表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不死の子供たち  作者: パウロ・ハタナカ
第十九部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

975/976

975 14〈コケアリ〉


 地底の大空洞は、先ほどまでの地獄のような喧噪が嘘のように消え、今は不自然なほど静まり返っていた。しかし、それは決して安堵をもたらす静けさではなかった。世界そのものが呼吸を止め、つぎに訪れる破滅のためだけに不気味な静寂を保っているかのようだった。


 青白い鉱石の光は、周囲に散乱する死骸や焼け焦げた肉片、吹き飛ばされた変異体の甲殻、黒く凝固しかけた体液の膜を冷たく照らし出している。その光は暗闇を退けるにはあまりにも弱く、死の痕跡だけを選び取って浮かび上がらせているようにさえ見えた。


 闇に沈む天井からは、水滴と湿った砂が細かく落ちてくる。死骸の臭い、腐敗臭、刺激臭を帯びた体液の蒸気、レーザー照射で熱せられた岩盤の乾いた臭いが混ざり合い、マスクなしでは呼吸すらままならない。


 その中でミスズは静かに片手を持ち上げ、ヤトの戦士たちに残存する〈混沌の子供たち〉の掃討を指示した。戦士たちは彼女の視線と手の動きだけで意図を理解し、すぐに数人に分かれて砦の外縁に向かう。


 彼女自身もナミと〈ラプトル〉の部隊を率いて、崩落した岩場や死骸の堆積で生じた隙間を順番に潰していった。戦闘を生きのびた小さな怪物は、焼け(ただ)れた身体を引きずりながら岩陰や死体の裏に身を潜めていたが、熱源と微細な動体反応を捉えるセンサーから逃れることはできない。


 赤い熱線が瞬くたび、小さな怪物の身体は痙攣し、粘液と煙を上げて動きを止める。死骸と肉片が積み重なった地面は踏みしめるたびに柔らかく沈み込み、靴底や脚部の装甲に気色悪いヌメリをまとわりつかせた。


 怪物の腹部から漏れ出した体液は粉塵と混ざって泥のように変質し、その上を踏むと水気を含んだ嫌な音がした。まだ内部に熱が残っている死骸も見られ、青い光を浴びた死肉の隙間から白い蒸気が細く立ち昇り、死骸そのものが冷気の中で息を吐いているかのように見えた。


 その圧倒的な火力で混沌の軍勢に打撃を与えた〈シラヌイ〉も、すでに新たな役割へ移っていた。二機はミスズの指揮下で半浮上のまま緩やかに移動し、砦周囲の死角を埋めるように哨戒を続けている。白い装甲は返り血と粉塵でまだらに汚れ、当初の無機質な清潔さを失っていたが、それでも死骸の山の中で浮かぶ姿は威圧的だった。


 逆関節の脚が粘液に汚れた地面に軽く触れるが、最小限の荷重しか伝わらないため、深く沈み込まずに移動できる。頭部の触角状のアンテナは左右に揺れ、洞窟や坑道の奥から返ってくる反射波を拾っていた。


 三番機だけは砦の奥、暗闇へと続く坑道の入り口に単独で配置され、警戒態勢に入っていた。そこだけは、戦闘後の静けさから切り離された別の時間が流れているようだった。


 坑道の奥からは、ときおり地鳴りにも似た低い振動が伝わってくる。岩壁の亀裂に埋まった鉱石の光がわずかに揺れ、血溜まりの膜に細かな波紋が広がる。


 こちらに向かっている混沌の軍勢が、坑道の奥で(うごめ)いているのだろう。その兆候だけが、音より先に空気を通して伝わってくる。


 偵察に送り出した数機のドローンとの通信は依然として途絶えたままだった。混沌の浸食が通信に干渉を引き起こしているのか、それとも発見されて機体を破壊されたのか、その判別すらつかない。いずれにせよ、さらなる襲撃が迫っているのは確実だった。


 私はハクとジュジュを連れて、コケアリの砦へ向かうことにした。砦を守る〝闇を見つめる者〟なら、この異常事態の理由に何らかの意味を見出しているはずだった。


 ハクは普段のような落ち着きのない好奇心を見せず、私のそばにぴたりと寄り添ってくる。八つの眼は周囲の暗がりや死骸の隙間を絶えず追い、長い脚の先端は血溜まりを避けるように慎重に置かれていた。彼女にとっても、この空洞に残る気配は不吉なのだろう。


