967 06
〈アスィミラ〉との対話は短時間で打ち切られたが、そのわずかな時間のなかでも、濃密な意思疎通ができたように思えた。擬餌状体にも変化は見られず終始安定していたが、装置を介した同調の余韻が負担になっているのか、ペパーミントはこめかみに指を当て、軽くもみほぐしていた。
互いを完全に理解するには充分とは言えない時間だったが、我々は別れることになった。異星植物との長時間の接触で生じるかもしれない危険性を考慮しての判断だったが、このあとも用事が控えていて、滞在を長引かせる余裕がなかったというのが本音だった。
もちろん、帰り際には〈アスィミラ〉の子株を受け取ることになった。女性の姿を完璧に模した擬餌状体は巨木の根元にしゃがみ込み、すでに同期を終えていた子株を両手で優しく包み込むようにして持ち上げた。そのさい、艶のある長髪が、何も身につけていない背中の上を流れるように滑った。
子株は巨木から離れる瞬間、わずかに発光の周期を乱したが、すぐに安定した。目に見えない接続は維持されたままなのだろう。物理的に分離しても群体としての同調は途切れていないように見えた。
ジュジュの鉢植えに植え直されると、子株は自律的に根を広げ、土の水分と養分を測るように微細な震えを見せた。葉は以前より厚みを増し、そこから放たれる燐光は一段と輝きを増している。成長しただけでなく、情報を保持する容量が増している可能性もある。
鉢植えを受け取ったジュジュが奇妙な小躍りをしてみせると、ハクもつられてカサカサと腹部を振るようにして不思議な小躍りを披露した。心なしか、擬餌状体の口元がわずかに緩み、微笑んでいるように見えた。
子株を介して我々に関する記憶や情報を受け取っているからなのか、擬餌状体の表情や態度にはどこか余裕が感じられた。未知の侵入者ではなく、保護すべき対象として扱われているのかもしれない。以前ほど警戒しているようには見えなかった。
それから我々は、大樹の発光が緩やかに減衰していくのを背に、コンテナヤードを離れた。背後では青紫の光が霧に溶け、再び均質な薄闇へと戻っていく。
通りを抜け、倉庫区画に続く道路に出ると、空気の質が変わった。胞子の濃度は明らかに低く、植物の異常発光も見られなくなった。
倉庫群には今も旧文明の装置や設備が残存し、戦闘艦の補修に必要な精密部品も保管されていた。そのなかには荒廃した〈廃墟の街〉では得られない貴重な物資が多く含まれていて、浮遊島を離れる前に調達しておこうと考えていた。
コンテナターミナルは〈アスィミラ〉の支配領域になっているが、この区画では機械人形たちが定期的に胞子の駆除作業を行っている。焼却と薬剤散布によって植物の侵入は最小限に抑えられていた。外壁には焦げ跡が残り、胞子の付着を防ぐための薄い被膜が光を鈍く反射している。
安全圏とは言えないかもしれないが、少なくとも〈アスィミラ〉の意志が直接及ぶ領域ではなくなっていた。
徐々に霧の密度が増し、視界は数メートル先で白く溶け落ちていた。霧は静電気を帯びているのか、肌に触れるたび微かなざらつきを残し、装備の表面には細かな水滴が絶えず付着する。足元の舗装はところどころ剥離し、補修材が露出していた。
周囲には奇妙な静寂が立ち込めていたが、遠くで稼働する空調設備の低い振動音は相変わらず聞こえていた。
警戒しながら進むにつれ、霧の奥に黒い輪郭が浮かび上がった。倉庫区画の立ち入りを制限するために設けられたゲートだ。厚い合金で組まれたフレームには識別灯が埋め込まれ、進入路を示すホログラムのラインが一定間隔で投影されていた。
霧の向こうに戦闘用機械人形の輪郭が複数、規則的な間隔で配置されているのが見えた。外装には水滴が付着し、白い膜のように表面を覆っていたが、関節部は滑らかに動作していて、機体の状態は良好だった。こちらの接近に合わせて、わずかに姿勢を変える。
さらに高所には、自律型致死兵器〈ツチグモ〉が壁面に張り付くように待機しているのが見えた。機体に搭載されたセンサー群が霧を透かし、我々の体温と動作パターンを追跡しているのが分かる。
隔離区画を管理する人工知能〝ルイン〟から入場許可を得ていたので、立ち止まることなくゲートに近づく。すると床面に埋め込まれた識別ラインが淡く発光し、進入経路を示してくれた。
通過の際、複数のスキャナーがハクとジュジュの生体情報を読み取り、照合結果がゲート上部のパネルに淡い光として投影される。しかし警告音は鳴らず、武装ユニットの照準も動かない。問題ないと分かっていても、背筋に冷たい緊張が残った。
ゲートを抜けると、無数の倉庫が並ぶ広い通りに出た。霧の切れ間からは、倒壊したクレーンのアームが巨大な骨のように突き出しているのが見えた。風はなく、遠方で老朽化した設備が軋む音だけが静寂のなかで聞こえていた。
破壊されたまま放置されていた多脚車両は、脚部がねじれたまま地面に沈み込み、機械人形の残骸は胸部ユニットが裂け、切断された配線から水滴が垂れ落ちていた。装甲には高熱で溶断された痕が残り、戦闘が短時間で激しく行われたことを物語っていた。
かつて物流の中心として稼働し、膨大な物資と労働機械が行き交っていたことを思えば、この静寂は異様というほかない。
やがて前方に巨大な倉庫の輪郭が見えてきた。近づくにつれて、それが単体の建物ではなく、いくつもの区画を内包した複合構造体だと分かる。外壁は厚く、衝撃や爆発を想定した補強が施されていた。途方もない年月を放置されていたにもかかわらず、崩落の兆候はほとんどない。
