能性は高い。


 あるいは、すでに混沌側が遺物の存在を認識し、回収または破壊を目的に進軍しているのかもしれない。どちらにせよ、接触を許せば取り返しのつかない事態になる。


 遺物が未知の存在である以上、混沌に取り込まれれば、その機能がどのように歪められるか予測がつかない。コケアリの砦を死守する理由はそこにあった。


 この砦は、封印された遺物へ至る最後の障壁でもある。ここが突破されれば、資源回収場は孤立し、封印地点は無防備になる。戦術的にも地形的にも、ここは退けない場所だった。


 現在の戦力でも大規模な襲撃を一度は退けることができたが、それは〈シラヌイ〉の投入と砦の防御構造が噛み合った結果にすぎない。坑道の奥からは、複数の群れが収束しつつある。その数は先ほどの襲撃よりも多く、しかも移動速度が速い。


 地底を這う別種の大型変異体が群れを牽引している可能性が高い。もしそうであれば、つぎの襲撃は持久戦になるのではなく、短時間で防衛線を破壊するような突撃になる。


 砦の広間で状況を共有している間にも、地底の空気はわずかに震え続けていた。その震動は遠雷のように低く、しかし確実に近づいていた。単体の大型個体ではなく、質量を持った群れ、あるいは地中を掘削しながら接近している可能性もある。


 後方の基地からは、コケアリの増援が坑道網を通じて砦へ向かっているという報告が届いていた。けれど、地図上で示されるその進路はすでに安全とは言えなかった。いくつかの坑道では微弱な振動の乱れが観測されていて、混沌の軍勢が砦を包囲するように坑道に侵入し始めている兆候があった。


 増援が到達するまでに前線が維持されなければ、彼女たちと合流する前に分断され、各個撃破される可能性が高い。補給も同様だった。弾薬等の物資はまだ残されているが、消耗速度は想定を上回っている。


 整備の都合上、〈シラヌイ〉の追加は期待できなかったが、砦の外縁部には〈自律型多脚榴弾砲〉を配置できる空間がいくつか残されている。


 崩落の危険性があるため最大火力での運用はできないが、多脚砲台は地形に合わせて姿勢を変え、岩壁に張り付くように配置できる。また、周囲の振動や熱源を自動で解析し、敵の接近を予測して攻撃することも可能だ。坑道の狭さを逆手に取れば、敵の進行を大幅に遅らせることができるだろう。


 我々は互いの戦力を共有し、砦の防衛線を再構築するための作戦を練った。〈シラヌイ〉は前線突破力として、〈ラプトル〉は側面の掃討として、コケアリの戦士たちは砦の壁に配置して敵を迎え撃つ。


 敵の大群を削りながら時間を稼ぎ、その間に後方の増援が到着すれば、砦は持ちこたえられるかもしれない。


 いずれにせよ、我々が相手にしなければならないのは小さな怪物たちだけではない。より大きな〝何か〟が迫っていた。

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