 ジュジュは相変わらず小さな鉢植えを抱えたままだったが、周囲の様子を注意深く観察していた。抱き抱えた〈アスィミラ〉の葉が明滅し、青い鉱石の光とは別の、微かな反応を返している。植物が空気中の何かに反応しているのか、あるいは死骸を苗床として欲しているだけなのかもしれない。


 我々の周囲は死骸で埋め尽くされ、砕けた骨が鉱石の光を反射し、黒く乾き始めた体液はその光を吸い込んで底のない影のように沈んでいた。倒れた小さな怪物の身体はどれも不自然な角度に捻じれ、半透明の皮膚の下では潰れた臓器や断たれた筋繊維が鈍く透けて見えた。


 その中には、まだ神経反射だけで指先や顎を痙攣させている個体もいて、完全な死と残存する生理反応の境界が曖昧になっていた。


 コケアリたちの兵器で焼かれ、炭化した獣型変異体の身体は、崩れた岩壁にもたれかかったまま巨大な肉の塊となり、その裂けた胸腔からは黒く焼き縮れた組織が露出していた。


 そこに群がっていた〈混沌の子供たち〉の死骸が幾重にも折り重なり、ひとつの巨大な腐肉の丘のようになっていた。


 砦の黒い石壁が近づくにつれ、空気はさらに冷たく、重く変わっていく。コケアリたちが積み上げた石は精密に噛み合い、戦闘の衝撃を受けても大きくは崩れていなかったが、その表面には体液の飛沫と煤が薄くこびりつき、青白い光の下で鈍い光沢を返していた。


 その壁の前に立つと、坑道で感じた死の気配とは別の、もっと深く沈んだ闇がそこにあるように思えた。地底の底に築かれた要塞であると同時に、さらに深い破滅を見つめるための観測所でもあるかのように、砦は沈黙のまま我々を迎え入れようとしていた。


 門の周囲では空気がさらに淀み、腐敗と湿気、焼け焦げたタンパク質の臭いが混ざり合った重い臭気が身体にまとわりついた。


 大空洞を満たす青白い光の下では、血も粘液も煤も同じような艶を帯び、世界そのものが薄い死の膜で覆われているかのように見えた。あるいは、異界の景色を描いた絵画を見ているかのようでもあった。


 砦を囲む堀には〈混沌の子供たち〉の死骸が幾層にも折り重なり、壁を越えようとして潰れ、裂け、砕けた痕跡が生々しく残されていた。


 乳白色の小さな身体は互いの重みで押し潰され、半透明の皮膚の下で内臓と糞尿が溶け合い、そこに乾ききらない血と粘液、焼かれた組織の灰が混ざり込んで黒ずんだ泥のような層を作っている。


 死骸の山は偶然積み上がったものではなく、狂った群れが自らの同族を階段状の踏み台にして前進しようとした結果だった。壁際には無数の爪痕が残り、爪先が割れるまで石を掻いた跡や、滑落した個体が粘液の筋を引いてずり落ちた痕跡まで見て取れた。


 堀の底では、熱の残る死骸から微かな蒸気が立ち昇り、その隙間では押し潰された頭蓋がひしゃげたまま青い光をヌラリと返していた。サソリ型変異体の断ち切られた脚や、熊にも似た獣の炭化した肉片が混じり、戦闘がどれほど無秩序で、どれほど近接した距離で殺し合いが行われたのかを物語っていた。


 砦の外縁に突き立てられていた鉄柵の一部はへし折れ、黒い石材の表面には酸に焼かれたような窪みや、炸裂弾の破片で削られた細かな傷が無数に刻まれている。青白い鉱石の光はその凹凸のすべてを冷酷なほど明瞭に照らし出し、小さな怪物たちの狂気じみた執念を垣間見せた。


 視線を上げると、高い石壁の上でコケアリの戦士たちが警戒を続けているのが見えた。青い光を受けた複眼は硝子片を埋め込んだように煌めき、こちらを見下ろす視線には疲労と緊張が混じっているようにさえ見えた。長い触角は絶えず空気を探り、わずかな振動や匂いの変化すら取りこぼすまいとするように小刻みに揺れていた。


 彼女たちは蟻に酷似した亜人種ではあったが、地底という劣悪な環境で戦い続ける日常に適応した〝異星の兵士〟と呼ぶほうがふさわしかったのかもしれない。


 大きな複眼と触角、そして鋭い牙を備えた大顎を持つ彼女たちの身体は、人間ほどの背丈を持つ左右対称の構造で、中脚と後脚で身体を起こして立っている。遠目には直立する人型にも見えるが、近づけば、その構造の違いは明白だった。


 細く見える四本の脚には、強靭な筋肉が外骨格の内側に密に収まり、関節は人間よりも広い可動域を持ちながら、荷重の逃がし方はきわめて合理的だった。腹部は一般的な蟻ほど大きくはなく、短い尾のように重心を安定させる役割があるのか、立っているときの姿勢は人間のそれとあまり変わらない印象を受けた。


 腕のように機能する前脚の先には手に似た器官があり、器用に指を動かすことさえできる。情報端末などの人間の道具を扱うだけでなく、防壁に設置された機械式の射出装置も難なく操作できた。


 赤茶色の体表にはうっすらと苔に似た被膜が広がり、青い光を受けて鈍い青碧(せいへき)の光沢を返していた。それは外骨格と共生する膜状組織のようにも見えた。傷ついた部分ではその苔状の被膜が剥がれ、下から鉱物質の硬い外殻が露出している。


 自然界の蟻の中には、体表を生体鉱物で覆い、まるで鎧のような頑強な外骨格を身にまとう種が存在する。コケアリたちも同様の能力を持ち、外骨格を鎧のように変質させることができた。


 実際、戦士たちの肩や胸部には戦闘による傷跡が残されていたが、貫通には至っていない個体も多い。その外骨格も一様ではなく、上位の個体ほど苔の層が厚くなる傾向が確認できた。


 大顎は鋭利で、近接戦ではそれ自体が立派な武器になるはずだったが、いま見える彼女たちの表情には獣じみた凶暴さよりも、共同体を守る兵士としての厳粛さが感じられた。


 その生態は地球の蟻に似て、女王を中心とした明確な共同体を築いている。しかし、目の前にいる彼女たちを見るかぎり、それは単純な本能だけで維持された群れではなかった。


 戦士たちは互いの位置を常に把握し、触角の動きで情報をやり取りしながら、傷ついた個体を後方へ下げ、代わりに体力の残る個体を前に出していた。集団の意志がひとつの神経網のように機能している。


 その統率の強さは、人間の軍隊が訓練によって身につけるものとは、やや性質が異なっていた。命令に従っているというより、共同体の存続という唯一の目的に向けて最適化されているかのようだった。


 たとえば、〈兵隊アリ〉と呼ばれる階級はすべて女性で構成され、戦闘に特化している。個体差はありつつも、どの戦士も外殻の厚い胸部と発達した顎、武器を扱うために洗練された前脚を備え、戦闘を有利に進めるための構造をしていた。


 その中には、体格がひと回り大きく、肩幅や外骨格の厚みが他の個体とは明らかに異なるものもいた。そうした個体は通常の兵隊アリではなく、より上位の戦闘階級に属するのだろう。


〈大将アリ〉として知られる階級のコケアリは、単体で混沌の軍勢に匹敵するほどの力を有していたが、その詳細については限られた者しか知らない。けれど、砦を埋め尽くすほどの死骸の量と、わずか百体ほどのコケアリが混沌の軍勢の襲撃に耐え抜いたという事実を前にすると、その話を誇張だと切り捨てる気にはなれなかった。


 砦の石壁に寄りかかるようにして座り込んだコケアリの外骨格には、深い裂傷を応急的に塞いだ跡があったが、それでも旧文明の鋼材を用いた槍を手放していない。別の戦士は折れた触角の先から体液を滲ませながらも、堀の底を見下ろしていた。


 彼女たちにとって、この凄惨な光景は悲劇であると同時に、日常でもあった。砦の周囲に積み重なった無数の死骸と、その上に沈黙して立つコケアリの姿は、戦闘の勝敗を示すものではなく、地底で生き延びるという営みそのものが、初めから陰鬱な殺戮と隣り合わせであることを静かに物語っているかのようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
書籍情報です。応援よろしくお願いします!
画像クリック or タップで販売ページにアクセスできます。

41pRtQ6uAES.null_SY250_.jpg
いずみノベルズ 〈不死の子供たち1〉 書籍情報

418IqmXBLML.null_SY250_.jpg
いずみノベルズ 〈不死の子供たち2〉 書籍情報

513Yh3qFmpL.null_SY250_.jpg
いずみノベルズ 〈不死の子供たち3〉 書籍情報
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