色褪せた隔壁には〈兵站局〉の刻印が残っていた。周囲の安全を確認し、軍の権限を使って封鎖を解除する。認証コードが送られると、内部のロック機構が段階的に解放されていく振動が足元に伝わる。人類の管理者を失って久しいはずだが、その堅固な構造体はなお機能を維持している。
鋼鉄製の巨大な隔壁が鈍い音を立てながらゆっくりと開き始める。外気との圧力差に押され、霧が倉庫内部へ吸い込まれるように流れ込んだ。その白い層が薄れていくにつれ、内部の光景が徐々に露わになっていく。
天井は驚くほど高く、上部は闇に沈んでいた。整然と並ぶ無数の棚が広大な空間を碁盤の目のように区切り、それぞれが幾層にも分かれて物資を抱え込んでいる。配置は正確で、通路の幅も一定に保たれていた。乱雑さは皆無で、旧文明の効率性と秩序がそのまま封じ込められている。
棚には大小さまざまな装備や物資が並んでいた。精密工具、産業機械の交換部品、未開封の防護スーツ、〈国民栄養食〉が詰まったコンテナボックス。保存状態は良好で、密閉容器の封印も保たれている。ここでは時間さえも管理対象だったのだろう。
各棚の前にはホログラムのタグが浮かび、内容物の一覧や使用可能な状態が鮮明に表示されていた。霧の粒子が光を散乱させ、文字が淡く揺らめく。その揺らぎの向こうに、膨大な資源が眠っている。戦闘艦に必要な部品も、この棚のどこかに保管されているはずだった。
動体検知センサーが我々の存在を捉えた瞬間、倉庫内の照明が段階的に点灯し、暗闇に沈んでいた空間が白く浮かび上がっていく。光は棚の金属面を鋭く反射し、霧の粒子が淡く揺らめく。空調は最低限に抑えられているらしく、霧は緩やかな層を成したまま漂っていた。
その中心で空気を押し分けるようにしてホログラムが形成され、青年があらわれた。
『閣下、お待ちしておりました』
内耳に響く声は均質で、落ち着き払い、わずかな抑揚さえ最適化されている。鼓膜を震わせる振動は自然だが、その声が空気を震わせることはなかった。
青年は仕立ての良いブラックスーツをまとっていた。布地には幾何学模様が織り込まれ、照明を受けて控えめに光る。袖口から覗くラピスラズリのカフスボタンが冷たい輝きを放ち、その存在を強調していた。無機質な倉庫の内部にあって、その装いだけが異様に洗練されている。
姿勢は完璧で、動作にも無駄がない。背筋は伸び、顎の角度も視線の高さも、AIエージェントとして安心感を与えるよう設計されているのだろう。均整の取れた体躯、理知的な顔立ち、わずかに純真さを残す表情。旧文明が理想とした人間像を抽出し、固定したかのようだった。
もし肉体を持つ存在であれば、自然に視線を集めていただろう。しかし光の層でしかなく、背後の棚がわずかに透けている。その完璧な作り笑いも、ペパーミントには通用しないようだった。彼女が端末を操作して必要な部品のリストを転送すると、ルインは即座に応答した。
『こちらになります。すぐにご案内させていただきます』
彼は腰の後ろで手を組み、滑らかな歩調で棚の間を進む。
実体を持たないにもかかわらず、その足取りは床に重さを残すような錯覚を与える。足裏が接地する瞬間に合わせて床面の光沢がわずかに変化するのは、視覚補正による演出なのだろう。旧文明のAIエージェントが、人間との距離を縮めるためにどれほど細部まで設計されていたかが伝わってくる。
私は別の目的があったので、倉庫内でも厳重に管理されている区画に向かうことにした。戦闘艦に艦載予定だった重装甲戦闘服〈生体甲冑〉の状態を確認する必要があった。長期保管による劣化や、内部駆動系の自己修復ログを直接確かめたいと考えていた。
ハクはどちらについていくべきか迷っている様子で、トコトコと脚を小刻みに動かしながら身体の向きを変えていたが、やがて決心したように私の後を追ってきた。小型部品よりも、大型装備のほうに関心があるのだろう。ジュジュはその背にしがみついたまま、周囲の棚を忙しなく見渡している。
倉庫の奥に進むにつれ、照明は必要最低限の範囲だけを照らし、棚の影が深くなっていった。ペパーミントとルインはすでに別の通路へ消えていたが、彼の存在は倉庫全体に張り巡らされたセンサーと連動していて、どこにいても監視と管理を続けているはずだった。
旧文明が残したこの巨大な兵站施設は、もはや人間の手を必要としない。ルインのようなAIが秩序を維持し、在庫を更新し、劣化を予測し、必要とあれば自律機械に修繕を命じる。人間が消えた後も補給の仕組みだけは止まらなかった。
その事実は、ある種の不安を呼び起こす。兵站とは本来、戦争のための機能だ。支援すべき宇宙軍の存在自体が曖昧になった今も、その機能だけが生き続けていることが不思議でならなかった。あるいは、今もどこかで地球を監視しているのかもしれない。
隔離区画に近づくと、空気がわずかに冷たくなった。温度と湿度が厳密に管理されている証拠だ。壁面には細い光の線が走り、封鎖状態を示している。ハクが前脚を持ち上げて、興味深そうに隔壁の表面に触れる。
静電気が走り、青白い光が隔壁の縁をなぞった。防護フィールドが作動したのだろう。ハクは驚いて、ハエトリグモを思わせる愛嬌のある動きで飛び跳ねた。ハクの背にしがみついていたジュジュが、抗議するように背をベシベシと叩くのを横目に見ながら、隔壁を開放する認証コードを送信する。







