964 03〈空間転移装置〉
脅威の排除を確認すると、我々は屋上を離れ、濃霧の中を慎重に進みながら空間転移装置の調査に向かった。濡れた階段を降りるたびに湿った空気が装備の隙間に入り込み、ライフルの外装には微細な結露が生じていく。センサーは常時補正をかけていたが、視界は依然として数メートル先で白くかすれていた。
その間にも、どこかで低い振動が続いている。機械的な周期ではなく、島そのものが呼吸しているかのような不規則さだった。
現場に到着すると、ペパーミントはジュジュを連れて、まず霧を遠ざける装置の点検に向かった。局所的に電場を形成し、微粒子化した水滴を帯電させる方法で霧を除去して、視界を確保する簡易的な装置だ。出力は安定していたが、浮遊島特有の高湿度環境では効率が落ちやすい。
装置の影響で水滴が発生し、地面には水溜まりができていたが、彼女は気に留める様子もなく膝をつく。それから筐体を開き、手元の端末に接続して内部機構を確認していく。
「こっちは問題ないみたい。ねぇ、カグヤ。〈転移門〉を調べるから手伝ってくれない?」
『了解。すぐにデータを転送するから端末で確認して』
偵察ドローンが転移装置を走査しているのを横目に、私は周囲の安全を再確認してから変異体の死骸処理に取りかかった。
ハクは吐き出した糸を巧みに操り、変異体の死骸を絡め取っては引きずり、一か所にまとめていく。八本の脚を器用に動かしながら、あちこち移動しては死骸を回収していくハクの動きは、見ていて飽きることがない。
しかし、死骸はやはり気味が悪い。形状こそ人型に近いが、生物の亡骸というより、未完成の廃棄物のように見えた。
断裂した四肢の断面からは筋繊維に似た束と、半透明の管状組織が露出している。血液に相当する体液は粘性が高く、酸化すると灰白色へと変色する。内臓と推定される器官も既知の哺乳類とは配置が異なり、複数箇所で癒着しているのが確認できた。
気味の悪い内臓が露出した胴体や手足が積み上がる光景は異様で、非現実的でさえあったが、どこか慣れてしまった感さえある。荒廃した環境では珍しくもない光景だが、それでも浮遊島の不気味さと相まって、得体の知れない恐怖は常につきまとう。
風向きを確認しようとして、ほとんど気流が存在しないことに気づく。霧は滞留し、熱も煙も拡散しにくい。空気は重く、湿度だけが肌にまとわりつく。浮遊島が形成する閉鎖的な大気循環のせいだろう。外界から切り離された実験区画に足を踏み入れたかのような、嫌な緊張感がる。
煙が滞留しないよう位置を調整し、ライフルの出力を〈火炎放射〉へと切り替える。内部のエネルギー配分が再構成され、〈搭載型発射体成形機〉として機能する機構〈プロジェクタイル・シェイパー〉から、熱線発振ユニットへの供給に切り替わる。
照準を死骸の山に合わせ、プラズマを伴う指向性熱線を放射する。もはや〈火炎放射〉というより、制御可能な熱エネルギー投射と言ったほうが近いのかもしれない。
変異体の白い皮膚は瞬時に収縮し、炭化が進む。内部の水分が急速に加熱され、組織が崩壊する。脂肪分はほとんど存在しないため爆発的な燃焼は起きないが、蛋白質が分解され、焦げた有機物特有の臭気が霧の中に広がる。
出力を段階的に上げ、骨格に相当する部位が脆くなるまで照射を続ける。高温処理によって病原性や未知の寄生体の残存リスクを最小化するためだ。
ハクは一定の距離を保ちながら作業を見守っていた。糸で形状が保持されていた死骸が崩れ落ちると、さらに焼却効率を高める。やがて白い巨体は原形を失い、黒灰色の塊へと変わっていった。焼却が進むにつれ、霧の層に淡い揺らぎが生じる。上昇気流による対流の影響だろう。
しばらくして炎の照射を止め、周囲の放射線量と汚染物質による空気成分を確認する。数値は許容範囲内に収束していたが、やはり近づかないほうがいいだろう。
「助かったよ、ハク。おつかれさま」
『ん、ちょっとがんばった』
ハクは満足そうに触肢で地面を軽く叩いたあと、ペパーミントの作業を見にいく。
私はしばらくその場にとどまり、炎を眺めていた。死骸から黒煙が立ち昇る間、霧の中では淡い影が揺れている。それが炎の反射なのか、霧の濃淡か、あるいは――この島に満ちる得体の知れない何かが、こちらの行動を観察しているのかもしれない。そんな錯覚が、絶えず頭から離れなかった。
「レイ、準備ができたよ」
ペパーミントに呼ばれると、焼却されていく死骸のそばを離れて空間転移装置の状況を確認しに向かう。焼却で生じたわずかな熱流が周囲の霧を揺らしているが、その中心に据えられた装置だけは、冷たい輪郭を保っていた。
空間転移装置は、旧文明期由来の高硬度鋼材と形状記憶合金を組み合わせた可変フレームを採用していた。待機状態では多層に折り畳まれた骨格がリング状に収束し、起動信号を受けると段階的に展開していく仕組みになっている。
それと同時に中心部に高エネルギー場が集中し、局所的な〝空間の歪み〟を発生させる設計だ。理論上は、強力な重力井戸を人工的に生成し、二点間の距離を極小化することで空間移動を実現していると推測されている。
設計図どおりに組み上げて、規定の電力を流せば機能する。しかし、その原理は依然として不明なままだった。核心部には異星由来とされる未知の技術が使われ、内部では説明のつかないエネルギー遷移が観測されている。けれど、なぜ空間が折り畳まれ、なぜ安定するのかを完全に説明できる者はいない。
今回発生した停止エラーもログ上では電力異常と記録されているが、根本的な原因を断定することはできなかった。
とはいえ、電力系の異常そのものは特定済みだった。大電流を扱う主幹ケーブルの一部に劣化が見られ、抵抗値の増加が制御系の誤作動を誘発していた。ペパーミントはハクのハーネスに吊るしていたショルダーバッグから、念のために用意していた予備ケーブルを取り出す。
〈空間拡張〉による収納技術は、この装置と同様に不可解で、常識の延長線上にはない驚異的な技術だった。彼女は素早く劣化部位を切り離し、新品の超伝導複合ケーブルと交換した。接続端子がロックされると、冷却ユニットが自動起動し、温度が臨界点以下へと落ちていく。
「……これで問題ないと思う」
装置内部の電力が安定し、霧の中で微かな振動が感じられた。カグヤが遠隔操作するドローンも走査を完了し、異常がないと報告してくる。
「それじゃ、起動テストを開始するね」
ペパーミントが端末を操作すると、低周波の駆動音とともにフレームが変形していく。折り畳まれていた鋼材が滑らかに展開し、複数のリングが同心円状に配置されていく。形状記憶合金が設定温度に達し、事前にプログラムされた形状へと正確に復元される。その動きは機械的でありながら、人体の関節が動く過程にも似ていた。
フレームが完全に展開されると、内部空間がわずかに歪み始める。空気が引き伸ばされるような感覚が肌に触れ、霧がその中心に向かって吸い込まれるように流れ込んでいく。
つぎの瞬間、空間の中心に〝亀裂〟が生じた。何も存在しないはずの位置に、背景情報が欠落した黒い領域が生じる。そこだけが三次元空間の連続性から切り離されているような、奇妙な現象だ。色も影もない。ただ、存在しないはずの亀裂が露出している。
横浜の拠点に設定された転移先データが同期され、座標が固定される。歪みは急速に安定化し、楕円形の薄膜へと収束していく。それは鏡面のように周囲を映しながらも、わずかに遅延した像を返す。向こう側の構造物の輪郭が重なり、現実の景色が揺らぐ。
空間転移装置の起動確認が終わると、無駄な電力消費を避けるため装置を停止させた。霧の中で空間の歪みが静かに収束し、周囲の空気がわずかに震えた。
「それにしても――」と、ペパーミントは道具を片付けながら言う。「どうして、あの化け物は転移装置の周囲に集まってきたんだろう」
私も同じ疑問を抱いていた。建物の封鎖が解除され、行動範囲は拡張されたはずだった。それにもかかわらず、〈白い巨人〉たちは門の周囲を徘徊し、一定の距離を保ったまま離れようとしなかった。
監視カメラの行動ログを簡易解析すると、彼らの移動経路は偶然の重なりではなく、中心点となる転移装置を基準とした偏りを示していた。まるで装置に引き寄せられたように配置されていた。
ふと、ハクの背中によじ登ろうとしていたジュジュの姿が目に入った。大事そうに抱えていた鉢植えは地面に置き忘れていて、その中で〈アスィミラ〉の子株が淡い燐光を放ちながら、規則性のない明滅を繰り返していた。
「やっぱり、アスィミラの仕業なのかもしれないな」
「どういうこと?」と、ペパーミントは首をかしげる。
私は以前から抱いていた仮説を整理する。〈アスィミラ〉は胞子を介して特定の神経系に干渉することが分かっていた。それは完全な洗脳ではなく、行動選択をわずかに操作する程度の微細な誘導だった。
生物の危機意識に対する反応を強化し、生息圏を守る方向へ宿主の判断を傾ける。通常であれば、変異体の接近に伴って〈アスィミラ〉を保護する捕食者は攻撃的になるはずだったが、今回その痕跡は確認できなかった。
なにかを察したのだろう。「なるほど」と、ペパーミントは言う。「自由になった変異体も、アスィミラの胞子に影響されて、門の周囲を守るように配置されていたってことね」
「ああ、そうだ」
「つまり、あれを排除する必要はなかったってこと?」
「……どうだろう、それは分からない」
実際のところ、〈アスィミラ〉の影響が〈人擬き〉に対してどこまで及ぶのかは不明だった。あの変異体たちが完全に制御されていたのか、あるいは〝誘導されていただけ〟なのかも分からない。現に、遠く離れた位置にいた我々の存在を認識し、ある種の敵意を示していた。接近していれば、無差別に攻撃されていた可能性もある。
〈アスィミラ〉の能力は強力だが、万能ではない。旧人類が異常な環境で変異を繰り返した結果生まれた〈白い巨人〉のような存在を、完全に支配することは難しかったのかもしれない。
どちらにせよ、あの化け物はただ徘徊していたわけではない。何らかの〝役割〟を与えられたことで、転移装置の周囲に集まっていた可能性がある。
とにかく、〈転移門〉は復旧した。次はコンテナターミナルにいる〈アスィミラ〉に会いに行くことにした。そこで何か分かるかもしれない。
ハクの背から降りようとしていたジュジュに鉢植えを手渡したあと、我々は再び濃霧のなかに足を踏み入れた。







